第20話

 阿夜は閉じた眼できつく睨む。こざかしい真似を、と言いたげな、気に食わないと云った表情。


 ――切られたと思わせない斬撃、これが閻覇の技であった。


 一対一の戦闘に於いて、勝利するのに必要な能力とは、言わずもがな“速さ”である。

 相手が一でいて、己が刃物を所持しているのなら筋力は必要ない。たった一を殺すだけなのだから、その殺し合いに必要最低限の腕力さえあれば十分だ。しかし有るに越した事も無いのは、また一つの事実。力に任せてねじ伏せるのも楽といえば楽な話。


 だが、それは命中すればの話。己もまた一。己だけを注意すればいいだけの相手に、筋力しか能の無い攻撃を当てるのは至難の業である。


 鍛え込まれた筋肉から生み出す速さも相当なものではあるが、所詮、それは後付けに過ぎない。

 後という事は遅いという事。詰まる所、やはりそれは持久戦にしか効果を発揮しない、大群向けなのである。


 故に、単体を相手するならば、速さを優先する事が理に適う。いや、それ以前の問題として、速度が速ければ速いほど勝利と言える。


 何故か――簡単だ。


 対応できなければその時点で終わりなのだから。


「踏み込み、太刀筋、まだ足りんか」


 鋭い眼光そのままに、朱い瞳は相手を捉え続ける。呟き、思考するも揺るかない玲瓏の殺意。


 仕掛けるは真祖。破かれた裾から覗く妖艶な両足。左足を振って地面を蹴り飛ばす。

 硬い筈の地面は、砂の様に掘られて粉々に撒かれた。


 小石も混じる茶色の粉塵は閻覇に向けられる。防ごうにも、構えを解く事は出来ない。

 何故なら、抜刀術とは“構え”という準備があってこそ真価を発揮する。故に先の先を握る体勢を崩した瞬間に、真祖に対応できずに痛手を負う事となる。


 けれど、防ぐ必要など始めから無かった。

 閻覇は睨みの威圧によって粉塵を吹き飛ばす。そして、めくらましで当然に姿を消していた真祖を迎え撃つべく、右足を軸に半回転し、抜刀――

 振り抜いたという結果しか残さない、およそ視認など到底不可能な剣筋の下。こめかみから血を流す、黒髪靡かす鬼の姿が。


 閻覇は右手首を返した。

 鍛錬により、振り抜いた手首を即座に動かす事も容易い。そのまま下に向けて刃を滑らす。


 阿夜は頭だけを後退させ、それを難なく躱す。瞼の前、僅か一寸の隙間を空けて切っ先が横切る――


「…………」


 かに思えた閻覇の刀は、阿夜の眉間でぴたりと止まる。

 避けられるやも知れぬという想定、実際に避けられたという事実、想像と現実の二つを見据える閻覇の思考は常に加速している。そして唐突な判断を実行し、またそれに対して肉体が壊れないようにする為に、欠かさない鍛練というものがある。


 突き抜く――、がこれも意味を成さない。掠り傷一つ付けずに、至近距離からの攻撃を、阿夜は首を傾げ、当たり前といった無表情で躱す。


 しかし閻覇はまだ止まず。


 この距離で攻撃の手を休めてはならない。距離を取った所で意味はない――さすれば、続く限りは刀を振るわなければならない。

 再び手首を返す。刃を阿夜の頬に向けて横薙ぎ。


 頭部が避けきれないと直感で悟った彼女は、刃と向き合い、刀を噛んで防ぐ。そして首だけの力によって、体重二十貫もの閻覇を投げ飛ばした。


 閻覇は放物線を描く中、冷静に体勢を整え、見事に足から着地。すかさず構える――なれど、先程の場所に真祖の姿は無し。既に彼の懐で、中腰で待ち構えていた。


 半歩後退し、閻覇は抜刀。……致し方無いとはいえ、構えを少しばかり崩してしまった居合いは、最高速ではなかった。

 それでも尋常でない速さであるのは確かなのだが……やはり、刀身は鷲掴みにされた。


 阿夜の片頬がつり上がる。勝負は決した、と鬼の血が悦ぶ。このまま刀を握り潰し、武器を奪い、憎きこの者を粉微塵にしてやる――


「笑止」


 阿夜の考えを閻覇は蔑んだ。

 左手で、腰の帯に隠していた短刀を握る。そのまま逆手で抜刀。


「――ッッ!」


 短刀は、阿夜の右肩を通り抜けた。皮膚の硬さを考慮した一撃は、とても荒々しく肉を裂く。


 閻覇はそれだけを行った短刀を捨てる。鎖骨に当たった事で、もう刃は欠けてしまった。たった一度の、接近の為に残していた武器は、やはり一度しか使いようがない。


 だが、それによって生まれた好機を逃す訳でもない。

 痛みに緩んだ右手という拘束。直ぐに刀を引き抜いて、咽頭目掛けて突き出す。


 が、指一本分の距離から放たれるそれを、阿夜はありえない速さで躱す。反動を付けて、がら空きとなった閻覇の右半身に向けて、渾身の左拳。


「、、、、、!!?」


 歪に喚く骨。潰れる肉。駆け巡る血流。狂い乱れる痛覚。浸食された体内。

 ブッ、と上ってきた血を吐き、朱い瞳は煌めく。

 脇腹に突き刺さる白い腕を掴み、手首を握り潰す。


「―――――!??」


 飛び散る赤い水。破裂した肉から覗く骨はひしゃげてはいたが、林檎の芯みたいな形状で繋がっていた。

 それを、閻覇は体を引いて千切る。パキン、と乾いた音。


「――っ、化物――がぁァア?!」


 引いた彼の脹ら脛に、阿夜は噛みついていた。綺麗に整った白い歯は、見る見る内に赤く染まっていく。


 ――ひどく歪んだ顔。怒りに任せて顎に力を込める姿は、壮絶な痛みを堪える顔によく似ている。もはや理性の欠片も見いだせない、獣という表現しか似合わない、絶世の美鬼。


 噛みつかれる痛みを堪えながら、閻覇は刀を逆手に持ち変える。

 この時ばかりは冷静ではなかった。

 脇腹から胴体の中心へと到達した拳と、喰われているという悪寒と痛み。侮っていた訳ではないが、その実、焦っていた。強すぎる自身であるが故に体験した事のない現実。早く解き放たれたいと、単純に、彼はそんな事を願っていた。


 尚も噛みつく麗しき真祖。その顔と胴体を繋ぐ橋に、刃は落とされる――。

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