其の九 恋慕炸裂――、巨乳は時として、そのままの意味で武器になる……、かもしれない


「――こうして、聖剣トコナッツ・ソードを携えたレイラは、暗黒猿人の統領、『ウッキーナ・三世』と対峙することになったの。『ウッキーナ・三世』は恐ろしい敵よ……、その巨体は東京タワーのそれをはるかに凌駕していて、鼻息をかけられるとお尻が真っ赤に腫れあがってしまうの、しかし、そんな巨悪にもレイラは一切のしり込みをすることもなく……、ってモモカ、聞いてる?」


「……ふぇっ?」


 陽明学園、二年一組、とある昼下がりのワンシーン。


 ミートボールを箸でつまんだままボーッと窓の外に目をやっていた私の口から、気の抜けた声が漏れ出る。


「……聞いていなかったわね。せっかく私が『聖騎士レイラと暗黒猿軍団』のクライマックスシーンを解説していたのに……」


 普段から細い目つきの彼女……、『如月双葉』が、その目をさらにジトッと湿らせて私のことをヌルリと睨む。慌ててゴメンゴメンと謝った私は、そのままふわっと生あくびをかました。


「……あなた、昨日もまた眠れなかったの?」

「えっ? あ、いや……、まぁちょっとね……」


 頭をポリポリと掻く私の口から、生あくびが止まらない。はぁっと短く息を漏らした双葉がパタンとお弁当箱を閉じやりながら、相変わらずのジト目を私にぶつけてくる。


「――それで、何か進展はあったのかしら?」

「……えっ? な、なんのコト……」

「……あなたの王子様、愛しの冬麻先輩のコトに決まっているじゃない」


 その名前が耳に飛び込み、露骨に慌てた表情を浮かべた私は、何かをごまかす様に窓の外に目をやった。ひょいっとミートボールを口の中に放り込み、もごもごと小動物のように口を動かす。


「……い、いやぁ~~、どうなん、ですかねぇ~~……」

「――昨日は結局、放課後に屋上へは行ったのかしら?」

「…………うん」

「会えたのかしら?」

「…………うん」

「話したのかしら?」

「…………うん」

「……、一体どんな話を――」

「――あ、あのねっ! フタバ……」


 通り雨の如く浴びせられる質問に耐えられなくなったのは『私』で――、双葉は一時停止したビデオ映像のようにピタリと動かなくなり、私は机の上に目を落としながらパクパクと口を開閉させている。


「……あのね、私――」


 胃の奥にしまわれた言葉が「飛び出したい」と叫んでいる。でも喉の線が細くて、その音はつっかえてなかなか外の世界に出ていってくれない。ギュっと目を瞑り、双葉は何も言わずに私のコトをジッと見つめていて――


「私……、やっぱり冬麻先輩のコト、す、好きになった、みたい……」


 言いながら、全身が火照っていくのを感じる。ガヤガヤと昼下がりの教室はやかましく、窓の外の校庭では何人かの生徒がバスケットボールに興じているようだった。


「モモカ、あなた――」


 しばしの間ののち、おもむろに声を出したのは『双葉』で――、私がスッと視線をあげると、双葉はニコリと女神のような微笑を浮かべた。


「――それ、私が昨日さんざん言ったじゃない」


 ……もとい、女神ではなく小悪魔の微笑であった。


「――えっ?」

「……照れ隠しで否定しているのかと思っていたけど……、あなた、本気で自分の気持ちに気づいていなかったの?」

「……そ、そう言っていたじゃない……、人を好きになったことなんかないから、わからないって――」

「……宇宙人ね……」

「……日本人ですぅ……」


 ヘロヘロと覇気のない声が教室の喧騒にかき消され、いじけた私は口の中の出し巻きたまごをもしゃもしゃと噛み潰した。


「――でも、昨日と違って彼に拒否されなかったのは進展じゃない。あとは、どうやって距離を縮めていくか、ね……」


 昨日の屋上での出来事をひとしきり双葉に話すと、彼女はまるで探偵のように口元に手をやり、ううむと唸りはじめた。弁当箱をカバンにしまって、べたーっと机の上につっぷしている私は相変わらずいじけている。


「距離を詰めるって言ったって、どうしていいかわかんないよぉ……」

「取り急ぎ、その巨乳を使って、彼の顔をビンタしてみるのはどうかしら?」

「――ドン引きされるわっ! なんでそんな発想になるのよ!」

「冗談よ……、半分は」

「――そこは百パーセント冗談にしろ!」


 キィキィと甲高い声で抗議する私を見る双葉が、愉快そうに笑う。――他人事だと思って、コイツは……。


「――男の子の気持ちは、『男の子』がやっぱり一番知っていると思うの」


 ――かと思うと、ふいに神妙な顔つきでそんなコトを言い始める。私は机につっぷしながらキョトンと目を丸くした。


「男の子がどういう時に『女の子』を意識するのか……、仲の良い男友達に聞いてみる、っていうのはどうかしら?」

「……えっ?」


 まるで新発明を閃いた科学者のように、双葉がピンと人差し指を立てながら首を傾ける。私は相変わらずマヌケな顔つきで、のそりと身を起こしたあとに力の無い声をこぼした。


「……いや、そんなコト相談できそうな男友達、いないし……」

「――ヒマリ君がいるじゃない?」

「……はっ? ヒマリ……?」


 口を半開きにしている私の眼前、双葉がもう片方の手でも人差し指をピンと立てた。――彼女の胸元で両手の人差し指が天を指し、もはや何のポーズなのかもわからない。


「そう、ヒマリ君。彼とあなたは幼馴染で、心やすいのでしょう?」

「……確かにアイツとは昔からの腐れ縁だけど……、イヤよ、アイツに私の気持ちを知られるのなんて……」

「あら、百人に一人の恋を成功させるのに、しり込みしている余裕なんてないんじゃないかしら?」

「ぐっ……」


 双葉の細い目つきが私の心臓を貫き、私は思わず声を詰まらせる。――かと思うと、彼女の口から「あっ」と声が漏れ出て、双葉は何かを思い出したように窓の外に目をやった。


「……でも、そうか……、いや、その方がいいのか……」


 彼女は頬杖をつきながらブツブツと独り言を漏らしており、私は双葉に訝し気な目線を向ける。


「……なに、なんなのよ」

「――あっ、いえ、こちらの話よ――、双葉、とにかくヒマリ君に相談しましょう。安心して、私の母は『運命の伝道師』と異名を持つ著名な占い師よ。その血筋を引いた私の言葉を信じなさい」

「……アンタのお母さん、美容師さんでしょーよ……」


 はぁっとタメ息を漏らした私の頭の中、癖の強い茶色い髪がフワッと揺らぐ。滑稽な鐘の音がひとときの休息に終焉を告げ、眼前の双葉がクスッと愉しそうに笑った。




 ――ピッ、ドボーン。ピッ、ドボーン……――

 甲高い笛の音が鳴って、大仰な水しぶきの音が弾けて――


 等間隔のリズムでプールに飛び込んでいくチームメイトたちの姿が、なんだか精巧に作られたアンドロイドロボットのように映る。――放課後、水泳部の練習時間の一幕、プールサイドでボーッと休憩している私の視界、一人の男子高校生の日に焼けた肌が目に入った。


 ――ヒマリ……。


 天野向日葵との出会いは小学生一年生の時だった。正直、仲良くなったきっかけはよく覚えていない。どちらかというと男子に混じって外で遊ぶのが好きだった私は快活な向日葵とよく一緒に行動していた。


 ――そういえば、最初に私の胸のことを面と向かってからかってきたのも向日葵だった気がする。小学校高学年のころだったろうか、思春期真っ盛りの私はそのことがイヤでイヤで、当時は声を荒げて本気で怒っていたと思うけど、あまりにもしつこく言ってくるものだからなんだか慣れてしまった。――悲しいかな、今となっては胸の大きさについて誰になんと言われようと何も感じなくなった。……それでいいのかは、わからない。


 中学生になると、さすがに外で一緒に遊んで――、みたいなことはしなくなった。ただ、向日葵はクラスが違うのにも関わらずよく私に会いに来た。ちょっとずつ大人びていく同級生たちにどこかついていけなくなっていた私が、中学生になっても変わらない向日葵との交流にホッと安らぎを感じていたのも事実だ。


 向日葵は運動神経が良く、中学の時はサッカー部のエースだったらしいけど……、噂に聞くくらいで本人が直接それを言うことは決してなかった。たまたま同じ高校に入ることになった私たちだったが、なぜか向日葵は私と同じ水泳部に入部した。驚いた私が理由を聞いても、「俺は前世が魚だったんだ」とわけのわからない冗談で一蹴された。向日葵ならどんなスポーツでも大活躍間違いなしのはずなんだけど、なんでわざわざ水泳部に――


「――モモカ、いつまで休んでんの、練習メニュー終わんないよ?」


 友人の声掛けに、ハッとなる。


 ゴメンゴメンとこぼしながら腰を上げる。水泳キャップを被った私は、水泳ゴーグルをギュっと目の周りに押し当て、そのままドボンと淡いブルーの水面へと溶け込んでいった。

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