05: record 外階段


 学内で飛田ひだ興二こうじが話しかけてきたとき、一度殺された気がした。

 授業を終えて放課後に辿り着いた宇多川うたがわほたるは休憩時間の遣り取りを回想する。

 偶然を装い、廊下で接触するという飛田の計画に嵌められたらしい。

 自身の犯行を隠蔽するために同級生を脅迫し、自殺に追い込んだ狂人も、ここでは加害者のイメージとかけ離れた優等生だけれど。

「宇多川さん、仲よかったですよね。加野かの君と。……落ち込んでますか?」

 流行りの色を馴染ませた短髪。暗さとは無縁の派手な声。

 さりげなく心配する演技があまりに自然で怖ろしかった。

「自由に想像して。言葉にするつもりはないから」

 飛田の目的は明白だ。こちらがどこまで知っているのかを探りたがっている。

「『同じ学年なのに敬語?』ってからかってくれないんですね」

「希望があるならわたしじゃなくて、叶えてくれそうな女子を指名したら?」

 無意味な取り調べにつき合う必要はない。初めから手の内を明かさないと決めている。

 怒らないで、と宥めるような仕草を絡め、飛田は不気味な笑顔を作った。

「神秘的で雰囲気もいいって男子の間で密かに人気ですよ。宇多川さんが表立ってモテない理由、冷めた感じで声かけにくいからかな」

 含みのある台詞を残し、合流したクラスの仲間と共にどこかへ歩き去った。

 会話中、猟奇的な視線でこちらの動揺を暴き出そうとしていたが、死体風の無表情を貫いたため、加野の遺書で事件の全貌を把握していることまでは掴めなかったらしい。

 ひとりになった後、背の高いあさひの、緩く気怠い肩のラインを思い浮かべる。

 ねだっても彼はきっと、高等科時代の胸の裡を教えてくれない。


 本館脇の階段で風に吹かれている途中、帰宅する飛田の姿を見つけた。

 不意に閃きがあり、速足で門へ向かう。運がよければ潜罪人を追い詰める証拠が手に入るかもしれない。

 充分な距離を保持し、目新しい街並みに溶け込めるよう素振りを整えた。

 しばらく川沿いの遊歩道を直進していた飛田は何の前触れもなく進路を変え、芝生の坂道を横切って橋架下に消える。

 このタイミングで振り返られるとまずい。追跡に気づかれる。

 駆け込んだブリッジの街灯に凭れて呼吸を落ち着かせつつ、深い水を湛えた流れに魅了されている河川フィリアを演じた。現在の様子は覗けないが、上から眺めていれば飛田がどちらの方角に動いても見失うことはない。

 迷った末、旭には連絡をしなかった。求めていた心強さを得られて嬉しかったけれど、常時疲弊気味の美大生を危険に晒すべきではなかったと罪の意識に苛まれている。

 数分後、橋架下から現れた飛田が学生服を脱ぎ捨て、無個性なスポーツウェアに身を包んでいたことに驚いた。シルエットは本人だが、ニット帽に重ねたキャップで髪全体を、マスクで顔の大部分を隠している。先ほどとはまるで別人だ。

 再び跡をつけていくと、住宅街の外れにある古い倉庫裏で立ち止まった。

 それを待っていたように物陰から浮浪者風の男が登場し、飛田が渡した紙幣と引き換えに抱えていた段ボール箱を差し出した。

 中身は動物なのか、側面と底が不規則に震えている。牢舎を連想させる無慈悲な光景。


 別の道を通って元の地点に引き返した飛田は制服に着替え、最寄り駅の方へ歩いて行く。

 荷物は大きめの通学鞄だけだった。箱が消えている。

 不審に思い、周囲を警戒しながら橋架下へ向かった。

 一見してただの暗がりだが、水面に近づいてみると、細かく破られた段ボールの破片がひとつ、草に引っかかっていた。手に取って観察したところ濡れていない部分があり、放られてからさほど時間が経っていないことがわかる。

 指先にざらついた感触。光に透かすと一瞬人の髪に見えたが、不自然に硬く、茶と白が入り混じっている。明らかに動物の毛だ。

 素性をかくした飛田が違法なルートで生きものを受け取っていたとしたら、その用途が読めない。虐殺するなら微塵の迷いもなく生きた人間を選ぶだろう。

 逃げた方がいいと伝えてくれた加野の助言は正しかった。

 けれどもう、飛田に罪を償わせるまでは、血の色をした腕章を外すことができない。


 壊れるほど熱心に絵を描いている気がして旭宛の発信を躊躇っていた。

 ひとりが好きなはずなのに、暮れかけた公園のブランコに彼の存在を探している。

 短く切り上げるつもりでボタンを押した。

 張り詰めたコール音が数回。

『はい』と応答がある。

 疲れているのか、傷ついているのか判断しにくい声だ。本人の説明によると眠っていたらしい。

 起こしてしまったことを謝り、一連の出来事と胸中を打ち明けた。

「美大生だって知られたら旭は腕を狙われる。今ならまだ」

『俺のことは気にするな。たとえ殺されても責めたりしない。……大丈夫か?』

 荒んだ言葉の奥にひっそりと横たわるやさしさは、感傷をかき立てる風の在処を首筋に刻む。

 通話を終えた後、誰もいないことを確かめて無口なブランコに座った。

 儚い揺れが心地よく、悲しいほど静かだ。

 顔を上げる気分ではなかったので、上空を小さな鏡に映してみた。

「旭は『死んでも構わない』。わたしは幸せになれなくてもいい……」

 この世界で切なさを抱え続ける人は最初から決まっているのかもしれない。

 零れ落ちる涙に似た惑星の煌めきが、手の平の夜空に淡く瞬いている。



                               record:05 end.

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