マリコ3号、月に立つ ~パーツと生身と地雷原~
ぺしみん
第1話
母が僕に会いに来る時には事前に連絡が無いことが多い。あったとしても手段が毎回違う。メールの時もあれば電話の時もある。街を歩いていたら、知らない人にそっと手紙を渡された事もあった。
夏まっさかり。毎日汗だくで僕は仕事をしていた。セミの泣き声がうるさすぎる。仕事を続けるのが嫌になった。思い立って僕はサイクリングに出かけることにした。車に自転車を積みこんで郊外の方面へ向かう。
車の燃料代も馬鹿にならないのでそんなに遠くまでは行けない。景色にだいぶ緑が増えてきたところで適当に車を停めた。端末の地図を調べてみる。なかなか良さそうな林道がある。付近をぐるっと一周して戻ってこようと思った。五、六時間ぐらいは頑張って走ろう。
快調に自転車をとばす。日差しは相変わらずキツいけれど風が気持ち良い。新鮮な空気と草木の匂い。仕事も大切だけれど、たまには気分転換も必要だ。サイクリングに来て良かったと思う。
二時間走って少しひらけた所に出た。山あいの小さな村だ。道路沿いに雑貨店がある。冷たい飲み物を買いたいと思った。自転車を止めて店の中を覗きこむ。真っ暗で人の気配が無い。店の奥に立派なクーラーボックスがあって、その照明でなんとか店内の様子が分かる。田舎の雑貨店にしては、ちょっと立派過ぎるクーラーボックスだ。飲み物のボトルが綺麗に並んでいる。
クーラーボックスからサムズアップの六百ミリ入りボトルを一本取り出した。ボトルが冷たくて気持ちいい。
「すみませーん」
僕は店の奥に向かって大きな声で人を呼んだ。すると、天井の方で床板がギシッと軋む音がした。トントンと誰かがゆっくりと階段を下りてくる。座敷の奥のほうにシワだらけのおばあさんが現れた。なんだか寝ぼけたようなお顔。お昼寝中だったのかも。申し訳ない。
六百ミリ入りのサムズアップ。代金は六十ドル円。僕は百ドル円札を出して支払った。おばあさんがお釣りの十ドル円玉を、ゆっくりと四枚数える。
「自転車かね」
小銭を僕に渡しながらおばあさんが言った。
「そうです。大袋のインターチェンジから出発して、峠を越えて来た所です」
「そしたら、もっと南の方に向かうのかね」
「そうですね。どこかいい景色の所とかありますか」
ボトルをあけて、一口飲んでから僕は訊いた。
「今来た道をね、そのまま行くと道が二手に分かれているから。左のほうへ行ってごらんなさい。きれいな滝があるからよ。急な坂もあるけれど、兄さん元気そうだから大丈夫だと思うがね」
おばあさんが教えてくれた。端末で地図を見たらだいたい二十キロぐらい先の所だ。道の行き止まりに川がある。地図に滝の名はない。たぶん小さな滝なのだろう。僕は丁寧にお礼を言って日差しの中にまた戻った。川でひと泳ぎ出来たら最高だ。そのあとサムズアップの空きボトルに川の水を汲んで帰りの途につこう。自転車に再びまたがって、僕は力強くペダルを踏みこんだ。
山に入ると道のアップダウンが激しくなる。道を囲んでいる木々が日差しを遮ってくれている。いいペースで走っている。分かれ道を左に曲がって少ししたら終点になった。川のせせらぎが聞こえる。雑貨店を出発して一時間もかかっていない。
川の水に足をつけたらメチャクチャ気持ちがいい。目をつむってその感触をじっくりと味わう。岩の上に横になって耳をすませる。水が流れる音。うるさかったはずのセミの鳴き声。滝は予想通りとても小さなものだった。特別素晴らしい景色でもない。でもとてもいい感じだ。
「相変わらずいい趣味してるわね。田舎でサイクリングなんて」
頭の上から声が聞こえた。目を開けるまでもない。僕の母親だ。何で僕がここにいることが分かったんだろう。
「端末からデータが漏れてた? 暗号化には工夫してるんだけど」
目を開けて母親の姿を確認した。また顔が変わっている。声も違う。でも間違いなく僕の母親だ。
「暗号に癖があるのよ。息子の癖は忘れないわよ」
母が笑った。今回の見た目は相当若い。生身の部分が少ないので姿を変えるのは簡単だ。
「設定はハタチぐらい? ほとんど同い年ぐらいに見えますけど。若作りしすぎでしょう」
僕は言った。
「そうよね。せっかく息子に会えるんだからそれなりの格好をすべきだとは思うけれど。その為にパーツを取り替えるのも面倒くさくて。ごめんなさい、私は相変わらずせわしなく生きてるのよ」
母が僕の隣に座って、はだしの足を水につけた。
「仕事は忙しい? 相変わらず殺人とかしてる?」
「殺人もしてるわねー。でも最近は諜報戦が多いかな。というわけでますます原型を留めなくなっております。わたくしの体」
母が目をつむったまま言った。
「おととし会った時は六十八%とかだったよね。今は見た感じ……八十%って所かな」
僕は母の体をじっくりと観察して言った。
「またまたいいカンしてるわね。見た目で分かるはずはないんだけど。正確にはパーツ化率七十七%ね。もうほぼロボよ。あなたのお母さんは、ますますロボ化しています」
母が僕の顔を見て可笑しそうに笑った。
「なんか最近、脳も取り替えるような話が盛んにされていますけど。実際のところどうなの? 最先端の世界では」
「理論的には可能よ。噂では、実際にやってしまった人もいるらしいの。でもね、新しい脳を作ったあとで古い脳はどうするのよ。捨てちゃうの? それって自殺と同じことだと私は思うわ。ロボな私が言うのもなんだけど」
母が川の水に手をつけて、感触を確かめるようにした。
「次に母さんに会った時、ついに百%よ! なんて言われそうな気もするんだけど。それって結構恐怖だな」
僕は言った。
「そうねー。全然あり得るわね。メンテナンス中に、勝手に体をいじられている可能性があるし。セルフチェックしている自分が作り物になってたら、もう解りようがないものね。もしかしたら、私はもうあなたのお母さんじゃないかもしれない」
水面に石を投げて母が水切りをした。石があり得ない回数跳ねてから、川の流れに沈んだ。母の両手は恐ろしく正確に動く。
「たぶん一瞬で分かるような気がする。母さんの脳がパーツになってしまったら」
「そしたらその瞬間に自爆するわね。ロボットらしく」
母が吹き出して笑った。なんという会話だ。
「まったく……冗談になってないよ」
僕はぐったりして言った。母は人体改造とは関係なく、元々ロボットみたいな性格をしていた。組織の中で機械のように働く優秀なエージェント。僕に会えるのは数年に一度。限られた時間のみ。しかし母はそれだけを楽しみにして生きていると言う。一緒に暮らせないのは残念だけれど、僕が母を追い詰めてもしょうが無い。僕は悲観的な性格をしているけれど、母の悲しい顔は見たくない。
「もし母さんがロボットになってしまっても、僕には大切な存在だよ。だから自爆しないで。ってこれが、久しぶりに会った親子の会話なんですか?」
僕が不満げに言ったら母が爆笑した。
「良い息子を持って幸せだわ。今日あなたの声を聞いて、これでまた当分私は生きていける。そろそろ行くわね。また会いましょう?」
母が立ち上がって言った。
「楽しみにしてるよ。次はどこで会えるのか」
僕が言うと母がにっこり笑って小さく手を振った。そして滝を飛び越えて、あっという間に景色の中から姿を消した。ほんと人間離れし過ぎなんだけど……。僕の大好きな母です。
来た道を自転車で戻る。サムズアップのボトルに滝で汲んだ冷たい水が入っている。それを飲みながらゆっくりと山の道を走った。母の顔は会うたびに毎回違っている。だけど、笑顔の印象が共通しているような気がする。顔の骨格パーツを取り替えてしまえば、元の顔の印象など残るはずがない。これは僕の思い込みだ。表情の動かし方とかに、その人の癖が出る事はあるかもしれない。
自転車で走っていると頭の回転がよくなる気がする。割と頑張ってカラダを動かしているから、他の事を考える余裕なんて無いはずなのに。ペダルを踏み込んでいると、パッと新しい考えが浮かんだりする。不思議だ。風を切って下り坂を降りていく。とても気持ちがいい。そんな時、素敵な考えがまた浮かんでくる。自転車は最高だ。人は頭だけで考えているわけじゃない。そんな気もする。
あっという間に例の小さな村まで戻ってきた。滝で汲んだ水はもう半分も残っていない。雑貨店でまた飲み物を買いたいと思った。それで、店の前まで行ったらシャッターが降りていた。正面に看板がかかっていたはずなのにそれも無くなっている。まるで元から空き屋だったような佇まいだ。自転車を止めて、雑貨店の周りを観察しながら歩いてみる。店の裏の雨戸もピッタリと閉まっていた。おばあさんが早めに店じまいしたのか。だけど店じまいするのに、看板までしまう必要は無いだろう。
母の属する組織がセッティングをしたのだと思う。小さな滝の事を教えてくれたあの眠たげなおばあさん。どこまでが計算されていて、どの時点から僕が誘導されたのか、想像が追いつかない。サイクリングへ行くことを決めたのは間違いなく僕自身だ。まさかおばあさんと雑貨店が、今回の事のために整理されたということは無いよな。ゾッとする。あまり深く考えないようにしよう。今までにも似たような事はあった。追いかけてたらキリがない。
ボトルに残った水を節約しながらまた三時間ほど走った。僕は自分の車の位置まで戻ってきた。自転車を分解して車のトランクに載せる。ハンドルを握って自宅を目指して出発だ。短い休暇終わり。なかなか充実していた。謎も多かったけれど頭の中がスッキリしている。
早朝に家を出てきたので日が暮れる前に家に戻ることが出来た。僕の家はスラムの端っこにある。四階建てのビル。超オンボロだけどビルまるごとが僕の家。けっこう気に入っている。半地下にガレージがあって、一階には僕が経営している店がある。ガレージに車を入れて外の非常階段を登る。二階に生活スペースがまとめてある。三階は両親の部屋。四階は空室。
屋上もあるけれど見晴らしは最高に悪い。周囲を似たようなビルに囲まれている上、僕のビルより背丈がいくぶん高い。なので、屋上に洗濯物を干してもなかなか乾かない。スラムの空気は淀んでいる。運が悪いと、干していた白いシーツが灰色になってしまうこともある。でもビルまるごと家っていうのはなかなか気持ちの良いものだ。その点は親に感謝したい。
両親は僕が十四歳になった頃、このビルを残していなくなってしまった。母親は先程の通り。父は裏組織の幹部だった。父の情報はほとんど手に入らない。死んでいる可能性が極めて高い事は分かっている。
冷蔵庫からビールのボトルを取り出して口を開けた。今日は気持よく運動出来たからビールが美味い。明日からまた炎天下で仕事だけれど、美味しいビールが飲めるように頑張りたいと思います。
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