其の四 桃色推理――、いつの時代も情報弱者は肩身が狭いわけであって


「――え、屋上でサックスを吹いている男子?」


 お弁当箱のフタをパタンと閉めながら、小動物のように丸い目を少しだけ見開いた彼女が、きょとんとした顔でこちらを見やる。


「ええ、『河合さん』……、あなた確か吹奏楽部だったわよね。同じ部員で、そんな生徒に心当たりはないかしら?」


 淡々と言葉を連ねる無表情の双葉に対して、河合さんはなおも不思議そうな表情を浮かべたまま。普段ほとんど話す機会がない私と双葉からの突然の問いかけに、彼女はシンプルに困惑しているようだった。


「ふ、フタバ……、やっぱいいよ。ゴ、ゴメン河合さん、なんでも、ないか――」

「――それなら、十中八九、冬麻先輩だと思う」


 私の声はピシャリと遮断され、代わりに河合さんのアニメみたいな声が流れる。


「トウマ……、『先輩』?」

「うん、冬麻先輩。今年三年生になる一個上の先輩だよ。冬麻先輩、いつも部室じゃなくて屋上で一人で練習しているから」


 ――そっか……。



 ――果たして、『納得』。

 決して全校生徒の数が少なくない県立高校とはいえ、なにも一学年何千人というレベルの規模ではない。廊下ですれ違った程度でも、同じ学年の生徒ならば顔くらい覚えているだろうと、屋上で出会った彼に全く見覚えがなかったことが不思議だったのだ。


 ――而して、『先輩』であるなら初対面でも不思議ではない。うちの学校は学年ごとに階が違うので、同じ部活でもなければ他学年同士の交流なんて殆ど皆無に等しいからだ。


「……あら、『先輩』だったの……、これは、ますます面白くなってきたわ。ねぇ、モモカ?」

「な、なにがよ……」


 クスッと笑って、線の細いロングヘア―を意味ありげにかきわけた双葉がこちらを見やる。私たち二人のやり取りをなおを不思議そうに眺めながら、置いてけぼりの河合さんがあどけない声で疑問を口にした。


「ねぇ、なんで冬麻先輩のコトを知りたいの?」

「えっ!?」


 ――果たして、『当然の質問』。

 普段話す機会のない……、しかもどちらかというとクラスの輪からは外れている二人組からの突然の職務質問――、河合さんの頭の上にクエスチョンマークが舞うのは必然だ。彼女の質問にどう答えればいいかと、露骨に動揺する私などお構いなしに――


「ああ、実はモモカがその先輩のコトを、最近気になっているらしいのよ」


 如月双葉が、秘められた乙女心をポイと雑踏に放り込む。



 ――スパァーーンッ!



 ――果たして、『クリーンヒット』。

 気持ちのいい炸裂音が教室に響き渡り、涙目で頭をさする双葉がこちらを睨む。


「……ッ、モモカ……、あなたは一般人よりも何倍もの筋力を持つサイヤ人みたいなものなんだから、他人の頭を引っぱたく時に加減するということを覚えなさい……」

「う、うるさいわよ! っていうか勝手に人の気持ちを暴露するな!」

「――え、モモカちゃん、冬麻先輩のコト、好きなの?」


 三色の乙女の言葉が喧騒渦巻く教室内を錯綜し、あどけない河合さんの声が吹き矢の如く私の心臓を射抜いた。ギギギッ……、と年代物のロボットのように首を動かした私は、河合さんに向かってヘラッとだらしなく笑いかけ――、しかしその口元はひきつっている。


「……い、いやぁ……、好きというか、……ですねぇ~、なんというか、……ですねぇ~」

「……昨日、その人のことを考えて眠れなくなっていたのでしょう? 誰がどう考えてもぞっこんじゃない」

「ふ、フタバは黙ってろっつの!」

「あ、あの――」


 三色の乙女の言葉が喧騒渦巻く教室内を錯綜し、あどけない河合さんの声が手まりの如くフワリと地面に落ちる。何事かとほぼ同時に彼女の方に振り向いた私と双葉に対し、しおらしい様子の河合さんが懸命に言葉を紡いだ。


「なんていうか……、冬麻先輩は、やめたほうがいいと思う……」


「えっ」

「えっ」

 ――そして、マヌケな声が滑稽に重なる。


 露骨にフリーズした私たち二人を眺めながら、ハッとした表情を浮かべた河合さんが慌てたようにパタパタと両手を振った。


「あ、い、いや……、悪い人……、とかじゃ、ないんだけど、その……」


 もごもごと口をごもらせる河合さんを見やりながら、唐突に双葉が彼女の一つ前の席に腰を掛ける。能面のような無表情のまま意味ありげに長い髪をかきわけ……、ニコッと意味なさげな笑みを浮かべた。


「――慌てなくていいから、思ったことをゆっくり、お姉さんたちに話してごらんなさい……?」

「……心理カウンセラーかっつの……」


 はぁっと露骨なタメ息を吐いた私とは対照的、河合さんが「勇気をもらった」みたいなリアクションでコクンと力強く頷く。なんでだ。


「う、うん……、その、冬麻先輩……、あんまり人と話さないの。変わってるっていうか……、特に女の子と話している所は、殆ど見たことがないかも……。だから――」


 チラッと、上目遣いで河合さんが私のコトを窺い見る。三色の乙女の間に一呼吸の時間が流れ、私の全身に妙な緊張感が駆け巡る。


「もしかして冬麻先輩、女の子が苦手なんじゃないかな……」


 ――キーン、コーン、カーン、コーン……

 昼下がりの教室はガヤガヤと相変わらずやかましく、祭り騒ぎに水を差すような鐘の音が空間に響く。


「そっか……、いや、でも――」


 こぼすように声を落としたのは『私』で――、一人でぶつぶつと念仏を唱えている私のことを、双葉と河合さんがジッと窺い見た。


「あの、河合さん、冬麻……、先輩に、『近づくな!』とか、言われたことはない?」

「……えっ? い、いや、それはさすがにないよ……」


 ――えっ、ないの?

 あんぐりと大口を開けている私のことを、河合さんがきょとんとした顔で見つめる。祭りが終焉を迎え、クラスメート達がそぞろ次の授業の準備を始めようとしているさなか、私の頭の上ではクエスチョンマークが阿波踊りを舞っていた。


 ――女の子が苦手、っていっても……、あの時のあの拒否反応は……、『異常』だよね。やっぱり、何か理由が――


「モモカちゃん」


 河合さんの可愛らしい声が耳に飛び込み、私の意識がハッと現実に引き戻される。「何?」とうわづった声で返答した私に対して、彼女はニコッと幼子のような笑顔を浮かべた。


「冬麻先輩に会いたいなら、放課後はいつも屋上で一人で練習しているから、行けば会えると思うよ?」

「えっ?」


 思わずマヌケな声を漏らした私に対して、彼女の表情はなおも柔らかい。暖かい陽の光が大地を淡く照らすように、彼女の優しい声が私の耳を包んだ。


「……さっきはあんなコト言っちゃったけど、他人の恋路をどうこう言うなんて、野暮だよね。私、応援するから。私にできることがあったら、なんでも言ってね?」

「河合さん……」


 あどけないと思っていた河合さんの表情が、なんだか大人びて見える。

 実際、私の気持ちが本当に恋心なのかどうかは、まだわからない。屋上の彼……、冬麻先輩にまた会いたいと思っているのかすら、自分でも判断がつかない。だけど――


「――ありがと……」


 眼前の少女の純粋な優しさが、私の心をゆるゆると綻ばせたのは確かだった。


 ――ポンッ、と私の肩に手が置かれる。振り返ると、口元だけ顔をフッと綻ばせた双葉が、徐に口を開き――


「……私も、応援しているから。せいぜい、天から授かったその二つの巨頭を武器に、年上の先輩をたぶらか――」

 ――スパァーーンッ! と、本日二度目の炸裂音が、宴を終えた教室内に再び響いた。

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