いつかまた、同じ空を見て
メルトア
笑みを知る
「そう…おめでとう。幸せにね」
結婚する、と。唯一の血縁である姉に伝えた時、姉はこう言って困ったように微笑んだ。
姉はいつも私の良い理解者だった。私のいい所もダメな所も、全部お見通し。だから、私はことある事に姉を頼った。姉に断られた事は一度も無い。どんなに忙しくても私の話を聞いてくれる優しい姉だ。
姉はすごい人だった。成績はどんな教科でも常に一番で。あぁでも、家庭科だけは3だった。姉は料理が大の苦手だったから。私は姉の役に立てるのが嬉しかったけど。お友達が家に遊びに来た時も、それをよく揶揄われていたものだ。でも、恋人らしい人は一度も来なかった。なんでだろうと思っていた。
暫くして分かった。
姉は人を想う事が無かった。誰かに好かれる事は多々あっても、誰かを好きになる事は無かった。理由を聞くと、姉はいつも。
「私にはまだ早いの」
と言って誤魔化した。隠した左腕の傷を知らないふりをして。
姉が中学生の頃、逆恨みした女の子に切られたんだ、と。姉のお友達は言いにくそうに話してくれた。曰く、姉が付き合っていた男の子が好きだったらしい。
姉は声を出して笑わない。口元に手を当てて、緩く微笑むだけだ。姉はいつも、笑いそうになると決まって喉を鳴らした。
何故なのか聞いた事がある。姉はいつもの微笑みで、困ったように答えた。
「ごめんね。私にも分からないの」
嘘。姉は普段嘘を吐かないから分かりやすい。声が違う。目が違う。手が違う。姉は嘘を吐く時、必ず耳を抓る。
姉のお友達に聞いてみた。お友達は分からないと言った。嘘は吐いていなかった。
結局、何故ほんの少し口角を上げるだけに留めるのかは、とんと分からなかった。でも、何か理由がある事だけは分かった。そしてそれを、姉が隠そうとしている事も。
幾年過ぎて理解した。
姉はいつも自分を隠したがった。私はそれを誰より多く経験した。いつだってそうだった。
私が怒っても泣いても、姉は自分をさらけ出そうとはしなかった。
怒らないのは本音を言わない為。泣かないのは頼らない為。笑わないのは、隙を見せない為。
今もそうだ。私の言葉に、半分上の空で。どうしたのかと聞いたって、姉は絶対なんでもないと答えるから、聞かないだけで。
隠している。私に言いたくないことを、私に知られたくないことを。
多分あの人の事だと思う。どんなに好きだって、あの人の性格は褒められたものでは無いから。それは十分分かっている。
姉は私を、心配してくれてるんだろう。
でも、あの人の声は、遊ぶ声でも、諦めた声でもなかった。ただ、そこに在って、落ちただけのような。そんな声だった。
だから、私は彼を信じた。
きっと、あの人の癖は治る事はない。これからもずっと、あの人は何かとつけてどちらでもいいと答えるはずだ。
それでもいい。私が居ることで、彼の留具になれるなら。彼の思考を、一寸長引かせられるなら。
それでいい。そう思える人だから。
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。私、幸せだから」
安心してほしい。そう意を込めて言った。姉に、それが伝わったかどうかは定かではないが。
「……私の出る幕は無いか。ちょっと寂しいな。ふふ」
姉は優しく笑った。声を出して。
こんな表情は初めて見た。何かを諦めるような、哀しむような優しい笑顔。それが、妙に綺麗で。
ほんの少しだけ、胸騒ぎがしたけど。きっと、夜風のせいだ。大丈夫。そう言い聞かせた。耳元でちりちりと鳴く声が何なのか、私には分からなかった。
空には月が浮かんでいた。
不気味に笑う繊月だった。
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