第5話

 僕たちが初めて『中間の街』を訪れた日は、良く晴れた、初夏らしい、陽射しの明るい日だった。


 前日から何度も乗り換えの手順を確認し、時間の余裕を持って家を出た。久しぶりに長い時間を一緒に過ごすことになるので、上手く振る舞えるだろうかという不安と、ようやく会えることへの嬉しさが混ざり合った、落ち着かない気持ちを抱えながら、二時間半の道のりを過ごした。


 乗り換えでミスをしたり、電車が遅れることもなかったので、僕は待ち合わせ時間よりも三十分以上早く『中間の街』の駅についた。


 そこは小規模な無人駅だった。数年前に整備されたばかりらしく、駅舎も駅前のロータリーも小綺麗だったが、彼方の山々まで見渡せる大きく開けたその空間に、人の賑わいはなかった。


 僕はあたりを見回したが、彼女の姿はなかった。そこで、駅から伸びている歩道に設置されていたベンチに腰を下ろし、彼女を待った。すぐ背後に街路樹が植えられていて、地面に木漏れ日が揺れていた。


 時折、駅を通過する電車の走行音がする他、ほとんど大きな物音はない。広い屋外の空間にいるのに静かだという状況はあまり経験がなくて、なんだか落ち着かなかった。


 僕は座りながら、周囲の景色を眺めた。このあたりは複数の山に周囲を囲まれた丘陵地帯で、大きな町からは少し距離がある。


 目立つのは広い道路だ。駅を横切っていくように伸びていて、そのまま視界の果てまで続き、その両側には田畑や、小さな森林、緑に包まれた丘のような地形が広がっている。


 事前にインターネットの地図で確認してはいたものの、実際に訪れると、画像でのイメージ以上に「田舎」な感じで、なんだか別の世界に迷いこんでしまったみたいだった。ここで彼女と再会する、というのが、なんだか信じられないような気分になってしまっていた。本当に僕は今日、ここで彼女と一日を過ごすのだろうか、と。


 けれど、それからほどなくして電車が音を立てて駅に停まり、その後、彼女が駅舎から姿を現した。


 ショートカットの髪に、すらりとした身体。白のブラウスに、薄い青色のロングパンツをはいている。初めて見る服装だったが、はっきりとした聡明そうな顔立ちと雰囲気は、間違いなく沢元優美のものだった。


 僕は駅の方を向いていたので、彼女が駅から出た時、すぐに視線があった。


 彼女は嬉しそうな笑みを浮かべ、こちらに早足で歩いてきた。以前、地元の街で彼女と待ち合わせをしていた時のように。


「青木君」と、彼女は言った。「久しぶり」


 うん、久しぶり、と僕も答えた。


「本物だ」と、彼女は僕を見ながら言った。そして、腕を触り、「よかった、また会えて」と、ほっとしたように言った。


 それから僕たちは、前もって相談していた通りに、待ち合わせ場所から少し歩いたところにある、キャンプ施設に隣接した自然公園に向けて歩いた。


 夏を思わせるほどの気温だったが、土地柄のせいか、湿度はそれほど高くなく、不快ではなかった。僕たちは、見知らぬ土地を歩きながら、三月の末に別れてから、ひどく長く感じたこのひと月の間のことについて、言葉を交わし続けた。話したいことは山ほどあって、再会してから一時間ほどの間は、片時も会話が止まることはなかった。


 日常生活のことは、お互いにメッセージのやり取りで大体のところは把握していたけれど、実際に会って彼女の口から聞く近況の話は全く退屈しなかった。映画をあらすじで読むのと、実際の映像で観るのが違うように、文字のやりとりの時にはこぼれ落ちてしまっていた事柄が浮かび上がってくるようだった。


「向こうには馴染んできた?」


 そろそろ目的地の公園が近づいてきたところで、僕は彼女にそんな質問をした。山道のように木々が生い茂った中を通っている、幅の狭い歩道でのことだった。


「うん。少しずつ」と彼女は頷いた。


「でも、まだまだ不慣れな感じだよ。……なんだか、いるべき場所じゃないところにいるような、今の自分が本当の自分じゃないみたいに感じることがあるの」


「なんとなくわかるよ。そっちほどじゃないだろうけど、僕も同じように感じる」


「そう?」


「うん」と、僕は頷いた。


 彼女は引っ越しをせず、僕がいる街で今までのように暮し、近隣の高校に通っている。そんな架空の世界の想像をしたことが、これまで何度もある。


 その空想は僕の心をかき乱した。そしてそういう時、その空想の世界の方が本来の姿で、今の自分たちは本当だったらこうなるはずではなかった世界にいる、というような違和感を覚えることがあった。


 僕は顔を上げて、周囲の景色を見た。新緑の、透き通るような緑色をした葉を茂らせた木々が立ち並び、その向こうにはいくつもの山の稜線が見える。全く縁もゆかりもない土地で、これまでここの地名を耳にすることもなかった。そこで今、ひと月ぶりに再会した女の子と並んで歩いている。


「なんだか、今も夢の中にいるみたいに感じるよ」と僕は言った。


「わかる。夜には家に帰ってる、っていうのが、今なんだかちょっと信じられない気分だもの。ここまでくる途中のどこかで現実から切り離されたみたいな感じ」


 苦笑いをしながら、彼女は言った。


 そうして辿り着いた自然公園には、事前に調べていた通り、四阿あずまややベンチが沢山あり、また軽食店や物産店の入った建物などもあった。


 僕たちは日が落ちるまで、そこで言葉を交わしていた。それでもひと月分の話題は尽きることはなかった。


 再び別れる時には、時間に無理やり引き離されるような、名残惜しさと寂しさを強く感じた。


 やはり、たった一日では、ひと月分の溝を埋めることは出来なかった。久しぶりに言葉を交わし、彼女の新しい街での経験を詳しく聞き、僕たちは確かに離れた場所で別の生活を送っているのだということを、改めて感じた。


 それは寂しいことだった。けれど、こんな風に再会できてよかったとも、心底思った。一緒にいられたことがまず何より嬉しかったし、彼女の方からも、この日を楽しみにしてくれていたのだろうということを感じた。その感覚は、それからまた日常に戻ったあとで、僕の孤独感を紛らわせてくれた。それは、彼女の引っ越し前日の夜、一人で道を歩いている時に感じたものと同じ、胸が温かくなってくるような感覚だった。


 ――まだ、僕たちの新しい関係は始まったばかりだった。まだあと三年近く、このような日々を過ごしていかなくてはいけない。別れてからのひと月、そのことを不安に思っていた。けれど久しぶりに再会した後で、その不安は少しだけ軽くなっていた。


 こんな風にしていけばきっと大丈夫だと、僕は思った。

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