後日談

「オヤジィ! いるかオヤジィ!」


 ――勢い良く襖を開いた男は、乱暴な口調で呼びかける。部屋内を先に確かめるでもなく、他人の家だろうが御構い無しに足を踏み入れていた。


 その一室は、大規模な宴会でも易々と内包できる大広間だった。屋敷の主の趣向で光が差し込まないようにしている為、入り口を閉めれば昼間でも暗い。天井も高く、天辺には荒ぶる神のような絵が描かれていた。

 男が位置する入り口とは反対側、部屋の奥には阿修羅像が祀られていた。その前に、座する者が一つ。


 いるじゃねえか、と悪態をつく男はずかずかと大股で歩く。


 旋毛の辺りで束ねた黒い長髪を靡かせ、我が物顔で他人の部屋を闊歩。虎の刺繍をあしらった上質の衣は、金持ちというより道楽者を思わせた。

 端正な顔立ち。見るもの全てを魅了しかねない中性的な顔つきは、魔が宿ったかの如くにやけている。


「おいオヤジ。聞いたぜ。育った真祖が見つかったんだってな。ちぃと話してくれや」


 真後ろで胡座をかいた男は、にやついたまま反応を待った。自分勝手なその様は実に横暴である。

 一時の静寂。やがて溜め息をついた主は、諦めたように振り返る。


 逆立った白い短髪。無精ひげを生やし、こけた様に引き締まった顔。着衣から覗く胸板は鋼鉄を思わせ、拳に関しては筋肉と骨と傷によっての凹凸の起伏が激しく、生き物の其れを超えた頑強さが目に見えてわかった。


 されどそれらは些末に過ぎず、この者の異様さは眼光にあった。


 鋭いだの、威圧的だの、形容ができない。ただわかるのは――自分は殺されてしまうという悪寒が迸る事。

 そんなものはただの印象でしかない。しかし“それ”を生み出させてしまう程に、その者の眼力は常識からかけ離れていた。


 ――これが、天地彦なる鬼の王。


 現代に生きる鬼たち全てを凌駕する、闘争の頂点に君臨する者なり。


「――餓鬼か貴様は。喚き、部屋に入ってきたかと思えば、話を聞かせろだの何だのと。……いつまでも笑うな、貴様の笑みは不気味だ」


 けれど天地彦の眼光に臆する事なく、魔的な笑みを止めない彼は、その言葉に声を上げて笑う。


「だっはっは! そいつは悪りぃな。許せ。至極面白れぇ話を聞いたらこんな笑い方になっちまうのさ。知ってんだろぉ? ――ああ、そうだそうだ、この顔で面白れぇ話があるんだ。偶々この前、人間に見せたらよ、泡吹いて失神しちまったんだぜぇ? ひどくねぇかあ?」


「……本能の拒絶。意識の崩壊。強き鬼ほど眼で相手を制す。貴様の場合、微々に宿っているのやもしれんが」


「おおっと、あんまり口に出すないオヤジ」


 にやり、と舐める様に天地彦を見つめる。何故かその黒い瞳には、殺意。


「まだ気にしておるのか。貴様は貴様であろうに。いつまでも引きずるは感心せんな」


「けっ。駄作みたいで気に食わねぇんだよ。この俺様が劣化だとぅ? ふざけやがって……!」


 先程の笑みとは打って変わって、歯を噛む彼は憤慨の顔に変貌した。それに慄く床、壁、天井、大気。部屋全体がギシギシと軋みをあげる。


「――あー! やめだやめ。こんな話をしにきた訳じゃねぇんだ。オヤジ、真祖だよ真祖。いいから聞かせてくれよ」


 けれどすぐさま、またにやつく。感情の起伏が激しいこの鬼――朔魔は、生まれながらの傍若無人である。


 他を蔑ろにし、気の向くままに己を振る舞う。彼は自分以外を何とも思っていない。自分の思いのままに正しさも間違いも勘定にはなく、対象が何であれ生きていようが死んでいようが好き勝手に弄ぶ。ただ自分だけが至高である為に、何もかもを気にも止めない。


 そんな考え方しか出来ないのは、朔魔の存在に起因する。

 彼は真祖である。しかし本物ではなく、肉体面だけが先祖帰りし、邪眼を有してはいなかった。非常に稀な存在であり、知る者は指の数もいない。


 そして彼は天武の才に恵まれていた。剣術も体術も一目で理解し会得してしまう程に。それに加えての先祖帰り――本人がその気になれば、単体で国一つ乗っ取る事も難しくはない。


 故に至高。全てが己の下僕。本当の意味での強者。慢心も過信も傲慢も、彼にのみ許せる。


 何故なら彼は、そういう存在なのだから。



















「――と。これが昨日、偵察の者から届いた鷹文に書いてあった内容だ」


 鷹文とは、そのままの意味でタカのフミと読む。鬼達の間で使われる、鷹を用いた長距離での情報交換である。


「…………」


「……どうした?」


「……いや、何つーか……ちょっ、悪りぃが……――ぶっ! なっはっはっはっは!」


 朔魔は盛大に笑う。床に仰向けになって腹を抑えて、大口で部屋中に笑い声を響かせる。


「くひひひ……、あー面白れぇ。閻覇の野郎死んじまってやんの。至極間抜けだぜぇ、だっはっはっはっ!」


「同感だ。真祖とはいえ小娘と相打ちなど、我が里の恥」


「おおっ、意外に辛辣だなオヤジ」


 起き上がった朔魔は、にやついて見つめる。


「当たり前だ。あの閻魔の血を受け継ぎ、儂自らも仕込んでやったというのに。やはり外れは外れか」


「仕込んだ、って。オヤジは力任せの闘争だろうよ。何を仕込むってんだ」


「馬鹿者。武術の類いではない。――闘争とは、対峙した瞬間から始まっている。相手の存在、造形、覇気。それらを一目で刹那に読み取り、心構えによって最適な思考に作り替えるのが闘争の基本。その礎、つまり観察眼と屈強な精神を叩き込んでやったのだ。奴ほどの者なら、それが徹底していれば未成熟の真祖にやられる事はなかった」


「……っんだそれ。要は覚悟だろ?」


「違う。覚悟とは詰まるところ“心の諦め”だ。現状を固定する事でその先の思考を取り止め、今を今としか認識せず、最良を見出す意思を無くす行為が“覚悟”という。――酔っておるのだよ、その時の自分に。やけくそと同義でよい。冷静か熱血かの違いだけだ。負けを認める覚悟もまた然り」


 覚悟を決める。という言葉は、今の時代よく耳にする。戦なり合戦が行われているこの世の中にとって、その言葉は日常茶飯事である。


 事を起こす場合に、たじろぐ心を叱咤する時に使われる最後の言葉。己を奮い立たせ、不言実行の下に目的を成就せんとする意志の頂点。または退く勇気を生み出し、自尊心を消し去る黄昏の決意。

 必ず訪れるであろう運命の分かれ道、そのどちらか一つを選び進む為の無くてはならない心の覚悟というもの。


 ――それを否定する。諦め、と。


「勝つ為の精神を創り出し、元の精神を塗り潰すと言っておるのだ。自分の為でも相手の為でもなく。勝利を見出さずして何とする――勝利とは生であり、敗北とは死である。存在が残る生には価値があり、存在が無くなる死には価値がない。何より消えれば何も残らないからな。故に勝たなければならない。覚悟では駄目なのだ。それでは闘争でなく、ごっこ遊びと何一つ変わらん」


「――くは」


 にやり、と歯を覗かせる程に男は頬を吊り上げる。


「何が可笑しい」


「いや、なんていうかさ。単純に考えちまうとよ、オヤジは単に、負けず嫌いなんだなって」


「――はっ。貴様にしては言うではないか。……ふむ、そうだな。確かにそうだ。的を射ておる。くくっ」


「だろぅ? だっはは!」





















「それにしても驚きだな。まさか十七年も野放しだったなんてよ。そのまま放っておいた方がまた一段と面白かったんだが」


「馬鹿者。人が死のうと全く構わんが、それによる我等への迫害は極力抑えなければならん。――否、地上の生物を守るのが、同じ鬼である我等のせめてもの義務だ」


 真祖の誕生。それはつまり、生きとし生ける者たちの滅亡を意味する。


 どの生き物も凌駕する力。

 どの生き物も超越する能力。


 常識的に、力無き者は力在りし者には勝てない。しかし数を増やせば、拮抗もしくは勝利も夢ではない。だがそんな均衡を保つ闘争の天秤を、真祖とは容易く覆せる。


「へっ。悪りぃが、こちとらどっちにも属せない身でな。片方が残ろうが両方が無くなろうが、俺には微塵も関係ねぇ。何故なら……結局は俺様が一番強ぇからよ! はっはっ!」


「……全く。貴様が真祖でなくて何よりだ」


 天地彦は眉間を指で挟んで目を瞑り、心よりそう呟いた。


「だからそれやめろってんだクソオヤジ。……にしても、真祖ってのはつくづく化物なんだな。“首だけになっても暫く動いてた”ってか?」


「ああ。報告にはそんな形跡があったと書いてあった。何やら、近くに倒れていた村民の傍に行こうとしていた様ともあったが、恐らくただの悪足掻きだろう」


「……出来んのか? 首だけで移動って」


「さあな。重さは頭一つしかないのだから、顎と舌を上手く動かせば、少しばかりなら或いは」


「うえっ……今夜は酒が不味そうだ」


 話を切り出したのは貴様だろう、と天地彦は憫笑した。


「はーあ。にしても、真祖は死んじまったか。取り逃がしたってんなら、追っかけて戦ってみたかったのに。近い内に遠出するから、ついでにな」


「ほぅ。次はどこで女を抱き尽くすつもりだ?」


「違げぇよ。恋花れんかの墓参りでもしようかなぁと……おいオヤジ。何しかめっ面してんだよ」


「――驚愕に値するぞ、その言葉。何だ、孕ませ捨てた事を今更後悔するようになったか?」


「はっ。勘違いすんな。あの女の事なんざただの遊びとしか思ってねぇよ。……しかしまぁ、唯一肌を重ねた鬼の女、ってのも事実だが……。まあ、つまりあれだ、気紛れだよ。今はあまりにも暇なんでな」


 そっぽを向く男に対して、天地彦は微笑した。


 気紛れと言うものの、闘争を生きがいにする男は確かに、真祖探しを“ついで”と言ったのだから。


「別に何も思わんよ。貴様の好きにするがよい」


「けっ。腹立つ顔しやがって。そんじゃまあ、お言葉に甘えて俺はそろそろ――」


 男が立ち上がると、唐突に部屋の入り口が開かれた。見ればそこには困った表情をした、天地彦に従う臣下の姿があった。


 その鬼の切羽詰まった事態の報告に、


「――ふむ」


 鬼の王は無表情に。


「――へぇ」


 鬼の異端児は笑みに。




















 屋敷から出た天地彦は、里の丘から景色を俯瞰した。いつもなら木々や草原などの緑が広がる景色は、鈍い黒色で覆い尽くされている。侵略を見事に描いた様に、黒色――甲冑を身に着けた侍達が里へと迫っていた。


「――七千、程か」


「この国の旗以外もあるぜ。連合してやがんな」


「ならば数はもっとある筈。つまり、」


「相手がオヤジだからと、猛者だけを集結させたってか」


 天地彦の存在を知らない人間は少ない。

 若かりし頃の彼はそれほどまでに殺戮を繰り返してきた。闘争を続けたいが為に、里から出てはいけない掟を持つ鬼長の座を拒み続けてもきた。


 今でこそ、その存在感と武力に皆からは崇められてはいるが、彼が鬼の迫害を一番に進めた事など知る由もない。


「オヤジの所まで鬼狩りに来るたぁ、人間さまも中々やるじゃねぇか」


「よく言う……。元はといえば、一年前に貴様の倅が起こした騒動が切欠ではないか」


「――だっはっはっは! それは仕方ねぇさ。何故なら俺のガキだからなあ。生きていたなら一目くらい見てやってもよかったぜ。ここまで人間に喧嘩売るたぁ将来有望だったんだがなー」


「馬鹿者」


 前を見据えながら話す鬼二つを、臣下は困った顔で見つめた。人間とはいえそこらの雑兵とは違う。天地彦の里に来たのがその証。……なのにどうして、こんなにも悠長なのか。


 されど――その不安は、あっさりと、消失する。


「腕は鈍ってねぇか。ええ、オヤジ?」


「ほざけ。驕りなど愚の骨頂。ただこの身は――闘うが為の我が装束」


 天地彦は正面を睨む。その瞬間、大気は哭いた。


 彼の周りに漂う空気は戦慄。我先にとその鬼から逃げ出し、風となって辺りに吹き荒れる。地面は動けない故、自害する様に亀裂を生じさせる。後ろに立っていた臣下は尻餅をつき、怯えて声も出せずに震えるしかなかった。


 ――その隣でにやつく男は、愉快に。とても愉快に。


「いいねぇ。いいぜオヤジ。相変わらずあんたは面白れぇよ。よっしゃ! こんな舞台は久方ぶりだ。俺もやるっ」


「よいのか? 人の世でも生きれなくなるぞ」


「ご心配なく。偶々縁日で気に入ったやつが……ほれっ」


 どこから取り出したのか、男は狐の面を顔に付けていた。似合うだろ、と天地彦に見せつける。


「虎の威ならぬ、虎の衣を借る狐。なんつって」


「……ふっ。そうだな。貴様らしい洒落だ」


 両者は笑う。数多の敵を前にして、まるで誰もいなかったあの部屋と同じように。


「――では、行くぞ、朔魔」


「命令すんない。俺は愉しみてぇだけだよ」


 最後まで緩い雰囲気のまま彼らは、丘から飛び立った――――













 ――――――――――――――。

















 ……事態が集結したのは、高々と昇った太陽が、地平線に差し掛かった頃。


 死者七千百余。


 その中に、鬼は含まれていない。

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