2-12

「ったくよぉ。あるんならさっさと素直に出せっちゅーに。そうすりゃ痛い思いもしなくていいのによ」


「そんな奴いるわけねー。財布を素直に差し出すとか……逆に腹立つ。男のくせに情けねー」


「つっても、どちらかと言えばやっぱ抵抗される方が手間じゃね? 勝てないかどうかぐらいやる前からわかれっちゅーの。……え、うそっ、二千しかねーじゃん!」


「ぶっ。二千円の為に暴力振るってたとか、ないわー」


 ――路地の中。五階建ての雑居ビルに挟まれ、薄暗く、両手を伸ばした程度の幅しかない狭い道。煙草やゴミ屑や虫の死骸が散らばり、陰気な雰囲気を孕み、急ぎの用でも通ろうなんて思えない道。その中間に、男性が三人。


 一人は壁に凭れて、腕を組んでその光景を見つめる。

 もう一人は財布を確かめ、その中身に落胆している。

 最後の一人は、鼻血を流して地面に這いつくばっていた。


「ありえねぇよ。なんだ少年、お前貧乏なのか?」


「バーカ。ガキが期待するほど金持ってるわけねー」


「いやぁ、なんちゅーか、親に大切にされてる感じじゃん?」


 こいつ、と男は物でも示すかのように指をさす。


 鼻血を流す少年は、どこにでもいそうな子供だった。ぞんざいな印象ではあるが、だがそうとしか言えない。飾り気のない風貌、平凡が歩いているような容姿。可もなく不可もなく、幸も不幸も平等に訪れ、平凡に生きて、やはり平凡に死ぬような見た目。面白いかつまらないかで言えば、断然つまらない。


 男はそんな彼に目をつけた。

 男はその少年が、平凡であるが故に、気に入らなかった。危険とは無縁な人生を歩んできたような、その緩んだ顔。子供が子供らしく見えるという事は、余程両親に愛されているからだろうと、男は勝手に推測した。

 パチンコで負けてしまった腹いせも含まれてはいた。けれどそれ以前に、男はそのような人物を、恵まれているという身勝手な印象から嫌悪する質だった。

 だから路地に連れ込み、平淡な口調で脅し、抵抗されたからメリケンを握った拳で一発殴り、屈服させた。


「で、見事にお前の読みは外れた、と。うわーウケるー」


「うっせぇ。あーあ……ガキは所詮ガキってか、ったくよぉ。……気晴らしになっただけマシか。おい少年、せめてもの情けだ。財布は返してやるよ」


 ぼと、と男は少年の背中に財布を落とした。中身が全て抜き取られた、質素な二折財布を。


「あ、そうだ。少年、財布は長財布にした方がいいぞ。中身が見やすいから」


「それ、本当にこの子へのアドバイス?」


「いんや、俺みたいにカツアゲする奴が見やすいように」


「鬼畜ー」


 他愛ない会話をしながら、二人は歩き出す。もう、彼らの頭の中に少年はいない。目的を済ませたのだから当たり前だ。結果がわかれば、過程などどうでもいい。用が終われば、それでいい。


「んで、これからどうすんだ。その二千でまたパチンコでもするか?」


「バカかっちゅーの。こんなはした金じゃ十分も続かねぇ。イチパチなんざ興味ねぇし……あ、腹減ってたからどっかで飯でも食おうぜ」


「いいね。可愛い子が働いてる店知ってるぜー」


「マジか。よっしゃ行こうぜ。ついでにその子も食おう食おう」


「別にいいけど、手ぇ上げんじゃねぇぞー。可愛い顔が腫れてくのは見てて気分悪いしー」


「わーったよ。ほんと女には優しい奴だよなぁ。じゃあ暴れねぇようにお前がちゃんと抑えとけよな」


「任されたー……あ」


「あ――?」


 二人がそう呟き、会話が途切れる。少年から金を巻き上げた男が、頭を硬い何かで殴られ、前のめりに倒れてしまったから。


「――……おー」


 隣にいた男は、思わず感嘆した。悪友を転がっていたコンクリートの破片で殴り付けた少年に向けて。


 ……少年は、カツアゲされた事は、これが初めてではない。学校内でも、同じ目に遭っていた。昼行灯と呼ばれ、面白おかしく虐められる毎日。それでも何とか堪え忍び、夏休みに入ってやっとそれから一時の解放を得られたというのに……この現実……彼は、我慢の限界であった。

 既にまともな心情ではない。息は荒く、冷や汗を滝の様に流し、目の焦点は合わず、ぶつぶつと聞き取れない言葉を呟いている。

 もう何も聞こえない、もう何も考えられない。ただあるのは、コロしてやるの一言だ――


「おっと」


 少年の次なる敵、ニヤニヤと傍観していたもう一人。今しがた倒コロした一人目と同族――同罪。

 同じく、殴って動かなくしてやろうとしたが、難なく腕を掴まれてしまった。人を傷付けた事がない彼にとって、その行動は奇襲でしか成功を得られず。人を傷付ける事に慣れた男にとって、対面してのそんな一撃は屁でもない。


 しかし――仮にこの男に奇襲したとしても、通じたかどうかはまた別の話。


「――いいね少年、マジ格好いいわー。やられたらやり返す、それでこそ男」


 言って、少年の鳩尾を殴る。少年が嗚咽を漏らし、呼吸に困っている隙に、男は後ろに回って羽交い締めにする。


「だよな。きゅう




「全くもってそうだぜ。燐次りんじ


 少年を捕らえる男――燐次の投げ掛けに、倒れていた男――玖は答えた。むくっと立ち上がり、何事もなかったかの様に、平然とした表情。


 当然、少年はその姿を見て驚愕した。

 自分に腕力が無いのはわかっている。しかし、コンクリートなんて硬い物で力の限りに殴ったのだから、無傷である筈がない。痛みが無い筈がない。無事である筈がない。なのに――何故、この男はこんなにも――


「いやあ、見直したわ少年。こんな事が出来そうな奴には見えなかったんだが、俺が間違ってたわ。すまんすまん」


 玖は殴られた後頭部をさする。その手に、血は付いていない。


「少年は男だ。認めてやるよ、いや本当。ただ金盗られるだけのもやしじゃねぇ。――だからよ」


 言いながら、ポケットにしまっていた物を再び指にはめる。ぶつける側に四角錘型の角度が付いた、通常品より相手を更に傷付ける為のメリケンサック。


「ブチのめされて病院送りの権利が、少年、お前にはある。よかったな。これで晴れて男前っちゅーやつだぜ」


「顔はそうじゃないがなー」


 ……二人にとって、こんな事は当たり前の日常である。歩行と同じように、彼らは暴力に暴力を重ねてきた。


 面白くて楽しい。いい暇潰しにもなる。ただそれだけ。他人を傷付ける事に一切の後悔はなく、慈悲という言葉もない。彼らにとってのただの、遊び。

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