2-41
二年前。
それは自身に架した最後の役目だったのか、詩雄に真実を告げてから数日後、母さんは唐突に姿を消した。手紙を残すでもなく、父さんにさえ何も言わず、行く宛も無い筈の母さんはいつも通りの朝、家からいなくなっていた。
俺はどうすればいいのか混乱していたけど、それについて父さんに慌てた様子はなく、いずれ起こるものが来ただけと、悟ったように落ち着いていた。でも寂しそうに、俺をなだめる為だけの、笑いきれていない笑みが痛々しかったのをよく覚えている。
そして彼にとっては、俺たちが自分だけで生活できるようになるまでが役目だったらしく、詩雄が家を飛び出して殺害されたという報道を確認してから、姿を消した。妹に関しては、その事件によって完結したようだ。
唯一、母さんと違った点といえば。詩雄を頼む、という書き置きと今までの貯金を残して行った事だろうか。金は一人暮らしを始める際の準備やら、生活が落ち着くまでの間にほとんど使いきってしまった訳だが。いや、元々そんなに無かったけど。
詩雄を頼む……か。どこで仕入れた情報なのか。研究施設の存在を知っていたようで。
まぁ。父さんの両親は彼が子供の頃に亡くなっていたし、親戚はいないらしいし、昔の話をしたがらなかったあの人も、よくよく考えてみれば謎多きである。母さんと通ずる何かはあったのだろうな。……ちょっと待てよ。今でも結局父さんの素性がわからないままなのだが…………いいや、もう。
これが俺と詩雄、二人の両親の結末だ。報せる気は無かったが、体裁と後々の面倒を考慮して警察には届けてある。特に期待はしておらず、見つからないのならそれでいいとも思っている。だって、これは二人が選んだ事なのだから。
……母さんは……何を考えてたんだろうなぁ。理由が未だにわからない。いなくなるという話だけは一切しなかったからなぁ。
父さんは、やっぱり母さんを選んだのだろう。父さんの、母さんに対する愛情は異常だった。
愛妻家とかそんな生易しい言葉で表されるのではなく、人間でないものを本気で愛しているという部分が、だ。
悪い例えをするなら、人間の雄がカブトムシの雌を異性として真剣に認識しているようなもの。いや、虫で例えてもまだ優しいかも知れない。はっきり言って、彼が一番狂ってる。
愛し合っているのは構わないのだけど、誕生してしまった此方としては傍迷惑きわまりない。もっとまともな家族であれば、負わなくてもいい気苦労が多少は軽かったというのに……。
「…………」
上憑がいなくなった後もしばらく硬直していた俺は、今はファミレスを出て、公園にいた。中心に設けられた噴水の台座に腰掛け、未だに呆けている。
敷地内の芝生で戯れる家族や、散歩道を歩くカップルやら、健康的にジョギングする人達。
浮いている事だろう。たった一人だけで、見るからに何かに頭を悩ませている様子であるのは、俺だけなのだから。いまこの場に於いて、不釣り合いでしかない。
でも、他にそうしたい場所が無かった。今は誰とも喋りたくない。店なら店員と話さないと駄目だし、路上では他人の喧騒が煩わしい。思い思いで楽しむ人達には嫌な雰囲気を醸し出して悪いが、ここが丁度よかった。
……上憑が言っていた、そういう“存在”。認めたくないし、確証も薄いが、それは母さんである可能性が高い。進化の水を保管するなんて、あの人にしか出来ない事だ。家族四人で過ごしていた頃の冷蔵庫の中身が懐かしい。
もし――、もし母さんであるのなら、どういった理由であいつらの仲間をしているのだろうか。
騙されてて、知らない内にテロの片棒を担がされているのか。または知った上で、彼らを手伝っているのか。母さんの性格からして後者は無いと思うのだけど……いや、何とも言えないな。最初からだけど、今となっては更に考えてる事がわからない。
もう一つの事柄についても、彼女は関係していないとは言えない。
人間の選定。これは俺が知る限りではあるが、母さんの考えに反している。進化の水は決して、そんなくそったれな理由から生まれたものではない。それに関しては母さんも言っていたから間違いない。日法からも聞いた。人間大好きの“アイツ”も言っていた、と。
しかし、上憑が話す存在。それは母さん以外に考えられない為に、決定的な否定が出来ない。一人しかいないのだから、食い違いがあっても限定される。いや、それ以前の問題として、他にいない以上はその人としか決めるしかないのだ。
可能性などと言っているのは、息子としての、家族としての下手な足掻き。内心では悟っている、あの人が関係していない筈がないと。
でも……素直に認める訳にもいかない。やはり息子として、家族として、母さんとずっと過ごしてきた身として。
何よりも、母さんがそんな事をするとは思えなかった。確かになに考えてんのかわからなかった。授業参観の時だって、なに食わぬ顔で俺の隣に座ろうとしてくるような人だ。俺が座る椅子の半分に、だ。ちょっと詰めてとか言われた時なんか訳がわからなくて思わず半分スペースを空けてしまったよ。
後で問いただしてみれば、やっぱり駄目だったわねとか、確信犯なだけに本当に意味がわからなかった。呆れて何も言えなかった。
まあ、結果的には、俺の勉強している姿を間近で見たかったというのが真相なのだけど……。
でも、そういう所なんだ。あの人は単純に、優しいだけなんだ。思考も行動も読めないけど、母さんはただ自分なりにみんなを想っていただけ。何だかんだ近所でも、父さんのフォローはあっただろうけど、母さんを悪く言う人はいなかった。……気味悪がったりする人もいたけど、あからさまな拒絶はしていなかった……筈。
とにかく、此方としてはそんな部分をよく理解している。だから否定は出来なくても、肯定も出来ない。心優しい筈の母さんが人間を試すような真似をするなんて、俺にはどうしても認められない。
「――ふぅ。なんか落ち着いたかも」
上憑による動揺が大きかったのだろう。大切なものを忘れていた。
いや、懸念も疑念も何一つ解決しちゃいないが、けれど俺が疑ってどうする。可能性は高い、それは正しい。ならば早々に上憑を問い詰めればいいんだ。そうして真実を確認すればいい。母さんで無かったとしても、あったとしても、それはその時に考えればいい。
今は上憑だ。幸いあの野郎は俺に興味を持っているから、またあの辺りをぶらぶらしていれば向こうから話しかけてくるだろう。
そうと決まれば、戻っててきとうに見て回ろう。できれば今日中には片を付けてやる。
仲間になる意思を読み取る仲間がいるらしいから、きっとそれまでを騙せても、悩みの種には辿り着けないだろう。
だから手段は一つ。拷問しかない。
この前のクソガキ供でなんとなくわかったのだが、どうやら俺の悪魔は、俺自身の怒りが優先的に起因するらしい。あの時はこれでもかと頭に来てたし、黒づくめよりも体の損壊が少なかったのに発動は早かった。最終的にはその域まで行かなかったけど、あと一発で喰らいついていたと思う。
上憑のイヤらしい笑みを思い出しただけでも腹が立つ。指を少し切るだけで発動する自信がある。
人気の無い所で、まずは両足を喰って動けなくして、話せば助けると騙して、聞き終えたら全部喰ってやる。人ひとり分を消し去るのは気が引けてやりたくないのだが、あいつに関しては何も思わない。この世から抹消してやる。
……詩雄の事を言えない。俺も本質は残虐なのだろうか。
だって仕方ないじゃん。やる時はやらないとこっちが危ないんだし。まぁ……俺は、死なないんだけどさ。
「んにゃ、お兄ちゃんだ」
と再び悩んでいたら、その元凶が現れた。
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