渡り鳥

IORI

第一章 乾き

第1話 私は誰々であり

 5月初旬、とある教室にてー

「今日のミーティングは新入部員たちに自己紹介をしてもらいます。もう既によく知っているかもしれないが、改めてよく聞くように。じゃあ、窓側から。」

「一年、司馬千五(しば せんご)です。CB(センターバック)やってました。よろしくお願いします。」

パチパチパチパチー次、

「一年、ーーー


 青年は緊張していた。上手く馴染めるかどうかといった未来の話では無い。もっと、シビアなこと。自分自身がここにいるに足るかどうかという現実である。勿論、当人もある程度は理解していたつもりではいたが、イメージ不足を痛感せざるを得ない。県下一では無いとはいえ、ここは一応、強豪に位置する弓川高校。周りを見渡せば、当然のように強豪中学・クラブ出身。それに引き換え、この男の最高成績は一回戦敗退。せめてもの抵抗として、名だけではなく、その実を問いたいところだが、それは入学から今日まで嫌というほど味合わされた。それでも、今日の今日まで彼は流れ着いてしまった。この期に及んで、逃亡など許されるはずもない。そうして動けなくなった輩を確実に時は蝕んでいく。

「一年、菅木真二(すがき しんじ)…どす。」

微笑と若干のどよめき。赤面必至の地獄の数秒。無論、彼はこの場を楽しめるほどの強靭なメンタルは持ち合わせてはいない。羞恥の一文字に覆い尽くされた脳を抱えて、生きていくのみ。正式な初日として、見事な滑り出しを決めたといえよう。


 「よし、これで全員終えたな。じゃあ、改めてまして。とりあえず、また今年も指導することになった。戸辺的(とべ まと)です。よろしく。それから後2名のコーチとマネージャー2名にも入ってもらうことになってます。その4名への感謝も忘れないように。じゃあ、ミーティングを終わります。明日は終了後45分から挨拶して始めます。時間厳守で。」

股上ほどの高さの教卓の上に両手を置き、視線で合図を送る。

「礼!」

座ったまま軽い会釈で解散する。戸辺は一番乗りで教室をでていく。誰が鍵をしめるのであろうか。そうして、管理者が立ち去ると途端に色が出始める。なんとなく同学年同士で固まって、いち早く友達の輪を確立したい新入生。そこに絡んで、子分を選定したい一部の上級生。その極一部の奴らの最大ターゲットは、"人気銘柄"司馬。県下歴代最高DFと称される、全国指折りの選手である。181㎝とサッカー界の中では高身長の部類に位置する体格を持ちながら、的確な危機管理能力・察知能力に長け、プレス耐性 (相手から激しく寄せられた時にボールを失わない能力)も高い。これ程までのクオリティを持った選手は、弓川に入って来ないどころか、県内に止まってくれるかも怪しい。それ故に、注目は自ずと彼に傾く。当人も何となくその空気を感じていたが、今更面白くもなんともなく、振り切って帰ろうとした矢先、司馬に肩を組む者、第一号が現れた。

「お疲れっ、明日からまた頑張ろうな!」

3年のスタメンRSB(ライトサイドバック)、阿部(あべ)ダニエルである。豊富な運動量と足元の技術にはもともと定評がある選手ではあったが、昨年から課題だった攻守における判断力が飛躍的に向上し、今年からは県選抜の招集がかかっている。そんな大ブレイクを果たした彼だが、実は大の悪絡み好き。とは言っても、あくまでよく知っている間柄だけにだが、ある特定の相手には強い効力を発揮する。そんな阿部、実は、司馬とは関係性がある。小中と同じ学校に通っており、2つ学年は違えど互いに認識しあう先輩と後輩の関係だ。いくら、司馬が近寄りがたい存在になっていたとしても、この繋がりがある以上、阿部にとってはどうってことはない。が、そんな阿部の背後からもう一人。

「ダニ、めんどくさがってるだろ。察せ。」

ひどく真顔の面長の男。

「分かってる。けど、お前そのキャラ設定似合ってないぞ。ていうか、身の丈にあってない。でも、心配すんな。アホが丸出しになる前に、俺が晒してやるよ、有馬。」

阿部の高笑い。

「いや、黙れよ。」

捨て台詞をはく司馬より1㎝ほど低い彼は、伊出有馬(いで ありま)。阿部と同期の3年で、右のMFからWG(ウィング)をつとめる。左ききの天才肌だが、ハードワークもいとわない。ただその才能が機能するのは、サッカーに限ることがたまに傷。

「で、なんでうちに入ってきたの?司馬なら全国引く手数多だろ。」

阿部が表情に変化が少ない司馬の顔を伺う。

「お前がいるからだろ。」

「そうだな、それしかない。」

「冗談だ。自惚れんな、小人。」

そう言って、伊出は自ら身体から阿部の頭へ、これ見よがしに線を引くジェスチャーをして見せる。

「黙れ、身長詐欺師。179だろ、お前。」

「負け惜しみか?ちゃんと180あるわ!」

二人の口論はいじりあいを超え、ますますヒートアップする。そんな彼らを横目に、司馬はしれっと立ち去ろうとする。が、その瞬間、背後で鈍い音が聞こえた。と、同時に白熱する舌戦の音も消え去った。何が起きたかと、司馬が背後を確認すると、右サイドコンビが逃げ去るように両脇を駆け抜け、帰っていった。茜さす教室には一人、筋骨隆々の漢が仁王立ちをかましていた。


 その一方、菅木は何となく一年同士で固まって家路をたどっていた。しかし、彼と目ぼしい会話をする者は特にいない。仮入部期間であった初めこそ、188㎝という驚異の身長に興味を示す者は多かったが、練習をともにするうちに皆、彼にしばらく先がないことに気づき、離れていった。もし普通なら、この状況を悔しい、苦しいなどと思うことがあるのだろうか。だとしたら、その普通とは、いったい何をもってして、そうであるといえるのだろうか。少なくとも、彼はその類ではない。浅はかな期待を勝手に寄せられ、見知らぬうちに落胆される。もう、いい加減慣れっこだ。ないものだけをねだって、理解しようともしない。羨望と性の悪い恨み。カーブを迎えた電車は緩やかに揺れる。

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