其の二十二 浮き足差し足――、空中をスキップしている友人を見かけたら、全力で止めに入ったほうがいい


 HANDLE:杏  DATE:7月10日(月)

 

 明日の夏祭り、彼女と一緒に時間を過ごして、自身の気持ちについて、考えてみたらいかがでしょうか。

 彼女はきっと、アジサイさんの本心について、直接聞きたがっているはずです。





 ――無機質な送信ボタンをタンッと押しやり、私は再び更新ボタンを連打する。返ってきた先輩の返答は簡素なもので、通り一編なお礼のあと、「もう少し自分の気持ちについて考えてみます」という文章で締めくくられていた。


 ――ポンッとスマートフォンをベッドの上に放り投げ、柔らかいシーツの上を大の字になって寝転ぶ。


「……先輩が、私のことを、意識し始めてくれている――」


 ぐいっと自分の頬をつねってみたが、それなりに痛い。夢じゃない、夢じゃないのだと自分に言い聞かせ――、でもどこか夢見心地な私は、現実世界をうまく認識することができない。さきほど放り投げたスマートフォンを再びガバッと手に取り、先輩の書き込みに再び目を通す。そこには確かに、「すごくかわいいな」と綴られていた。


「かっ、かわいいって……」


 ――そういえば、『巨乳』『巨乳』とは言われるけども、親戚のおばちゃん以外で私のことをかわいいと言ってくれる人なんか、周りにはいなかった気がする。


 ――や、やばい……。

 顔が真っ赤に染め上がり、制服のワイシャツは汗でびしょびしょだった。とりあえずお風呂にでも入ろうとスッと立ち上がった私の耳に、滑稽なデジタル音が「ポロリンッ」と飛び込んだ。

 ――チャットアプリからのメッセージ通知、差出人は言わずもがな、『如月双葉』で――


 メッセージ:猿も木から落ちる。好事魔多し。勝って兜の緒を締めよ。


 スッと無表情に直った私は、鬼神のごとく指を動かし、

 呪いのメッセージを送りつけた張本人へ果し状を突き返した。




『……もしも――』

「――なんのつもりだッ!」


 ありったけの大声をまくし立て、おそらく電話越しの双葉は耳元から一旦スマホを少し離しているだろう。


『――声でかっ……、いえ、浮かれるのはいいのだけれど、百人に一人の恋に油断は大敵だって……、少し釘を刺そうと思って……』

「なっ……、う、浮かれてなんか、いないわよ!」

『……私、今日、図書委員の仕事があって帰りが閉門時間近くになってしまったのだけど、誰もいないグラウンドを、スキップ交じりにかばんをブンブン振り回しながら闊歩していたのは、どこの誰だったのかしら?』


 ――果たして、『油断そのもの』。

 その時の私は、先輩と夏祭りにいく約束をとりつけたことで、文字通り有頂天になっており――、ぶっちゃけ、誰の目から見ても『浮かれていた』。


「ぐっ……、み、見てたんなら、声をかけなさいよっ」

『あなたのスキップのスピードが速すぎて、追いつけなかったのよ……、あなたの足の筋肉、どうなってるの?』

「……フタバが運動しなすぎなのっ!」


 ――果たして、『彼女の術中』。

 フワフワと浮ついてた私の心は、抑揚の無いトーンの双葉の声によって、見事空気中にくぎ付けにされる。


『……ともあれ、うまくいったようね。~恋の花火で一発逆転、青春は爆発だ~、作戦』

「……勝手に安いタイトルつけないで」

『――~巨乳の初恋物語~、もいよいよ終盤ね。あとは――、告白するだけかしら?』

「――えっ!?」


 ――『告白』。

 国語辞書を開くと、その言葉の意味は『秘密にしていたことや心の中で思っていたことを、ありのまま打ち明けること。また、その言葉』と綴られているが――、その二文字の熟語をそのままの意味で捉える女子高生はこの世にいない。恋愛初心者の私だって、『告白』=『愛の告白』という方程式くらいは知っている。


『……何を驚いているのかしら、このままずるずるとデートを続けていてもしょうがないでしょう。さっさと秘めたる想いをぶちまけてしまいなさい』

「そ、そんな簡単に言わないでよぉ……」


 ――夕暮れの屋上、「何故自分を夏祭りに誘うんだ」と先輩に問われたあの時、溢れた想いが喉の奥底で渋滞を起こして――、私は何と口にしたらいいのかてんでわからなくなった。一言『好き』って言うだけなのに、その『好き』には――、とても言葉では表せられない、色んな想いが詰まっていて……。


 ――でも、さっきは、口から勝手に出てきたんだよなぁ、『好き』って――

 自分で、自分の心がわからない。そんな精神状態で告白なんてできるわけがない。



「ねぇ、フタバ……、告白って、どうやればいいの?」

『えっ?』


 ――果たして、『直球』。

 私は、頭の中に湧き出た疑問を、電話越しの親友に向かってそのままぶつけた。


『……そうね――』

 淡々と、抑揚のないトーンが私の耳の中に響き――


『――私にも、わからないわ』

 その台詞は、あっけなく終息を迎える。



「……えっ?」


 思わずマヌケな声をあげたのは『私』で――、デジタル信号に変換された双葉の声は抑揚のかけらもなく、ロボット音声そのものだった。


『……いえ、だって私、リアルな恋なんて、したことないもの』


 ――果たして、『今更?』。

 彼女が宣った台詞は私が今まで散々ツッこんできた事実だったし……、それでも私は双葉の言葉にいつも勇気づけられていた。ここにきてつっけんどんな態度の彼女に妙な焦燥感を覚えた私は、思わずすがるような声をあげ――


「……こ、ここまで来て突き放さないでよっ!? 何か、アドバイスくらい――」

『――モモカ、勘違いしないで』


 恐ろしく低く、恐ろしく冷たい――

 絶対零度の彼女の『声』が、弱々しい私の『声』をかき消した。


 幾ばくかの静寂が私たちの間を流れ、そういえば夏虫の音がリンリンとやかましい。ふぅっと息を漏らしたのは『双葉』で――、彼女はゆったりと、大きなマフラーを丁寧に編み込むように……、淡々と、抑揚のないトーンで声を紡いだ。


『……私は、一人の友人――、いえ、親友として、あなたのことはとても大切に思っているし、幸せになって欲しいとも願っているわ。百人に一人の恋……、どんな結果が待ち受けていたとしても、私は、あなたの傍に寄り添っていたい。――でもね、あなたの恋愛は、所詮あなたの問題でしかないのよ……、巨乳の初恋物語の主人公は、紛れもなくあなたなのよ。最後にどんな答えを出すのか、どうやって決着をつけるのか――、それを考えるのは、やはりあなたの仕事なんじゃないかしら?』

「――ッ!」


 ぐいっと目の奥を引っ張られたような、熱湯と冷水を同時に浴びせられたような――



 空気中にくぎ付けされていた私の浮ついた心が、音を立てながら雲散霧消する。

 視界に映る四畳半の部屋が妙にリアルで、パチパチと瞬きが止まらない。



「――ゴメン」


 ――そして、私の口から、弱々しいトーンの声が漏れる。


「……私、どうかしてたよ。自分の、恋なのにね……、人に答えを求めるなんて……、絶対違うし……、そんな恋愛、絶対うまくいくわけないよね――」


 ――果たして、『懺悔』。

 さきほどまでの浮ついた気持ちは、散り散りになってどこかへ消えてしまった。


 ……でも今は、濁り気のない眼で、等身大の自分で――

 『自分の気持ちに対峙できる』って、そう思うことができた。


 ――先輩だって、自分の気持ちにちゃんと向き合おうとしているのに、私の方が逃げてちゃ、ダメ……、だよね――



『……モモカ』

 淡々と、抑揚のないトーンが耳に響き――


『あなたって、ホントびっくりするくらい、純粋よね』

 あっけらかんとした口調で、彼女はそんなことを言う。



「……えっ?」


 私の口からマヌケな声が漏れ出て、電話越しの友人はクスクスと笑っている。……何が可笑しいのかがわからず。私はパチパチパチと三回瞬きを繰り返した。


『誰かに助けを求めたいほど悩んでいるってことは……、あなたがそれだけ恋に真剣なんだと思うわ――、そうね、リアルな恋を知らない私に、告白のアドバイスをすることはできないけれど、前に私が提案した作戦を実行に移す……、っていうのはどうかしら?』

「……えっ?」


 ――果たして、『何だっけ?』。

私の口から再びマヌケな声が漏れ出て、電話越しの友人がはぁっと短いタメ息を吐いた。


『男の子の気持ちは、やっぱり男の子がよく知っている……、あなた、百人に一人の恋について、まだヒマリ君に相談していないでしょう?』

「――あっ……」


 ――果たして、『そうだった』。

 自身の恋慕について、一度は向日葵に打ち明けようと思ったものの……、心の中の私がリアルな私の口をふさぎ、結局アイツには何も言ってないまま――


『……実際にどうするかは、あなたに任せるわ。ただ……、彼のためにも、あなたが恋をしている事実だけは、早めに伝えておいた方がいいかもしれないわね』

「……えっ、『私に好きな人ができた』って向日葵に伝えることが……、なんでアイツのためになるの?」

 頭の上にクエスチョンマークが浮かび上がった私の耳に、リンリンと夏虫の音が響く。幾ばくかの静寂を経て、なぜか押し黙っている双葉が――

『……いえ、なんでもないわ。それじゃあ私は、今から「聖騎士レイラと暗黒猿軍団」を一から見直す予定だから、オヤスミ――』

 少しだけ早口でまくし立て、プツッと唐突に電話を切った。

「――ちょ、ちょっとッ――」


 無機質な電子音が等間隔に鳴り響き、慌てて口を開いた私の声が虚空を切る。「なんなのよ……」とこぼしながら、ふぅと短く息を吐いた私の頭の中――

 

 癖の強い茶色の髪がフワッと揺らぐ。

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