ショートショート集

ヤタ

午前五時の幽霊

 幽霊なの。彼女はいった。

 午前五時。初夏の朝日がまぶしく降りそそぐなか、いつものジョギングコースに見慣れない人影があった。白いワンピースを着た長い黒髪の若い女性だ。彼女はブロック塀に背中をあずけていた。

 女性のまわりには花束やお菓子などが置かれている。僕がそのめずらしい光景に目をやりながら走っていると、すれちがうとき、声をかけられた。

「あなた、私が見えるの」

 足をとめ、うなずいた。「それがどうかした?」

 ふうん、と彼女はいった。「幽霊なの」


 その日から、幽霊の彼女と会話をするようになった。午前五時。彼女はいつもそこにいて、さまざまな話をした。ジョギング途中のささいな時間。話題は女性のことがほとんどだったが、ときおり、僕のことも話した。

 ねえ、どうしてジョギングをしているの。その問いにすこし逡巡してから答えた。いろいろ理由はあるけど、一番は健康のためかな。納得、と彼女は笑った。だってあなた、とても不健康そうな顔をしてるもの。

 そんな他愛のない会話を続けた。


 とても暑い日だった。太陽の光が地上の生物を焼き尽くさんとさんさんと降りそそいでいる。蝉の鳴き声がうるさく響くその日、彼女は事故のことを話していた。

「よくある話だと思うの。毎日のように、とは言いすぎだけど、よくテレビとかで報道されているような」

 その日、いつものように歩いていたら、自動車が猛スピードで突っ込んできた。運転していたのは若い男女の四人組。朝まで酒を飲んで、その帰りの飲酒運転による人身事故。着ていた服が引っかっていたのか、身体は吹き飛ばされずに、ずっと車に引きずられていった。何メートルもね。停止したとき、そこはとてもむごたらしい光景になっていた。

「ねえ、あなた、スプラッター映画を見たことある?」

 僕は首をふった。「ない。気が弱くてね。そのてのジャンルの映画は見ないようにしてるんだ」

 彼女はほほえんだ。「どれほどお金をつぎ込んだ映像でも、あのときの光景を再現するのは不可能だわ。だってリアルな現実だもの。あのときの匂いも、空気も、恐怖も、すべてが」ところで、と言葉を続けた。「あなた、まだ思い出さないの」

「なにが?」

「いまの話、すべてあなたのことなのよ」

 えっ、とおどろく僕に、彼女は自分の顔を指差して告げてきた。

「私、その事故の第一発見者なの」

 僕は足元に眼をおとした。そこにはあるはずのものがふたつ、綺麗に消え失せていた。

 午前五時の幽霊。それは僕のほうだったのだ。

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