第45話 王都観光――アイリス視点③
やれる……けど……。
私はぎゅっと口を一文字に結び、震えを必死に抑える。戦ったことなんて家庭教師としかないし、こんな実戦なんてしたことない。でも……。
「……ど、どうする気? 私のティッキーちゃんはまだ動くわ。は、早くどっか行って!! 私たちに構わないで! 今なら許してあげるからさっさと帰って!」
しかし、男は余裕そうな顔で言う。
「そんなこと言われてもなあ。ヌエラスはしばらく動けないにしても、まだ俺がいる」
「み、見たでしょ! あんたたちなんか怖くないんだから! 私のティッキーちゃんがぶっ飛ばしてくれるわ!」
「それは――」
と、男は右手に持った何かをゆっくりと掲げる。
「これのことか?」
「えっ……」
そこには、無残にもぐちゃぐちゃに引き裂かれたティッキーちゃんがあった。
すでに魔力は通っておらず、ただのぬいぐるみと化していた。私の応答にも応える素振りはない。
い、いつの間に私のティッキーちゃんが……!!
「で、他に俺に対抗する手段は?」
「くっ……」
ほかの人形は今ここにない……基礎魔術なんてちょっとしかできないし……。
「ふっ、所詮は皇女か。まぁ、この程度でも頑張った方か」
「誰が――」
刹那、一瞬にして距離を詰めた男が、私とエルの腹に同時にパンチを入れる。
「うっ……おえっ……!」
「うぅっぅ……!」
私たちは地面に座り込み、ゲホゲホとせきこむ。
速い……痛い……痛い痛い!
自然と涙が込み上げてくる。
目の下の方に涙が溜まっていくのを感じる。
「さすが氷雪姫、泣き顔もそそるね。――だが、まったく……余計な事させやがって。なるべく傷つけずに連れ去らねえと交渉にならねえだろうが。余計な抵抗をするな」
私は痛みを堪え、必死に言葉を探す。
「お、お父様と…………わ、私を餌に……交渉したって、成立しないわよ……!」
「そんな親がいるか。現にこの国まで連れて来てるじゃないか。それはお前が寵愛を受けて――」
「私なんて……」
自分で言うのは悔しい。でも、事実を告げれば、逃がしてもらえるかもしれない。関係ないエルには危害を加えないでくれるかもしれない。出来ることはするべきよ。
「私なんて……ただのお父様を飾るアクセサリーと変わらないわ。宝石一つなくしたところで、あの人は動かないわ」
「お前を連れ去ってこいというのがリーダーのご命令だ。あの方がそうするべきとおっしゃったんだ、俺はそれを信じるだけだ。無駄足だったら、まあその時考えるさ」
死――。脳裏に嫌でもその可能性がよぎる。
怖い。……でも、こいつの目は本気だ。
ティッキーちゃんを失った私にはもう、抵抗する術はない。諦めが、体全体を巡っていく。頭がぐわんぐわんと揺れる。
私は短くため息を吐くと、最後の懇願を溢す。
エルを巻き込むなんて出来ない。
「…………わかったわ。でも、エルだけは……エルだけはどうか……」
「ア、アイリス様……!」
「ダメだ。その女は殺す。見られた以上すぐに通報され計画が頓挫する可能性がある。"赤い翼"に失敗は許されない」
「そんな……エルは関係ないじゃない!!! お願い、エルだけは……!!」
私は利用価値がないと分かれば殺されるかもしれない。でも、せめてエルだけは……エルのためにこの命を使えるなら、私はそれで……。
「ダメだ。女は殺す、お前は連れていく。これは譲れない最低条件だ。見られたからには殺すしかない。残念ながらな」
「そん…………な……」
私の目からは涙が零れ落ち、その雫が地面に暗い染みを作る。
とめどなく、自分の意思と関係なく流れる涙を止めるすべはない。さっきまでとは比にならないほどの大粒の涙が溢れ出る。
「エル……だけは……私の……友達でお母さんでお姉ちゃんで……」
「アイリス様……」
「自分達の短絡的な行動を呪うんだな」
そう言い、男は腰の短剣をゆっくりと抜く。
その刃は、エルの首元に突き付けられる。
「……アイリス様」
「……エル」
エルは涙をこぼしながらも、満面の笑みを作る。
「アイリス様は生きてください。申し訳ありません、私の力不足です。絶対生きてください。きっと、きっと助けは来ます。――好きですよ、愛してました」
「エル…………エル!!!!!」
「じゃあな」
「エル!!!」
私は思わず目を瞑る。
見たくない……そんな光景なんて見たくない。
今にエルの最後の悲鳴が――――。
――しかし、聞こえてきたのはエルの悲鳴ではなく、この緊張感には不釣り合いな淡々とした声だった。
「あー、目撃者が死ぬんだったら、俺もこれから殺されんの?」
「えっ……?」
私はゆっくりと目を開ける。
振り上げた男の短剣が、ピタリとエルの頭上で止まっている。
声の主は、明かり指す通りの方からゆっくりとこちらへ歩いてくる。光から闇の方へと。
銀色の髪に、驚くほど冷静な表情。
着ているのは、どこかの学院の制服だろうか。
「なんだ貴様……自分から死にに来るバカがいるか? 静かに通り過ぎればこの先も何もなく生きていけたっていうのに」
そう言い、男は銀髪の男の方を向く。
わずかに漂わせるこの銀髪の男の人の不思議な雰囲気が、エルを殺そうとした男の動きを止めたのだ。
「なんでだろうな。なんか暑かったから路地はいってみたら見ちまったんだよね。それに、なんか泣き叫ぶ声聞いちまったし、放っておけねえだろ」
「お人好しが。お前は馬鹿か?」
「俺が? まさか」
「この状況に危機感を覚えないとは。自分の力も理解できない馬鹿のようだな。……質問に答えよう。もちろんお前も殺す。目撃者は全員生きては返さん」
すると、銀髪の男はその答えには何も反応せず、私の方を向く。
「あんた、助けて欲しいか?」
「えっ……」
な、何言ってるのこの人……?
「どうする?」
「で、でも……」
ある程度魔術を嗜んでる私でさえ、この男には歯がたたなかった。きっとかなり強い……この国の一般人を巻き込むなんてさすがに――
「安心しろよ、俺最強だから」
「最強………」
「はは、信じた方がお得だぜ。どうする?」
「うん…………うん……」
私はその言葉に、何度も何度も頷く。
頭が痛くなるほど何度も。
もう藁にもすがる思いだ。
けれど、この人なら何とかしてくれるかもしれないという期待がそこにあった。自分を最強と名乗るこの男の人に。
「お願い…………助けて……!!」
私は大粒の涙をこぼしながら、声を絞り出す。
その男は、平然と微笑み言う。
「――了解。その依頼請け負ったぜ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます