ハーフェズの主、最果ての王を推薦する

「イマーン師の学友サーム師か」


 金を借りることができたファルジャードは、しばらくの間ラズワルドの家に下宿することにし、セリームと共にメフラーブの元を訪れた。下宿の契約を結んだあと、ラズワルドはイマーンの知人サームについて、何か知っているかメフラーブに尋ねたところ、当然とも言えるべき返事が返ってきた。


「学術院関係の知り合いとかいないか?」

「サーム師についてなら、俺が一番詳しいぞ、ラズワルド」

「え?」

「サーム師は残念ながらもう亡くなっている。あの人は学術院を辞めた後、私塾を開いていてな、その門下生の一人が俺だ」


 イマーンが老衰で亡くなっているのだから、その学友であるサームも同じように亡くなっていてもなんら不思議ではない。


「へー……メフラーブ、頭いいもんな」

「そうか、もう亡くなっていたのか」


 ファルジャードががっくりと肩を落とす。


「なにか困るの?」

「学術院に入る試験を受けるには、それなりの人の推薦状が必要なんだ。俺が入った時はサーム師が書いてくれた。金さえ積めば、関係ない貴族でも書いてくれるだろうが」


 学術院の推薦状というのは、学術院を出た人なら誰でも書けるものではない。逆に学術院になんら関係はなくとも、それなりに地位のある人物ならば推薦者たり得る。メフラーブは学術院に籍を置いていたこともあったが、これといった有力者の知り合いはいない ―― ラズワルドの養父になってから、学術院の要職についている記憶にすらない同期の何人かが旧知の顔で訪れたが、全員門前払いしていた。

 もちろん今からその追っ払った彼らに依頼を持ちかけたら、彼らは大喜びで書いてくれるだろうが、メフラーブは追っ払った奴らの顔も名前も覚えてはいない。


「イマーンが書いてくれた推薦状が灰燼に帰したのが痛い」


 命からがら逃げ出す際に、推薦状は持ち出せなかったのだ。


「イマーン師の推薦状なら文句なしだったろうがなあ」

「貴族なら誰でもいいのか?」


 人生の選択肢に学術院などないラズワルドは、色々と面倒なのだなと感じつつ話を聞く。


「地方の名も知られていないような貴族じゃだめだが」

「知られてる貴族ならいいんだな、メフラーブ」

「そりゃな」

「ファルジャード。絶対に試験を主席で突破するんだな?」

「それは断言できる」


 自信満々に言い切るファルジャードと、


「ファルジャード」


 彼の頭脳が優れていることは知っているが、心配になるセリーム。


「凄い自信ですね。凄い人ですね、ラズワルドさま」

「まあな。でも、ここまで自信あると言い切るんだ、信じてやろうじゃないか、ハーフェズ……待ってろ、ファルジャード。知り合いに頼んでやるから」


 未だかつて見たことのないほど自信満々な男に、ラズワルドは協力してやることにし、事情を書いた手紙をしたため、配達人に金と手紙を渡す。


【ファリド。ファルジャードってやつが学術院受けたいから、ファリドのお父さんに推薦状出し書いてくれるよう頼んで。ファルジャードのやつ、主席で合格することが決まってるって本人が言ってるから、推薦状出した人にも迷惑かからないから頼むな ラズワルド。あとちょっと話したいことがあるから、大至急来てくれ】


 手紙を受け取ったファリドは、近くにいたベフナームとマーカーンに手紙を見せ、の推薦状を用意する算段を付けてから、ラズワルドが住んでいる下町に、ジャバードを伴い馬車で向かった。

 ファリドがラズワルドの元に到着したのは、彼らの夕食が終わった頃。ファルジャードの下宿で、学術院行きの馬車の料金などをメフラーブが説明している脇で、ラズワルドとハーフェズはセリームに、彼らが住んでいた地方の物語をねだっていた。


「失礼いたします」

「ジャバード卿ってことはファリド公か」


 まず入ってきたジャバードの姿を見て、ラズワルドが誰に依頼したのかメフラーブには直ぐに分かった。ジャバードは家主の言葉を聞くより先に、室内を不躾に見回しファリドを通す。

 その仕草を見てメフラーブは「相変わらずだな」と思ったが、それがジャバードという男なのだろうと、なにも言わなかった。


「ラズワルド。失礼しますよ」

「ファリド。依頼受けてくれるか?」


 ラズワルドはファリドに駆け寄り、青い僧服の裾を引っ張り、ハーフェズが用意していたクッションを勧める。


「ありがとう、ハーフェズ。ああ、初めましてファルジャードと……そちらはなんと」


 慌ただしく平伏したセリームの名をラズワルドに尋ねる。


「セリームだファリド」

「そうですか。わたしはファリド、よろしく、ファルジャード、セリーム」


 ファルジャードもセリームと同じように頭を下げてはいたが、問いかけには答えた。


「こちらこそ……ファリド公というと、クテシフォン諸侯王の次男だったか、ラズワルド公」

「うん。ファリドからクテシフォン諸侯王に頼んで貰う……クテシフォン諸侯王って有名だよな?」

「大丈夫ですよ、ラズワルド。クテシフォンの推薦状で試験を受けることは可能です。ですが、クテシフォンに頼むと少々問題があります」

「なんだ? ファリド」

「推薦状が試験日までに間に合いません」

「あ……」

「来年まで待てるほど、金銭的な余裕は……ないようですね」

「ファリドの推薦状とかじゃ駄目なの?」

「わたしでも構いませんよ。わたしでも構わないということは、ラズワルドが書いても構わないということです」

「あ、そうなんだ。でも書き方知らない」


 ラズワルドの場合は、推薦状を書くよりも、ファルジャードと共に学術院に出向き「こいつに試験を受けさせろ」と言うだけで通る。


「書き方ならいくらでも教えて差し上げますが、別にここにいるジャバードでも学術院の推薦状は出せますよ」


 ファリドに振られたジャバードは、精悍な表情が崩れ、いつも引き締まっている口元をひくつかせた。


「そうなの……ジャバードが死ぬほど嫌そうな顔してる」

「あれは嫌そうな顔ではなく、困っているのですよ。ジャバードでも出せますが、ラズワルドが諸侯王に依頼しようとした事柄を横からかすめ取ったような状況になりますので、それはしたくはないのですよ」


 ファリドに命じられればなんでもするジャバードをして、このような表情が浮かぶくらいの大事。


「よく分からんが」

「神の子直々に指名された依頼を受けるというのは、栄誉なことなのですよ。クテシフォンは大喜びでしょう。ですが距離があり過ぎます」

「そっかー」

「ここはクテシフォンには引いてもらい、別の人に頼みましょう」

「クテシフォンはナュスファハーンから一番近いところにいる諸侯王じゃなかったけ? 誰か別の諸侯王が、今王都に居るとか?」


 同格の者でなければ、後々面倒になるらしいことを理解したラズワルドは、誰に頼むのだ? と尋ねた。


「王都に諸侯王はいませんが、王都には諸王の王シャーハーン・シャーがいます。ファルナケスペルセア国王に依頼しましょう」


 ペルセア国王シャーハン・シャーならば、諸侯王も一応は引いてくれる。むろん、それなりの代償は支払う必要はあるが受けないという選択肢はない。


「クテシフォンとペルセア、仲悪くならない? もともとそんなに仲良くないんでしょ?」


 ペルセア王国は非常に大きな国で、国内には多種多様な部族が存在しており、一枚岩とは程遠い。また諸侯王と国王は、臣従関係というよりは同盟関係に近いなど……複雑な社会構造ということもあり、軽率に触れるようなものではないのだ。


「そこはわたしが調整しましょう」

「じゃあ頼む」

「ではラズワルド自らクテシフォンに依頼する手紙を認めてください。それを使って調整しますから」

「面倒かけるな、ファリド」

「いいえ。ジャバード、紙と筆をラズワルドに。ファルジャードでしたか? 期待していますよ」

「任せてくれ。神の子の期待を裏切るような真似はしない。証拠は出せないが、これでイマーンの弟子だったからな」


 ラズワルドがクテシフォン諸侯王宛の手紙を書いている脇で、ファリドはファルジャードが誰に師事していたのかを尋ねる。

 一応国王に融通してもらうので、ある程度のことは知っておく必要がある。


「イマーンとは、先代サマルカンドの側近だったイマーンですか?」

「そうです」


 その辺りはファルジャードも理解しているので、言葉を誤魔化すことなく、誤解されぬようはっきりと語る。


「彼の弟子ですか。それならば、その自信も分かります。若き日のイマーンも、そうだったと聞いています」

「ファリド公柱はイマーンのことを知っておられるのか?」

「二度ほど会ったことがあります。わたしが故郷に居た頃、クテシフォンが招待していました。その際にお話を。招待した理由は、サマルカンド亡き後、クテシフォンに仕えてはくれないかとの勧誘でしたが、説得はできなかったようです……ふむ、今回は時間が無いので、クテシフォンの推薦状を出せませんでしたが、成績によっては悔しがりそうですね」


 書き上がったラズワルドの手紙を持ち、手土産の金木犀の蜂蜜漬けが入った壺を渡す。


「ちょっとファリドに神の子同士で話があるから。見張ってろよ、ジャバード。ハーフェズは一緒に来てもいいぞ」


 ファリドが乗った馬車に、ハーフェズの手を引きラズワルドは乗り込んだ。


「なあ、ファリド。気付いたか?」

「はい。あのファルジャードという少年、フラーテスの加護がついています」


 車内に連れ込まれたハーフェズは、フラーテスという聞き覚えのある名前を、記憶の隅から引きずり出し反芻する。


―― 国王のお父さんの叔父さんで、ラズワルドさまみたいにメルカルト文様が大きい公柱で、サマルカンドに住んでる……


 これがハーフェズが知っているフラーテスの全てで、ラズワルドもそれは変わらない。唯一違うのは、そのフラーテスの加護を見ることができる事だけ。


「でもフラーテスのこと知らないみたいなんだ」

「わたしも彼、ファルジャードのことは知りませんでした」

「ファリドだって、フラーテスが加護を与えたやつ、全部知ってるわけじゃないだろ?」

「もちろん。ですが、フラーテスとイマーンが関わっている少年のことをわたしが知らないというのは、おかしいことなのです。あのセリームという奴隷の前にいた奴隷について何か話を聞いていますか?」

「グーダルズっていう、金髪のお爺さんだったって」

「やはりそうですか」

「やはりって?」

「グーダルズはフラーテスに仕えていた武装神官の一人です。十数年前に年齢を理由に暇乞いしたと聞いていましたが、暇乞い後にイマーンのところにいたわけですね」


 神の子付き、それも直参の武装神官の動向ならば、王都にも情報は入ってくる。グーダルズという武装神官が引退した頃、ファリドはまだ二歳ほどだったので、直接その情報を知っているわけではない。ファリドが知っているのは、グーダルズの元へフラーテスが定期的に金を届けさせていたということ。長年仕えてくれた武装神官の労をねぎらう気持ちだとばかりファリドは考えていたのだが ――


「なあなあ、ファリド」

「なんですか?」


 ラズワルドよりも長く生き、物事を知っている分、色々なことが思い浮かび、思わず思考の迷路に迷い込みかけていたファリドの服の端を引っ張り、ラズワルドがもう一つの疑問を提示した。


「あの二人にもう一つ神の子の加護がついているように見えるんだけど。どうだ? ファリド」

「…………ああ、確かに。一体誰」


 フラーテス、ファリド、ラズワルドという現在地上にいる神の子の中でも、特に大きな力が三つ揃った中にあっては弱々しく感じられるが、確かにそこに神の子の加護がった。

 ただしそれが誰なのか? ファリドですら分からなかった。


「イェガーネフかなあ? と思ったんだけど、二人は金がないから、サマルカンドからまっすぐ王都に来たらしいから、カンダハールには立ち寄ってないらしいんだ」


―― イェガーネフさまは、ラズワルドさまと同い年の神の娘ですよね。まだ王都には来てないし……カンダハールってペルセアのどの辺りだろ?


 ラズワルドに覚えがない神の力は三柱。サマルカンドにいるフラーテスと、まだ王都に来ていないイェガーネフ、そして生まれてまもないころに会ったが、記憶にないホスロー。

 もっともホスローの力は、ラズワルドとしては記憶にはないが感触として覚えているような気もするので、知らないとも言い切れない。


「あの加護はラズワルドが言うようにイェガーネフのものではありません。サマルカンドの外れから、まっすぐ王都を目指していたら、カンダハールにはまず立ち寄らないでしょう。もちろんホスローがいるウルクにも。……彼らのこと、全てわたしに預けてくれますか? ラズワルド」

「そりゃいいけど、なにか分かったら教えてね」

「もちろん。……ラズワルド」

「なに?」

「ラズワルドの両親のことについて知りたいですか? 知りたければ調べてみますが」

「要らん」

「そうですか」

「わたしの両親のことは気にしなくていいよ。じゃ、ファリド任せた。ああ、おみやげありがとう! また、みんなで食べるね」

「ええ」

「さあ、帰って寝ようぜ、ハーフェズ」

「はい、ラズワルドさま。ファリド公、お休みなさい」

「お休みなさい、ハーフェズ、ラズワルド」


 元気よく馬車を飛び降りた二人を見送り、待っていたメフラーブに軽く挨拶をして、ファリドは馬車を出すよう命じた。

 幾何学模様で飾られている車内で、ファリドはファルジャードについて考えた。


―― 十五歳……先代サマルカンドが死んだのは、わたしが生まれるより前だったはず。その後イマーンは山の賢者と呼ばれるような、人とはあまり関わらぬ生活を送っているとフラーテスが言っていましたが、そんな彼が赤子から弟子を育てるなどあるのでしょうか。

なによりイマーンに弟子がいるならば、フラーテスからの手紙に一度くらいは登場しても良い筈。ましてやグーダルズまで付けて。

フラーテスが故意に話題にしなかった? まあ、あのファルジャードという十五歳の少年は嘘をついていない。となると…………無事の手紙くらい送ってやるべきか、知らぬを通すべきか


 ファリドの脳裏にあまり面白くない予想が過ぎったが、馬車を降りる時にはいつもの穏やかで慈愛に満ちた表情を作り、周囲に心配事を気取られぬよう注意を払ったのだが、


「ファリド公の御心を悩ませることでも」


 ジャバードに気付かれてしまった。

 ファリドは”敵いませんね”といった表情で、知りたくば部屋までついて来るようジャバードの耳元で囁いた。

 ジャバードは頷きファリドに従う。

 跪く召使いたちの間を抜けファリドの部屋に入り、人払いをする。


「さきほどの少年ファルジャード。彼にはフラーテスの加護がついています」


 腰を降ろすや否やファリドはジャバードにそう切り出し、不愉快極まりない「想像」についても吐き出した。

 語り終えたファリドは、息を吐き出してから微笑んだ。


「お前に喋ったら、すっきりしましたよジャバード」

「それは良かった。わたしで良ければ、いつでもなんでも拝聴いたします」

「そうですか。ではわたしの隣に座りなさい、ジャバード」


 向かい側で膝を折って話を聞いているジャバードに、隣に来るよう促す。ジャバードは逡巡したものの、立ち上がり隣に腰を降ろす。


「頭を下げなさい」

「はい」


 ファリドは微笑んだままジャバードの頭を撫でる。


「さきほどラズワルドが、ハーフェズの頭を撫でているのを見て楽しそうだったもので。……子どものころに撫でれば良かったですね」


 顔を赤らめたジャバードを見て「大人にやるものではありませんね」と ―― ファリドの指が自分の髪を梳く感触に、劣情を感じたのだがファリドは気付かぬまま。


「幼い頃のお前は、どんな表情をしたでしょうね」

「きっと……今と変わらぬ表情だったと思いますよ、ファリド公」

「そうですか」


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 ラズワルドの後押しを受けたファルジャードは無事に試験を受けることができ、当人の宣言通り主席で入学を果たし、一年も経たないうちに学術院開院以来の天才とまで呼ばれるようになる。

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