其の二十三 偶然唖然――、人の運命は、大概が突然の邂逅によって定められる。意識しなくても人生は勝手に回れ右をする


「ヒマリ、かぁ……」


 ボソッと呟き、チャットアプリでその名前を検索する。

 プロフィール画面に丸くくりぬかれた一枚の写真。水泳部の仲間と一緒に屈託なく笑うアイツの笑顔は、眩しいくらいにキラキラしていた。

 ――そっと、通話ボタンを押しやろうとして……、ブルブルとかぶりを振る。


「……自分の恋なんだから、自分で答えを見つけるって、決めたばっかりだし、そもそも、アイツに何を相談すればいいのかもわからないし――」


 ポイッとスマートフォンをベッドの上に放り、ゴロンとベッドの上で大の字になる。


「……でも、自分で答えを見つけるって、どうすればいいんだろう。自分の気持ち……、自分の考えていること、うまく先輩に伝えることなんて、できるのかなぁ?」


 やわらかいシーツの上、ゴロゴロと芋虫のように身体を転がしている私の口から、こぼれる独り言は止まる気配を見せない。


「……あの、先輩だしなぁ。夏祭りに誘っただけでも、すごい反応されたし……、そもそも私、先輩の前だとなんか感情的になっちゃうし……、ああ~、世の中のカップルは、一体どうやって告白という一大イベントを乗り越えて――」

「――アンタ、さっきから独りで何ブツブツ言ってんの?」



 ――果たして、『第三者の声』。

 無意識の内に言葉をこぼしていた私の意識がぐいっと現実に引き戻され、ガバッと身を起こすと、ジト目で私を見つめているお母さんが部屋の中に居て――



「ぎぃやあああああああっ!?」


 恥ずかしさと驚きを足して炭酸水で割ったような絶叫が、四畳半の一間に響く――




「――お、お母さんっ! 部屋に入るならノックくらいしてよ!」

「……何度もノックしたのに、一切返事をしなかったのはどこの誰かしら……」


 はぁっと呆れたようにタメ息を漏らしたお母さんが、手に持った紙袋をぐいっと私の目の前に突き出してきた。


「……えっ、なにこれ?」

「コレ、ヒマリ君の家に届けてくれない? 今日、町内のパン教室でヒマリ君のお母さんに会ったんだけど、旅行のお土産を渡すのをすっかり忘れちゃって、あんまり日持ちしないやつだから――」

「……えっ!?」


 私の目がまん丸く見開かれ――、対面のお母さんも目を丸くして驚いている。


「……な、何をそんなに驚いているの? 家も近所だし、届け物を頼むのも別に初めてじゃないのに……?」

「――あ、うん、そう、なんだけど……」


 ――な、なんでこのタイミング?

 私の頭上、クエスチョンマークとビックリマークが社交ダンスを踊り始め――、首を斜め四十五度に傾けたお母さんは、めんどくさそうに紙袋を私の机の上に置いた。


「……それじゃあ、お母さん洗い物するから……、頼むわね?」


 ――言うなり、木造の引き扉がバタンと閉じられ、私の部屋に静寂が戻る。



「……まさかコレも、運命の導きとか言い出すんじゃないわよね、フタバ――」


 私の口からハハッと乾いた笑い声が漏れ出て、

 頭の中の親友はクスクスと愉しそうに笑っている。



「――モモカちゃん、わざわざ悪いわね~、こんな夜に……」

「あ、いえ……、すぐ近所ですし、全然大丈夫です」


 等間隔に並ぶ街灯がコンクリの地面を淡く照らし、木造一軒家の玄関のドアから漏れる光は橙色だった。申し訳なさそうに笑う向日葵のお母さんの声は相変わらず柔らかくて、子供時代にタイムスリップした感覚を覚えた私の口が自然とほころぶ。


「――あっ! そうだ、実家からスイカがいっぱい送られてきたのよ~、ももかちゃん、食べてく?」

「――えっ!? ……い、いえ! もう遅いですし、明日も学校ですし……」

「……そう、よねぇ……、ごめんなさい、久しぶりにももかちゃんが来てくれたもんだから、おばさん舞い上がっちゃってっ」


 『スイカ』という魅惑のワードに、私の口から思わずじゅるりとヨダレが垂れ――、でもなんだか向日葵と鉢合わせるのが気まずかった私は、一握りの理性で甘い果実と別れを告げた。


「……ヒマリのやつ、最近帰り遅いのよ~、ったく、高校生になってからすっかり不良になっちゃって……」

「――あっ、今日の部活の終わり、他の部員たちとラーメンがどうこうって言ってたので、それじゃないかと、ハハッ――」


 ――なんだ、ヒマリ、まだ帰っていないのか……

 ホッとしたような、ガッカリしたような――


 困ったもんだとばかりに鼻を鳴らした向日葵のお母さんが、「また、いつでも遊びにきてね?」と柔らかく笑う。「ぜひ」と笑い返した私の耳に、遠慮がちに閉じられた引き扉の音が流れて――、くるっと振り返った私は真っ暗闇の街へと目を向けた。


 ふぅっと短い息が漏れ出て、キキーッと自転車のブレーキを鳴らす音が聞こえて――


「あっ」

「えっ」

 ――二つのマヌケな声が、真っ暗闇の街に響く。



「――あれ、モモカ、なんでうちにいるの?」


 癖の強い茶色の髪がフワッと揺らぎ、自転車にまたがっている向日葵がきょとんとした顔でこっちを見ている。


「あっ、あの……、お、お母さんに、届け物を頼まれて――」


 ――果たして、『タイミング!?』

 油断しきった私の心にエマージェンシー音が鳴り響き、つっかえつっかえに言葉を返した私は誰がどう見ても挙動不審だった。そんな私の態度に向日葵は気づいているのかいないのか――、「よっこらせ」と自転車のスタンドを立てながら、ケラケラと無邪気に喋りかける。


「そうなんだ、――っていうかお前もラーメン来ればよかったのに!」

「……あのね、ラーメンを食べた後に家の夕ご飯を食べるなんて荒業……、この世で成し遂げられるのは男子高校生の胃袋だけなんだから」

「……いや、モモカならいけるだろ」

「……い、いけるかもしれないけど……、私だって一応『女子』なんだからねッ!?」


 キーキーと子猿のような私の声が響いて――、そんな反応が意外なのか、向日葵が豆鉄砲と猫騙しを同時に喰らったみたいに目を丸くする。


「……お、おう、なんか、悪ぃ……」

 ――そして、『らしく』もなく、しなびた声をあげた。


 等間隔に並ぶ街灯がコンクリの地面を淡く照らし、二つの影を巡るは謎の沈黙――



「……じゃあ、また明日部活で――」


 まっ平な水面にポチャンと小石を放ったのは『向日葵』で、

 スッと私の隣りを横切った彼の髪の毛がフワッと揺らいで――



「――待ってッ!」

 閑静な夜の住宅街、雷鳴の如く甲高い声を上げたのは『私』だった。

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