第15話

クロエがイサークの求婚を受けた事で、彼女の拠点は皇帝が住まう城へと移った。

戸惑うクロエに「共に戦うのでしょう?では常にそばに居て頂かなくては」と離宮に一泊した後、翌日には彼女を連れ上機嫌で城へと戻ったのだ。

しかも、結婚を一年も先に延ばす必要はないだろうと、その場で結婚証明書にサインをし、半年後にお披露目をすると宣言。

貴族大臣が慌てた事は言うまでも無いが、一番驚いたのは言わずもがなクロエ本人である。

「昨日の今日で結婚とは驚かせてしまい申し訳ない。だが、私は貴女と一刻も早く夫婦となりたいのです。見届け人が貴族大臣、しかもサインのみという雰囲気も何もない結婚式でしたが、お披露目の時にはクロエに良く似合うドレスを贈らせていただきます。どうか今は私の我侭を許していただきたい」

少しだけ余所行き用のドレスを纏ったクロエに、機能性を重視した何時もの騎士服のイサークが跪き、手の甲に唇を寄せる。

それはまるでおとぎ話に出てくる、王子とお姫様の様にキラキラ輝き・・・・


―――誰?この人・・・・


その光景を目の当たりにしていた立会人を務める大臣達が、一斉に首を傾げる。

それもそのはず。何時もにこりともせず能面の様に仏頂面を貼り付け、唯一動く顔のパーツはしゃべる時の口と、瞬きの為の瞼くらい。たまに片眉がちょっとでも上がろうものなら、皆の顔が青くなるという、彼等の前では正真正銘『氷の皇帝』。

青天の霹靂とはこういうことを言うのか。蕩ける様な顔で甘々しいセリフを吐く。

目の前の男があの皇帝陛下なのか。陛下の皮を被った得体の知れない生き物なのか・・・

一同、驚愕と共に何故かじわじわとせり上がる恐怖に身を震わせる。

そんな周りの事など気付きもしない、いや全く気にしないイサーク。

「ではクロエ、部屋へと案内しよう」

「え?陛下、お仕事は?」

「イサークだ」

他の人達の前ではと判断したクロエだが、彼はいじけたように眉を寄せた。

ありえないその姿に一同、石化した。

「・・・・はい、イサーク様。お仕事はよろしいのですか?」

「あぁ、新婚ほやほやだからな。今日明日は休みだ」

「それは無理です、陛下」

上機嫌の彼に水を差したのは宰相のアランド。

途端に室内の温度が数度下がる。

「アランド?」

地を這う様な声に、どこ吹く風とばかりに宰相は涼し気に笑った。

「陛下、奥方様はお仕事の心配されているのですよ?実際、早急な決済が必要な物もあります。ユミル」

そう言ってユミルを呼べば、彼の後ろから三人の男性が大量の書類を抱え入室。そして机へと置いて出ていった。

「こちらを今日中に処理していただければ・・・・そうですねぇ、処理できた時点から明日一日お休みにしましょう」

その言葉にイサークは、カッと目を見開きアランドに詰め寄る。

「その言葉に二言はないな?追加も無しだぞ!」

「はい。こちらの書類のみで大丈夫です。それに・・・女性と言うのは支度に時間がかかるものですよ」

「・・・・う、うむ・・・そうだな」

そう言って「ゴホンッ」とわざとらしく何かを誤魔化す様に咳をし、クロエへと向き直った。

「すまないクロエ。仕事ができてしまった」

「いいえ。毎日、離宮へと来てくださっていたんですもの。ご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありません」

「いや!クロエが謝る事ではない。俺が好きで、通っていたんだから」

「ありがとうございます・・・あの、私にも何かお手伝いさせていただけませんか?」

一緒にお仕事・・・と、その情景を思い浮かべ頷きそうになるも『女性は支度に時間がかかる』というアランドの言葉に首を振った。

「ありがとう。だが大丈夫だ。すぐに終わらせ向かう。クロエも色々支度に時間がかかるだろうから、そちらを優先するように」

『支度に時間』何の事だろうかと首を傾げるも、素直に頷き部屋を後にした。

その後ろ姿を未練がましく見送った後、大きく息を吐くと先ほどまでのピンク色の空気は一気に霧散。

「時間が勿体ない。始めるぞ」

英姿颯爽えいしさっそうとしたそれは、先ほどとは似ても似つかない姿ではあるが、同一人物で。

石化からようやく解けた大臣たちに結婚式の指示を出すと、仕事の邪魔だとばかりに部屋から追い出した。

そして追い出された彼等は、暫し放心したように廊下に蹲り、先ほど見た現象を脳内から消去できた者から己の職場へと戻っていったのだった。




クロエが案内された部屋は、言わずもがな皇帝の隣の部屋。皇后に与えられる部屋だった。

内装は離宮と似ていて、壁紙は当然、室内のあちらこちらにイサークの花紋が刺繍、彫刻されていた。

「本日よりこちらがクロエ様のお部屋となります」

離宮からついてきたエレナが室内を案内する。

基本、ケイト一家がお世話と護衛を兼ねてそばに居るのだが、エレナは一応、ケイト達の上司的な立場になるようだ。

ケイトは祖母ルナティアの専属侍女カイラの娘でもあり、シェルーラ国出身で元々王家の近衛騎士をしていた。

夫ダリアンもまた当時のシェルーラ国王の近衛騎士で、ケイトは彼の部下だった。

ルナティアがフルール国に嫁ぎ、息子が結婚したのを機にクロエ付にする為ケイト一家を呼び寄せたのだ。

そしてエレナもまた戦闘侍女と呼ばれ、ユミルの部下でもある。

離宮に配属された使用人は全てユミルの部下であり、暗部所属の先鋭だ。

離宮にいた者達は皆王宮に戻り、クロエに仕える事となり、離宮の方は交代で管理する事となった。

「それでは少しお休みになってから、支度にとりかかりましょうか」

エレナの言葉にケイトも頷き「夕食はこちらでいいですか?」と打ち合わせしている。


支度?イサーク様達も言っていたけれど・・・何の支度?


何だか置いてけぼりを食ったかのように、一人意味が分からず首を傾げた。

ただでさえ、一年後だった結婚を今日、そしてお披露目を半年後。流されまくった一日だった。

だが、決して嫌ではなかったし、嬉しかった事には間違いない。

今すぐに結婚しても良いと思うくらいは、イサークの事は想っている。

今日の仕事量を見て、毎日無理をして離宮に来てくれていたのだという事もわかり、胸がほっこりする。

彼の優しさは本当にうれしくて、だからクロエは急な結婚も躊躇う事はなかった。

まるで固かった蕾が緩み始めた様な・・・そんな感覚に浸っていると、ケイトに声を掛けられた。

「姫様、お茶をお入れしました」

「あ、ありがとう。ねぇ、ケイト」

「はい、何でしょう?」

クロエは取り敢えず疑問を解決するために聞く事にした。何かの行事があるのだとすれば、皆が言う通り女は支度に時間がかかる。

よって、早々ゆっくりもしていられないのではと思ったからだ。

「みんなが言う『支度』って、何の支度をするの?今日は何か行事があるのかしら?」

キラキラとしたサファイアブルーの瞳に問われ、そこに居た皆の動きが止まった。

どうしたのかしら・・?と、首を傾げるクロエにケイトは、

「姫様・・・今日は何の日でしょうか?」

「今日?う~ん・・・・・」

うーん、うーんと唸りながら真剣に悩むクロエに、ケイトはちょっと困った様に笑う。

「姫様、今日はとても大事な日だったではありませんか」

「大事?・・・・もしかして、結婚?」

「そうです!お披露目は半年後ではありますが、今日は陛下と晴れて夫婦となられた日!」

「えぇ・・・そうね。あまりの急展開に、改めて聞かれてもぱっとでなかったわ」


やばいわ・・・そうよ、さっきも考えてたじゃない。今日結婚したって。


内心焦るクロエをよそに、エレナが「新婚初夜ですわ」とにこやかに答えをくれた。

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