仮面
紅亜真探
「おい、最近の小説は『転生』するそうだな」
おなじ電車で通勤する同期の矢島は、隣の座席にでかい尻をおろすなりそう言った。この男は本は読むが、ライトノベル未経験者だ。
かく言うわたしも、そうらしいねとこたえたものの、すこしその界隈のことを知っているだけでくわしいわけではない。
「転生ってのはあれだろう。チベットだかネパールだかでやっている──」
「いやいや、ちがうよ。そんな宗教的なものじゃない」
そこでわたしはいくつか例をあげながら、矢島にライトノベル転生を説明してやった。
はじまりは、突然終わりを告げる平凡な人生。
トラックにひかれる者。狂人のナイフにたおれる者。電車の鼻先に突き飛ばされる者。
そこで神と出会ったり、出会わなかったり。
ハッと目覚めるとそこは異世界。
おとなだったり、はたまた乳幼児だったり──。
「ははあ、ふうん、なるほどなあ」
運動部出身で万事において素直な矢島は、感心したようにうなずいた。この男にとっては、一冊分の文章を書けるだけですごいのだ。
「まあ死んでもその先があるんだとしたら、それは結構な話だな」
「まあね」
わたしはライトノベルをひとつのコンテンツとして認めているだけで、小説としてはまったく好感を持てないタイプだったので、そのあたりの返事はおざなりになった。
矢島はまだまだ興味津々だった。
「神ってのは手ちがいをするのかな」
「さて、おこさないと思うね、ぼくは。古今東西、いろいろな神がいるけれど、まちがいはおかしても、手ちがいはおこさなかったと思う」
「たしか不倫はしてたな」
「していたね」
「じゃあ、なにかあっても意図的だってことか」
「そもそも、人智およばざる範囲をつかさどっているのが神なんだから、人間の手ちがいは神の仕業と言えないこともないだろう? だったら神の手ちがいは誰の仕業なんだということだよ」
「つまりライトノベルの神さまってのは、手ちがいのフリをして、じつのところ主人公を選んでいたわけだ」
「そこまで書けている作者がいればいいと思うね」
そこで矢島はスマホをとりだしてスッスとやりはじめたが、どうも適当なそれの試し読みをはじめたようだった。
わたしはそしらぬ顔で矢島の反応をうかがいながら、内心、どんな感想をもらすのか戦々恐々としていた。
これで友だちをひとり失うかもしれない。
これは、それほどの重大事だった。
いや、ライトノベルを好きになるのはいいのだ。ただ──。
わたしはなにか自分の好き嫌いとの妥協点になる言葉をさがそうとしたが、矢島の顔色が気になってそれどころではなかった。
矢島は案外まじめな顔で、すばやくページをめくっていった。
なるほどなあと視線をあげたのは、二駅ほど通過したころだった。
「ハマる人間が多いのはわかる」
「そうかい」
「ただ、ううん、どうもアレだな──」
わたしは、ほっと息をついた。
よかった。すくなくとも百点満点ではないのだ。
「アレってのは」
そうたずねたわたしは辛辣な批評を期待していた。
矢島はむずかしい顔をして首をかしげた。
「アレってのはようするにアレだ、謎が多い」
「つまり、ご都合主義」
「いや、ご都合主義はまあ、べつにいいかな。ヒーローものは好きだから」
「ふうん」
「人間関係が円滑にいきすぎって感もあるが」
「リアルじゃない」
「リアルでうまくいかないから、フィクションでたのしむってのはアリだろう」
「そうかな。ぼくにはわからないな」
「たとえば謎ってのはアレだよ。どうして主人公はもとの世界のことを心配しないんだ? たとえ死んだことになっていたって、なにか思い出すことくらいありそうなものじゃないか。親はどうしたかなあとか、あの仕事はうまくいったかなあとか」
「たしかに」
「そして、一番の謎はアレだよ。主人公に身体をのっとられたやつはどうなるんだ?」
わたしは、それだよと叫ばずにはいられなかった。それはまさにわたしも感じていたことだったのである。
転生された人間──主人公が転生したのが悪役令嬢なら、その悪役令嬢の魂はどこへいったのか。
わたしは魂を、蜘蛛の巣のようなネットだと思っている。肉親の感情、他人からの感情、品物の持つオーラ、世界情勢。そうした外から与えられるなにかを受け止めるのが魂なのだと思っている。
それは記憶という言葉だけでは語れないものだ。ひとによってひっかかるものが大きく異なる、そのひと固有のもの、いわゆる個性なのだ。だから何度でも言うが、記憶が残っていればいいというものではないのだ。
さらに転生された者の家族たちのことを考えると、わたしはいつも涙が出そうになった。
いつ生まれるかと指折り数えて待っていた彼らのもとに、自分たちを両親と感じない子どもが生まれてくる。蝶よ花よと育てた娘、いつか酒をくみかわそうと思っていた息子、それが突然、別人にのっとられてしまう。ああ、なんとかわいそうなひとたちか。
それなのに──。
「消えちまうのかなあ」
「そうかもしれない」
わたしは矢島のこととは関係なしに、なにかうまい設定で悲劇を取り消せないものかと考えた。小説にはよくある裏設定の余地が、どこかに、なにかあるような気がした。
消えるでもない、トラックにひかれた肉体にいれかわりに入るのでもない、なにか気のきいた設定が──。
しかし、これだ、というのを思いつけないまま、わたしたちは目的の駅に着いてしまった。
矢島は電車が止まるのを待たずに立ちあがった。
「なにか思いついたら書いてくれよ」
「ええ、なんだって?」
「書いてるんだろう? 小説」
わたしはみぞおちのあたりを、きゅっとつかまれたような気がした。
この男はどうして、そのことを知っているんだ──?
仮面 紅亜真探 @masaguri
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