ハーフェズと主、後の最果ての王に遭遇する

 ジャラウカが去ったあと、マリートと一緒に下宿を片付け、翌日ハーフェズと共に下宿人募集の木版を持ち、昨日ジャラウカたちを見送った城門、その近くの掲示板に吊るしにやってきた。


「やっぱり高いところがいいですよね」

「そうだな」


 下宿を借りるのは大人なので、大人の目線の高さに吊したいところなのだが、木版を持っているのは一般的な身長の六歳児。


「んーんー」


 手を伸ばして背伸びをしたところで、たかが知れている。


「ラズワルドさま、俺が持ち上げますね」


 ハーフェズが抱き上げようと頑張るが、少し持ち上げただけで蹌踉つき、そのまま足がもつれて二人仲良く転がった。


「……ん? 下宿人募集」

「大丈夫かい?」


 城門をくぐってすぐに”蹌踉ついて転がった子ども”を見た、若い男二人が近づき、一人はラズワルドの手から転がった木片を拾い目を通し、もう一人が屈んで二人を起こそうとし、


「う……うああああああ! あああー! ああああああ!」


 起こそうとした若い男の絶叫が、辺りに響き渡った。


「どうした、セリーム」


 城門を守る衛士が何事かと ―― 旅装の男が顔を上げている黒髪の女の子を見て絶叫しているのを確認すると、そのままにしておくことにした。


「うあああ!」

「だからどうし…………ああああ! 神がどうしてここにいるんだー!」


―― やかましい男たちだ


 往来で両足を投げ出して座るラズワルドと、ラズワルドにやかましいと言われた男二人。一人はセリームという名でもう一人は、


「ファルジャードだ。よろしく公柱」


 ファルジャード。後の”最果ての王ファルジャード”その人である。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 往来で絶叫させ続けるわけにはいかないと、なんとか二人を宥め移動させ、市場で甘橙を買い、食べながら話を聞くことにした。

 なぜラズワルドが見ず知らずの自分たちと話そうとしたのか? 二人は分からなかった。

 ラズワルドはというと、少々気になることがあったので、二人と話すことにしたのだ。それというのも、ファルジャードとセリームから神の子が与える加護のようなものを感じたのだ。

 その加護の内容は自体はラズワルドにとってどうでもいいのだが、加護を与えた神の子が誰なのか? 好奇心半分と、知り合いなら連れていってやれば喜ぶだろうと考えて。


「わたし以外の神の子に会ったことあるか?」

「ありませんよ公柱。セリームもないよな?」

「そんな恐れ多いこと」


―― 会ったことないのか。おかしいな、つい最近会って加護を貰ったように見えるんだが……あれ? ファルジャードは随分と古くて大きい加護が


「ファルジャードはどこの生まれだ?」

「分かりませぬ。物心ついたときからサマルカンド領の外れ、ゼラフシャン川の近くの山地に住んでいました」

「セリームは?」

「サマルカンドの西側ジュマ近辺の生まれだったと聞いていますが、はっきりとは」


―― ファルジャードはフラーテスだろうなあ。それ以外に二人についている加護は誰だ? イェガーネフはカンダハールにいるはずだし、道中でも会ったことないらしい


「そうか。で、二人が驚いたようだが、わたしはラズワルド。顔を見て分かる通り神の子だ、そしてな」


 ラズワルドは自分の疑問を一度引っ込めて、自分のことを説明した。


「下町に住んでいるのか」

「そうだ。で、下宿を営んでいる」

「なるほど……公柱、頼みがあるんだがいいか?」

「内容を聞かないことにはな」

「俺の身元を保証してくれないか?」

「……は? もう少し詳しく言えファルジャード」


 ラズワルドはまだ六歳だが、神の子故に国内における信頼は絶大で、庶民の身元を保証するなど容易いこと ―― いままでそのような依頼を受けたことはないが、事情くらいは聞いてやろうと促す。


「実は俺、金ないんだ。あと二日分の食費くらいしか持ち合わせがない」

「セリーム売れば」


 ファルジャードと一緒にいた若い男、セリームは奴隷。

 主の懐事情が厳しいのならば、奴隷は売るに限る ―― 奴隷としても、空きっ腹抱えて、すっからかんの主に所有されるくらいならば、奴隷商に売られて食事と雨風に夜露をしのげる寝床与えられたほうがずっと良い。


「セリームは売らん」

「なんで?」

「そもそもこいつは売れん」

「ん?」

「ラズワルドさま、セリームの左目、濁り目になってます」


 健康な奴隷は高く売れるが、体のどこかに欠損などがある奴隷はまず売れない。


「なるほど。でも全く売れないわけじゃないはずだ。それ以外は若い男性だからな」

「売るくらいなら最初から買わん」

「分かった。じゃあお前の身の上を聞かせてもらおうか。身元を保証して欲しいと言うからには、そのくらい聞いてもいいよな」


 ファルジャードはラズワルドと同じく実の両親は分からない。物心ついた時には、養父というには年を取り過ぎた老人イマーンと、同じくらい年老いた奴隷と共に人里離れた山の中腹にある一軒家で生活をしていた。

 イマーンは一廉の博士で、二人は学問に励み、年老いた奴隷が身の回りの世話をするという生活をずっと送っていた。三年ほど前に年老いた奴隷が死んだので、新しい奴隷を購入しようとファルジャードが一人で奴隷市に出向きセリームを買った。


「左目は少し悪いが、それ以外はどれも優れている奴隷だ。イマーンも良い買い物をしたと褒めてくれたしな」

「そんなしっかりもののお前の金が、どうして尽きそうなんだ?」


 イマーンの蓄えは充分にあった。そしてイマーンは、自分の死後、王都の学術院で学問の道に進むよう指示し、そのための準備も整えられていた。

 だが ――


「山賊に襲撃されてな」


 ある日、家を五十人あまりの山賊に囲まれ ―― ファルジャードが機転を利かせ、二人は無事に脱出できたのだが、ほとんど着の身着のままだったため、王都に来るまで相当苦労を重ねた。


「なんとか王都についたが、学術院に入る試験を受けるのには金がかかる」


 とてもあと二日分の食費でまかなえるような額ではない。


「学術院に入ってからも金かかるだろ」

「そいつは特待でどうにでもなる」

「成績上位者になる自信があると?」


 メフラーブが学術院に籍を置いていたこと、そして授業料を免除されるくらいには賢かったことはラズワルドも聞いている。目の前にいる肩口にかかる長さの灰褐色した頭髪と、榛色の瞳を持つ男は、それを指しているのだろうかと尋ねた所、否定されてしまった。


「違う」

「違うのか?」

「成績上位者じゃない。最優秀者だ。そして自信じゃない、絶対だ」


 言い切ったファルジャードの身元を、保証してやることにした。


「分かった。金を借りられる所につれていってやるよ」

「信用できるか?」

「少なくとも、わたしが連れていった客を裏切るような真似はしないと思うぞ。信心深い男だからな」


 ラズワルドはそのまま二人を連れ、ハーフェズと一緒に奴隷商ゴフラーブの店舗兼自宅に向かった。

 ゴフラーブの自宅は北の金持ちたちが住む区画にある。店舗兼自宅だが、ここにいる商品は「高値で売れる」奴隷だけで、普通価格の奴隷は別の所にいる。

 ハーフェズの母ナスリーンは、この自宅兼店舗で育てられており、たまにラズワルドはナスリーンを連れて来てやっていた。

 白壁で囲われた家の正面玄関 ―― が見える筈だったのだが、障害物により門はなかなか見えなかった。


「なんか馬車がたくさん停まっているな」

「今日の門番、アルサランなんだろう」


 この辺りに住み、アルサランのことを知っているラズワルドやハーフェズにとっては、いつも通りの光景だが、知らない人からすると異様な光景である。


「アルサラン……が門番すると、馬車が来るのか?」

「有閑なご婦人とやらが、顔を眺めにやってきてるんだと思う」

「なんだ、そりゃ」


 ファルジャードの疑問に答えたのはラズワルドではなく、セリームだった。


「ゴフラーブのところにアルサランという、美しい用心棒がいるって聞いたことがある」

「奴隷商界隈じゃ有名なのか?」


 セリームは生まれも育ちも地方で、その地方の中堅どころの奴隷商の商品だったのだが、その彼の耳に入るくらいアルサランの美貌は有名であった。


「それはまあ、嘘か本当か知らないけど、ラティーナ帝国の皇帝が国半分売った金で買おうとしたとかなんとか。そういう噂が立つくらいには綺麗な男らし……ですよね? ラズワルド公」


―― それはいくら何でも……あいつ奴隷じゃないしなあ


 そんな噂もあるのかと、呆れつつも感心しながら、ラズワルドは否定しなかった。


「わたしは美醜はあまり分からないけど、顔は整ってるんじゃないか? 王都じゃファリドかアルサランかってとこだろ」

「ファリドって誰だ?」

「クテシフォン諸侯王の次男ファリド公柱って言えば分かるか?」

「詳しくは分からないが、神の子の中で最も綺麗な男と互角ということで間違いないか?」

「そうだ。ちょっと訂正しておくと、神の子の中で最も綺麗な男じゃなくて、神の子の中でもっとも綺麗なやつだ。神の子でファリドより綺麗なやつはいないな」

「そのファリド公柱は化け物か」

「ファルジャード! お許しください公柱。なにぶん田舎者なので」

「おい、セリーム」

「構わんよセリーム。そしてファルジャード、本人に言っておくよ。多分笑う。そうそうアルサランのことなんだが、男にも女にも言い寄られ過ぎて人間嫌いになってるんで、恋とかしないでやってくれ。普通にしている分じゃあ普通だ」

「俺は男色嗜好はない」


 ”化け物か” ―― ファルジャードがファリドの美貌に対していった言葉だが、後々”最果ての王”と呼ばれるファルジャードのことを指す言葉となる。


「公柱いかがなさいました?」


 一銅貨にもならぬのだが、暇なご婦人たちの目を楽しませていたアルサランは、いきなり現れたラズワルドに膝を折り訪問理由を尋ねた。


「金借りにきた」

「公柱がですか?」

「違うファルジャードって奴」


 振り返ったラズワルドが指さす。


「お若いですね」

「まあな。そう言えばファルジャードは何歳なんだ?」

「十五歳だ」

「どうぞ中へ。いまゴフラーブを呼んで参りますので」


 中に通されたラズワルドは、勝手知ったる他人の家 ―― 邸には入らず、小さいながら緑溢れる庭が見渡せる四阿に腰を降ろした。


「アルサラン、どうだった?」

「噂になるだけのことはある」


 ラズワルドに問われたファルジャードは、噂通りだったと返した。そうしていると、駆け足の音が響き、ペルセア一の奴隷商が現れた。


「ラズワルド公柱、お久しぶりにございます」

「おう。ゴフラーブ、こいつと商談してやってくれ」

「畏まりました。商談の間、何をお飲みになります?」

「薔薇水でいいよ。この奴隷にも出してやってくれ」

「畏まりました」


 ゴフラーブとファルジャードは別室へ。ラズワルドたちは四阿で薔薇水を飲み、セリームから、彼らがどこから来たのかなどかを聞く。

 セリームの話によると二人は魔の山よりも少し北、サマルカンド諸侯王領の手前の山に住んでいた。

 山を下りると小さな村があり、生活に必要なものはそこで調達していた。彼らが住む家に繋がる道はその一本だけ。

 イマーンはかつて王都ナュスファハーンの学術院に在籍しており、その後、先代サマルカンド諸侯王に、その知性を是非とも我が領地で生かしてくれと頼まれ、彼の人柄にも惹かれ承諾し学術院を去った。

 先代サマルカンド諸侯王は非常に優れた男だったのだが、彼の息子は五人ほどいるのだが、本当に彼の種なのかと誰もが疑うような者ばかり。イマーンは請われて長男、現サマルカンド諸侯王に教育を施したが、彼は何一つものにすることはできなかった。

 先代サマルカンド諸侯王の死後イマーンは暇乞いし、山の中腹に住み、知識を深める生活を送ることになる。


「会ったことはありませんが、前の奴隷は先代サマルカンド諸侯王のもとにいた頃からイマーンさまにお仕えしていたそうです」


 ファルジャードがイマーンの元に来た経緯に関して、イマーンはセリームはおろか当事者であるであるファルジャードにも教えなかった。


「さっきファルジャードは”五十人の山賊”と言ったが、数えたのか?」

「はい」

「本当か?」

「しっかりと数えておかないと、奴らが二手に分かれたことに気付かないような失敗をおかしかねないからと」

「なるほどなー。結構冷静な男なんだな」


 山賊から逃げる際に、当然一本だけの道を使ったのだが、ファルジャードの予想通り、村は被害を受けてはいなかった。

 ファルジャードたちの元へやってくる前に、麓には街がある。夜に山の中の一軒家を襲うより、麓の村を襲ったほうが余程楽で、女を襲うなど楽しめる。

 そうなった場合、村は混乱し所々の家が燃え、ファルジャードたちからは炎が見えるはず ―― なにより山賊の中に、見覚えのある顔があった。そいつが夜の山中、山賊を案内したのだ。

 自分たちを売ったこの村で旅に必要な道具を揃えるのは危険だと判断したが、なんの装備もなく旅をするのはもっと危険だと考えたファルジャードは、闇にまぎれて自分たちを売った村の備品を容赦なく漁り、北へと向かった。


「最初はサマルカンドに向かったのか?」

「はい。近場の街は北側だったので。俺もそこで買われたんです」

「なるほどなー」


 金はないが装備不足はもっと危険だと、遠回りになるがまずは北へと向かい、盗んだ品々を売るなどして、装備を調えてからだとサマルカンド侯領の南の外れにある街を目指した。

 その途中で、彼らは一人の人物と出会った。


「最初、男性かと思ったんですけど、あとでお孫さんらしい人が来て”ばあちゃん!”と声を掛けてきたので、思わず驚いて顔を凝視してしまいまして」

「皺だらけだったなら仕方ない」


 深い皺が刻まれているマッサゲタイ風の衣装をまとった老婆が、ファルジャードに「イマーンの弟子か?」と声を掛けてきた。ファルジャードは訝しんだが、老婆は気にせず話し掛けてきた。

 老婆の話によると、老婆は衣装通りマッサゲタイ人で、かつては女勇者としてサマルカンドやペルセアと何度も戦ったことがあるのだと言った。

 嘘だろう? と思ったのだが、彼らの目の前で、上空を飛んでいた小鳥の目を射貫き落とした ―― 神技と呼んで差し支えないその技術に彼らは声を失う。

 老婆に「イマーンは元気か?」と尋ねられたので「もう亡くなった」と答えると「まだ若いのになあ」と。老婆はイマーンより十歳以上年上だと言ったが、そんな年で馬に乗って矢を射ることなど出来るのかと……だが違うと言えるものはないので、彼らは黙って話を聞いた。

 そして彼らになにをしようとしているのか聞いてきたので、王都に向かうのだと正直に答えた ―― 皺に埋もれている老婆の細い目が、彼らに嘘をつかせなかった。

 老婆は二人にどうやって王都に向かうつもりなのかと聞き、ファルジャードは隊商に混ざるつもりだと言ったのだが、老婆は巡回している武装神官隊と行動を共にしたほうが良いと教えてくれた。

 そして王都にたどり着いたらイマーンの学友であったサームという人物を頼ったらどうだとも。サームに関してはファルジャードも聞いていたので、老婆が本当にイマーンと旧知なのだと納得した。

 話していると孫が「ばあちゃん!」と、マッサゲタイ人風に騎馬で近寄ってきた。

 孫の名はシャーローン。ペルセア男児の名として、よくある名だった。シャーローンは目以外全て隠れる頭巾を被っていたが、人懐っこく、老婆と共に彼らが持ち出した荷物を馬に積み街まで一緒に来てくれた。

 老婆曰く街で少し買いたいものがあったから、気にするなと言い、長旅に必要なものを彼らに教えてくれる。

 彼らが旅の支度を調えると、外回りの武装神官を指さし、金が入った革袋を投げて寄越し孫のシャーローンと共に去っていった。

 彼ら武装神官が護衛している使徒たちに混ざり南下し、こうして王都にたどり着いた。


「武装神官が役に立って良かった」

「本当に感謝してます」

「いつかその老婆にもお金返さないとな」

「できたらそうしたいです。あの……」

「村での窃盗は気にするな」


 盗みを働いたことなど隠して語ればよい ―― 等、神相手に考えるような不届き者はいない。


「あ、はい」

「それにしても良く生き延びられたな」


 セリームとファルジャードは、かなり厳しい環境で故郷を旅立ったのを知り、その強運にかなり感心していた。

 夜の山中で、五十人もの山賊に囲まれたら、そう簡単に逃げ出せはしないであろうし、村までも逃げられないであろう。


「それはもう、ファルジャードのおかげです。俺、金を持ち出そうとして、逃げ遅れかけたんです」

「それは仕方ない。むしろそういうのを完全に無視して逃げ出せる奴はそういない……と思う。お、ファルジャード。金は借りられたか?」

「ああ。自由民の身分を担保に、予定通り借りられた。返済計画も完璧だ」


 自由民の身分を担保に金を借りることは珍しいことではない。なにせ自由民は財産などほとんど持っていない。彼らにあるのは自由のみ。その自由は束縛と引き替えに金にもなる ――

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