第26話 誘惑

 

 

 王宮にある主塔ベルクフリートは、王都の結界の中心に位置している。

 塔頂階に置かれた魔石は、城壁の等間隔に建築されている方形塔にある魔石の倍以上も大きく、大人の男くらいの巨大なものだった。


 この結界の要である主塔ベルクフリートの魔石は、代々の国王が魔力供給を行う習わしになっている。


 エステルはディーデリック王の護衛の一人として、この場にいた。

 近衛騎士はエステルの他にシェルト、カトリナがついていて、その他、王の側近の侍従たち――それにレオも。


 ディーデリックは、片手を上げると数秒で魔石への魔力供給を終わらせた。あまりにも、簡単そうに。


 それから王は、エステルの手を取ると、他の者達に「下がれ」と命じた。


 とはいえ、広くもない塔の最上階で供の者達が、入り口辺りに控えたところでささやき声でもなければ、話す言葉も筒抜けになってしまう。


 王は、窓辺にエステルを連れて行き、丘の上の王宮に建つ主塔ベルクフリートから、王都を見下ろす絶景を指示した。


「ここから見る景色を、そなたに見せたかった」


 風が吹き込み、王の毛皮の縁取り付きの緋色のビロードのマントが翻る。

 ぶるりと震えるエステルの肩を引き寄せ、近衛騎士服姿の女騎士を、まるで姫君をエスコートするように腰に手を置く。


 空は高く澄んで雲がたなびき、眼下には白亜の宮殿、光の神々の神殿、石造りの街並み、整然と舗装された街路時、二重の城壁。一つ目と二つ目の城壁の間には、果樹園や畑がなだらかに続き、豊かな実りを迎えていた。


「これらはすべて余のものだ。見渡す限りの国土も民も。王国は繁栄し、民は平和と安寧の内にいる。そなたが余のものになれば、何でも欲しいものを使わそう」


 ストロベリーブロンドに涼し気な翡翠の瞳の王はまだ若く美しく、そして聖種の強大な力を持つ最高権力者で、自信に満ちあふれていた。自分になびかぬ者がいるなどと、想像したことすらない。


 女官長にそれとなくエステルのことを聞けば、同じ近衛騎士の男との婚約が解消され、その男は妹と結婚したという。


 ――女としての矜持を、余が取り戻してやろう。シェルトの前で余が口説いてやれば、さぞかし女心をくすぐられるだろう。国王がわざわざこのような場を設けてやったのだ、きっと感激して余に身も心も捧げるだろう。



 ところがエステルは、真っ青になって震えている。


「私は陛下にとって一つの剣、一介の騎士に過ぎません。身分違いも甚だしく……どうか、お許しを……」


「身分など、そのような些細なことを気にするな。不実な男や心のない人形よりも、もっと素晴らしい、本当の強い男というものがどのようなものか、そなたの身にたっぷりと教えてやろう」


 耳元でささやき、聖種の魔力を放出して力を示せば、エステルの瞳は絶望に染まった。


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