11: record プール


 宇多川うたがわほたるは授業の一環でシティ内の薔薇公園に来ていた。

 珍奇なローズが規則正しく咲いていて、完全無欠の協調性に寒気がする。

 青空の下、水色の陽射しに彩られ、街の表層は平和だ。

 数日前にフォンで話をして以来、あさひからは連絡がない。描き上がりがいつになるのかは聞いていないし、知るべきではない暗闇に腕を掴まれるかもしれないけれど、完成した作品を間近で見てみたいと思った。

 彼は慣れた口調で『死んでも構わない』と言っていたが、生きて絵を続けてほしいのなら幻滅される覚悟で突き放し、二度と会わなければいい。なのになぜか、繋がりを断ちたくないという本心を手の平で包み込んでしまう。

 花壇の側に屈んで不思議な薔薇を眺めていると飛田ひだが現れた。他クラスとの合同行事だったので警戒していたが、今日は何の用なのか。

「考え直してくれました? フォンのアドレスだけでも教えてください。お願いします」

 前回とはニュアンスの違う短髪と、派手なグラフィックTシャツ。成績は上位だが常に余裕があり、流行にも敏感な男子高生という立ち位置が教員や女子に受けるのだろう。

「もしかしてまだ、自殺した加野かの君のことが?」

 人間に化けた猟奇犯が目の前の薔薇を切断し、死骸をこちらに押しつけてくる。

「いいえ。単純にあなたが嫌いだから」

 飛田は微笑みを保ったまま、赤い花弁を握り潰して遠くへ放った。

「そうですか。好きになって貰えるまで努力します。気は長い方なので」

 虚言癖が男子の輪に戻ったのと入れ替わるように別のクラスの女子が近づいてくる。ひとりは俯いて泣いていたが、残りの3人の怒りに満ちた表情で用件は理解した。

「何喋ってたの? まさか、飛田君とつき合ってるとか」

「そんなわけないでしょ」と冷ややかに否定する。「あり得ない」

 こちらの返答が気に障ったのか、園内の喫茶店裏に誘導された。

「宇多川さん。どんな事情で飛田君と話してたのか説明して」

 学院の女子生徒は全員あの男に恋心を抱いていると思い込んでいるようだ。

「念のため伝えておくけど、あんな奴と交際するくらいなら死んだ方がまし」

「飛田君を侮辱するつもり!? 謝りなさいよ!」リーダーらしき女子が声を荒げる。

「その通りにするから本人ここに呼んできて」

 逆上した取り巻きが水場のホースを掴み、レバーを引く。「調子に乗らないで!」

 散弾のような飛沫しぶきを浴びて一瞬でずぶ濡れになったが、つまらない行事から離脱する口実ができてよかったと思う。

「これでわかったでしょ! 飛田君と親しくしたら許さないから!」

 ありきたりな台詞を残して去っていく女子たちを見送り、被害を免れたハンカチで額と首の雫を拭った。恋愛で殺人沙汰が起きる絡繰りを覗いてしまったことに一抹の虚しさを感じる。あまりに熱っぽく、直線的で、身の破滅の序章。

 教員に「帰ります」とだけ告げ、好奇の視線を振り切って薔薇公園を後にした。

 信号待ちで絞ったスカーフから水が滴り落ちる。姿が異様すぎて変態も逃げるだろう。

 着替えを借りることを思いつき、遠回りをして旭の自宅へ向かった。早退したので飛田の追跡は心配しなくてよさそうだが、身柄を拘束するまでは油断できない。

 事前に連絡したせいか、美大から急いで帰宅してくれたらしい旭と歩道で再会した。

 彼はこちらの惨状を見て、哀れみと困惑の入り混じった顔をしている。

「発端はすべて飛田。……またこの間の服借りてもいい? 洗って返すから」

 頷いた後、旭が妙な笑い方をしたので、水浸しのいきさつを共有できたことがわかった。

「女怖いな。あいつそんなにもてるのか?」

「そうみたい。騙されてる人たちに本当の狂気を教えてあげたいけど」



 翌朝、学院内のざわめきに悪い予感がした。

 別館のプールで何かあったらしい。漏れ聞こえてきた情報を纏めると、高等科の女子生徒が飛び込み台から投身し、自殺体で発見されたようだ。

 滅多に使われないスピーカーが『2-A 宇多川蛍』を学長室に呼び出している。

 碌な内容ではないと確信しながら訪ねたが、やはり僅かな誤差で的中し、何かの儀式のように自分宛のメッセージを手渡された。

 差出人の名に覚えがない音符柄の封筒。中のカードには、少し癖のある可愛い文字で『宇多川さん ごめんなさい。』と書かれている。「……どういうことですか?」

 女性の学長は悲しげに眉を下げた。「2-Cの小兼こがねさんが命を絶ちました」

 昨日、飛田に近づくなと牽制してきた女子グループのメンバーではないか。

 小兼が誰かわからないと困るので率直に訊いてみたところ、PCの画面に映した顔写真を見せられた。ひと際激しい口調で責めてきたリーダーだ。確かに不愉快な出来事ではあったが、死ななければならないほど取り返しのつかない罪ではないと思う。このメッセージカードを間接的にでも受け取っていたら、彼女とはすぐに和解できた。

 学長室を出てクラスに向かう途中、廊下で飛田に遭遇し、足を止める。

「小兼さんが自殺したって聞きました? いじめの加害者が死ぬって結構レアですよね。一応謝ったし、許してあげたらいいんじゃないですか? 広い心で」

 先ほど呼び出された場で、カードは第一発見者の職員から学長に渡ったと説明があった。遺書ともとれる謝罪の文面を無関係の生徒が知っているのは不自然であり、追及は不可避。

 左手に持っていた封筒を掲げる。「これ、あなたが書かせたの?」

 明朗で彫りの深い飛田の相貌。口元は笑っているが、呪われた拷問吏のような目だ。

「なぜ? どうしてボクが? 何の意味があって? 理由は? 動機は? 目的は?」

 肩を掴まれた刹那、恐怖の霧が指を掠め、熱心に絵を描いている旭の、甘く荒んだ瞳の色を思い浮かべる。

「訊いてみただけ。忘れて」



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