あなたに会えてよかった。

識織しの木

相棒との別れ

 私は何で生きているんだろう。

中学生のとき、生きていること自体が不安で不安で仕方なくて、いつでも死ねるように準備をしておこうと、縄を買った。

 いつでも死ねると思うと、少しだけ気分が楽になった。それでも希死念慮は残った。

 その希死念慮をずるずると引きずって、十年ほど。よくここまで生きてきたなと思う。……死ぬ勇気がなかっただけかもしれない。根性なしっ。

 希死念慮の振り幅はとても大きくて、それが弱い日も強い日もある。その日のコンディションや身近に起きた出来事などが大きく反映している。

 日によって千変万化の相棒と、ここまでそれなりにうまくやって来た。

高校生の頃「明日は私、死んでるかも」なんて度々思いながら毎日をもがいていた。

 常に私の隣には相棒がいて、へんてこりんな眼をしながらこちらを見つめてきた。「あぁ。そっちに逝きたい」と思う日がほとんどだったけれど、たまぁに「あんたの眼、気持ち悪い」と思った。相棒は曖昧に、ぐるぐるとへんてこりんな眼を回した。よくわからないやつだ。

 つまり、私の意識は常に「死」とともにあった。起きているときは「生」を演じながらも「死」を願っていた。

 それなのに今地に足が着いてしまっているのは、やっぱり所詮は根性なしだったからなんじゃないかと、真剣に思う。

 しかし、だ。遂にこの時を迎えた。

 会社からから帰宅した私は、他の何もかもを後回しにして縄を手に取っていた。

 会社から帰宅するまでの道のりがすかんと抜けてしまっているかのように、電車に乗った記憶や歩いたという感覚や疲労が一切ない。

 気付いたときに目に入ったのは、縄を掴んだ自分の右手だった。あれ、死ねるじゃん。

 これでもう終わるんだ。さようならだ。ばいばい世界。ばいばい相棒。もう何にも要らない。

 だから私に「死」をください。

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