第43話 王都観光――アイリス視点①

 息が苦しい。

 肺が熱い。焼けそうなほど、ジリジリと内側から焦がしてくる。


 目深に被った、適当に羽織ってきたローブをはためかせ、私は一気に王都の路地を駆け抜ける。その足取りは軽い。


 不思議と笑みが込み上げてくる。ふふふっと、声が漏れる。


「やっちゃった……やっちゃった!!」


 私は興奮気味にくるっと体を回転させ、軽やかにステップを踏む。


 自由! まさかこんなタイミングがあるなんて!


「ま、待ってくださいよアイリス様!」

「早く早く! お父様の騎士が追いかけてきちゃうわよ!」

「ひいいい……!!」


 エルは少し情けない声を上げ、それでも私に置いていかれまいとぴたりと後ろを走る。待ってください、とは、別に私が速いからそう言っている訳ではない。本当に、待ってほしいのだ。


「抜け出したなんてバレたら怒られますよ!? しかも他国で!!」

「あはは! ここで逃げなきゃつまらないじゃない! スカルディアだからいいのよ!」


 そう。お父様の箱庭。あの息苦しい帝国で外に出ても何も楽しくない。


 趣味の合わない友達のようなもの。ただ親に言われて私に合わせている友達のようなもの。私を14歳と知ったうえで色目で見てくる気味の悪い大人たち。


 そんなところに自由などない。


 誰も私の正体を知らないこの土地で、深いローブを被って顔を隠し外に出るからこそ本当の自由というのです!


 日頃の鬱憤が溜まっていたのかもしれない。普段の私なら絶対こんなことはしない。けれど、外の晴れやかな天気を見ていると、何故だか勝手に身体が動いた。


 土地勘もよくわからず王宮から抜け出し、がむしゃらに走った。人のいなさそうな通りを選び、すれ違う時はローブのフードを深めにかぶり直す。


 今頃お父様の命令で騎士たちが私の捜索を始めているかも知れない。――いや、それはないかも。私は居たら便利で、居なくてもいい存在だから。最低限の人数の捜索隊くらいは出てるかも。所詮その程度。


 ……それでも、私に何かあった時に動いていた痕跡がなければ権威が失墜するかもしれない。それくらいは考えている人だ。きっと動いてはいるんでしょう。そこに私に対する心が無くても。


 少しして、一気に人の賑わう通りに面する路地にたどり着く。

 その光の先には、所狭しと並ぶ出店、見たこともない食べ物や装飾品。家々からはスカルディアやカーディスの国旗が下げられているのが目に入る。


「うわあ……エル」

「ど、どうしましたか……?」


 全力疾走に付き合い、息も絶え絶えになっているエルはその前髪の間から私の方を見る。


「綺麗ね……私なんかより。この景色が美しいわ。活気に溢れて、楽しそう……」

「アイリス様……」


 でも、流石にこの中にはいけない。

 誰が私を知っているかわからない。さっきまでの路地ならまだしも、この人通りではそうはいかないだろう。注目されれば、この逃避行はおしまい。すぐさま連れ戻される。必死に探していなくとも、見つけたからには強制的に連行されるわ。


 なるべく人目の付かないところを観光して、こっそり帰ろう。それだけで満足よ。


 ――しかし、エルは私の想像とは180度違う答えを出す。


「……行ってみますか?」

「え?」


 エルは慈愛に満ちた顔で言う。


「逃げ出したことには変わりません。バレてもどうせ怒られるなら、楽しみませんか?」

「い、いいの?!」


 調節できないほど高揚した声が、私の喉から漏れる。


 エルはにこやかに頷く。


「言ったじゃないですか。見てるだけでも晴れやかな気持ちになるって」

「うん」

「その中に入ったら、もっと楽しいですよ」

「うん!!」


 私たちは、路地の日陰から一歩踏み出す。

 眩いばかりの日光と、人々の活気ある声が一気に吹き抜ける。


 その熱気に、思わず目を細める。


「らっしゃい!! 東部から持ち込んだ珍しい石だよ! 運気が上がるよ!」

「そこの嬢ちゃん! どうだいブローチは!? きっと似合うよその綺麗な青い髪には!」

「チキンはいかが!? 持ち運びに便利で小腹も満たせるよ! 今なら安くするよ!」


 とめどなく押し寄せる客寄せの声。

 でも、不思議と私をただの客と思ってくれるその声に私はなんだか気分が良くなる。


「ねえ、エル。あれ」

「どうしました? 買います?」

「うん!」

「では、チキンを一つ」

「毎度! チキンを一つ――」


 と、そこで私はぐいっとエルの袖を引っ張る。


「二つ」

「え?」

「二つでしょ。共犯なんだから、一緒に食べましょ」

「……そうですね。では二ついただきましょうか」


 私たちはチキンを二つ買うと、取っ手を持ちながらむしゃむしゃと食べ歩き、いろいろな出店を見て回る。


 見たことのない綿のお菓子や、棒状のパンのようなもの。楽しそうに踊る踊り子や、すごい曲芸を見せてくれる曲芸師。


 本当に楽しくて、この国に来た頃の暗い気持ちはどこかへ吹き飛んでいた。

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