Wind of life ~Ancint Memories~
さちづる
第1話 再会
一面を白く染めていた雪も溶け、光が差し込む森の中は若々しい新緑が芽吹く季節が訪れていた。
その森を抜けた先、切り出した崖の方から詞を読む少年の声が聞こえる。崖の先端部には細い丸太で組まれた腰ほどの高さの古びた柵がある。 そこに腰をかけながら一人の少年が本を片手に朗読していた。
柵の向こうには絶壁の崖になっており、眼下には小さな町と川がある。それ以外に見えるものはまだ山頂に雪を残した白い山々と色づく前のまだ青々とした麦畑が広がる。空は青く晴れ渡り、春の訪れを感じさせる暖かな日差しが心地よい。 そんな天気とは対照的に少年の表情はどこか曇っていた。
背中に広がる絶景に関心もなく、すこし茶色味がかった瞳は聖書に向けられている。
「・・万物に宿りし精霊よ。 雪解けを待つ蕾に春のウサギとなりて生命の息吹を与えたもう。 その足音に、その声に・・・。」
淡々と読み進める声は抑揚もなく、どこか上の空な様子だ。
「新たな生命の循環、そして不変たる・・ふぅ。」
詞の練習を中断してため息をつく、あたりは時折吹く風の音だけが残り、少年の少し癖のある黒い髪や草花を優しく揺らした。
おもむろにポケットから古びた便箋を取り出し、眺めては物思いに耽っていた。
何度も読み返し、ボロボロになった手紙はずいぶん前に行商を営んでいる友人が送ってくれたものだった。
内容は旅先での出来事が楽しげに描かれている。そして、文書の最後には祭りの頃に行けるかもしれないと書かれてあった。
今日はその祭りの当日。だが、友人のいる行商の一団は今朝も村に到着していなかった。
柵に腰をかけたまま空をぼんやりと見上げる。その時、森の方からこちらに向かって草をかき分ける音が聞こえてきた。
「やっぱりここにいたのか。 ノエル、こんなとこでなにやってんだよ。司祭様が探してたぞ。」
声と共に現れたのは友達と思われる同い年くらいの少年。ノエルと呼ばれた少年より幾分背が高く、短髪で落ち着いた印象だ。怪訝そうに喋りながら衣服に付いた葉っぱを手で服を払う。
「なんだ・・、テオか。」
ノエルと呼ばれた少年が無愛想に返事をする、その様子を見てテオも呆れたように言い返した。
「なんだじゃねーだろ。司祭様、めちゃくちゃ怒ってたぞ。あの様子だとノエル探すの断ってたら今日の祭りで聖霊様の生贄に捧げれれてたわ、俺。」
「いや、うち、そーゆーのやってないから! てか、人の家のじいちゃんをどういう見方してるんだよ。」
ノエルの家は村の教会で祖父は司祭をしている。白髪に生え揃った髭、年齢を感じさせない躰つきに大きな声は質実剛健そのものを思わせる。
村の子供は教会で聖霊学を司祭により教わるのだが、張り詰めた空気に恐れを抱く子供も少なくない。 実際、一緒に暮らしているノエルでさえ祖父が笑う姿を見ることはほとんどなかった。
「今日、神楽本番だろ、どうしたんだよ・・。 やるって決まった時は喜んでたのに。」
「なんでもないよ・・。なぁ、精霊様のこと学んできたけど、ほんとにいると思う?木や水、万物に宿ってるって教えられてるけど、見たって人はいないじゃん。」
「それ、教会の息子が言っていいことなの?反抗期ってやつ?」
「・・そんなんじゃないんだけど、神楽のため勉強して余計にわからなくなったっつーか、色々うまくいかなくて冷めたって感じ・・。」
「お前の家、色々大変なのは知ってるけど、今日は楽しみにしてる人も多いんだからちゃんとやれよ。」
「暗記したことを言うだけだろ、大したことねーよ。」
すっかりやる気を無くしてるノエルの様子にテオはため息をついて言葉を続ける。
「ちゃんと伝えたからな。こっちも行商の一団が到着したから宿の準備もあって忙しいんだから。」
「ほんとかっ!それを先に言えよ!」
ノエルは振り帰り戻ろうとするテオを慌てて呼び止めて今の話を確認をする。無造作に手紙を元のポケットの中に押し込み、テオに軽く礼を言うと村に向かって走り出した。
「なんだよ、現金なやつだな、って、おい!司祭様のところ忘れるなよー!」
忠告が耳に届いたかも判らず、テオもまた慌てて森の中に消えていった。
所々に日が差す森の中、コケの生えた倒木の上でリスがのんびりと木の実を食べている。何か物音を察知したらしく、慌てて木の上へ逃げていった。
そこをノエルが颯爽と駆け抜けていく。
さっきまでとは打って変わって自然と笑顔がこぼれてくる。 道にもなってない森の中を走りながらノエルは手紙の差し出し人である女の子、エレノアについて想いを馳せていた。
エレノアとノエルの出会いは5年ほど前にノエルが住む村、ウイタエに時折やってくる行商人の一人娘で栗毛を後ろで束ね、毛がフサフサの白い犬と一緒にいるのが印象的だった。
ノエルは友達と遊んだ帰りに村の中央にある噴水がある広場であまり見たことのない同い年くらいの女の子を見つけた。 その子は白い大きな犬を連れ、噴水の縁につかまってなにかを観察しているようだった。
その女の子が何を見ているのか気になってノエルは興味本位で近づいてみた。
泉の中にはリマモという植物とも生き物とも言えない緑色した拳ほどの球体が無数に住んでいる。それがゆっくりと浮いたり沈んだりする姿を少女はただ、まじまじと見つめていた。
「これ、珍しいの?」
事もなげにノエルが話しかける。しかし、少女は話しかけられたことに驚いた様子でおどおどし、結局何一つ言葉を返せぬまま走って逃げてしまった。
「なんだ、あいつ・・。」
あっけにとられてノエルだけが広場に残された。これがエレノアとの出会いだった。
次の日の夜、診療所を営んでいたノエルの住む教会に、息を切らした父親に抱き抱えられてエレノアがやってきた。
医師であるノエルの父親がエレノアを診察し、流行りの高熱病と判断し薬を服用させたがすぐに症状が改善される訳ではない。
慌てふためく父親を落ち着かせ話し合った結果、大事を取って教会に一晩入院することとなった。
ノエルの父親がエレノアをベッドへと運び、容態を確認する。 少し落ち着いてきたことを確認し一息ついた時に新たな急患が訪れたらしく診療所の方から声がする。
ノエルの父親は困った表情を浮かべると自宅に繋がる扉を開け、声を上げてノエルを呼び寄せる。
「おーい、ノエル。ちょっといいか?」
父親に呼ばれて家の奥からノエルがやって来た。
「今、病室でお前くらいの子が寝ているんだが、急患が来たので付いてやれない。その子のお父さんが荷物を取りに行ってるので、戻るまでその子のそばにいてやってくれないか?」
「ええ~、誰? まあ、いいけど。」
ノエルは父親に頼まれ、病室に向かう。 中に入るとランプの光が灯る薄暗い部屋の中に見覚えのある白い犬が行儀良く座っていた。ベッドに目をやると先日の女の子が少し苦しげに横たわっていた。
「あっ!あの時の。」
思わず声をあげる、寝てる病人がいるのにと思い返した時には遅かった。エレノアがぼんやりした目でノエルのことを見ていた。
「・・・起こしてごめん。 俺、この教会に住んでるんだ。父さんに別の患者がきたから、かわりに看病を頼まれたんだ。あの・・。今は話しかけても逃げるなよ。調子悪いんだから・・。」
ノエルはバツが悪そうにぼそぼそと喋る。エレノアも目を伏せて、二人の間にしばし沈黙が流れる・・。
「ごめんなさい・・。話しかけてくれたのに・・。逃げてしまって・・。」
エレノアが弱々しい声でゆっくりと話しだした。初めて聞いた声に驚きつつもノエルも返事を返す。
「・・べつに、気にしてないけど・・。なんで逃げたの?」
「私・・。家が行商だから・・。同い年の子とあまり話したことがなくて・・。」
横になったまま、エレノアは休み休み言葉を続ける。ノエルもエレノアの消えてしまいそうな声を聞き漏らさないよう静かに聞いていた。
「それに男の子と喋ったこと・・。ほとんどなかったから・・。なんて答えればいいか、分からなくなっちゃって・・。逃げちゃった・・。」
「でも・・。話しかけてくれてホントはうれしかったの。 ごめんなさい・・。」
言い終わると熱のせいもあっただろう、真っ赤な顔に涙を溜めていた赤みがかった瞳は、ぽろぽろと涙が溢れ、ついには泣き出してしまった。
「ああっ、泣くなよ。まだ具合悪いんだろ、無理しなくていいよ。」
泣き出したエレノアを見て、ノエルはあたふたしながら、額にあった濡れタオルをつかって涙を拭いてあげる。 その後、落ち着くまで背もたれ付きの椅子に跨って付き添っていた。 静まり返った病室内でランプの灯りがゆらゆらと二人を柔らかく照らしている。
「リマモって言うんだ。あれ。」
沈黙を破ってノエルが話かける。なんのことか判らず、きょとんとしているエレノアを見てノエルは言葉を続けた。
「広場の泉で見てた、緑色の丸いやつのこと。 あれ、リマモっていって植物なのかよくわからないけど、噴水とか川にいるんだ。 祭りの時期になると光るんだぜ! 元気になったら村のこと色々教えてあげるから、そっちも旅で見た珍しいことを教えてよ。」
エレノアは手で涙を拭うと、嬉しそうに頷いた。
「そういえば名前・・。まだ聞いてなかった。なんていうの?」
「私はエレノア・・。この子はアレフ。」
「アレフっていうのか。賢いな、お前。」
名前を聞くとノエルが立ち上がってベットの傍らに座っているアレフの頭を撫でる。吠えることもなく撫でられていたため、わしゃわしゃとアルフの顔を触っていると、仕返しとばかりにアルフがノエルの顔をなめまわした。
「うわ、くすぐったい!」
その様子を見てエレノアが笑い声を上げる。それを見たノエルも笑顔になって答えた。
「俺はノエル。よろしくね。」
これをきっかけに二人は仲良くなり、エレノアが滞在中は一緒に時間を過ごすようになっていった。 ぎこちなかった会話は時間が経つにつれ打ち解けていき、会えない時はエレノアが手紙を送ってくれた。 遠く離れていても友人関係は途切れることなく続いた。
森を抜け、村が見えてきた。会場となる広場には祭りの準備のため人で賑わっている。屋台や出店も用意され、祭りの始まりに向けた仕上げ作業がなされていた。
ノエルは人を避けながら宿屋の方へと足早に向かう。
近づくと見覚えのある馬車が宿屋の横に止まっていることが見えた。
走って宿屋に近づくと、旅用の外套に身を包み、荷物を抱えた栗毛の少女が立っていた。
お互い目が合い少女の前で立ち止まる、名前を呼ぼうとした瞬間、ノエルの前に白い塊が飛び出してきた。 突然の出来事に避けることができず、そのまま尻餅をついた。
「うわっ!アルフかよ!あいかわらずでかいな、おまえ!」
座り込んだノエルの上に覆いかぶさり顔を舐めている。それに応戦するように顔をわしゃわしゃと撫でてやった。
「ノエル・・。久しぶり。」
くすくす笑いながらエレノアが話しかける。慌ててアルフを下ろして立ち上がり服を払う。
1年ぶりの再会、久しぶりに見たエレノアの姿は想像していたより大人な雰囲気になっていた。 どこかおどおどしていた面影は薄くなり、落ち着いた佇まいを感じさせる。それでも出会った時と変わらず髪飾りで後ろで束ねた栗毛、優しさを感じる赤みがかった瞳は以前から知っているエレノアのまま変わらない。
会ったら色々話をしたかったはずなのに、言葉がノエルの喉の奥で渋滞して何一つ出てこない。
「ノエルもおっきくなったね。私も身長伸びたんだけど、全然追いつかないや。」
お互い同じようなこと感じたのだろう。照れたように笑いながらエレノアが話しかける。その声を聞いてノエルは自然と言葉がでてきた。
「久しぶり、長旅お疲れ様・・。 祭りに間に合わないのかなって思ったよ。」
「ごめんなさい、色々あって予定より遅くなっちゃった。でも間に合ってよかった。」
「あやまらなくていいよ、無事に来てくれてよかった・・。」
賑やかな広場からの声をよそに二人に静かな時間が流れる。そこに割り込むように呼び声がかかった。
「おーい、エレノア。荷物まだかー?」
「いけない、まだ片付けてる最中だった。」
「あっ!そーいえば、俺もじいちゃんに呼ばれてた。やべっ。」
あわててエレノアが返事をして声のした方へ抱えた荷物を持っていく。途中振り返って、ノエルにゴメンネと手で合図をして駆けていった。
その様子を見送るとノエルもまた教会に向かって走り出す。
教会に戻ると相当怒られるのは容易に想像がつく。けれども沸き上がってくる笑顔をノエルは抑えることができなかった。
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