黄金のアクマ(学校用)

コバヤシ

黄金のアクマ

最近、麻衣にはちょっと悩みがある。

 深刻ってわけじゃないんだけど、それなりの悩みだ。

 麻衣は六年生になったばかりだけど、最近、クラスの女の子達がおしゃれになってきた。その中でも愛ちゃんという、すごいお金持ちの女の子がいる。

 その子はいつもブランド物の洋服を着てきて、それがとてもかわいい。

 特に「メゾピ」はみんなの憧れで、愛ちゃんはいつもそれを身にまとい、みんなの前でくるりと一回りして自慢する。

 それが、とにかくうらやましいし悔しい。

 その愛ちゃんの洋服を見るたびに、

「あ~あ、お金持ちになりたいなあ」

 と麻衣はため息をつく。

 ママにも「買ってぇ~」とおねだりするんだけど、ぜんぜん相手にしてくれない。

 パパは、麻衣には甘いけど「ブランド物」だけは

 「そんなものに頼っていると、ろくな大人にならない」

 と苦い顔をする。

 最近は、愛ちゃんの影響を受けて、クラスの子がブランド物を着てくるのが目につく。

 麻衣は、相変わらずダイユーで買った服を着ている。


 麻衣は、アクマの呼び出し方を研究している。麻衣は、昔、アクマに会ったことがある。

 めちゃめちゃ意地悪なアクマだったけど、やさしいところもあった。

 そのときは、頭を強くぶつけたせいで、アクマを見ることが出来た。

 でも、さすがに自分で頭をぶつけるわけにも行かないので、いろんな本を読んで呼び出そうとしている。

 もう一度、お話ししたいなあって思う。

 もっとも、そのときのアクマの説明によれば、アクマは常に麻衣のそばにいるらしいのだけども。


 ある日の昼休み、麻衣は教室で同じクラスの木下はるかから、変な本をもらった。

 表紙は、黒くて皮みたいなもので出来ている。

「なあに? この本」

 麻衣は、その本を手にしてみる。

 本は、触り心地が少し柔かく、高級な感じがする。

「あのね、うちのお母さん、本が好きでさ」

「うん」

「この間、自治会のバザーでダンボール一杯の本買ってきたの」

「ふうん」

「その中にこの本があってさ」

 麻衣は、その黒い本をぺらぺらめくる。

「全部、英語じゃん」

 麻衣は目を丸くする。

「そうなの。でも、題名がデビルなんとからしいの」

「デビルって?」

「お母さんが言うには、アクマのことらしいの」

「へえ」

「麻衣ちゃん、アクマの本、すきじゃん?」

「うん」

「それで、一応持ってきたの」

「へえ、ありがとう」

 麻衣は、本をもらうと、ランドセルの中に入れた。


 麻衣は、家に帰ると自分の部屋に入って、ランドセルの中から本を取り出した。

 その本は、黒くて古ぼけている。英語の題名は金色だ。

 麻衣は、英語は読めないけど、パパに聞いてみようと思った。

 これまで、いろんなアクマの本を読んだけど、どれもこれも、効果がなかった。

 でも、この本はなんだか妖しくて本物っぽい。

 開いて、中を読むとなんだか意味ありげな図形とかが書いてある。

 麻衣は、本物のような気がしてドキドキした。

 でも、ちんぷんかんぷん。

 ぱらぱらめくってみる。

「あれ?」

 あるページに、赤く線が引いてあった。

 そのページには、なんだか星のような図形と英語のようだけど英語ではない、妙な文字が書いてある図があった。

 その妙な文字の下に、赤色の鉛筆で、カタカナの文字が書いてある。

「バスモトラスト? アルイラトイタハスハマ?」

 変なの。麻衣は首をかしげる。呪文の一種かしら?

 ますます本物っぽい。

 麻衣はワクワクしてきた。

 麻衣は、FAXに使う紙を集めてきて、それをセロハンテープでくっつけた。

 タタミ二枚分くらいの大きさにして、そこにマジックで本に書いてあるのと同じような図形を描く。

 本を見ると、その星型の真ん中に人の絵が描いてある。

 きっと、ここにあたしが立つのね。

 麻衣は、星型の真ん中に立って、本を左手に持ち、本に赤鉛筆で書いてあるカタカナの文字を読んだ。

「バストラストアルイライトイタハスマみゃ」

 なんか、舌かんだ。

 麻衣は、顔をしかめる。何も起こらない。

 む、むずかしい……。

 麻衣は、気を取り直し再度チャレンジ。

「バスモトラストアルイラトイタハスハ、ハグッ」

 麻衣は、今度はくちびるをかんだ。本を落として、しゃがみこむ。

 痛いよ~。これで何も起きなかったら、馬鹿みたい。

 麻衣は、本を拾い上げて、ゆっくりと読み上ることにした。

「バ・ス・モ・ト・ラ・ス・ト・ア・ル・イ・ラ・ト・イ・タ・ハ・ス・ハ・マ」

 し~ん。何も起きない。

 やっぱり、だめか。

 麻衣は、舌打ちをする。

 後で、パパに読んでもらおう。

 麻衣は、黒い本を勉強机の上に放り投げた。

 その瞬間。

 黒い本がくるくると回る。麻衣はびっくり。

 ぽんっ。煙みたいなのが見えた。

 本がぐにゃぐにゃっと丸くなったと思ったら、見るみるぬいぐるみみたいに頭とか手とか足が出来てくる。


「まいどぉ~」

「は?」

 本がアクマのような形に変化して、声をだした。

 麻衣はどうやら、アクマの呼び出しには成功したみたいだった。

 ただ、どう見ても麻衣の呼び出したいアクマではなさそうだった。

 大きさや形は同じくらいだけど、目はニコニコして意地悪そうじゃない。

 何よりも、色が金色。ぴかーって感じ。黄金色だ。

 それに、なんだかもみ手している。大阪のアキンドみたいにまいどぉ~だって。

「あなた、アクマさん?」

「およびしたのは、あなた?」

「うん」

「いえ~いっ!」

 黄金のアクマは、踊っている。

「ええと、あなたはクジを出すアクマさん?」

「ノー、ノー、ちがいま~す」

 な、なんか、軽いノリのアクマね。

 麻衣はアゼン。

「え~と、なんか間違って呼び出しちゃったみたいなんだけど」

「ラッキー、あなたはラッキー、ラッキーガールぅ~」

 聞いちゃいない。麻衣は、困ってしまった。

「あのね」

「ノンノン」

 黄金アクマは人差し指を立てて、左右に振る。

「私は、あなたの望みをかなえるアクマでえす」

 でえす。って……。

「あの、望みって言ってもタマシイとか、あげないとだめなんでしょ?」

 麻衣は、アクマの本を結構読んでいる。

 どの本でも大体はタマシイと引き換えに望みをかなえるアクマが出ている。

 麻衣が昔会ったクジを出すアクマは本にはのっていない。

 でも、今回出てきたアクマは、多分、本にのっているやつだ。

「ちゃいまんがな~」

「へ?」

「なんでもええんですがな。とにかくあなたが持っているもので、お金に換えられないものなら、なんでも買いまっせえ~」

「お金に換えられないもの?」

「へえ、なんでもでっせ~」

 麻衣は、首をかしげた。とにかく怪しいほどに明るいアクマ。

 大体、なぜ関西弁を使うのか、全くもって意味が分からない。

「お金に換えられないものって?」

「そうでんなあ、例えば『思い出』とか『気持ち』とかでんなあ」

「やだよ、思い出、大事だもの」

 麻衣は慌てて首を振る。そんなの売りたくないよ。

「ちゃいますがな~。大事なものでなくていいでんがな」

 なんか、関西弁も怪しいのよね。

 きっと関西の人が聞いたら、偽者ってばれるに違いない。

 そうそう外人タレントの関西弁みたいなのよ。

「例えば、あのおもちゃ箱」

 黄金アクマは、麻衣の部屋の隅っこに転がっているおもちゃ箱を指差した。

「あれが? どうしたの?」

「もう、いらないものばかりでっか?」

「うん、もう何年も出してないよ」

「ほな、いりまへんな」

「まあ、捨てるのが面倒だから置いてあるだけ」

「買いまっせ~」

「へ? あのおもちゃを?」

「ちゃう、ちゃう」

「ちゃう?」

 麻衣も関西弁。関西弁ってうつるのね。

「あのおもちゃの思い出、買いまっせ~」

「へ? そんなものを買ってくれるの?」

「へい。 よろこんで~」

「いくらくらい?」

「そうでんなあ、三万円でどないでしょうか?」

「さ、さ、三万円!」

 麻衣は目を丸くする。小遣い千五百円の麻衣には考えられない金額!

「勉強させてもらってます」

 黄金アクマは、さらに速い調子で揉み手する。

「へ、勉強?」

「関西弁では、勉強させてもらってますって言うのは、サービスしてますっちゅうことでんがな」

「はあ、本当に三万円ももらえるの?」

「もちろんでんがな。せや! 初めてやから、おまけして、三万五千円でどないやっ!」

「えっ、えっ、本当に?」

「売りまっか?」

 麻衣は、頭の中で計算した。どう考えても得だ。

 あんなおもちゃの思い出で、三万五千円なんて。

 「メゾピ」のお洋服を上下で買ってもお釣りがでる。

 弟のりょうたにも何か買ってあげられる。

「そうやって、本当はもっと大事な思い出をとっちゃうんじゃないの?」

 麻衣は怪訝そうに聞く。話がうますぎるし、なにしろ怪しすぎ。

「なにゆうてまんねん。この商売、信用第一でっせ」

 ところが黄金アクマは自信満々に親指を立てて、ウィンクする。

「はあ……」

 麻衣は、そのフレンドリィで明るい黄金アクマの顔をあぜんと見つめる。

 どうにもこうにも、その変なノリが信用できないんですけど……。

「それに、売ってしまっても、もらったお金を使わないで呪文を唱えれば返品可能でっせ。親切第一、お客様は神様でっせ~」

 う~ん。信用を第一と言ったり、親切を第一と言ったり、やっぱり微妙に怪しいけれども。

「返品可能なの?」

「へいっ」

「お金使わなきゃ?」

「へい。渡したお金は特別なお金でして、普通のお金と違います」

「じゃあ、偽札?」

「いやいや、ちゃんとしたお金ですが、アクマの刻印がされてます」

「ふうん」

「そのお金を使った瞬間に返品が出来なくなります」

「使わないうちなら?」

「売ってみて、なんかしっくりいかへんなあって思ったら、返品すればよろしいでんがな」

「へえ~。それなら、いいカモ」

 麻衣は安心して少し気持ちが緩んだ。

「ねっ、ねっ、いいですよ~、使えますよ~、ワテは~」

 黄金アクマは、たたみかけるように麻衣ににじり寄る。

 麻衣は思案顔。

 あのおもちゃの思い出なら、例えなくなっても大したことない。

 もし、だまされてお金をもらえなくても気にするほどでもない。

 ここは試しにやってみるか。

 麻衣はポンと手を叩いて、

「じゃあ、あのおもちゃの思い出、売るね」

 と黄金アクマの誘いに乗った。

「いえ~いっ! 毎度、おおきに~」

 また、黄金アクマは踊っている。


「ほな、最初の取引なんで契約書交わしますが、よろしいでっか?」

「契約書?」

「これでんがな」

 ひらりと黄金アクマが手を振りかざすと、手品のように紙が現れた。

「これ?」

「へえ」

 麻衣は、注意深く黄金アクマの契約書を読む。


               契約書

 鈴木麻衣(以下麻衣と略す)は、黄金のアクマ(以下アクマと略す)と取引することをここに契約する。

 Ⅰ.麻衣は、アクマに対して、人間社会で取引できない「もの」を売ることができる。

  アクマは、それに対して、対価を支払うこと。

  その対価については、双方合意に基づくこと。

 合意が得られない場合は、無効とする。


「対価って?」

「お金のことでっせ」

「ふうん。双方合意ってどういうこと?」

「さっきみたいに、三万五千円でいいねって二人で決めたって言うことですねえ」

「ふうん」


 Ⅱ.麻衣が売った「もの」のうち、アクマが麻衣に支払ったアクマの刻印がされたお金を麻衣が人間社会で使用した場合、その「もの」は「確定」とみなす。

  「確定」された「もの」は、いかなる事由においても返品は認められない。

  但し「確定」されていない「もの」については、アクマはいつでも返品に応じること。

  この返品を行う方法は、麻衣がアクマの刻印がされているお金を右手に掲げて

  「リカルテ」と唱えることとする。


「ん? いまいち良くわかんない」

「まあ、お金を使わないで、右手に持ってリカルテと言えば、元に戻るっちゅうことでんがな。使ったら、返品できまへん、ということです」

「ふうん。返品の時はリカルテって言えばいいのね?」

「へい」

「リカルテ、リカルテ」

 麻衣は忘れないように、唱えた。


 Ⅲ.麻衣がアクマを不要として、このの契約を全て破棄し、アクマを魔界に帰す場合は

  「ティンコウケウシハレメルシ」と唱えること。この呪文が発効された場合、アクマは契約を即時に破棄し、すみやかに魔界に帰ること。

 但し、その時点までに取引された「もの」のうち「確定」されているものは、戻さなくてよい。


「えっ、えっ、ティンコウ……」

「ノー! ストップ!」

 黄金アクマは慌てて麻衣の口をふさぐ。

「ムグムグ、な、何すんのよ!」

「ま、麻衣はん、いかんがな、その呪文を言った瞬間に、ワテ、消えてまうがな」

「そ、そうなの?」

「Ⅲは読まんでええがなあ~」

「Ⅲは難しい……」

「大丈夫、ワテ、役にたちますさかい。Ⅲはいりまへん」

「そうよねえ」

「いらないものを売って、あんさん、金持ちになりまっせ」

「ふうん」

「ラッキー、ラッキー、あなたはラッキーガール~ぅ」

 また、踊ってる……。

「ほな、ここにサインしておくんなましぃ」

 黄金アクマはもみ手している。

「名前、書けばいいの?」

「へい」

 麻衣は、ボールペンで契約書に名前を書いた。

「はいっ、契約成立ぅ~。おめでとうございま~す」

「これ、どうすればいいの?」

 麻衣はサインした契約書を黄金アクマの前にひらひらさせる。

「大事にしまっといてつかあさい」

 麻衣は、契約書を自分の机に入れて、しまいこんだ。

「ほな、あのおもちゃの思い出、売りまっか?」

「うんっ」

「商談成立~、ぱんぱかぱーん」

 また、踊ってる。黄金アクマがくるりと回るとお金が出てきた。不思議。

 黄金アクマは、お金をひらひらさせている。

「はい、まいどおおきに」

 黄金アクマは、麻衣にお金を渡した。

 麻衣は、そんな大金、持ったことないからドキドキしている。

「へえ~、本当にお金だあ」

「もちろんでっせ」

「でも、少し光っているように見える」

「へい、それはアクマからもらった人だけが見えるアクマの刻印の光です」

「ふうん、お店の人とかには見えないの?」

「へい」

「不思議ねえ」

 麻衣は、お札の透かしを見てみる。本物と何も変わらない。

「あれ、そういえは、あたしの思い出って、もう取ったの?」

「へい。いただきました」

「ぜんぜん、何も変わらないよ」

「へい。いらない思い出ですから」

 麻衣は、試しに、売った思い出にまつわるおもちゃ箱を開けてみた。

 中身は、ちゃんとある。

 でも、ぜんぜん、そのおもちゃであそんだ覚えがない。

 りかちゃん人形やおままごとの道具。記憶にない。はあ、本当に思い出がなくなってるんだあ。

 でも、麻衣はなんとも思わない。

 これで三万五千円はいいわねえ。

 麻衣は思わぬ大金を手に入れて、つい、にやにやしてしまう。

 おもちゃ箱の底の方に、汚いぬいぐるみがあった。

 クマのぬいぐるみだ。もともと白いものらしいが、手垢で茶色に変色して、耳もとれているし、綿が出ている。麻衣は、それを取り出す。

「けほ、けほ」

 ほこりで、咳き込む。

 きったな~い。へへ、こんな汚いぬいぐるみの思い出が、三万五千円。ラッキーだわ。本当にあたしはラッキーガールかもしれない。

 麻衣は、お札を握り締めてガッツポーズした。

 これで、メゾピが買えるっ。


「めぞぴっ、めぞぴっ」

 翌朝、登校した麻衣は、スキップしながら廊下を歩く。

 財布には三万五千円~、らんらんらん。

 教室に入ると、愛ちゃんとはるかがいた。

「麻衣ちゃん、おっは~」

「おはよ~」

 麻衣は、ランドセルを置く。

「ねえ、見てみて、新作~」

 愛ちゃんは、なよなよっと麻衣に近づく。

 またかよ。

 麻衣はヤな気分。

 でも、見ないわけにも行かない。

 小学生にも付き合いって奴があるのだ。

「メゾピのワンピ~」

 と愛ちゃんはスカートの両端を軽くつまんでお姫様のようなポーズをする。

「わあ~、かわいいね~」(服が)

 麻衣は、後半を心の中でつぶやいた。

 でも、うらやましい~。

「昨日、パパが買ってくれたの~」

 愛ちゃんは、モデルのようにくるりと一回り。

 まったく、こいつんちはどういう家なんだろう。

 毎週、一着はなんかブランド物を買っている。

 愛ちゃんのパパは、社長さんで、アイティなんとか関連で景気がうんぬんかんぬんという話を聞いたことがある。だから、どうしてブランドものが買えるほどお金があるのかは、やっぱりわからない。

「麻衣ちゃんも、かわいいね」

「ほんと~、ありがとう」

 一応、笑顔。

 でも、これなんてダイユー千円均一だ。

 しかも、もう何回も着ている奴。

 しらじらしいんだよ。

「超、似合う~」

 そいつぁ、千円均一がお似合いってことっすかねえ?

 ああ、だめだ。

 なんか、すごくヤな性格になりそう。あたしって。

 貧乏は、心をいやしくするのね。

 絶対、買うぞ。メゾピ。


「はるかぁ」

「なあに?」

 木下はるかは、麻衣と一番の仲良し。

 二人ともブランド物を着てないのも共通点。ただ、はるかの場合はあまり興味がないらしい。

 いつでも、男の子と取っ組みあいしたり毎日、校庭で真っ黒になるから、そんな高い服を着るのはいやみたい。

 はるかは、けんかもかけっこも男の子に負けないから、男の子も一目置いている。サッカーとかも男の子から誘われる。

 麻衣は、サッカーは怖いけど、はるかがシュートを決めるのを見ると、かっこよくて嬉しくなってしまう。

 はるかみたいに、運動神経がよければなあ、と麻衣は思う。

 はるかは、日直で黒板を雑巾で拭いている。

「ねえ、土曜日、横浜行かない?」

「いいよ。なんで?」

「メゾピ、見に行きたい」

「へえ。麻衣ちゃんもブランドデビュー?」

「うん、お小遣い、入ったの」

「へえ~」

「はるかは?」

「え~、欲しいけどね。でも、汚しちゃうからさ」

「ああ、あたしもはるかみたいになれればなあ」

「どういうことよ~」はるかはクスクス笑う。

「うん? はるかみたいにさ、愛ちゃんの自慢のお洋服みても、なんとも思わないようになれたらなあ」

「え~、いいなあって思ってるよ」

「本当に?」

「うん。でもさ、あたしはかわいいよりもかっこよくなりたいの」

「はるかは、かっこいいよ」

「えへへ、そういってくれるの麻衣ちゃんだけよ」

「そんなことないよ」

「麻衣ちゃん、ありがとう」

「あたしはさ、愛ちゃんの自慢、聞くと悔しくってさ」

「あはは、分かるよ」

「土曜日、ブランドデビューするのよっ」

「付き合う、付き合う」

「約束ね」


 その日、麻衣はずいぶんとご機嫌だったが、二時間目にそれが一変してしまった。先週の算数のテストが最悪だった。

 38点!

 もともと算数は得意じゃないけど、これはひどい。

 ママに見せられない。隠そうかな……。

 ずぅんと落ち込んでいる麻衣。

 20分休み時間になっても、席を立たないでぼうっとしていた。

「麻衣ちゃん、どうしたの?」

 はるかがニコニコ話しかける。

「あのね……」

 机からこっそり、テストの点数だけを見せる。

「ありゃ……」

「やっちゃったよ~、はるかあ~」

「どうしたの?」

「ぜんぜん分かんなかったあ~」

「そっかあ」

「怒られるよ~」

「まあ、麻衣ちゃんてさ、新しい単元の最初のテストってだめだもんね」

「そうなのよ~」

「でも、後で挽回するじゃん」

「まあ、悔しいからねえ」

「次、挽回しなよ」

「でもさ、ママに相当絞られる。過去最低記録かも……」

「そうか……」

 はるかは、なぐさめるように軽く麻衣の頭をなでる。

 はるかって、なんか、あたしの保護者っぽいのよねえ。ちょっと、ぼうっとしていて泣き虫なあたしをいつも見守ってくれているように優しい。

「はるかは?」

 少し機嫌の直った麻衣は、はるかの点数を聞いてみる。落ち込んでない様子を見るとそれなりに良かったのかもしれない。

「うん? あたしは35点」

 はるかはケロッと答える。

「あれ?」

「えへへ。あたしも新しい単元はだめなのよ。進学塾に行っているわけじゃないからさ」

「ママに怒られない?」

「怒られるけどさ。ちゃんと挽回すればいいのよ」

「そうね」

 麻衣は、自分よりも悪い点なのに、ニコニコしているはるかを、やっぱりなんだか頼もしく感じたので、随分勇気付けられた。

 それで、テストは隠さないでママに見せようと思った。


 でも、家に帰ってテストを見せるとママは怒りまくる。

 わかっているのに、また言うんだもん。

 腹が立つっ。

 麻衣は、ぐすんぐすんと泣きべそをかいて、部屋に閉じこもった。

 あ~あ、小学校六年生になって難しくなったなあ。

 麻衣とはるかは近くの復習が主体の塾に通っている。

 愛ちゃん一派は、進学塾だ。新しい単元の時には、進学塾の方が有利なのだ。

 麻衣は、テストを出して、わからなかったところを塾で聞こうと思った。

 それでわかると、次からだんだんテストが良くなる。

 どこ、間違えたんだろう……。

 と、そのとき、

「まいどぉ!」

 黄金のアクマがぴょこんと現れた。

「なによっ」

 麻衣は、不機嫌極まりない。

 こんな時に、関西商人風ににぎやかに出てこられると、妙に腹が立つ。

「売りまへんかあ?」

「はあ?」

「いい値段で買いますよ~」

「な、なにがよ?」

「いやあ、ヤな気分じゃあ~りませんかあ?」

 あ~りませんかあって……。

「そ、そりゃあ、ヤな気分よ」

 麻衣はプイッとそっぽを向く。

「そのヤな気分を是非、わいに売ってくださいな」

「えっ、え~!」

 麻衣は、びっくりして立ち上がる。

「そ、そんなのも買ってくれるの~!」

 だって、そんなヤな気分、お金出してでもなくしてほしいものなのに。それを無くしてくれて、しかもお金をくれるですって?

 そんな、美味しい話があるんだろうか?

 10円でもいいから、この気分を無くしてほしい。

「やですよ~、麻衣はん、最初にゆうたやないですか~」

「え? なんだっけ?」

「ワテは、お金に換えられないものを買うってゆ~たやないですか~」

「え? そうだけど、まさか、こんな気持ちまで……」

「買います、買います」

「いくらで?」

「三千円でどないでっか?」

「う、売るっ!」

 麻衣は、即決。黄金アクマはほくほく顔。

 麻衣は、黄金アクマから三千円をもらう。

「いやあ、こんなんで三千円っすかっ!」

 麻衣は三枚の千円札を透かすように掲げる。

「だから、あなたはラッキーガールやて、ゆうたやないですか」

「ほんまやわあ」

 麻衣も調子に乗って、関西弁。

 でも、本当にさっきのヤな気分が、すうっと無くなっている。

 すごい効き目だよ。

「ね? ワテは使えるでしょ?」

「うんっ」

「ラッキーガールぅ~、あなたはラッキーガールぅ~」

 また黄金アクマは踊っている。

 でも、本当にラッキーガールかもしれない。

 だって、いやな気分も買ってくれるなら、楽しい気分だけになるし、それにお金ももらえる。楽しくってお金があって、最高の人生になるに違いないっ!

 麻衣は、机の上にあるテストを見る。

 なんだか、自分のテストではない気がした。

 麻衣は、そのまま机にテストをしまうと、お気に入りの漫画を読み始めた。

「麻衣~、塾は~?」

 下からママの声。麻衣は、机にテストを仕舞ったまま、塾に行ってしまった。


 土曜日、麻衣はバス停ではるかと待ち合わせ。

 スキップしてバス停に着く。お天気も最高。もう初夏の気候で気持ちいい。

 はるかがニコニコして待っていた。

「おっは~」

「おはよう、麻衣ちゃん」

「いやあ、昨日は興奮して眠れなかったよ」

「あはは、楽しみなんだね」

「うん。ブランドデビューなのだ」

「お金、なくさないようにね」

「うん」

「予算、どれくらい?」

「三万八千円」

「え~! どうしたの?」

「いやあ、臨時収入でさ」

「へえ~」

 麻衣の住んでいる街は、港南台という駅が一番近い。その港南台という駅から20分くらいで横浜だ。

 麻衣とはるかは時々、横浜に遊びに行く。まあ、お金がないから、いつもはウィンドウショッピングしたり、本屋で漫画をあさったりしている。やっぱり、大きな街なのでなんとなくウキウキしてしまう。


 横浜駅に着いてからしばらく、いろんなお店を見て回る。

「なんか、おなか減ったねえ」

 麻衣が言う。

「マック、行く?」

 お金のない二人の定番はマック。

 でも、今日の麻衣はお金持ちだ。気が大きくなっている。

「それよりもパスタ食べない?」

「え~、お金ないよ」

「おごってあげるよ」

 麻衣の言葉に、はるかは怪訝な顔をする。

「どうしたの? 麻衣ちゃん?」

「なんで? ほら、今日はお小遣いあるし」

「だめ、だめ。そんなの。ほら、マック行くよっ」

「じゃあ、マックおごってあげるよ」

「はあ? 麻衣ちゃん、いいから、いくよっ」

 はるかはちょっと不機嫌な顔だ。

 どうしたんだろう。

 麻衣には分からない。

 それでも、マックでは楽しくいろんなお話をした。

「やっぱり、メゾピ?」

「うん、さっきのワンピースにしようかと思って」

「あれ、いいよね」

「でも、これからだんだん暑くなるし、ちょっとアレかなあ」

「Tシャツも買ったら? 安かったよね」

「はるかも買ったら?」

「あはは、ちょっと考えるけど……。あたしは、さっきのマンガ買うよ」

「ああ、フルバ?」

「うん。新しいの、出てたじゃん?」

「はるか、買ってあげようか?」

「麻衣ちゃん……。あのさ、もういいよ」

 はるかは、うんざりした顔をした。

 それで、麻衣はそれ以上は何も言わなかった。

 なんか、機嫌悪いのよねえ。楽しいショッピングなのに……。

 何が不満なのかしらん。

 麻衣も少し、気に入らない。


 メゾピは横浜駅そばのデパートにテナントで入っている。

 すごくきれいなデパートで、何もかもがキラキラして見える。

 そのキラキラしたお洋服の中でも一番気に入ったワンピースを試着室で着てみる。

 カーテンを開けて、外で待ってたはるかにお披露目する。

「どう?」

「かわいい、かわいい」

 はるかは拍手喝采だ。

「服が?」

「あはは、中身は変わんないよ。服着ても」

「でも、かわいいの着るとさ、かわいくなった気がする」

「あはは、そうね。少し、おしとやか?」

「いいかなあ? これ」

「いいよ、かわいいよ」

「ひひひ。これで愛のヤツに勝ってやる」

「だめじゃん。言葉遣いがブランドちっくじゃないじゃん」

「あはは、でも、これ着たからといって、愛ちゃんみたいになよなよできないよ」

 麻衣とはるかは目を合わせて、大笑い。

 麻衣は、お店の人に買うことを伝える。

 お店のお姉さんは、うやうやしく麻衣にありがとうございます、と言う。

 それもまた、気分がいい。なんか、えらくなった気がした。

「麻衣ちゃん、あたしちょっとトイレ行ってる」

「うん、買ったらお店の前で待ってる」

「うん」


「消費税込みで二万五千二百円になります」

 お姉さんがレジの数字を見ながら言う。

 麻衣は、レジでお金を出す。ちょっとどきどき。財布のお金を見ると、やっぱり少し光っている。

 本当に、このお金は本当なのかなあ。心配だ。黄金アクマは本物だって言うけど。

 でも、お金を受け取ったお店のお姉さんは、にこにこしながら、

「三万円をお預かりします」

 と普通にお金を受けとる。

 へえ、本当に大丈夫なんだあ……。

 麻衣は、すっかり気持ちが落ち着いた。

 ふっと、レジの横にあるワゴンに目が行く。

 メゾピのキャラクターが描いてあるTシャツが山積みだ。

 かわいい。

 値段は、一着三千九百円にバツがしてあって、二千九百円になっている。

 お得なのね。

 麻衣は、おつりを待つ間、手に取ってみる。

「それ、お得ですよ~」

 お姉さんがすかさず、麻衣に薦める。

「ご姉妹おそろいで着たら、かわいいですよ」

 お姉さんは、はるかと麻衣を姉妹だと思っている。

 確かに麻衣とはるかは髪型も同じで、クラスでツインズと言われている。

 おそろいのTシャツを着て、学校に行ったら楽しいなあ。

 麻衣は、二着手にした。

「かわいいですよ~、そのTシャツ。みんなに大人気よ~」

 息も付かせず、お姉さんの殺し文句が炸裂する。

「これもください」

 麻衣は、Tシャツを二着、レジに出す。

「ありがとうございま~す」

 お姉さんは、満面の笑み。

 なんか、いいことしたような気分だなあ。


「麻衣ちゃん、ごめん」

 麻衣がお店の前で待っていると、はるかが帰ってきた。

「トイレ、見つかんなくてさ」

「ううん、今、終わったばっか」

「ほんと?」

 麻衣は、分けて包んでもらったTシャツをはるかに差し出す。

「なに? これ?」

 はるかは、戸惑った顔した。

「はるかとおそろいのTシャツ買ったの」

「ええっっ!」

「おそろいで着ていこうよ」

「いらない、いらない」

 はるかは、真顔で首を振る。

「せっかく、買ってあげたんだからさ~」

 その言葉を聞くと、はるか怒った顔。

「いらないよっ。返品してっ」

「な、なんでよっ。プレゼントしてあげたんだから、もらえばいいじゃんっ」

 なんで、怒られなきゃいけないのさ。

 麻衣は分からない。

「な、なによっ。さっきから、あげる、あげるってさ!」

「な、何がさっ!」

「友達で、そんなことされたら、嫌なのよっ」

「なんでよっ。いいじゃんっ、あたしはお金があるんだからっ」

 その言葉で、はるかは顔が真っ赤。

 麻衣が差し出した、Tシャツを思いっきり、はたく。

 ばしっ。

 きれいなデパートの床に落ちるTシャツ。

「な、なんてことすんのよっ!」

「あ、あたしゃあ、こんなもの、欲しくないんだよっ!」

「ひ、ひどいっ。せっかく、買ってあげたのにっ」

「ま、まだ、言うっ? もう知らないっ!」

 はるかは、落ちているTシャツを蹴っ飛ばす。

 男子顔負けのシュートを誇るはるかのキックはすごい。

 Tシャツは、随分遠くにひらひら~と飛んで、ペチャと落ちる。

 周りの大人の視線が集まる。

「な、何すんのよっ!」

 麻衣も激怒してはるかを怒鳴りつける。

 一瞬、はるかはしまったという顔をしたが、すぐに怒った表情で、ダッと走り去ってしまった。


 ひどいっ!

 麻衣も怒りで顔が真っ赤。

 のろのろとTシャツを拾いに行く。

 せっかく買ってあげたのに……。恩知らずっ!

 麻衣は、なあんにも気が付いてなくて、ぷりぷり怒る。

 絶対、許さないっ。


 なにさっ、なにさっ。

 麻衣は、一人でブランド物を抱えて電車で帰る。

 家の近くのコンビニで甘いものを買い込む。

 麻衣は、お金に余裕があるのをいいことに好物のお菓子ばっかりを山のように買う。

 家に帰ると、ブランド物の紙袋を見られないようにこっそり自分の部屋に戻る。

「麻衣~、帰ったの?」

 と、ママの声がする。

「うん」

「ただいまくらい、言いなさいよ~」

「言ったよ~」

 麻衣はウソをつく。

 ごそごそワンピースを取り出す。

 へっへ~。

 麻衣は機嫌が直る。でも、Tシャツが目に入るとさっきの喧嘩を思い出す。

 くっそ~。

 麻衣は、むかむかしてきて、コンビニの袋を掴むと、お菓子を親の仇のようにむしゃむしゃ食べ始めた。


 翌朝、麻衣は歯が痛くて目が覚めてしまった。

 しまったあ。甘いもの食べて、ろくに歯も磨かずに寝てしまったあ。

 もともと虫歯気味だった奥歯が痛みだした。

 せっかくの日曜日だというのに、最悪だよ~。

 麻衣は、それもこれも全部はるかが悪いと思い込んでいた。

 痛くなったり、そうでもなかったりしたが、お昼ご飯の時に間違えてたくわんを痛い歯でかんでしまってからは、とにかくずっと痛くなった。

 ずきん、ずきんと心臓の音にあわせるように痛い。

 ちゃんと歯磨きすればよかった。今日からは、ちゃんとするぞ~。でも、この痛さはどうしよう。

 ママに言おうかなあ。でも、そしたらきっと歯医者に連れて行かれる。

 最近の歯医者は日曜日も営業している。

 歯医者だけは、やだ。

 麻衣は、ずぅんと落ち込む。

「まいどぉ~」

 黄金アクマが定番の挨拶とともに現れた。

「なによ~」

 自分の勉強机に突っ伏している麻衣は、力なく文句を言う。怒る気力もない。

 なんか、歯の痛みのせいか、体がだるくなっている。

「買いまっせ~」

「はあ? そのTシャツ?」

「いやいや、まあ、それはとりあえず」

 黄金アクマはニヤニヤしている。

「なに、買うのよ~」

「痛みを買いますよ~」

「へ?」

 麻衣は、痛みを忘れて、ガバッと起きる。

「ど、どういうこと?」

「せやから、痛みを買いますよ~」

「な、そんなものも買うの?」

「もちろんでんがな」

「歯の痛み、とってくれるの?」

「いやいや、歯だけじゃなくて全部買いますよ」

「うそっ」

「ほんまでっせ~」

「痛いがなくなるの?」

「へい。それもずっと」

「ぶつけても?」

「へい。痛いのは嫌ですよね~」

「たしかに……」

 痛いのがなくなれば、どんなに楽か。

「い、いくらで?」

「へえ、十万円でどないでっか?」

「じゅ、じゅ、十万円?」

 麻衣は卒倒しそうになった。

 十万円ですってえ~? そ、そ、そんな大金をくれるの~?

 なんて魅力的な提案!

「ほ、本当に、痛みを売るだけで十万円もくれるの?」

「ワテがウソ言ったことおまっか~」

「そうねえ」

 調子はいいけど、確かにウソは言ったことがない。

 でも、痛みがなくて本当に大丈夫なのかなあ。

 ちょっと迷っている麻衣に、黄金アクマは

「返品も可能でっせ~」

 と殺し文句。

 そうか、とりあえず痛みを売って、問題があれば返してもらえばいいのよね。お金さえ使わなきゃいいんだから。とにかく、この歯痛を止めるのが一番よ。

「分かった。売るよ」

 麻衣は、痛みを売った。

 黄金アクマがくるりと回って、麻衣に十万円を渡す。

 すると、不思議なことに痛みがすうっと引いていく。

「痛くないっ」

「しかも、お金もゲット~」

「す、すごい……」

「ラッキー、ラッキー、あなたはラッキーガールぅ」

 黄金アクマは、いつものように踊り出す。

「あとですなあ」

「なあに?」

「ムカムカしてまへんか?」

「なにがよ?」

 黄金アクマは、Tシャツをひらひらさせる。

「うぐっ」

 ムカムカムカムカ。

 昨日の喧嘩がよみがえる。

 あの女は、このTシャツを蹴り上げたのよっ。

「それ、買いまっせえ」

「ムカムカを?」

「へい」

「いくら?」

「千円」

「なあんだ」

 麻衣はつまんなさそうに頬杖をついた。

「まあまあ。ところで、麻衣はん」

「なに?」

「あのワンピース、素敵でんなあ」

 と、黄金アクマはしみじみ言う。

 素敵っていうタマか、あんたが。

 でも、褒められて悪い気がするわけがない。

「まあね。メゾピだもの」

「いやあ、お似合いでしたよ~」

「えへへ、見てたの?」

「明日、学校に着て行くんでっか?」

「もちろんよ」

「ふぁ~、みんながきっとびっくりでんな」

「そ、そうかなあ。えへへ」

「そりゃあ、間違いありまへん」

「うふふ」

「ところで、あさっては?」

「え?」

「あのTシャツでっか?」

「ああ、まあ……」

「しあさっては?」

「……」

「また、ワンピース?」

「いや、それは……」

「ダイユーの千円均一?」

「それは……」

 麻衣はうなってしまった。

 それは、やだなあ。せっかくブランド物を着て行って、二、三日して元に戻ったら。

 無理して、ブランド物をようやっと買ったのねって陰口をたたかれるに決まっている。

 愛ちゃんなんて、これ見よがしいにダイユー千円均一を見て、「お似合~い」とかなんとか言って、クスリと笑うんだっ。

 そんなのやだ~。悔しすぎるっ。ということは、この痛みを売った十万円を使わなきゃいけないのか。

 それならあと四、五着買える。

 痛みがなくなるのは不安だけど、背に腹は変えられない。

「それ~にぃ夏が終わると秋がきて~」

 黄金アクマは、歌を歌うように言う。

 麻衣は、はっと気が付く。

「そうか……。秋は秋物。冬はコートも……」

「お金が必要でんなあ」

「そうね……」

 ブランド物ってお金がかかるのは分かっていたけど。一着でも持ってしまうと、中毒みたいにやめられなくなる……。

「ところで、麻衣はん」

「な、なあに?」

「ムカムカ、売りまっか?」

「うん、売る、売る」

 麻衣は、お金がたくさん必要なことがわかったので、間髪いれずに応える。

「千円でっせ?」

「う~ん。焼け石に水よね」

 麻衣のお小遣いは一ヶ月に千五百円。

 それになのに、いつの間にか千円なんてお金のうちに入らなくなっている。

 マヒしだしているのだ。

 でも麻衣は気が付かない。

「それよりも、いいことありまっせ」

「なんでっか?」麻衣もつられて関西弁。

「昨日のTシャツ蹴った女、仲直りしまっか?」

「むっ。するわけないでしょ! 最低よっ、あんなのっ!」

「ほな、思い出売りまっか?」

「は? はるかとの?」

「へい」

「い、いやよっ」

 麻衣は慌てて首を振る。

 確かにお金は必要だけど、それだけはやっちゃいけない気がする。

「やっぱり、仲直りを?」

「しないってばっ!」

「ほなら、ええんちゃいまっか~」

「う~ん」

「百万、出しまっせ~」

「ひゃ、ひゃ……」

 麻衣は、目を丸くした。

「百万でっせ~」

「ちょっ、ちょっ、百万って……」

「今回は、大出血サービスぅ~」

 黄金アクマが踊りだす

「百万……」

 聞いたことはあっても、見たことないお金。

 なんでも買えるよ。すごい……。

 でも……。

 黄金アクマは踊りながら雑誌をぽんと出した。

 子供向けブランド特集の本だ。

「全部、あなたのものぉ~」

 黄金アクマはくるくる回っている。

 ごくりとツバを飲み込む麻衣。

 黄金アクマから受け取った子供向けブランドの本をめくってみる。

 ワンピース 三万円

 セーター 二万八千円

 スカート 一万五千円

 コート 九万八千円!

 それにお似合いな可愛いバッグも……。

 どれもこれもよだれが出ちゃうほど可愛い!

 あたしも、この本のモデルの女の子のようになれるのかなあ。

 麻衣の気持ちの大事な何かが麻酔を打たれたように麻痺していく。

「へ、返品できるのよね……」

「もちろんですがな~」

 そうよ。いいのよ。もうはるかなんて。

 それに返品できるなら……。それで考えてみれば……。

 もう麻衣は、百万円をもらうための言い訳しか頭に浮かばない。

 麻衣は、パタンと本を閉じる。

「分かった。売るよ」

「いぇぃ!」

 黄金アクマは、くるりと回って、百万円を麻衣に渡す。

 ずしりと重い。しかも、全部一万円札。ふんわり光っている。

 本当に百万円だあ~。

 しかも、ムカムカがなくなっている。気持ちが楽になる。

 うわ~、百万円。

 百万円をもらった瞬間、はるかとの思い出みんな失くしていたけど、麻衣は忘れているので気が付かない。

 百万円。百万円。すごいよ、すごい。


 歯の痛みがなくなり、しかもムカムカもなくなってご機嫌の麻衣は、部屋を出る。

 一階の居間に行くと、パパがパソコンの前にいる。麻衣はその様子をのぞきこむ。パパは会社ではコンピュータの仕事をしている。

 愛ちゃんのパパがアイティなんとかっていうのは、そういえばパパが言ったっけ。

「何、してるの?」

「ああ、麻衣。あのな、アルバム作ってんだよ」

「アルバム?」

「うん、麻衣とりょうたが小さいときの写真をDVDに作ってんの」

「へえ~。あたしの小さいときの写真、見たい」

「おう、ちょっと待ってな」

 パパがパソコンのマウスをカチカチさせる。

 ぱっと麻衣の赤ちゃん時代の写真がパソコンに大写しになる。

「ほらっ、かわいいっ」

 パパは親ばかなのよねえ。麻衣はクスリと笑う。

「へえ~、こんな顔だったんだ~」

「もう、かわいくてなあ」

「今は?」麻衣は意地悪な質問をする。

「今も超かわいい」

 だめだ、こりゃ。パパはそれしか言わないもんね。

「ほら、これが麻衣の二歳頃」

「ふうん」

 ふと、写真の麻衣に抱きかかえられている白いクマの縫いぐるみが目につく。

 確か、黄金アクマに思い出を売ったやつだ。

 パパがまたパソコンのマウスをカチカチさせる。

 次々と麻衣の小さい頃の写真が写る。家の中だったり、遊園地だったりしたが、麻衣は常に白いクマを抱きかかえている。

 なんでだろう……。

「この白いクマ、なんで持ってるの?」

「へ? 麻衣、忘れたの?」

「うん……」

売っちゃったんだけどね。

「これはさ、初めてパパとママが麻衣に買ったぬいぐるみなんだよな」

「そうなの?」

「この間も教えたじゃないの?」

「う~ん」

「麻衣がさ、まだベビーベッドに寝ている頃から横においてさ」

「……」

「ずっと抱っこしてるんだよな。そばに置いてないと眠んなくてさあ」

「……」

「麻衣の初めてのお友達だったのかもな。よくしゃべってたよ。おままごとでさ。りょうたが生まれて、飽きちゃったみたいだけどな」

「……」

「覚えてないの?」

「うん……」

「ふうん。あんなに仲良しだったのになあ」

「そう……」

 麻衣は、ふらふらと立ち上がると、パパから離れて行った。

「もう、見ないの?」

「うん……。なんか、上で休む」

 麻衣は、なんだか不安になっていた。

 二階に上がると、おもちゃ箱から耳の取れた汚いクマのぬいぐるみを取り出す。

 やっぱり、なんの思い出もない。そりゃあ、そうよね。売ったんだから。それにメゾピのワンピ買ったから、返品もできないし。

 でも、でも。

 いいのかなあ……。

 あたし……。

 ふと、目線を横に向ける。

 メゾピのワンピースがハンガーにぶら下がっている。

 いいのよね。きっと。

 麻衣は、気を取り直した。


 翌日の月曜日。

 麻衣は、百十万円のうち、十万円を財布に入れる。

 残りは、ランドセルのチャックのある場所にしまいこむ。

 持ち歩くのは心配だけど、机に入れておくと、ママが勝手にあけて見つかるかもしれない。ママは時々チェックを入れるのだ。そうしたら、言い訳できない。

 麻衣は、メゾピのワンピースを着て、一階に下りる。

「あれ、麻衣、そんな服あったっけ?」

「うん? 愛ちゃんからもらったの」

 麻衣はウソを付く。麻衣はだんだん、ウソをつくのが上手くなる。自分では気が付かないけど。

「ほんとに? 高いものじゃないの?」

「いらないんだって。愛ちゃん、あたしよりおおきいじゃん?」

「そうね」

「着れないから、いらないって」

「お礼言わなきゃ」

「だめだめ、愛ちゃん、困るってさ」

「本当に?」

「愛ちゃんちは金持ちなのよ」

「そうねえ……」

 麻衣は、追及されるとやばいので、マンガみたいにパンをくわえたまま、玄関を飛び出した。


 学校について、教室に入る。

 教室には、はるかがいた。

「あ……」

 はるかが何かを言おうとしたみたいだった。

 ところが、麻衣は、

 だれだっけ? ああ、木下さんだっけ。と無視した。

 なにしろ、はるかとの思い出がない。

 単なるクラスメートの一人だと思い込んでいる。

 すっと、はるかの横を通り過ぎる。

 はるかは、無視されたと腹を立てる。

 麻衣は知らん顔。

 なんか怒っているけど、どうしたのかしら木下さん。

 と机に座りながらぼんやりしている。

 はるかは麻衣をギッと睨むが、麻衣はぜんぜん気が付かない


 その日、麻衣とはるかが口を利かない。ツインズといわれるほど、仲が良くていつも一緒なのにぜんぜん目も合わさない。

 二時間目が終わったあと、愛ちゃんがなよなよ近づいてくる。愛ちゃん一派も一緒だ。

「ねえねえ、麻衣ちゃ~ん」

「なあに?」

「そのお洋服、かわいい~」

「そ、そう? メゾピなんだけどさ」

「うん、知ってる~」

「そう?」

「あたしもぉ~、狙ってたのに~」

「ふうん」

「麻衣ちゃんもぉ~、デビューしたのね~」

 なんか、いらいらしてくんなあ。このしゃべり。

「あたし達、お仲間ね~」

「……そうね」

 そうなのか?

「ねえねえ、今日、うちに来ない~?」

「え? なんで?」

「ブランド物、うちに余ってんの~」

「で?」

 麻衣は怪訝な顔で愛ちゃんの顔をのぞきこむ。

「麻衣ちゃんにも、あげるよ~」

「は?」

 その申し出に麻衣はきょとんとしてしまう。

 なんで、あんたから物、もらわなきゃいけないのよっ

 麻衣は、ムスっとした。

 それに、麻衣ちゃんにもって何よ。「も」って。

「着れないの、みんなにもあげてるの~」

「え……」

「ほらあ、高いからさあ、みんなあたしの仲間になったら、あげてるの~」

 そうか。そういうことか。

 愛ちゃん一派が、毎日ブランド物で固めている理由が分かった。

 そりゃあ、そうだ。みんなの家が裕福なわけじゃない。

 愛ちゃんから、洋服もらっているからだ。

 だから、愛ちゃん一派のメンバーは、愛ちゃんがわがまま言っても、言うこと聞いているのね。

 でも、そんなのって友達じゃないじゃん!

 ものでつるなんてさっ!

 あれ?

 あれれ?

 あれあれ?

 麻衣は、急に何かが気になった。でも思い出せない。

 麻衣は、メゾピを買いに今日も横浜に行くので愛ちゃんのお誘いを丁重に断った。

 でも、なんかひっかかる……。


 なんか、暇だ。麻衣は大きなあくびをする。

 休み時間も手持ち無沙汰。仕方なく、マンガを描いている。

 いつもあたし、どうしてたんだっけえ。

 それに、なんだか、頭がぼんやりしている。

 へんだなあ。

 給食を食べ終わると、麻衣は妙に眠くなって、机に突っ伏して寝てしまった。

「麻衣ちゃ~ん。体育よ~」

 愛ちゃんが声を掛ける。

「ああ、うん……」

「どうしたの~?」

「ううん。大丈夫」

「明日もブランド物~?」

「は?」

「そうよねえ。ダイユーものじゃないよねえ」

 こいつ、知ってやがった。悔しい~っ。

「そ、そうよ」

「そうよねえ~。一度、ブランドを知ったらやめられないものねえ~」

 愛ちゃんがそう言うと、愛ちゃん一派もクスクス笑う。

「でもさあ、毎日、ワンピ~?」

「ち、ちがうよっ」

「うちに来ればいいのにぃ~。いっぱい余ってるよ~」

 どうも愛ちゃんは、あたしを一派に入れたいみたいだ。愛ちゃんは、いっぱいお友達を作って、支配下に入れたいんだ。愛ちゃん一派は、みんなブランド物の魅力に負けて、言いなりだ。まるで女王様と家来だ。

 そんなのになりたくないよ。

「うん? 大丈夫。あたし、お金あるから」

「ふうん?」

 愛ちゃんは、つまならそうに麻衣から離れていく。

 ふふっ。お金の威力は絶大だわ。

 麻衣は、お財布を取り出して、お札をニヤニヤと眺める。

「さいて~」

 それを見ていたはるかが、叫ぶ。

 麻衣はびっくり。はるかは、体操着を着て、外に飛び出していった。

 なに? あれ?

 木下さん、どうしたのかしら。

 麻衣は、頭に?マーク。

「きっと、麻衣ちゃんがブランドもの着ているからヤキモチ焼いているのよ~」

 愛ちゃんが話しかける。

「ああ、そうか。そうよねえ」

 麻衣も同意した。

 きっと木下さんは、お金がなくてブランド物が買えないのね。

 やだやだ。

 貧乏は、心をいやしくするのね。かわいそう。

 麻衣は心底、はるかをあわれんだ。


 その日の体育は、グラウンドでドッジボール。

 嫌いなのよねえ。当たると痛いし。

 麻衣は、ボールから逃げ回る。

 それにしても、木下さんってスゴイ。男子と互角かそれ以上に活躍。

 はるかは、敵チームにいて、次々とボールをキャッチする。

 ところが、なぜか麻衣をしつように狙う。

 なに、あの貧乏人っ!

 麻衣はムカムカしてくる。

 ついに麻衣にバーンとボールが当たる。

 ぜんぜん痛くない。ああ、そういえば「痛い」を売ったんだっけ。

 へへ。便利だなあ。

 当たった麻衣は、外野に行こうとした。

 ところが足が思うように動かない。

 あれ?

 へんだ?

 ぐるりと風景が回りだす。

 あれえ。

 麻衣は、後ろ向きにバターンと倒れた。

「麻衣ちゃんっ!」

 倒れる麻衣を見て、はるかが飛び込む。それで麻衣は頭をぶつけなくて済んだ。

 はるかは、滑り込んで麻衣を助けたので、ひじとかひざをすりむいて血が出ている。

「麻衣ちゃんっ」

「あ~、うん?」

 麻衣は、目の前が真っ暗だ。ぼんやり、心配顔をしているはるかの顔を見る。

 なんで、木下さん、こんなに必死にあたしを助けてくれるんだろう……。

 そう思った瞬間、麻衣は気を失ってしまった。


「麻衣ちゃんっ」

 心配そうな声で目を覚ます。

「あれ……」

 どうしたんだろう。あたし。

 麻衣は、ベッドに寝ている。ゆっくり周りを見回す。保健室だ。保健の先生もいるし担任の渡辺先生もいる。渡辺先生は、女の先生でちょっと厳しい。けれども、今は心配げな表情で保健の先生と話しこんでいる。

「先生っ、麻衣ちゃんが目を覚ましたっ」

 はるかは、慌てて先生を呼ぶ。

 なんで、木下さんがいるの?

 保健委員だっけ?

「鈴木さん?」

 保健の先生が呼びかける。まだ若くてかわいい先生なので男子に人気がある。

「は、はい」

「これ何本?」

 指を三本立てる。

「え~、三本」

「じゃあ、七ひく四は?」

「え・・・、三?」

「まあ、大丈夫かな?」

 保健の先生は少しほっとした表情を浮かべて、麻衣の額に手を当てる。

「あたし……」

 要領を得ない麻衣は、首をかしげる。

 保健の先生が、右のあごの下を触る。

「ちょっと腫れているいるのよ、ここが。痛くない?」

「ううん」

 だって痛いの売っちゃってたもん。

「多分、なんかの菌がリンパ腺っていうところに入ったのよ」

「なんかの菌?」

「虫歯のウミとか」

「あ……」麻衣は心当たりがあった。

「それで、菌が全身に回って、すごい熱よ」

「え……」

「今さっき、測ったら三十九度もあったんだから」

「うそ……」

「よく気が付かないで体育なんてやってたよね」

「……」

「下手したら、熱中症で死ぬよ。今日は暑いんだから」

「はい……」

 麻衣は、呆然とした。

 痛いを売ったからだ。

 痛いが分からないから、病院にもいかなかった。

 それで、病気が重くなったんだ。

 痛いって、体からの警告なんだ。

 それが分からないと、こんなことになるんだ。

 あたしは、ヤバいものを売ったかもしれない。

 担任の渡辺先生が

「鈴木さん、お母さん呼ぼうか?」

 と言う。

「ううん。平気。歩ける」

 麻衣は、まだ痛みがなくて実感がないので、そう応える。

「麻衣ちゃん、ごめんね、ごめんね」

 はるかが、泣いている。

「あたしが、狙ったから」

「……」

 なんで木下さん、泣いてるのかなあ。

 そんなに仲良しだったっけ?

「木下さん、関係ないよ」

 麻衣は、丁寧に答える。

「き、木下さんって……」

 はるかは、涙でいっぱいの目を大きく見開いて麻衣を見た。

「木下さん、もう大丈夫だから、教室に戻って」

 さらに麻衣は言う。麻衣は、ぜんぜん悪気がない。

「ど、どうしてよっ。木下さんって……」

「え?」

「もう、いいっ!」

 はるかは、ダッと保健室を飛び出して行った。

 何、怒ってんのかしら。

 本当に貧乏人って複雑ね。

 麻衣は首をかしげる。

「鈴木さん?」

 渡辺先生が怪訝そうな顔で尋ねる。

「はい?」

「木下さんと喧嘩でもしているの?」

「いえ?」

「いつも、仲良しなのに」

「……」

「いつも、はるかぁって言ってるのに、木下さんなんて他人行儀で」

「え……」

「それで、怒ったのよ、彼女。あんなに心配してたのに……」

「……」

「木下さん、あなたが倒れこんだとき、滑り込んであなたを助けたのよ」

「え……」

「それで、頭打たなくて済んだのよ」

「……」

「木下さん、ひざからもひじからも血が出て、それでも鈴木さんのこと心配して」

「……」

「自分の怪我なんか、ぜんぜん気にしなくて、鈴木さんに付き切りで看病して」

 麻衣は、渡辺先生の言ったことが飲み込めない。

 そんな、仲良しだったっけ……。

 そんなに大事な友達だったっけ……。

 そういえば、あの百万円は……。

 あたしは、一時の感情で大変なものを売ってしまったのかもしれない。

 麻衣は、背中にひんやりと冷や汗が流れるのが分かった。


 渡辺先生が教室からランドセルと着替えを持ってきた。

 麻衣は少しふらふらするので、先生に着替えを手伝ってもらって、ランドセルを背負う。

「もう、帰っていいからね」

「はあい」

「木下さんとは仲直りしてね」

「……」


 麻衣は、ふらふらと帰り道を歩く。

 通学路のガードレールに時々ぶつかる。

 まっすぐ歩いているつもりなんだけどなあ。

 熱のせいと、大事な何かを売ってしまったことの後悔とで頭が大混乱している。

 ふっと麻衣は、契約書を交わしたときのことを思い出した。

「リカルテ……」

 麻衣はつぶやく。

 そうだっ、リカルテで取り戻せるっ。

 麻衣は、慌てて財布からお金を取り出す。ランドセルからも残りのお金を取り出す。

 総額百十万円とちょっとのお金を束ねて、右手に持つ。

 そのとき、どろんと黄金アクマが登場した。

「まいどぉ~」

「な、なによ」

「買いまっせ~」

「な、なにを?」

「いやあ、熱とか今の最悪な気分とか」

「いやよっ」

「楽な気分になりまっせ~」

「冗談じゃないわよ。熱がわかんなかったら、死ぬまで気が付かないじゃない。最悪な気分なのはあんたに大事なものを売ったからよ」

「なに言うてまんの~。よっしゃ、特別に200万で買いまひょ」

 黄金アクマは、もみ手でニコニコ。でも、なんか必死。

「やだっ。もうお金はいいっ」

「いやあ、ブランド物は? たくさん買えますよ~」

「いいっ」

「じゃ、じゃ、五百万では?」

 麻衣は、黄金アクマを無視して、お金を握り締めた右手を掲げて

「リカルテ!」と叫んだ。

「あ~あ」

 黄金アクマが地団駄を踏む。

 ずきん、ずきん、ずきん。

 途端に歯が痛みだす。気を失いそうだ。

 こんなに痛かったんだ……。

 それとともに、はるかとの思い出が戻る。

 五年生になった最初の日。

 麻衣はクラス替えで仲の良かった友達と一緒になれなかった。

 すごく不安だった。

 そこに隣に座ったのが、はるかだった。

「ちっす」

 といきなり、挨拶された。あたしはびっくり。

「よろしくねっ」

 はるかは、ニコニコしながら言った。

 もともと、あたしは人見知りする子だった。

 それなのに、はるかはぜんぜん明るく声を掛ける。

 すごいなあ、この人は。

 あたしは一目で尊敬してしまったっけ。

 はるかは、運動神経が抜群で、何をやっても男の子に負けない。

 五年生の後半、あたしが歯に矯正したのを男の子にからかわれたとき、はるかは顔を真っ赤にして、その男の子に立ち向かって行った。

 すごい喧嘩になって、はるかも血をだして……。

 あたしは、はるかが心配でいっぱい泣いた。

 ううん、違う。

 本当はうれしくて泣いたんだ。

 はるかがあたしのことを思ってくれたのがうれしくて泣いたんだ。

 すごくうれしかったんだ。

 はるかは、あたしを……。

 麻衣は涙がいっぱい出てきた。

 ふらふら道を歩きながら、どうしようもなく大きな声で泣きたいのを我慢しながら、ぐすんぐすんと泣いた。

 どうして、あたしはこんなにバカなんだろう。

 今日だって、そうだ。

 はるかは、いつもあたしを助けてくれて。

 自分よりもあたしを助けてくれて。

 どうして、あたしはそんな大切なはるかとの思い出を売ってしまったのだろう。

 どうしようもないバカだ。

 あたしは、大事なことが分からない最悪バカだ。

 きっと、大事なことなんて、そのときは分からないんだ。

 それで、お金とかブランド物とか表面だけがキラキラしているものに目がくらんで、大事なものを売ってしまうんだ。

 あたしは、このままでは大事なものを平気で売ってしまうんだ。

 それで、後で後悔するんだ。

 あたしは、バカな子だ。

 黄金のアクマは、お金に換えられないものをお金にしてくれる。

 でも、お金に換えられないものは、実はお金なんかじゃ釣り合わない大切なものなんじゃないのか?





 もう、あたしは決して、何も売らないっ!





「アクマさん」

 麻衣は、歯痛と熱でふらふらだけど、気合を入れて黄金アクマに言った。

「へい。やっぱり売りまっか?」

 黄金アクマは、これ以上ないほどニコニコ。

「あたしは、もう、二度と売らない」

「え……」

 黄金アクマは、表情がいっぺん。

「な、な、何言うてまんね~ん。麻衣は~ん、そないなこと言わんと」

 麻衣は頭を振る。

「お金、いっぱい入りまっせえ~。お金あると、幸せでっせえ~」

「そんなこと、ない」

 麻衣は、きっぱりと言った。

「そ、そんなあ~」

 黄金アクマは、スリスリとにじり寄る。

 麻衣はもう、黄金アクマを信用しなくなっていた。

 黄金アクマはウソを言わないって言った。でも、今、ウソをついた。

 確かにウソをついた。間違いなくウソだ。

 お金があると、幸せ。

 

 そんなこと、あるもんか!


 いくらあたしがバカでも、それくらいわかっている。

 黄金アクマは、良く分からないけど、何かをたくらんでいる。

 だから、ニコニコ近づくんだ。

「アクマさん、あたし、契約を解除する」

「えっえ~」

 黄金アクマはびっくりしている。

「部屋に戻って、契約書見て、Ⅲを唱える」

「いや、まあ、落ち着いて」

 歩こうとする麻衣の腕を黄金アクマは掴む。

「離してよっ」

 麻衣は、歯痛と熱で機嫌が悪くて、乱暴に黄金アクマを振り払う。

 黄金アクマは、吹っ飛んで電柱にぶつかる。

「いったあ~、あんさん、下手にでりゃあ、いい気になりやがって~」

 黄金アクマが急に口調を変えた。どんどん赤黒くなっていく。

「な、なによ」

「ワテから逃げられると思うなよ~」

 黄金アクマがどんどん大きくなる。

 麻衣は、びっくりして腰を抜かしそうになった。

 黄金アクマは、象のように大きくなる。

「なあ、麻衣はん、最後のチャンスや」

「な、なによ」

 麻衣は気後れしないように黄金アクマをにらみつける。

「売りなはれ」

 黄金アクマはドスの効いた低い声で言う。地獄の底から聞こえてくるような怒りを含んだ声だ。

「いやよっ、何も売らないっ」

 麻衣は、顔を真っ赤にして怒鳴る。

 もう、いやだ。絶対売らないっ!

「ふざけんなっ。中途半端しやがって」

 大きくなっている黄金アクマが右足を大きく上げて、道路のアスファルトにドスンと踏みつける。地響きがして地震のように揺れた。

「あ、あたしの勝手でしょ」

 麻衣は、思わずビビって後ずさりする。

 それでも負けないようににらみつける。

「分かってないなあ、このガキャあ」

 黄金アクマのシッポがぐんぐん伸びて、麻衣の頬をかすめる。

「きゃっ」

 麻衣は地面に転がる。

 黄金アクマのシッポはとがっていて、道路のアスファルトに突き刺さる。

 ほっぺを拭うと、手にはべっとり血がついていた。

「次は、おのれの腹に突き刺すでえ!」

「な、何すんのよっ、あたしは、もう何も売らないのよっ」

「ほな、あの世に行きなはれっ!」

 すごい勢いで、麻衣をめがけて黄金アクマのシッポが迫ってくる。

 麻衣は、恐怖で目を閉じる。

 そのとき、何か強い力で麻衣が突き飛ばされた。

「麻衣ちゃんっ!」

 はるかだっ。はるかが飛び込んできたんだっ。

「はるかっ」

 黄金アクマのシッポがはるかの脇腹に突き刺さる。

「きゃっ」

 はるかがもんどり打つ。

 脇腹を押さえている。血がいっぱい出てる。

「はるかっ、はるかっ」

「ま、麻衣ちゃん」

「はるかっ」

「ま、麻衣ちゃん、逃げな……」

「に、逃げられるかっ、ばかっ」

「はやく……」

「はるか、絶対助けるっ!」

「逃げて……」

 はるかの力がみるみるなくなっていく。

 なんてことをっ! なんてことをっ!

 麻衣は、顔を真っ赤にして、黄金アクマに立ち向かう。

 くっそ、呪文さえ覚えていれば。

 無我夢中で黄金アクマに走る。

 はるかをよくもっ!

 麻衣は、怖がりなのにぜんぜん怖くなかった。しかし、巨大化した黄金アクマには勝てない。

 また、シッポがムチのようにしなる。麻衣の肩の辺りに突き刺さる。

「ぐぅ」

 吹っ飛ぶ麻衣。

 背中から落ちた麻衣はガードレールに頭をしこたまぶつける。

 一瞬、目の前が真っ暗になる。

 でも、ここで気を失ったら、はるかが……。

 麻衣は、頭を振って起き上がる。

「ふぁははは、無駄な抵抗はやめて、売りなはれ」

「やだっ」

「タマシイを売りなはれ。そうしたら、お前も助けるし、はるかも助けるでえ」

「やっぱり、タマシイが目的だったのねっ! だましたのねっ!」

「ふぁははは、やっぱりお前はバカだな。思い出や痛みを感じる心、それに友達を思う心はタマシイそのものだろうが、バカめ。少しずつ奪ってやるつもりだったが、めんどくせえ。さあ、さっさと売りなはれ」

 そうなのか。

 そりゃあそうだ。

 そういうものを感じなくなったら、あたしは空っぽだ。

 やられた。

 だまされた。

 あたしがバカだった。

 あたしのせいではるかが……。

 はるかを見ると、ぴくりとも動かない。

 早く助けなきゃ。でも、どうすればいいの?

「ほら、売るっていいな。楽になるでえ」

 黄金のアクマは憎たらしく笑っている。

 麻衣はぶつけたせいで、頭がくらくらしている。

 こんなに頭をぶつけたのは、いつ以来だろう。

 そう、あれは……。

 

 ふと、黒いものが見えた。

 あれ。

 あれあれあれあれあれ。

 クジアクマっっっ。

「あんたっ」

 麻衣は心の中でクジアクマに向かって叫ぶ。

 クジアクマは、びっくりしてこっちを見る。

「おれ?」とのんきに聞く。

 こいつは、人が大ピンチの時になにのんびりしてんだ?

「そうよっ、見えてんのよっ」

「ひゃ~。またかよ。今、頭ぶつけたからかな?」

「もう、そんなことはいいの。助けてっ」

「へ? やなこった」

「な、なんですってえ。人が死にそうなのよっ」

「関係ないよ」

 あ、相変わらず、憎たらしいっ。

 こいつに会いたいと思ったあたしがバカだった。

「とにかく、後でなんでもするから、家の机から契約書持ってきてっ」

「なんでさ」

「なんでって、契約書に解除の呪文が書いてあんのよっ」

「や~だね」

 ばしっ。

 麻衣は、頭に来てクジアクマをはたく。

「なにすんだよ~」

「どうして、協力してくんないのよっ」

 麻衣はポロポロ涙を流す。

「だって、おれ、お前からそんなに遠くに離れられないんだもん」

「そ、そうなの?」

「そうだよ。おれ達は常に面倒見ている人間の側にいなきゃいけなんだよ」

「どうしよう~」

「呪文、思い出せばあ」

 クジアクマは鼻くそをほじっている。

 むっかつくぅ~。

「思い出せないから、ピンチなんじゃないの~」

「じゃあ、あきらめな」

「ひ、ひどいっ」

 麻衣は、顔が真っ赤。でもクジアクマを睨んでも仕方ない。

 なんだっけ、なんだっけ。あの呪文。

 黄金のアクマは、ますます大きくなって、麻衣の前に立ちはだかる。

「お前も殺してやろうか?」

 黄金アクマのシッポが麻衣の顔の前を左右に揺れる。

「ほらっ、売ると言え。今ならあのガキも助かるでえ」

 黄金アクマは、麻衣を見下ろしている。

 くっそ~、呪文、呪文。なんだっけかなあっ!

「な、なんかチンコけるしハレてるしぃ、みたいなのっ」

 麻衣は、適当に覚えている言葉を言う。

 それを聞いた、クジアクマが吹き出す。

 大うけしている。

 ひぃひぃ笑っている。

 この事態に、このヤロウは……。

「あはは、ひひひ、な、なんで【ティンコウケウシハレメルシ】が【チンコけるしハレてるしぃ】に聞こえるの?」

「え……?」

「あ……」

 このクソクジアクマめっっっ。

 覚えているなら、とっとと教えろおぉぉっっ。

「死んでしまえ~」

 黄金アクマのシッポが麻衣めがけて、飛んでくる。

「ティンコウケウシハレメルシ~」

 麻衣は力の限り、叫ぶ。

「げ、げえ~」

 麻衣の目前に迫っていた、とがった黄金アクマのシッポが力なくぽとりと落ちる。

 黄金アクマがみるみる小さくなる。

「くっ、くっそ~、あともうすこ……」

 ひゅうと小さなボールになってしまう。クルクル回っているうちに黒くなる。ぽんと煙が出たと思ったら、前のような黒い本になって道路にポトリと落ちた。

「やった……。あ、はるかっ」

 麻衣は一目散にはるかの元に走る。

「はるか、はるか」

 麻衣ははるかを抱きかかえる。

「あれ、麻衣ちゃん」

「はるかっ、すぐに救急車を呼ぶ」

「待って」

 立ち上がろうとする麻衣をはるかが捕まえる。

「麻衣ちゃん、もう少しいて」

「だめよっ」

「お願い」

「はるか~、だめだよ~、死んじゃうよ~」

 麻衣は、わんわん泣いている。

 あたしのせいだ。あたしのせいだ。

「麻衣ちゃん、ごめんね」

「なに言ってんの~、あたしが悪いのよ~。友達にあんな買ってあげるなんて、最低よ。あたしは最低よっ」

「ううん、麻衣ちゃんは好意で言ってくれたのにね」

「はるかあ、はるかあ、あたしはあんたが大好きなのよっ。死なないで」

「本当?」

「当たり前じゃないの~」

「もう一回、言って」

「へ?」

「もう一回」

「はるか、大好きだよ……?」

 あれ?

「えへへ。あたしも麻衣ちゃん、大好き」

 はるかは元気良く、起きた。

 そういえば、血も出てない。傷もない。

 あたしも肩が痛くない。触ると、何も跡がない。

 あれ? あれ?

「なんか、あのアクマが消えて、痛くなくなっちゃったよ」

 はるかは、いたずらっぽく笑う。

 麻衣は、へなへなと座り込む。

 どいういうこと?

 麻衣は、クジアクマの方を見る。

「ば~か」

 クジアクマは憎たらしく言う。

「あんな三流アクマに、人を傷つける能力なんかないよ」

「へ?」

「みんな、マボロシさ」

「そ、そうなの~」

「まあ、タヌキ程度だよ。せいぜい化けて、葉っぱをお金にするのが関の山」

「なあんだ……」

「あいつは、人の人生を乗っ取って、おもしろおかしく人生を過ごすのさ。それで、ボロボロになったらまた新しい人間を乗っ取って楽しむのさ」

「そ、そうなの?」

「まあ、能力はないから、せいぜいマボロシを見せて驚かす程度だよ」

「ふ、ふうん」

 それで、このクジアクマは余裕しゃくしゃくだったのね。

 なんて人が悪い。あ、人じゃないか。

「最初は、抵抗のないもので釣っておいて徐々に感覚をマヒさせて、最後には乗っ取っちゃうのさ」

「はあ、そうなの……」

「典型的なサギのパターンだよ。欲の皮が突っ張ったヤツは、引っかかるんだよな」

「わ、悪かったわねっ。ふんっ」

 麻衣は、クジアクマをギッとニラむ。

「本当にアクマっていたんだあ」

 はるかは、黄金アクマの本を見ながらつぶやいた。

「今、クジアクマがいる」

「うそっ」

「ほんとう」

「麻衣ちゃんが、昔見たっていう?」

「うん」

「どこどこ?」

「ここ」

 麻衣は、クジアクマを指差す。

「紹介すんなよっ」

 クジアクマは、ぷいっと横を向く。

「へえ~。見えないけど……」

 はるかは不思議そうな顔。

「クジアクマは黄金アクマと違ってあたしにしか見えないのよ」

「こんにちは」

 はるかは、いたずらっぽくクジアクマのいそうな方向を向いて、挨拶する。

 もちろん、クジアクマは無視。

「本当にいたのね……」

「なによ、はるか、信じてなかったの?」

 麻衣は不満げにぷぅと頬を膨らませる。

「まあ、信じていたものの、信じられないって言うか」

 はるかは、ぺろりと舌を出して笑う。

「でも、あの黄金のアクマは見たでしょ」

「うん。信じたよ。完全に」

 ところが、クジアクマが急に薄くなってきた。

「あ、アクマさん、消えちゃう……」

「まあ、あんまり強く頭打たなかったからな」

 クジアクマは、前と同じように外人みたいに首をすくめて両手を広げる。

 ぴらりと黒いクジを出した。あのマイナスの宝くじだ。

「いつまでも、道路に転がってると危ないからな」

「こ、この期に及んでっ」

「まあ、お前はおっちょこちょいだから、また頭ぶつけて、会えるだろう……」

 クジアクマは完全に見えなくなった。声も聞こえない。

 また、会えるよね。頭ぶつけるのはイヤだけど。

「麻衣ちゃん、歩ける?」

 はるかが、麻衣の洋服の汚れをはたいてくれる。

「うん……。あいたたた」

 歯の痛みと体のだるさが戻ってきた。さっきまで、夢中だったから忘れていたけど。

「大丈夫?」

「あるけな~い」

 麻衣は、甘えた声を出す。

「しょうがないなあ」

 はるかは、麻衣をおんぶする。

 麻衣は、はるかの背中で満足満足。

「ねえ、はるか。どうして、いたの?」

「心配でさ。先生にお願いして、麻衣ちゃんを追いかけたの」

「えへへ。はるかはあたしの保護者だね」

「なに言ってんの。心配なのよ、あんたは」

「えへへ」

 はるかがのっそり、のっそり歩く。きっと重いに違いないけど、もう少し、こうしていたい。

「ともだち、ひゃくにん、でっきるかな~」

 不意に麻衣がコマーシャルソングを歌いだす。

「なあに、急に?」

「あのさ、このコマーシャル聞くとさ、愛ちゃんみたいに友達いっぱい作らなきゃって脅迫されている気がしない?」

「まあねえ」

「でもさ、友達なんて、大切なのが一人、二人いれば十分よね」

「麻衣ちゃん……」

「な、親友っ」

「ば、ばか。は、恥ずかしいよ、麻衣ちゃん」

「えへへ」

「えへへ」

 麻衣は、はるかとまた仲良くなれて、嬉しくて涙があふれ出してきた。

 それをはるかに見られるのが恥ずかしいので、涙が止まるまで、はるかの背中にしがみついていた。

 お陰で、はるかはへとへとになるまで、麻衣を背負っていたけれども。


 それから麻衣の黄金アクマ騒動の後始末は大変だった.

 家に帰った麻衣は、すぐに病院に行った。それで、ぶっとい注射と点滴攻めにあう。

 熱が下がった翌日、歯医者に行く。

 あたしが、悪いのよ。仕方ないよ。

 麻衣は、観念して歯医者の椅子に座る。

 でも、でも、でもぉ!

 きゅーいいいいん。

 「ひいっ、アガガガガガガ」

 麻衣は絶叫し足をじたばたさせて、神経に直接響く痛みに耐えた。

 次の日、学校に行くと算数のテスト。

 前のテストの時に復習しなかったので、また出来なかった。

 点数は、四十点。

 が~ん。

 麻衣は、あまりのショックにまた落ちんこんでしまった。

 はるかは、七十八点だって。ちゃんと復習したから。

 ああ、またあたしは、がみがみママに怒られる。

「はるかあ~、また怒られるぅ」

「まあ、こればっかりはねえ。あたしに出来ることはないよ」

「冷たい……。はるかのばかあ」

「あはは、あきらめて、次、挽回しなよ」

「そうするよぉ」

 家に帰った麻衣は、やっぱりママにこってり絞られる。

 それで麻衣は、テストの復習をして、塾で分からないことを聞いたりした。

 翌週、麻衣は奮起して算数のテストで久々に百点をとった。

「すごいじゃん」はるかがびっくりしている。

「へへ。やりましぜ、だんな」

「なに、それ」

 はるかはずっこける。

「はるかは?」

「九十点だよ。負けたあ」

「よっしゃあ」

 麻衣は、ガッツポーズを決める。

 調子のいい麻衣を見て、はるかはクスクス笑う。

「麻衣ちゃん、頑張ったもんね」

「悔しくってさあ」

「塾でも、先生にいっぱい聞いてたもんね」

「うん。悔しいとかそういうのも大事なんだね」

「そうだよ。あたしだって、サッカーとか男子に負けると悔しいから、練習いっぱいするもん」

「あの黄金のアクマって、そういう気持ちをお金にしちゃうのよ」

「へえ!」

「でもさ、大事なんだよ。そのときは気が付かなくてもさ」

「そうね」

「あたしは気をつけないと、大事なものを見過ごしちゃうよ」

「うん」

 麻衣は、はるかにははるかとの思い出をお金にしたことは言っていない。

 それは、永遠の秘密。

 バカすぎて嫌われたくないもの。

「ねえねえ、麻衣ちゃん、あの本どうした?」

「え? そういえば、道路に置きっぱなしにしたよ」

「次の日、なかったよ」

「誰か、拾ったのかなあ」

「そうかも」

「ちゃんと捨てればよかった。またあの黄金アクマが誰かに取りついたら……」

「でもさ、結構、あの本いっぱい出回っているのかもね」

 はるかが腕を組みながら妙なことを言う。

「え? どうして?」

 麻衣は、はるかに理由を聞いてみた。

「だってさ、大事なものを捨てて、お金にしちゃって喜んでいる人、多いよ」

「そういえば……」

「きっと、あのアクマがいなくても、そうしている人もいると思うけどさ」

「そうね……」

 麻衣は、テレビのニュースやいろんなんなことを思い出しながらうなずいた。

「麻衣ちゃんは、セーフだね」

「うん。でも、危なかったよ。ぎりぎりで気が付いた」

「あの本を拾った人も、気が付くといいけど」

「うん。きっとはるかみたいなやさしい友達とかいれば、気が付くよ」

 麻衣は、はるかに向かって感謝のウィンク。

 なのにはるかったら、げえ、という顔をしたもんだから、麻衣は「もうっ」とはるかを軽くぶつ。

「だって、麻衣ちゃん、テストの点数あたしよりもいいんだもん。ずるいよ」

「ふん、悔しかったら次、百点とってみな~」

「うわっ、ムカつく!」

 麻衣とはるかは、顔を見合わせて、教室いっぱいに響くくらい大笑いした。


 それから麻衣の家の自分の机には、小汚いクマのぬいぐるみが置いてある。

 おもちゃ箱から取り出した。

 麻衣が失ってしまった、思い出のクマだ。

 もう、麻衣がこのクマとの思い出を取り戻すことはできない。

 後悔しても、しきれない。どんな思い出があったんだろう。どんなにあたしはこのクマが好きだったんだろう。もしかしたら、名前もあったかも知れない。なのにもう、それは永遠に分からない。

 ごめんね、クマ。

 パパとママが初めて買ってくれたぬいぐるみだったのに。

 ごめんね、パパとママ。

 小さい頃、ずっと一緒にいたぬいぐるみ。きっと大切なものだったのに。

 ごめんね、小さい頃のあたし。

 おばかなあたしは、そんな思い出をメゾピのワンピースなんかと交換してしまった。

 もし大事な何かをお金と交換したくなったりしたら、あたしは、このクマを見るんだ。

 そして抱きしめるの。

 それで、あたしは、そんなことは絶対にしないと何度でも誓うんだ。

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黄金のアクマ(学校用) コバヤシ @RYOUMAKOTO

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