其の二十五 七色乙女――、和娘がくるりと舞えば、手放しで誉めるのが相場というもので


 大きくて真っ赤な二本足の根本、古ぼけた鳥居が私のことを見下ろし、ガヤガヤと喧騒の波が耳の奥底から響いている。じわりと滲む汗が全身にまとわりつき、私の頭はなんだか夢見心地だ。


 七色の和乙女たちの姿が、私の視界に入っては、消えゆき――

 ――浴衣……、ずいぶん前に買ったやつ着て来ちゃったけど……、地味だよね。やっぱり新調したかったなぁ……


 ハァッとため息を漏らして――、カランコロンと石畳を踏み鳴らす珍妙な音が耳に飛び込む。


「――おや、もう来ていたのか、お前はいつも早いな」

「……先輩」


 ひょうひょうと、いつも通りな先輩の『声』に、私の心がほだされた。


「……やっぱり着流しなんですね。……あれ、サングラスは?」

「ああ、屋外なら暗いし、それに浴衣ならある程度潰れて目立たなくなっているだろうと思ってな」

「……何の話ですか?」

「――あっ! い、いや、こちらの話だ。エフンエフンっ」


 ――果たして、『不審』。

 不自然な咳で私の疑問がごまかせるわけもなく――、でも先輩が真相を明かしてくれないことも知っていたので、これ以上の追求は諦めた。


「……それより、要望通り浴衣を着てきてくれたんだな」

「は、はい……、そりゃ、もちろん……」


 ――そう、私が地味な浴衣を無理やり着てきた理由はただ一つ、今日になって突然私のクラスにやってきた先輩が、「夏祭りにどうしても浴衣を着てきて欲しい」と懇願し始めたのだ。嬉しさと照れ臭さで思わずその場で爆発しそうになった私だったが――、先輩が醸し出す妙に切迫した雰囲気には、てんで気づいていなかった。


「ど、どうですか?」

「む? 何がだ?」

「……あ、いや……、浴衣、どうかなぁ~って――」


 ヘラヘラと、何かをごまかすように笑いながら、私はしゃなりと不格好な一回転を披露する。


「――あ、ああ……、ええと、似合ってると思うぞ、ウン」

「……ほ、ホント、ですか……? えへっ――」


 明後日の方向を向いた先輩がポリポリと頬を掻き、頬を朱色に染めた私は石畳の地面に目を落として――



「……こんなところでボーッと突っ立っていても、仕方がないな。春風、花火が始まるまであとどれくらいだ?」

「――えっ! あっ……、ええと、花火は八時からなので……、あと、一時間くらいあります」

「なるほど、――では時間まで、久方振りに夏の宴を興じてみるか、ホレ……」


 差し出された真っ白なその手に、私の心臓がゴトリと動く。


「……手、繋ぐんですか?」

「……この人込みだ、はぐれてしまっては面倒だろう?」


 眉を八の字に曲げ、訝し気な目つきをしている先輩とは対照的、――果たして、二回目だろうが慣れないものは慣れない。

 恐る恐る、震えるように差し出した私の手は少し日焼けしており、なんだか先輩の手の方が女性っぽいなと気恥ずかしくなる。魔女のように細い指が、赤子のようにまるっこい私の指を包み込み――


「――さて、行くか……、しかし夏祭りなんぞ久しぶりすぎて、何をしていいのかわからんな」


 何でもないようにごちた先輩の隣、石畳の地面に目を向けて歩いている私は顔をあげることができず、

 心の中に、とある想いがあふれ出る。



 ――今日、私は、この人に……、告白するんだ……。



 橙色の灯りがそこらかしこを暖かく包み、混ざり合う人々の声が夜の静けさを吹き飛ばす。ネオンライトが溢れ出たようなその空間はどこか幻想的で――、ドキドキと高鳴る私の心臓音が喧騒と混じり、フワフワと夢見心地な私がクラゲのように人の波を漂う。ハッキリと認識できるのは、掌を伝う先輩の体温だけで――


「――時に、春風」

「……えっ? は、ハイッ!」


 ――パチンッと、鼻提灯を割る様な声を上げたのは『私』で――、先輩は眉を八の字に曲げながら、頭一つ分背の低い私を見下ろしていた。


「……一つ、気になることがあるんだが……」

「な、なんですか?」


 ――言うなり、ぐいっと先輩が私の手を引っ張り、私のことを人混み外れた屋台と屋台の間に誘導する。先輩がくるっと後ろを振り返り、額に手をあてがいながら、じーっと目を細めて――


「……何か見つけたんですか?」

「……いや、さっきから僕たちのコトを尾けている人物がいるのだが……、あれ、お前の知り合いではないか?」

「――えっ?」


 さっきまでの夢見心地な気分はどこへやら――、ぎょっとした顔になった私は、先輩の視線をなぞるように遠くに目をやり、額に手をあてがいながら、じーっと目を細めて――


 ――果たして、『なんで?』。

 人々の波にまみれて、私が発見したのは陽明高校の制服を身に纏う一人の女子高生。屋台を陰にジー―ッとこちらを見つける能面のような無表情は――


 ――双葉……、な、なんでここにいるのよ……ッ!


「……彼女、前にお前が僕のクラスに来た時、大声であや芽のことを呼んだ子じゃないか? 一体――」

「――ちょ、ちょっと待ってくださいッ!」


 ――言うなり、手提げかばんからスマホを取り出した私は、くるっと先輩に背を向け、鬼神のごとくタップ入力を打ち込み――


 メッセージ:何やってんのよ! アンタはっ!


 送信ボタンを力任せに押し込み、鷹のような目つきで遠くの双葉を睨む。――果たして、私からのメッセージに気づいたらしい双葉が、こちらを窺い見ながらポチポチと手元でスマホ操作に勢を出し――


 メッセージ:いつもの巨乳が押しつぶされているから、最初あなたのことが誰だかわからなかったわ。……そう考えると、モモカって特徴の無い顔をしているのね。


 ――刹那、私の顔面はあらゆる色を失い、殺し屋のような無表情で双葉への返事を打ち込み――


 メッセージ:さっさと帰れ、今すぐ帰れ。


 そのままスマホの電源を切って、手提げかばんの中に乱暴に投げ入れた。


「……いいのか?」

「……よくないけど、いいです……」


 ハハッと乾いた笑いを浮かべる私の隣、先輩の頭上にはクエスチョンマークが盆踊りを踊っており、――而して、宴の喧騒にすぐにかき消されていった。



「あっ……」


 ガヤガヤと、人々の喧騒が相変わらずはた喧しく、隣りを歩く先輩は先ほどすくったスーパーボールをまじまじと見つめている。


「――どうした?」

 キョロキョロと子供のように景色を目移りさせ、思わず声を漏らしたのは『私』で――、不思議な輝きを放つ魔法の玉を掌で弄んでいた先輩が、チラリと私に視線を向ける。


「いや、『射的』……、子供のころによくやったな、って」

「ほう……、どれ、それではそのお手前、ぜひ拝見させてくれないか?」

「えっ!?」


 慌てて声を上げる私を見下ろしながら、珍しく先輩が愉しそうに笑っている。


「いや、でも最後にやったの、もう小学生の時だし……」

「まぁ、減るものでもないし、いいではないか。どれ、金は僕が出してやろう」

「……その発言、矛盾してませんか?」


 ――言いながらも、愉しそうな先輩の無邪気な要求に私が抗えるはずもなく――




「い、いきますよ……」


 気づけば、私はコルク銃を水平に構え、前のめりの姿勢でぐっと目に力を入れていた。


「どれを狙ってるんだ?」

「あ、あそこのスナック菓子です。一番上の段の……」

「む? スナック菓子なんぞでいいのか? 欲のないやつだな」

「……ほ、他のは大きくてたぶん倒れないです……、っていうか、話しかけないで――」


 ――パーーンッ



 ――果たして、『大外れ』。

 私が放った運命の弾丸は、大真面目な私をあざ笑うかのように虚空の彼方へ飛んでいった。


「……おや、ダメではないか。陽明のキャプテン・キッドと呼ばれたお前が……」

「……先輩まで私のこと変な二つ名で呼ばないでください……、しかもそれ、海賊です」


 とぼけた顔の先輩が何かをごまかすかのように笑い、釣られるように私の口元も綻んで――

 ――あれ、なんかこのやりとり、カップルっぽい、かも……?


 等身大の自分で、二人の時間をちゃんと楽しめている自分にハッとなる。

 急にフリーズした私を見下ろす先輩はきょとんとしており、「なんでもないです」とこぼした私は、はにかむように再び笑って――


「……おっ」

「……えっ」


 私の視界、先輩のすぐ後ろで、癖の強い茶色の髪がフワッと揺らぐ。

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