桃太郎転生

天岸日影

桃太郎

人の価値を測る指標は数々ある。

社会的な地位だとか、誰かから愛されただとか、自分で肯定できるかだとか。あるいは評価を与えるのは神様みたいなものかもしれない。

だが、俺の主観からすれば、俺は無価値であったし、俺の周りから見てもそうだっただろう。

過労か、心労か。

ある日倒れた俺は、そのまま誰にも気づかれることなくこの世を去った。

そして、多分、誰も悲しむ者などないだろう。

ああ、クソみたいな人生がようやく終わる。

それが最後の感情であったはずだ。


気づけば甘やかな香り。

そう、確かこれは……桃の香りだ。

光もなく、天地もわからぬフワフワとした空間のなか、俺は何事が起ったのかと思案する。

桃……桃は邪気を祓うと聞く。

そうか、俺の溜めこんだ邪気は桃にでも祓ってもらわなければならないということか。

そんなことを考えていると、一筋の光。

がぱりと闇が開いて、明るくなる。

そこには包丁を持ったまま驚く一人の老婆がいた。

俺は驚き声を上げた。

「おぎゃあ」

それは産声だった。


俺は桃太郎と名付けられた。

俺は成長するに従い、力をつけ、野良仕事やなんかを手伝いつつは細々とした知識を使って老夫婦の助けにならんとした。

「助かるねぇ」と目を細めて笑うお婆様、「よくやった」と背中をたたくお爺様。

決して裕福な暮らしとは言えなかったが、食うに困らぬだけの生活はできた。

こうして働いてれば孝行になるだろう。

俺は人生で、いや前世も含めて初めて生きる意味を感じていた。

そう、俺は思い込んでいた。



些細な事件が齢十五の時分に起こった。

遠くない所にある、とある町。

鬼に襲撃され、壊滅したという噂が村々に広がった。

それを裏付けるかのように、町からの行商人は数を減らした。

原始的な生活経済によって成り立ってるとはいえ、クワやなんかの金物の替えが効かないというのは、流石に困る。

行商人はまたすぐに来るようになった。とはいえ、鬼は何度も来るのだろうとも噂が流れていた。


同じことは何度も起こった。

そして、より近くの村や町が襲撃されるようになっていた。

鬼。

『桃太郎』が討ち果たすべきもの。

今まで深く考えていなかった『桃太郎』という役割が、俺の心にまとわりつく。

「お爺様。鬼とは何なのですか?」

すると、お爺様は皺だらけの顔をしかめて言った。

「鬼は……災じゃ。人から奪い、人を食らう。凡百の者ではひとたまりもない。大王おおきみ様の兵ですら民を逃がす時を稼ぐだけで精一杯じゃ。」

だが、俺は『桃太郎』だ。なら、俺ならば……

「桃太郎や。恐ろしいことを考えないでおくれ。目を見ればわかる。お前は鬼を退治しようとだなんて考え始めてるんじゃろう?」

図星であった。

「……しかし。鬼はここへも来るのではないのですか?」

二人は押し黙った。

何か、ある。

他の村なんかどうだってよかった。

しかし、この気のよい老夫婦が脅かされることだけは我慢ならなかった。

「鬼は何を求めているのですか?」

「龍穴……じゃろうか。」

村の近くの山。

俺が入っていた桃が流れてきた源のあるところ。

それを二人は龍穴と呼んだ。

名前は何でもいい。しかし、力の源を求めて鬼は来ることは確実ではなかろうか。

ここは谷のどん詰まりの村。

鬼に襲われれば逃げ場はないだろう。

成程、成程。

既に運命は決まっていたのだ。

『桃太郎』が『桃太郎』以外の生き方が出来ようか。

「俺は……鬼を退治します。御二人が言ってもこれだけは曲げませぬ。」

二人は、その勇ましさに喜び、帰ってこないかもしれないことに泣いた。

「そう、長い旅ではありませぬ。」

「そう、そうか。ならばこれを持っていくがよい。」

お爺様は一振りの刀を差しだした。

「桃太郎や、どうかこれを持って行っておくれ。」

お婆様は吉備団子の包みをそっと手渡した。

「俺は桃太郎です。必ず、帰ってきます。」

俺は『桃太郎』だ。

鬼を退治するもの。

運命から逃れられないならば、打って出る。

何かが失われる前に。

今度こそ、俺の人生を失わないために。

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