願いはただ一つ

溶岩の津波をなんとか受け流し、開けた視界にいたのはワニのような生物だった。

 当然そんな可愛いサイズはしていない、キングオーガにも引けを取らないであろう全長と太く短い手足。

 そして背にはまるで刃のような翼が生えていた。


 しかし目についたのはそんなものではない。


 赤い。緋い。紅い。

 とにかく赤いのだ。

 思わず緋剣を思い出すようなはっきりとした赤い身体は見るからに頑丈そうな鱗に覆われていた。



「………お主たち何者じゃ、あれだけの禍々しさをかざしておいてまさか人間などとは言うまいな?」



 眼前の火龍が声を発するたびに口内から漏れる熱と炎で空気が揺らめいて見える。

 いやそんなことよりも。



「………おい魔王、喋ったぞイツァム・ナー」

「当然だろう、話すこともできない魔物にわざわざ名前をつけるとでも思うか?」


 ……なるほど。

 魔族や魔物にとって名前とは特別なものなのか。

 しかし考えてみれば種族として呼ぶのではなく固有の名前で呼ぶのにも理由があって当然だ。


「………魔王?あぁ道理で覚えのある魔力をしているはずじゃ、随分前に魔王様が連れてきた小僧じゃったか」


 魔王と名を呼ばれてようやく気がついたようだ。

 それしても太々しいというか偉そうというか。

 仮にも魔族の王である魔王を小僧か。


「……俺様のことを小僧呼ばわりしておるのも今や貴様を入れても指で数えられるほどに減ったがな」


 イツァム・ナーに言葉を返した魔王の目は少し寂しそうな顔をしていた。

 まるで家族のことを思い出した時の自分を見ているかのようで少し耐え難いものがあるな。


「………そうか、時の流れは早いものじゃのう。しかし……小僧が魔王と呼ばれていると言うことはつまり先代は……」

「あぁ奴なら死んだ、800年ほど前の話だがな。今は俺様が魔王を奴から継いでいる」


 淡々と話は進んでいくが俺やネザーにはさっぱりわからない話だ。

 しかし察するに魔王の父の話なのだろう、800年というのを聞くとやはり魔物は人間より長命なのだろうか。


「くく、そうか先代は死におったか!どうであった?奴の死に様は?愚かであったか?見苦しかったか?命乞いは?泣き喚いてはおらなんだか?」


 ………先代魔王はそこまで信用がなかったのだろうか?

 イツァム・ナーの口から溢れる炎の量が増えているのを察するに笑っているのだろう。



「………確かに奴は馬鹿な男であった、愚かで見苦しかった。だが最期は魔王であった、涙の一つもなく、言葉の一つもなく、俺様に魔王を委ねて、俺様の目の前で死んだ。何代目かも分からぬ勇者とこの魔剣を交わした後にな」


 魔王がそう言うとイツァム・ナーは静かに目と口を閉ざした。

 しかしその口からは僅かに陽炎が揺らめいている。


「………そうか、臆病な男じゃったがな。闘いおったか、そうか……そうか」


 陽炎がふわりと優しく揺らめく。

 イツァム・ナーにとって先代魔王が闘ったという事実がそうさせたのだろうか?


「あぁ、臆病な男だった。魔王とは名ばかりで弱く甘く優しい男だった。そして負けたのだ、だから死んだのだ、だから俺様はそうならないようになったのだ」


 魔王の発言を聞きイツァム・ナーが俺を見る。

 その眼光はとても鋭かった、これだけの熱気の中で背筋が凍るほどの視線、俺の魔眼を受けた連中もこんな気分だったのだろうか。


「なるほどのう、それでこのような化物と共にしていたというわけか」

「それも理由の一つだ、そしてもう一つ。貴様が見たと言う夢の話があっただろう?その者を探しているのがこいつだ、名をナナシ・バンディットと言う」


 イツァム・ナーは魔王の言葉にほう……と反応しながら俺と目を合わせてきた。

 紅い目が俺に近づくに連れて熱気が増す。


「……随分と冷たい目をしてんだな、氷山に引っ越してみたらどうだ?」

「……ここと変わりはしないじゃろ?氷山もいつか溶けて蒸発し地面が出てくる、その地面もいつか溶けて溶岩となる。ワシが溶岩に住んでいるのではない、ワシが住む場所が溶岩となるだけよ」


 これが火龍か、こんな化物に化物呼ばわりされた俺の立場といったらどうなることやら。


「悪いがいつまでもこんな暑いとこにいる気はねえんだよ火龍、決めろ。自ら着いてくるか、無理矢理連れて行かれるかだ」


 俺がそう言うとイツァム・ナーは刃のような翼を広げ、その翼に炎を纏った。

 イツァム・ナーなりの威嚇のようなものなのだろう。




「千年も生きておらぬ童がよう息を巻くものじゃ、神とかいうのが言っておったのう?七つの大罪を従えて世界を救うと?貴様がか?貴様のような悪意の塊が?何故従う?世界を救いたいとでも?」



 イツァム・ナーは笑っていた。

 そう、俺にもはっきり分かるように笑っていたのだ。

 先ほどまでの龍の面影はほとんど消え、人間の形を模していた。


 白く伸びた長い髪にしわのある顔に長い髭。

 特徴的なのは鱗に覆われて隠れた左目、そして刃のような翼。

 ニイッと笑ったその口からは鋭すぎるほどの牙が覗いていた。


「計画がある、お前になら話してもいい。と言いたいところだがお前にそこまでの信頼がない、信用させてみろよ?トカゲの頭でそれができるならな」


 俺の挑発にイツァム・ナーはふむ、と軽く頷くと長い髭を撫でる。


「……のう小僧?ワシら魔族にとって何より優先されるものが何かわかるか?」


 イツァム・ナーの急な問いかけに思わず怯んでしまった。

 人間の形を模した龍が俺の目を真っ直ぐに見つめながら問いかけてきたから。


「あ?」

「ワシら魔族はのう、繁栄せねばならんのじゃよ。生き様も死に様も二の次じゃて、ただワシら魔族のために生きるのじゃ。魔人とて魔物とて魔王とてそれは変わらん、ワシらは格好の良い生に執着などせん」


 イツァム・ナーの紅い瞳はなおも俺の目を捉えて離さなかった。

 真っ直ぐに、ただただ真っ直ぐに。


 曖昧であやふやで理にかなうことのない屁理屈。

 なんとなくを信じろと言っているのだ。

 嘘はつかないと言う根も葉もないただの言葉を信じろと。


「小僧、ワシは貴様の信用など求めてはおらん。ワシが求めているのはその計画とやらがワシら魔族の繁栄と成るかどうかのみ、さあ小僧よ………次は貴様の番じゃのう?


 -------ワシを信用させてみよ。

 悪意に狂った猿にそれが出来るというならな」

 



 いいじゃねえかイツァム・ナー。

 こいつもこいつで狂ってやがる。

 俺と一緒でただ一つの目的のために自分の全てを捧げる覚悟ができている。


「………はっ、耄碌したジジイかと思ってみれば中身は魔族大好きのイカレフェチかよ。ネザー、魔王、悪いがこいつと2人で話してくる。少し歩くぞジジイ」


 俺は後ろで控えていた魔王とネザーに声をかけてからイツァム・ナーを連れて歩き出した。


「ふむ、興味はあるが邪魔は出来んな。魔王は僕がしっかりと見張っている、ゆっくり話してくるといい」

「おい貴族、俺様の子守りでもしているつもりか?俺様を見張る?勇者でもない貴様がこの俺様を?」


 後ろでは何やら争いの種が撒かれているがこれはこれで好都合、この2人が闘っていれば流石に俺たちの話が聞こえるような余所見はできないだろう。



 --------


 コツ、コツと2人の足音が響く。

 近くにはボコボコと沸騰している溶岩が流れ、ガラガラと崩れてくる岩もあってとても静かな場所とは言い難いのに。


 イツァム・ナーも俺のすぐ横を無言で歩いている。

 恐らくこの間合いなら俺が魔力を開放する前に俺はこいつに殺されてしまうだろうな。

 だがこいつがそうしないのは恐らく俺を魔王が選んだからなのだろう。


 とてもじゃないがイツァム・ナーが今の魔王を尊敬しているとは思えない。

 だがやはりこいつは魔物であいつは魔王なのだ。

 こいつらに序列というものがあるのかは分からないがこいつの言う繁栄というものにあの魔王が必要なのかもしれない。


 だからこそ俺の計画をこいつに話すのはリスクがあった。

 計画を思いついてから出来ることならネザーにもメアリーにもナーガにも絶対に話すつもりはなかった。

 そして俺はきっとあいつらにこの事を話す日は来ないのだろう。


 この話を俺があいつらにしたらどうなるだろう?


 ネザーはきっといつものように高笑いをしてその日を楽しみにするだろうな。


 メアリーは抵抗があるかもな、でもあいつのことだ。

 いつものようにため息をついて仕方がなく「はぁい」と言ってくれるだろう。


 ナーガは絶対許してくれないだろうな。

 俺と戦ってでも止めようとするだろう。

 そこまでしなくてもいいのにと泣きじゃくるあいつは想像に容易い。



 そして俺は足を止めた。

 そして俺は口を開いた。

 


「……なあイツァム・ナー、俺さ」



 --------俺はフィーナと本気で闘いたい。

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