其の二十六 射的大敵――、運命の弾丸は魔法の玉と化し、聖騎士が石畳の地面にコロリと転がる
「モモカじゃねーか、なんだ、来てたのか?」
「……ひ、ヒマリ――」
橙色の灯りがそこらかしこを暖かく包み、ラフなTシャツ姿の向日葵がヘラッとだらしなく笑う。――その腕には、ピトッとひっつくように身体を絡ませている『見知らぬ女子』。
――誰? 見たことない……、うちの学校の生徒じゃ、ないよね……?
妙なもの寂しさと、正体不明の焦りを覚えた私は、素直にその疑問を口に出す事ができず――
「ねぇねぇ、この子だぁれ?」
――而して、私と同じ疑問を躊躇なく吐き出したのは『見知らぬ女子』で――、妙にたどたどしい口調が若干癪に障ったが、何も気にしていない様子の向日葵が、「ああ」となんでもないような声を出す。
「モモカだよ、ホラ、子供のころからずっと一緒で、同じ高校で、同じ水泳部の――」
「――あー! あなたがあのモモカちゃんなのね!」
にぱっとひまわりのように笑った少女の顔はあどけなく、疑問符が頭から取れない私はひきつるようにしか笑えない。
――えっ、この子なんで、私のことを知ってるの……?
感じた疑問は、思ったよりもすぐに解消され――
「おばさんやヒマリからよく聞いてるよ~、なんか、一日にたい焼きを十個食べないと死んじゃう身体だとか……」
――而して、思わずその場でズッコケたくなる衝動を必死でこらえた。
「ヒマリ! 変なキャラ設定つけないでよ!?」
「……ハハッ、わりぃわりぃ……、でも大食いなのは事実なんだから、いいだろ?」
「そ、それは……」
――果たして、『この野郎』。
日頃の自分の行いを振り返ると、「違う」と即答できないのがもの哀しいが……、わざわざ人前で言う事もないだろうと、幼馴染のデリカシーの無さを心の底から恨んだ。
――せ、先輩の前で、言わなくても……ッ
「春風、彼らは何者なのだ?」
久しぶりに声をあげたのは『先輩』で――、そういえば私と向日葵ばかり喋っていて、先輩を一人置いてけぼりにしていた事実に気づく。私は「ええと」と慌てた声を上げ――、でも『見知らぬ女子』を見知っているはずもなく。
――彼女……、かな? おばさんって、ヒマリのお母さんのことだよね? ずいぶん、深い仲みたいだけど――
逡巡している私を尻目に、代わりに返答したのは向日葵だった。
「――あなたが、噂の冬麻先輩ですね? 初めまして、俺、同じ陽明の二年、天野向日葵って言います」
『らしくない』口調で、妙に改まった向日葵がニヤッと口角を上げ――、対する先輩はきょとんとした顔で八の字眉を作っている。
「……噂? 君は僕のことを知っているのか?」
「ええ、もちろん存じていますよ。屋上で一人黄昏ながらサックスを吹く謎の美少年。最近、俺の大事な幼馴染とずいぶん仲良くしてくれてるみたいですから――」
「ちょ、ちょっとヒマリ……」
――なんで、そんな『煽る』ような言い方……ッ!
身体の中を駆け巡ったのは圧倒的な『違和感』で――、ニヤッと口角を上げる向日葵は、しかしその目は一切笑っていない。誰がどう見ても、……少なくとも私の目から見れば――、向日葵は明らかな敵意を冬麻先輩にぶつけていた。
「む? なるほど、誰もいないからという理由で屋上を利用していたが、そんなに目立ってしまっていたのか……、ん、美少年? 僕はこの通り平々凡々な顔立ちなんだが、いやはや、噂話というものは、得てして尾ひれエイヒレがついてまわるものだな」
――果たして、『温度差』。
顎に手を当てながらううむと唸る先輩は、向日葵から発されている『敵対のオーラ』にてんで気づいていなくて、――っていうかソレ、エイヒレじゃなくてハヒレじゃ……
「モモカ、射的やってんのか、懐かしいなぁ……」
急速に、いつもの『ヒマリ』に戻った向日葵が、カラッと乾いた笑顔を浮かべながら、ズラリと並んだ射的の景品群を懐かしむように眺めた。
「う、うん……、あそこの、一番上の段の、スナック菓子取ろうとしてて――」
「フーン……」
――果たして、『不敵』。
ニヤニヤと、イタズラを思いついた子供のような笑顔を浮かべる向日葵は、でも全く可愛げなんかなくて――、私の心の中の『嫌な予感』が、全身全霊でファンファーレを奏で始める。
「――冬麻先輩、俺と勝負しませんか?」
――得てして、『予感』は『悪い』ほど、『的中』してしまうものである。
「……ヒマリ! いきなり何を――」
「――ルールは簡単、順番にあのスナック菓子を狙って、先に落とした方が勝ち……、どうです、乗りませんか?」
ニヤニヤと嫌らしい笑顔を浮かべる向日葵は――、昨日の夜の公園、薄ぼんやりとした輪郭で屈託なく笑っていた彼とはおよそ同一人物とは思えない。向日葵の豹変の理由がまったくわからず、オロオロと動揺しているのは実際のところ『私一人』で――
「……ほう、面白そうだな。僕は射的はやったことがないが……、虎穴に入らずんば戦は出来ぬ、と言うしな」
ククッと薄く笑った冬麻先輩は、何故か乗り気だ。――っていうかまたことわざ間違えてるし……
「いいですね、先輩……、じゃあ、俺からいきますよ――」
「ヒマリちゃん、ガンバレ~!」
――あれよあれよという間に事態は急転していき、気づけば、ついていけてないのは私だけ。向日葵がズボンのポケットから銀色の硬貨を三枚とりだし、屋台のおじさんにチャリンと手渡す。コルク銃を水平に構え、前のめりの姿勢でぐっと目に力を入れて――
――パーーンッ
――果たして、『大当たり』。
カクンと首がもげるように、円筒のスナック菓子がフワリと浮いて――、数秒間のロスタイムを以てして、重力に従う様に石畳の地面にコテンと落ちた。
「へへっ! やりぃ~!」
「ほぅ……、すごいな兄ちゃん、一発とは……」
屋台のおじさんの感嘆の声と共に、『見知らぬ女子』も「すごいすごい」とピョンピョン跳ね始めた。白い歯をニカリと見せて笑う向日葵は少年みたいで、得意げに鼻をフフンと鳴らす。
「俺の勝ちですね、冬麻先輩」
それまで、ただジッと向日葵のヒーローインタビューを眺めていた冬麻先輩が、静かに口を開いて――
「――待て、まだ僕の出番が回っていない、これでは勝負にならないではないか」
「そ、そうよ! こんな一方的なやり方――」
「だがしかし、一発で獲物をしとめるその技術はあっぱれだ」
「そ、そうよ! あっぱれよ! ……って、えっ?」
冬麻先輩に追従するように抗議した私の声が虚空を切り、先輩がおもむろに、ゆらりとした所作で片腕をあげる。魔女みたいな指をピーンと張り、指し示したその先……、その場にいる全員の視線が一点集中する。
「――『アレ』を倒せたら、僕の勝ちということにするのは、どうだろうか?」
――人の頭一つ分くらいのサイズ感――、『聖騎士レイラ 八分の一スケール プレミアムフィギュア』と綴られている長方形の箱が、堂々とそびえ立っていた。
「……いいっすけど、アレたぶん、何百発当てても倒れないですよ?」
ニヤニヤと、相変わらず嫌らしい笑顔を浮かべる向日葵は――、でもさっきよりなんだか愉しそうに見える。先輩がフッと、なぜだか余裕しゃくしゃくに乾いた笑顔を浮かべて――
「まぁまぁ、何事も、やってみなければわからないさ、どれ――」
言うなり、着流しの懐から銀色の硬貨を三枚とりだし、屋台のおじさんにチャリンと手渡す。
――果たして、『ドン・キホーテの如く』。
射的をやったことがない先輩が巨人に向かって突撃したところで、風車の羽に吹き飛ばされてしまうのは誰がどう見ても瞭然だ。勝率0.01%の負け戦にを自ら提案した先輩の意図がわからず、私はハラハラと見守ることしかできなくて――
「……む、実際持ってみると結構重いのだな……、よっと――」
先輩はよろよろとコルク銃を水平に構え、フルフルとその身を震わせながら、不安定な姿勢でぐっと目に力を込めた。
固唾を呑んで見守る私と、ニヤニヤと口角を上げながら様子を眺める向日葵と、未だにピョンピョン跳ねている『見知らぬ女子』と、腕組みをしている屋台のおじさんと――
一同の視線が、先輩の背中に集まって、
「――あっ! あそこの草陰に『ツチノコ』がいるぞッ!」
先輩が放ったすっとんきょうな声が、私たちの耳にねじ込まれる。
――はっ……?
「何が起こったのだろう」と目を丸くしているは、『私』と『向日葵』と『見知らぬ女子』で――、
ただ一人ぎょっとした顔つきになった『屋台のおじさん』がガバッと後ろを振り返る。
「えっ、どこどこ!?」
――果たして、『マジかよ』。
屋台のおじさんからの監視を逃れた刹那――、音もなくコルク銃を台の上に置いた先輩が、ぐぐっと右手を振りかぶり――
右手に隠し持っていた『スーパーボール』を、
『聖騎士レイラ』めがけて投げ放った。
――バッコーーンッ!
――果たして、『クリーンヒット』。
カクンと、首がもげるように長方形の箱がフワリと浮いて――、数秒間のロスタイムを以てして、重力に従う様に石畳の地面にボトッと落ちた。
「……ツチノコなんてどこにも居な――、ってうそぉっ!?」
残念そうにぶつくさ念仏を唱える屋台のおじさんだったが、而してその目が再びぎょっと丸くなる。
「……フハハハハハハッ! どうだ! 『為せばなる、為さねば鳴こう、ホトトギス』だッ!」
高らかな笑い声を上げる先輩は心底楽しそうで……、でも言っていることは意味不明だ。「信じられない」という目つきでこちらを見やる屋台のおじさんがズズイと先輩に歩み寄り、その眉間には皺が八本くらい寄っている。
「あ、あんちゃん……、ホントにそのコルク銃を使ってあの箱倒したのかい?」
「む……、心外だな、神と仏に誓って言うが、僕は人を騙ったことなど一度もない」
――ど、どの口が言うか……。
喉まででかかったその言葉を、間髪で呑み込む。
「そ、そうかい……、そこまでいうなら信じよう、ホレ、持っていきなっ!」
ポリポリと禿げ頭を掻きむしる屋台のおじさんはどこか腑に落ちてなさそうだったが……、『聖騎士レイラ』のフィギュアの箱を両手で高らかに掲げる先輩は、オリンピックで優勝したマラソン選手のように誇らしげだった。
――ドーピングした癖に……。
「――プっ……」
ふと、漏れ出るような笑い声が、私の耳に流れて――
「アハッ……、アハハハハハハッ!」
ケラケラと、腰を九の字に曲げながら爆笑しているのは『向日葵』だった。
「おもしれー……、冬麻先輩、サイコーです! アハッ……、マジ、サイコー……」
ヒーヒーと、呼吸もままらないといった様子の向日葵をジトっと眺めているのは『先輩』で――
「……な、なんだ? 唐突に……、春風、天野くんは笑い上戸なのか?」
「えっ、えっ? い、いえ、そういう、わけでは……」
急展開に次ぐ急展開――、ぶっちゃけ私の脳は、狂乱が錯綜する混沌の宴に一切ついていけてない。ひとしきり笑った向日葵が、ふぅっと短い息を吐いて――
「……あーっ、なんか、安心した……」
ふにゃりと一言、空気の抜けるような声をあげた。
「ねーねー、かき氷食べるって言ってたじゃん! 早くいこーよー、氷溶けちゃうよー」
「あ、わりぃわりぃ、いやだから氷は溶けないって……」
張りつめていた緊張の糸が、唐突に切れる。『見知らぬ女子』が向日葵のTシャツのすそをぐいぐいと引っ張り、人々の喧騒が私の耳にドっと溢れてきた。一触即発の一幕は終焉を迎え、大仰なタメ息と共に私の肩からガクリと力が抜ける。
「じゃあ、俺ら行くわ。また明日、部活でな」
「あ、う、うん……、また――」
「冬麻先輩、モモカのこと、よろしくっス」
「……は? ……よくわからんが、承知した」
何事もなかったかのようにヘラッと笑った向日葵が、何喰わぬ顔でだらしなく手を振る。釣られた私も遠慮がちに手を振り返して――、意味深な向日葵の捨て台詞に冬麻先輩は首を斜めに傾けていた。「モモカちゃんまたねっ」と、『見知らぬ女子』のあどけない声が響き、いつ私はお友達認定されたのだろうと、これまた私も首を斜めに傾けた。
得てして、夏の台風は無事に過ぎ去ったらしくて――
「――先輩、すいません……、ヒマリのやつが、失礼なことを……」
「――失礼? 変なヤツで多少面食らったが……、別に不快になることは一つもなかったぞ。爽やかで、明るくて、いい友人ではないか」
「……それなら、良かったです」
ハハッと私の口から乾いた笑い声が漏れて、その場で立ち止まっていた先輩の肩に誰かの肩がドンッとぶつかる。思わずくるっと振り向いた先輩だったが、有象無象の人込みの中へへと消えた真犯人を見つけられるわけもなく――
「……覚悟はしていたが、やはり人が多いな。……いささか、疲れてきた」
「……どこかで、休みましょうか?」
「うーむ……。春風、花火が始まる時間まで、あとどれくらいだ?」
「えっ? ……あと、十分くらいですけど」
腕時計に目を落とし、私は刻の進行を杓子定規に読み上げる。顎に手を当て、何やら考え事をしている風の先輩が、チラリと、私に視線を向けて――
「よし、春風、ここから抜け出さないか?」
「――えっ……?」
――そんな提案をしてきたので、私はパチパチパチと三回瞬きを繰り返した。
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