ハーフェズ、ハーフェズと名付けられる

 会合の翌日、四頭立ての青い馬車が二台メフラーブの自宅前に乗り付けられた。一台は神の子が城下を移動する際に使う豪奢なもので、神の文様が描かれている他に、宝石で飾り立てられ硝子板の窓がついている。

 もう一台は飾りはなく、城下を移動する馬車よりも大きめで、外をうかがう小窓はついているが硝子板はついていない。車輪も城下用とは違い大きく太めで、町の外を移動する型だというのが一目で分かる。

 その馬車から降りたのはマーカーンとアルダヴァーンにヤーシャール、そしてホスローの四名。

 彼らががいきなり現れた北の下町はラズワルドがやってきた時以上に大騒ぎである。


 武装神官であるアルダヴァーンとヤーシャール、ホスローの武装は剣を佩くだけで、あとはマーカーンと同じく頭のてっぺんから足の先まで、鮮やかな青色の神官服を着用している ―― 白い毛皮の外套を着用しているので、神官服かどうかはこの時点では見ただけでは分からないが。


「メフラーブ殿、お時間はありますでしょうか」


 塾の時間が終わった頃合いを見計らいやって来た彼ら。


「神の子相手に話す時間がないとは言えねえなあ。ラズワルドは二階だ」


 近々神殿から神の子が来るとは思っていたメフラーブだが、四名という予想以上の大人数にさすがに面食らった。

 だが冬の凍えるような寒さの往来で神の子たちを立ち話させるわけにはいかない ―― 彼らの防寒が完璧であっても、そういう問題ではないので、彼ら全員を二階に招いた。

 二階の扉を開けると、


「旦那さ……ひぃぃ!」


 まずは出迎えたマリートの叫び声が響き、それを聞いてラズワルドと我が子と共に午睡をしていたナスリーンが目を覚まし、二度ほど目蓋をこすり、


「ひゅっ……」


 吸った息を吐き出せぬ状態で、急ぎ座り平伏する。

 赤子二人はこの訪問者たちに気付くことなく、眠り続けていた。


「旦那さま、クッション……」


 神の子たちは外套を脱ぎ、メフラーブが勧めた上座の色褪せくたびれているカーペットに、直接腰を降ろした。

 急ぎ敷くクッションを差し出して下さいと ―― マリートは腰が抜けて、彼らにクッションを運ぶことができなかった。

 メフラーブは部屋の隅に積まれている、母親や妹たちや近所の人たちが「神の子とその乳兄弟用に」作ってきてくれた、統一感のないクッションを一つ一つ手渡し、彼らはそれに座りなおしてからまずは簡単な自己紹介を始めた。


 最年長者はマーカーン。旅装の少年はホスロー。既に武人の風格のある少年ヤーシャール。そして上座のなかでもっとも偉い人が座る場所に腰を降ろしたアルダヴァーン。


「アルダヴァーン公は四年前にお見かけしたことがある」

「葬列を見送ってくださったのですな。となるとファリドのこともご存じで?」

「棺の上に座っていた公のことか?」

「はい」

「あれが青き薔薇の君だったのか」


 公使なども滞在する、王都東側の高級街にいたナスリーンから聞いた神の子の異称を告げると、神の子四人が笑い出す。


「否定はいたしませんが、本人の前では言わないでやってください。あれで結構気にしているので」


 マーカーンが笑いを堪えながら、本人が薔薇に例えられるのは好きではないと伝える。


「ご忠告はありがたいが、お会いすることはないだろう」

「いいえ。ファリドはどうしてもラズワルドに会いたいようでして、年明け頃に訪問するかとおもいますので、その際は」

「分かった。それで、ファリド公のご訪問を告げにやって来たわけではないんだよな?」

「はい。この度の誤認逮捕未遂についてのご報告を」


 メフラーブはマリートとナスリーンに一階に移動するよう告げ ―― まだ腰が抜けているマリートに肩を貸して一往復、途中神の子たちからあった「お手伝いします」という申し出は、聞こえなかったふりをして、緊張から体が強ばっているナスリーンに肩を貸して一往復し、やっと話を聞くことができた。


「……以上が事件の概要となります。こちらが書類です」


 アルダヴァーンが差し出した巻子を手に取る。


「これは?」


 メフラーブは中を確認せず、内容を尋ねた。


「十年後、神殿に入る前にラズワルドに読ませてください」

「分かった」


 狼の毛皮に包まれ、口をもごもごと動かしながら眠っている二人にちらりと視線を移し、直ぐに彼らに向き直った。


「他に用は?」

「ラズワルドと、乳兄弟……の名前は?」

「あれはハーフェズだが」


 ラズワルドの乳兄弟ハーフェズ。

 本来ならば主人たるラズワルドが名付けるところなのだが、ラズワルドが名付けることができるようになるまで「あれ」や「それ」などと呼ぶわけにはいかないので、代理としてメフラーブがハーフェズと名付けた。


「ラズワルドとハーフェズを、抱いてもよろしいでしょうか?」


 マーカーンの問いに、被せていた毛皮を剥がし、雑に一人ずつアフガンで包み、まずはラズワルドをマーカーンに手渡した。


「これがラズワルドですか」

「フラーテス老を彷彿とさせますな」


 マーカーンが抱いているラズワルドをのぞき込んだアルダヴァーンが、額の文様を撫でながら王国最大の文様を持つ最年長者の名を挙げた。

 世情に疎く、神の子の名前もあやしいメフラーブだが、さすがにフラーテスの名は知っていた。

 フラーテスは現ペルセア国王ファルナケス二世の大叔父にあたる人物で、顔の半分のみならず、背中も覆い隠すほど大きなメルカルト文様を持っている。

 王族としても神の子としても最高齢で、現在は王都ナュスファハーンよりはるか北のサマルカンド諸侯王が治める侯都の神殿にいる。


「ハーフェズですか。良い名ですね」

「そうですね、ホスロー」


 若い二人はメフラーブからハーフェズを受け取り、褐色の肌に金髪の赤子の頬を、ぷにぷにと押して笑いかける。

 神の子四人は交互に二人を抱っこし ―― 二人は目を覚ましてしまったが、泣くこともなく。特にラズワルドは、金が混じっている瞳で、同じく金混じりの瞳を持つ四人をまじまじと見つめていた。


「次に会う時は、もう神殿に入っているだろうな」


 地方都市ウルクの太守を勤めている国王の次男エスファンデルの息子の身を守るために赴くことになったホスローが、最後までラズワルドを抱き、丁寧にメフラーブに返した。


「またいつか会おうね、ラズワルド、ハーフェズ。メフラーブ殿、お邪魔いたしました。それでは皆、行って参ります」


 別れの挨拶をしたホスローは一足先に家を出て、旅馬車に乗り込み王都ナュスファハーンを旅立った。

 後は残った三人の一人アルダヴァーンが、ヤーシャールを通わせたいこと、その理由などを簡潔に述べる。


「面倒なことだな」


 事情を聞いたメフラーブは、自分よりも若く、まったく高圧的な態度を取っていないのに支配者の威圧感を与えるアルダヴァーンの説明に、だらしなく欠伸をしながら応えた。


「仰る通りですな」

「それで通うのは構わんのだが、ヤーシャール公が神の子であるのは分かるんだが、それ以外のことを聞いてもいいのか?」


 まずは彼ヤーシャールを塾生として受け入れるとして、彼が何者なのか? を尋ねた。


「わたしはマルギアナ地方出身の武門の出です」


 ペルセア王国の中央に位置するマルギアナ地方に武門は数多く存在するが、マルギアナ地方の武門で神の子を出したのは一家だけ。それは世情に疎いメフラーブでも知っている名家。


「あーもしかして、祖父は大将軍だったりするか?」

「はい。現当主は伯父にあたります」


 軍は全て国王のものだが、国王は政もせねばならぬので、軍や戦を任せる者が必要になる。そんな国王から全権を任されるのが大将軍。

 その権限の大きさから、武門の貴族であれば誰もが望む地位。ヤーシャールの本家は、このペルセア王国の大将軍を約三百年の間に七人も輩出した名門中の名門。

 神の子という部分を除いたとしても、おおよそ変わり者が開く下町の私塾に通うような人種ではない。


「見た目以上に名家の坊ちゃんなんだな」

「たしかに名家の生まれではあります。ゆえに世間知らずな面もあります。わたしの人生の師となっていただけませんでしょうか」

「いや、あんた程のお方に俺が教えられることは、なにもないぞ。大体この私塾に来るやつは、ペルセア語を知りたい異国人や、商売のための金勘定の仕方くらいだ」


 メフラーブの心からの声なのだが ―― 


「会計の仕事には興味がありますので、是非教えていただきたい。よろしくお願いいたします、先生殿」


 穏やかな口調と表情ながら、ヤーシャールの押しもかなり強い。


「分かった。そうだな、とりあえずラズワルドの教育に必要な事柄と、ハーフェズに武術の稽古を付けてやってくれるか……まだ大分先の話だが」


 アフガンに包まれたまま、手足をもぞもぞと動かしている、ハーフェズとラズワルドに目をやる。


「喜んで。それまでの間に、教えられるよう鍛錬を重ねておきます」


 ヤーシャールも顔の半分が群青に覆われているラズワルドと、褐色の肌に金髪という目立つ色彩の二人を見つめながら、数年後を思い浮かべる。


「ハーフェズに武術を習わせるということは、彼をラズワルド付きの護衛にしてもよろしいのですかな?」


 メルカルトの息子の場合は、己の身を守る術を学ぶが、娘の場合は武術を習う者より、護衛を連れることのほうが多い。


「それはハーフェズの主人、ラズワルドが決めることだろうが、ハーフェズに武装神官の能力あるのか?」


 神の子の護衛はほとんど武装神官が勤め、武装神官になるためには生まれ持った魔を屠る能力が必要とされている・・・・・

 アルダヴァーンはハーフェズの目をのぞき込み ――


「持ち合わせてはいないようです。ですが、特例で入団できるでしょうな」


 ハーフェズはそれらの能力を持っていないと断言した。


「特例? なんてものがあるのか」

「はい。神の子の側近は武装神官というのが慣例となっております。そして側近は乳兄弟というのが多いのです。やはり気心が知れた相手が側にいるのが好ましい。故にその力がなくとも特例として、武装神官の地位に就きます。それに聞いた話を総合すると、ハーフェズは強くなるでしょう」

「側近ねえ。ところで聞いた話とは?」

「はい。聞けばハーフェズはネジド公国の公使サラミス殿の息子だそうでです」


 ネジド公国のサラミスと聞かされたメフラーブはというと、ネジド公国は存在するので知ってはいる、公使という役職と仕事内容も知識として知っているが、サラミスが誰なのかは見当がつかなかった。

 あとでナスリーンに聞いてみようと考えながら、また眠ってしまったラズワルドに、アフガンで包んだ時と同じように雑に毛皮を被せた。

 その後他愛のない世間話を二つ、三つして彼らはメフラーブの家を辞した ―― 神の子アルダヴァーンとホスロー、この二人はアルデシール三世の十二将が一人に数えられることがある。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 アルデシール三世を讃える英雄譚に登場する十二将。

 物語によって、十二将は違うことが多々ある。

 確実に十二将として名を挙げられるのは、ラズワルド、ハーフェズ、ヤーシャール、ファルジャード、サラの五名のみ。

 挙げられる順番が固定されているのは二人だけ。

 一番手は誰もが認めるラズワルド。

 二番手は大厄災の首を刎ねた、瑠璃の騎士ハーフェズ。確定しているのはここまでで、三番手から五番手は、聖神ヤーシャール、最果ての王ファルジャード、草原の勇者サラが占めるのだが、ものによって順番は変わり、二つ名も幾つかある。


 最古の英雄譚に記されている十二将は上記の五名の他、ラフシャーン、テオドロス、アーラマーン、ファリド、ハーキム、ホスロー、ジャバード。


 だがファリドは名前ではなく、単語の意味そのもの無双ファリドで使われており、無双が指しているのはアルダヴァーンであるという説 ―― この説は一理ありそうなのだが、その頃もっとも武術の加護を受け、秀でていた神の子はファリドなので、やはりファリドなのではないかという意見のほうが強い。


 同じく神の子ホスローの位置が、アルダヴァーンではないかと言われることが多く ―― こちらはアルダヴァーン説の方が優位である。

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