第30話

昼過ぎに森の門の前に着いた、イサークとクロエ達。

其処は大勢の騎士達に警備され、幾つもの天幕が張られており、さながら戦場の陣地のようだ。

其々が役割を果たすべく配置に着き、既に準備は整っていた。後は最終確認をするのみである。

そんな中、馬に乗って現場に現れたクロエに、待機していた人達は驚いたように目を見開いた。

馬に乗ってきた事もそうだが、その装いは皆の視線を釘付けにする。

イサークと同じ黒の軍服に身を包み、腰の帯剣ベルトには白銀のレイピアが光り輝いている。

軽やかに馬から下りると、すかさずイサークが腰を抱く。

「疲れてはいないか?」

騎士達には見慣れたイサークの姿だったが、何時も無表情な皇帝からは想像できないほどの柔らかな表情に思わず二度見する騎士達。

初めて見る皇帝のその蕩ける様な眼差しに、彼等は思わず腕を擦った。

そして、寄り添う様に立つクロエの軍服姿。

正にそれは眼福としか言いようがない。

初めてクロエを見る者、城で何度か顔を会せている者など関係なく、視線を縫い付けられたかのように彼女に見惚れていた。


上着が少し窮屈そうに見える張のある胸。

裾が膝くらいまで長い上着ではあるが、キュッと締った腰からなだらかに流れ、まるでスカートの様に動くたびに揺れる。

黒く艶やかな髪は後頭部で一つにまとめて垂らし、こちらも動くたびに誘う様にゆらゆら揺ていた。

白い肌は少し高揚したかのように頬に紅を差し、サファイアブルーの瞳は殺伐としたこの場には不釣り合いなほど、穏やかで。

誰もがほっと感嘆の息を漏らした。

そんな視線を敏感に感じ取り、イサークはクロエを隠す様に抱き込み天幕へと連れ込んだ。

「イサーク様?」

騎士達に労いの言葉を掛けようと思っていたクロエは、意味も解らずされるがまま天幕へと入った。

周りの天幕より少し大きめな物が皇帝専用で、中も広々として圧迫感は一切感じられない。

その中に入ると、すでにケイト達がお茶の用意をして待っていた。

当然、ケイトやダリアン、リンナも軍服に身をつつんでいる。

元々、シェルーラ国の前国王の近衛兵だったダリアンとケイト。今だその腕は鈍る事無く、帝国の騎士に引けをとる事は無い。

娘のリンナもそんな二人から仕込まれているため、中々の腕前だ。

そして何を隠そうクロエも、リンナと共に剣を習っていた。

剣だけではない。弓や体術、乗馬など。おおよそ一国の王女が習う様な事では無い事を、ずっとこなしてきていた。

それも、帝国から逃れ平民として暮らしていくのに、最低限必要な事だと思っていたからだ。

帝国から逃れた後は、四人で諸国を巡る旅をする予定だった。

そうなれば自分の身は自分で守らなければいけない。その為に、目覚めた時からダリアン達に稽古を付けてもらっていたのだ。

それは帝国に嫁いできてからも変わらず、離宮に居た時は鍛錬と言うよりは外に出る事が叶わないストレスを、身体を動かす事で紛らわしていたというのが正直な所だ。


クロエが鍛錬していた事は、イサークも知っていた。

少年の様にシャツとズボン姿で剣を握るクロエは、色んな意味でイサークを悩殺している。

そして今日の軍服姿。身体にフィットしたその衣装は、禁欲的ではあるのに婀娜としか言いようがない。

それは誰もが思っている事で現場に着いた途端、全ての視線はクロエに集まりイサークは己の立場など忘れ、天幕の中へと隠してしまった。

此処まで自分は狭量だったのか・・・と、苦々しい思いもあるが、これだけは譲れないという強い思いもある。

だからこそ妻を、リージェ国には絶対に渡せない。

ルナティア達も既に準備は整い、時を待つばかりだ。

戦など出たことが無いイサークではあるが、徐々に気分が高揚していくのを止める事が出来ずにいた。

知らず知らずクロエを抱く腕に力が入っていたのか「イサーク様?」と呼ばれ、はっとした様に力を抜いた。

「すまない、痛くなかったか?」

「大丈夫です。それよりも、どうかされましたか?」

気遣わしげに見上げてくるサファイアブルーの瞳は、どこか不安げに揺れている。

そんなクロエを、今度は優しく抱きしめた。

「不安にさせてすまない」

「いいえ。イサーク様が側に居てくれるだけで、不思議と落ち着いていられるので、私は大丈夫ですわ」

そんなクロエの言葉にイサークは、いとも簡単に気持ちが和いでいくのがわかった。

「・・・・クロエは本当にすごいな」

首を傾げキョトンとする可愛らしい妻に、堪らないとばかりに口付けた。

それに焦るクロエはとっさに周りを見渡した。

先ほどまで控えていたダリアン達はいつの間にか天幕の外で待機している様で、中には二人きりになっていた事に驚く。

「いつの間に・・・・」

「お茶を入れてすぐに出ていったよ」

そう言いながら、顔中に口付けの雨を降らせるイサーク。

「イ、イサーク様!少しお待ちください!」

「何故?」

何故も何も、その手の動きは何!?と叫びそうになるクロエは、グッと言葉を飲んだ。

その手をやんわりと止めながら、愛おしい夫をキッと睨むクロエは、贔屓目が無くても可愛らしい。

「外がそんなに気になる?」

憎たらしいほどの余裕の笑みで目元に口付けるイサーク。もはや彼は止まらない。

「当たり前です!布一枚でしか外と隔たれていなのですよ?不埒な事はおやめください!」

頬を膨らませぷいっと横を向くクロエは、可愛い以外の何ものでもない。

こんな状況なのに、可愛い、愛おしいと言う感情しか浮かばない自分自身に、イサークは「参ったな」と苦笑した。

そして、クロエを抱き上げ几帳の陰にある寝台へと向かった。

「今日は夜中に動かなくてはいけない。今のうちに休んでおこう」

あたふたするクロエをそっと下ろし、当然のように覆いかぶさった。

「え?お休みになるのでは?」

「あぁ、休むとも。まずはクロエに癒してもらってからね」

そう言って、甘くも蕩ける様な口付けを与える。


当のクロエは、心の中では「勘弁して!」と思いながらも、その体温が心地よく本気で拒むことが出来ないでいた。

それはまるで、心の奥底に居座る恐怖と不安を溶かしてくれるようで、堪らず手を伸ばしその逞しい身体を抱き寄せる。

そして、声が漏れないようにイサークに自ら口付けるクロエなのだった。

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