2-20

 比劇の探索は続く。


 道行く人たち、特にガラが悪そうな奴らに訊ねての繰り返し。うんこ座りで輪を作ってる中にも遠慮無くお邪魔します。

 たまに胸ぐらを掴まれたり、囲まれて恐喝されたりもしたが、逃げる事に関して負けるつもりはない俺。ゴキブリの如くさささっと走り抜けて、追っ手から逃げ切ってはまた訊ねる。……もうこの地区は歩けないな。


 でも収穫は思いの外あった。一部では相当に有名な二人らしく、あいつらには近付かない方がいいという事で情報が拡散しているようだ。


 園江玖そのえきゅう


 半葉燐次はんばりんじ


 名前はわかった。よく見掛ける遊び場までもわかった。


 いま現在、そのよく見掛けるという遊び場にいる。パチンコ店とかゲーセンとか若者向けの服屋とか案内板もない地下への階段とか。どうやらこの一帯は、そういう所みたいだ。亜蔵木市の中心部方向にある為に、若い世代に好まれる街並みに仕上がっているらしい。なるほど、そりゃ確かによく見掛けそうだ。

 チャラチャラしたあんちゃんねぇちゃんばっかり。路地の奥でタバコのような何かを吸ってる輩までもいる。落ち着いた雰囲気の通行人もいるが、ライオンに囲まれたシマウマみたいな印象しか思い浮かばない。――勿論、俺もシマウマだ。


 ああ……こん中から探すのか。また色々と絡まれるんだろうなぁ……。恐らく追っ掛けてきた奴らもここに来るだろうから、あまり時間はかけられない。


 ……試しに比劇に電話をかけてみる。……出ない。いい加減にしろあの馬鹿野郎……ったく。
















       













 ――時刻、四時前。一時間以上も見て回ったが、それらしき人物は見当たらない。風貌もわかっているんだが、一致する者がいない。てきとうに通行人に聞いてたが、彼らを知る者は今日は見ていないという。


 ……勘弁してくれ。

 知らない不良から喧嘩売られては逃げ回って、聞き込みしてはイライラする回答をされて、やっとここまで来たのに見つけられないなんて本末転倒だ。

 それ以前に比劇が心配だ。連絡が取れたのかわからないけど、もし取れていたのならとっくに話し合いをしているだろう。最悪……いや、駄目だ、そんな事を考えちゃ……。


 駄目元でまた比劇の番号にかける。期待なんかしていないので、ケータイを耳元に置きながら走って周りに目を光らせる。一つに構ってる暇はない。しかし。


「あれ……」


 コール音がやんだ。画面を見ると……比劇と繋がっている!


「おい、比劇! お前いまどこに」


『うお、いきなり叫びやがった』


「――…………誰だ」


 その声は比劇のものではなかった。俺の反応が面白かったのか、ケタケタと笑っている。




 ――ギヂリ、頭に何かが巡る。




『かっかっかっ。あー……誰だ、だってよ。ぶっ……かっちょわる』


「おい」


『あんた、ダチ? わっりぃけど、灯元先輩それどころじゃないっちゅーの。かっかっ』




 ――ギヂリ、頭を何かが駆ける。




「おい、クソガキ。隠れてないで何処にいるのか言え」


『ぁあ? んだそれ、やっすい挑発。でもいいぜ、買ってやるっちゅーの。どうせこの地区にいんだろ、なら三丁目の工事現場に来な。警察呼べば灯元先輩は殺すかんねぇ。んじゃばいばーい。かっかっかっ』


 バキ、と音を立てて通話を切られた。比劇のケータイを壊したようだ。


 ……かなり、いや壮絶に、むかつく奴だった。相手を舐めきって馬鹿にした口調。昔からなのか水に触れてからか、兎に角、滅茶苦茶に腹が立つ。あんなのが大事とかなに考えてんだ、バカ比劇。


















       













 そして辿り着く三丁目。ビニールシートに囲まれた一つの工事現場が目についた。恐らくここだろう。そっと中を覗いてから足を踏み入れる。……落ち着かない。悪者の秘密基地に侵入した気分。


 中には廃れたビルが佇んでいた。くすんだ灰色。所々をクラックに侵食されたコンクリートの立方体。台風でも通過すれば崩壊してしまいそうな、もはや機能してはならない建造物。悪徳業者の仕業だろうか、もしくは年月により限界を迎えた古参か。この現場ではビルの解体作業をする予定みたいだ。

 窓の列は縦に六つ。その中の一つのフロアに、俺の目的がある。……全くもって、嫌な気分。この空間、妙に重苦しい。明らかな悪意を孕んでやがる。


 分厚いガラスの扉を、音が出ないようにゆっくり開き、閉じる。

 建物の中は、思っていたよりも綺麗だった。いや、片付いていると言うほうが正しいか。壁の塗装が剥がれていたり、ヒビが入った箇所を見受けられたが、瓦礫が散乱しているという事は無かった。何かが置いてあった形跡が真新しい。どうやら、最近までこのビルは建物として機能していたようだ。

 真っ直ぐに伸びる廊下。向かって左側にドアが二つ。右側は奥に一つ。その手前に上へと続く階段。足音を殺し、階段を上って行く。


 ――――――――――そして。

 六階。最上階。


 上へ向かうに連れて増すあの声。鼓膜に張り付く耳障りな声。それが今、目の前のドアの中からこぼれている。何が面白いのかゲラゲラ笑っている。――ギヂリ。


 構わない。普段からこんな事する性分じゃないんだが、構わない。


 力任せにドアを蹴破る。蝶番が古びていたのか、容易く壊れて吹っ飛ぶ。部屋の外からでは誰の姿も見えなった。奥にいるのだろうとずかずかと中に入れば、後頭部からの衝撃と共に前のめりに倒れる。


「――かかかかか! 流石は燐次。クリーンヒットォォ!」


「楽勝ー」


 聞き覚えのある声と、気怠そうな声。……いや、待て……。


「――ぐっ――がっ――……っっっ――!?」


 痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。


 初めて聞く声……こっちが燐次か。このクソガキ、何処で調達したのか知らないが、俺が部屋に入った瞬間を狙って、鉄パイプで思い切り叩きつけてきやがった。

 最初の衝撃で麻痺していた部分から痛みが滲み出てくる。湧き水みたいに止まる事を知らない痛覚はやがて首から上全体に広がる。


 気が狂いそう、暴れまわれば幾分か痛みも紛れそうなものを、意識の朦朧が邪魔をする。視界は流れている様にたゆたう。俺の瞳が泳いでいるのか、脳味噌の認識が正常に働いていないのか。

 腕も足も痙攣して言う事を聞かない。痛みに叫びたてる事も出来ない。身動きできずに横たわり、苦しみだけが俺の中を這いずり回る。


 けれど、意識は失わなかった。辛うじて――倒れている比劇が見えたから。


「ドンピシャだな。お前の直感ってやっぱ恐いぜ」


「このお兄さん感情剥き出しだったから丸わかりだったわー」


 直感――、倣司さんは本当に凄いな、彼の予想は正解みたいだ。でも正直、この時ばかりは間違いであってほしかった。


「へぇー。これがさっきの奴か。……けっ、冴えねぇ顔。いかにもお人好しって感じだな」


「言えてる。で、どうするー?」


「勿論ボコる」


「ボコるとか、今日日きかないわー」


「マジで? げっ、恥ずかしいじゃん俺」


 言いながら、何か準備している。目眩は少しマシになってきた。けれどまた揺らぐ。


「いっぱーつ!」


 ガコン、俺の頭が上下する。硬い何かでこめかみを殴られた。痛みが追加する。未だ反応は出来ない。


「にはーつ!」


 ガコン、俺の頭が上下する。もう一発、今度は頬骨を殴られた。痛みが追加する。遠慮なしの一撃で恐らく、ヒビは入っただろう。皮膚が薄い部分の骨は容易く壊れてしまうから。


「さんはーつ!」


 バコン、顔面につられて体が半回転。お次は蹴りだった。靴の爪先で鼻を直撃。確実に折れただろう。反射的に涙が溢れる。それを見たクソガキ二人は、ゲタゲタと大層愉快な笑い声を上げる。


 ……手慣れてる、そう思った。

 きっとこうやって、数々の人達をなぶってきたのだろう。慈悲無く、自分達が面白おかしくある為に相手を痛め付ける。理由は知らない。知りたくもない。どうせろくでもない事だ。それに俺には関係ない。


 でも、こうやって関わりを持ってしまった以上は、お前達に付き合わなければならない。喧嘩なんかするつもりはない。はっきり言ってそんなの苦手だし、少なからず恐怖だってある。俺は善良な一般市民だから。


 だから、喧嘩ではなく、死罰で応えてやろう。俺のしがない日常の為に……でもあるが、何より比劇の為に。

 あいつが何て言っていたのか、どんな気持ちだったのか、お前ら知ってるか?

 罪を犯したお前らを庇い、自ら説得に出向いたあいつの覚悟を、お前らはわかってやれたのか?

 それでいて俺なんかの事も気にかけるようなあいつを、お前らは殴ったのか?




 ――――――――ギヂリ。




 何だか、いつもと違う。こんなに腹が立っているのは久し振りだ。

 もう治り始めてる。あと少し、あと少しだから、もうちょっと頑張れクソガキ共。もっと殴れ、早くしろ、比劇が目を覚ます前に終わらせたいんだよ。


 あー……それにしても、なんか物凄く、むかつくなぁ……。何でこんなに怒りを抱いてるんだっけ。ああそうだ、クソガキ共のせいだ。……ん、ちょっと待てよ、それ以前にさ……こうなってしまう世界が悪いんじゃないだろうか。だってこれがあるからこうなってしまった訳だから、つまりこれがなければこうならない訳であるからして……ああ、だったら……







 ゼンブ、ワルイン――








「――えっ」


「あ――?」


 と、何故かクソガキ二人は、間の抜けた呟き。どうしたのだろうと思った瞬間、


「…………お兄ちゃん……?」


 聞きたくもないのに、とても聞き覚えのある声が聞こえた。


 

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