第109話 アディの恋 2

 アディはこのところ、いくら振り払おうとしても、汲み取りの仕事の間も学校にいる時も、頭にあの子の姿が浮かんで仕方が無かった。母さんからは、「カサン語を勉強する事はこの先きっと役に立つから」と言われて仕方なく学校に来ている。けれどもカサン語の勉強はちっとも身が入らない。カサン語の勉強をしたからって糞尿を汲み取る仕事に何か役立つわけでもない。あの子に近付けるような人間になれるわけでもない。それにオモ先生の言う事も何だかよく分からなかった。

オモ先生は言う。おら達妖人は平民様からひどくいじめられて「サベツ」を受けている、と。そんな「サベツ」のあるアジェンナ国は遅れているから、カサン帝国のやり方を学ばなければならない、と。だけど平民様にいじめられないようにするためには、カサン語の勉強よりもっと他にやる事がある。例えばなるべく身なりをきれいに整えておくこと、平民様に会ったら控えめな礼儀正しい態度を取る事など……。

アディはそんな事を考えながら、いつも教室で悶々としていた。自分はあの子に摘んできた花を差し出す事も出来ないのだ。なぜなら自分は汚らわしい妖人で、自分が触れた物を渡したら相手も汚してしまうことになるから……。アディは頭を抱え、机の上に突っ伏した。

 その時、アディの耳に、小さな鈴を鳴らすような、囁くようなマルの歌声が聞こえてきた。アディはゆっくりと頭を上げた。マルがナティとテルミにアマン語で歌を聞かせていた。マルは、オモ先生がいる所では決してアマン語の歌を歌わない。けれども誰かにせがまれて時々歌うことがある。アディはマルの歌を聞きながらふと思った。

(そうだ! あの子に物を渡すことは出来ないけれど、歌を贈ることなら出来る!)

 もっとも、自分はマルのように歌うことは出来ない。けれどもあの子の家にマルを連れて行って愛の歌を歌ってもらえば、あの子におらの気持ちを届けることは出来るんじゃないか!?

 アディはそう思うといてもたってもいられなかった。ナティとテルミの間に割って入り、椅子の上で胡座をかいているマルの目の前にしゃがんだ。

「何だよアディ、おめえの自慢の顔が汲み取った小便で洗ったみたいに情けない事になっるぜ」

 ナティが言った。

「ナティは黙って! マル! おらはお前に頼みたい事があるんだ!」

 マルは「何?」という風に頭を傾げた。

「お前の歌を聞かせてあげたい人がいるんだ」

 マルはちょっと黙っていた後、

「それは川の向こう側の人?」

 と尋ねた。

「うん。その子はとってもきれいな家に住んでる。いい家の子なんだ」

「わかったよ。おら、歌うよ」

 マルは言った。アディはほっとした。いい家の子に歌を贈るなんて怖くて出来ない、とマルに断られるんじゃないかと思っていたのだ。

「おい、マル! 後でアディがぞっこんの女の子がどんな子か教えてくれよな!」

 おかしそうにマルの肩を叩いたナティを睨みつけ、アディは自分の席に戻った。

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