三章 帝国の皇女

第38話 退屈な皇女

「アイリス様。外を見てみてください。緑ですよ」


 黒髪の美しいストレートヘアをした女性は、柔らかい表情で隣に座る少女にそう声を掛ける。


 淡い青色の髪、色素の薄い透明感のある肌。窓の外から差し込む日光がより一層少女の美しさを際立てている。


 "氷雪姫レヴェルタリア"――この大陸の人間はみなこの少女のことをそう呼ぶ。


 聖天信仰における、大陸を守護する五神。その一柱、雪のように白く美しい絶世の美女の姿をしていると言われている、氷雪の女神レヴェルタリア。その姿になぞらえ、皆彼女のことをそう呼んだ。


 アイリスは、黒髪の女性の声に従うようにぼうっと馬車の外に視線を移す。少しして、深いため息と共に黒髪の女性の方へと振り返る。


 ぱっちりとした大きな目に、長い睫毛。スラっとした鼻に小ぶりな薄ピンク色の唇。見つめられるだけで、同性でもドキッとしてしまうその美しさ。


 ――がしかし、やはりまだ幼い。いくら圧倒的な美しさを持っていても、妖艶さや色気というものはそう簡単に出る物ではない。まだ十四歳になったばかりのアイリスには尚更だ。


 成長しきっていない小柄で細い身体と、退屈そうで反抗期な目元。少しむくれて膨らませる頬。その顔は、絶世の美少女というよりは、愛らしい少女のそれである。


 黒髪の女性、侍女のエル・ウェイレーは、アイリスのそこが何とも愛おしく、そんな彼女の姿を見られることを誇りに思っており、彼女の世話をずっと続けてきた。


 アイリスの実の父と母よりも……誰よりもアイリスに愛情を注いできたと言う自負があった。


 アイリスは小鳥の鳴くような声で言う。


「……つまらないわ。私も海とか山とか、砂の海で遊びたかった」

「そうおっしゃらないで下さいよ、アイリス様。スカルディア王国の訪問だって立派なお仕事ですよ」

「だからこそじゃない」

「でも、スカルディア王国での土産話や特産品を持って帰れば、またお友達にいいお話が出来ますよ」

「そんなの……」


 アイリスの脳裏に、出立前の帝国での思い出が蘇る。


◇ ◆ ◇


「私達はオルフェスに旅行行ってくるわ。お父様達に好きなところ連れて行ってもらうんだ~! アイリス様は行けないのね、残念」

「私達おうちが凄くなくても楽しいものね」

「あ、そうだ! 安くてもいいからお揃いの物買いましょう!」

「いいね、楽しみ!」


 きゃっきゃとはしゃぐ学友達に、アイリスは拳を握りしめ、精一杯声を張り上げる。


「……わ、わたしだってスカルディア王国の王様に会いに行くんだから! 羨ましいでしょ……! 連れて行ってあげようと思ったけど一人で行ってくるんだから!」


 一瞬学友たちの顔がぽかんと止まり、少しして一人の少女が声を発する。


「もちろんですよ。私達が一緒なんて……。公務、頑張ってきてくださいね!」

「そうですよ、楽しんできてくださいね。それでさあ――」

「…………そう……」


 アイリスは白い顔を少し赤くし、ぷいっと顔を背けて教室を後にする。

 バタンと勢いよくドアの閉まった背後の教室では、クスクスと甲高い声が漏れ聞こえる。


(何よみんなして……私だって出来るものなら……)


 だが、アイリスはグッと込み上げてくる感情を抑え、自分に聞こえないふりをしてその場を離れる。


(私ってなんでこうなんだろう……)


◇ ◆ ◇


 馬車の中に沈黙が流れる。

 少し地雷を踏んでしまったかと、侍女のエルは大人しく沈黙を受け入れる。


 スカルディア王国北部。リーフィエ山脈を越えた先にある帝国、カーディス帝国。


 スカルディア王国とカーディス帝国は同盟国で、とても良好な関係を長い間続けてきた。


 二年に一度、王が交互にお互いの国を訪問し、これまでの感謝と、これからも末永く続いていくであろう同盟関係を再確認するため三日間の会談が開催される。今年はカーディス帝国の現皇帝、リヴェール・ラグザールがスカルディア王国を訪問することになっていた。


 それはもちろん、第三皇女であり、そして氷雪姫レヴェルタリアと呼ばれるアイリス・ラグザールも例外ではなく、こうしてスカルディア王国へと連れられているのだ。


 だがそれは、家族だからという訳ではない。全員が全員連れてこられるわけではないのだ。


 帝位はほぼ100%、第一皇子のシャリオが継ぐことが決まっており、兄弟姉妹もそのことに異論を唱える者はいない。シャリオは良く出来た息子で、まるでリヴェールの生き写しのようだった。今回の訪問は、シャリオのお披露目の意味も込められている。


 ではなぜ、アイリスも連れられているのか。至極単純である。

 彼女は美しい人形なのだ。

 外交の道具であり、お飾りで、体のいい置物。それが彼女の存在意義だと、誰よりもアイリス本人が理解していた。


 アイリスは自分の可愛さや異性を惹き付ける魅力も良く理解しているし、すれ違う男達も皆自分を見ると釘付けになっているのを良く分かっている。少し話せばすぐに恋に落ち、婚約を申し込んでくる。そんな女の子なら夢のような話でも、アイリスはそんなものあっても意味はないと常日頃から思っていた。


「お父様は何日間この国にいるの」

「三日の予定です」

「こんなに護衛の騎士を引き連れて……そこまでして来ること?」

「両国の友好の印を見せる行事ですからね。仕方ないのです。一昨年もスカルディアの国王陛下が来ましたでしょ?」

「……そこに私必要?」

「必要ですよ。自分でお分かりでしょ?」


 アイリスはもう一度深いため息をつき、小さく「わかってるわよ」と呟く。


「そう言えば、知っていますか? この時期は王都はお祭り騒ぎだとか」

「関係ないじゃない私には」

「でも、祝い事の雰囲気は見ているだけで気持ちが晴れやかになるものですよ」

「見てるだけなんて余計惨めじゃない。どうせ外に出たいって言ってもお父様が許すわけないわ」

「……そうですね。余計なことを言ってしまい申し訳ありません」


 アイリスは靴を脱ぎ、座席の上に足を乗せると、体育座りで膝に顔を埋める。

 傍らに置いた奇妙なぬいぐるみの頭を撫で、そのままぼーっと外を眺め長閑な景色に視線を流す。


「つまんないなあ……」

「お城では私と一緒に遊びましょう。きっと楽しいですよ」

「エルとばかりもう飽きたのよ」

「そんなあ……私も退屈なのですよ」

「知らないわよそんなの。あなたも仕事でしょ」

「言い返されてしまいましたね。……まあ三日の辛抱です。にこやかにしていればすぐに終わりますよ」

「はぁ……」


 馬車はガタゴトと車体を揺らし、道を進む。

 遠目からでも分かる程の大所帯。

 そして掲げられる鷲の紋様の描かれた青く威厳のある国旗が、風にはためく。


 一向は、スカルディア王国、王都ラダムスを目指す。

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