第262話 祝い
グスターは、ルクレーシアとの会話を聞かせてくれた。
事実のみを物言いたげに語られれば、グスターが勘違いするのも無理はないと思えた。思えるが、それで納得が行くかは別だ。
「うんうん。嘘はついてないよね~」
いつの間にかアリアが復帰して、稜真の隣に座っていた。
「復活が早いね。──あれですんだと思うなよ」
後半のドスの利いた低音にビシッと硬直したアリアは、こそこそときさらの陰に移動した。
今回はどうしてくれようか、稜真が冷たくアリアを睨みつけると、アリアはきさらの翼の下に潜り込んだ。
「クォン?」
話が良く分からなかったきさらは、されるがままにアリアを隠している。
「お話の途中に失礼いたします」
そこへ現れたのはチプレを抱いたシプレだ。
玄関からではなく、室内に突然現れたシプレに、稜真はひしひしと嫌な予感がした。グスターはチラリとシプレを見たが、特に何も言わず紅茶を飲んでいる。
「お母さん。チプはお父さんの所に行く!」
「今は駄目です」
それでもバタバタと暴れるチプレは、シプレが操った植物の蔓に巻かれて蓑虫のようにされ、おまけに口元を押さえられた。もがもが言いながら動こうとしても、蔓はびくともしない。
「どうしたんです、シプレ?」
稜真の問いかけに、シプレは曖昧な笑みを浮かべた。
「リョウマさん。皆様がいらっしゃいました」
「…皆様…ですか…」
誰が、どれだけやって来たのだろうか。稜真の口からため息が漏れた。
「あの…主、申し訳ございません。誤解していないか、私が説明に行くつもりをしていましたのに…その…」
瑠璃がうなだれた。オーガの騒動のせいで、瑠璃は説明に行くのを忘れてしまっていたのだ。
「瑠璃が謝らなくてもいいよ。忘れたのは俺のせいだろう?」
追い返したい。心から思うが、後回しにするよりもここできっちり話をしておいた方がいいだろう。放置して伯爵家に押し掛けられては、目も当てられない。今ならグスターがいるのだから、暴走も抑えられる筈だ。──誰がいようと暴走するお嬢様は、びくびくと稜真に怯えているので、しばらくは大丈夫だろう。
「入って貰って下さい」
稜真は渋々答え、シプレは来客に、結界に入る許可を出した。
ゴウッ、と風の鳴る音がしたかと思うと、開かれていた窓を何者かが塞いだ。
「リョウマよ! 子が出来たと言うのは本当なのか!?」
部屋に響き渡る第一声に、稜真はずっこけた。
(こいつもかよっ!? ──いや、まだ俺が産むとは言ってないよな。そうそう勘違いされる訳がない…よな)
声の主である竜体のシャリウは、窓から顔を突き入れようとしているが、ドラゴンの巨体が入る訳がない。無理に押し込もうとすれば、ギシギシと窓枠がきしんだ。
自分の体を壊されそうになったチプレがぷっくりとふくれ、「もがもがっ」と暴れる。
シプレが蔓から解放してやると、チプレはすぐさま窓へ飛んで行った。そして突っ込まれたシャリウの鼻面をペチペチと叩き、ガジガジと齧る。だが、鼻面の主に堪えた様子はない。
シャリウは顔を入れるのを諦め、片目で部屋をのぞき込んだ。
「……もしかして、その姿で飛んで来たのですか?」
「もちろんだ!」
稜真が目を細めて睨み付けると、シャリウはビクッ、と後ろに下がった。空いたスペースから顔を出したのはティヨルだ。
「あの、急いでいたので…。不味かったでしょうか?」
「はぁ…不味いも何も……」
きさらを伯爵に紹介する前に、グリフォンの報告がギルドから上がって来ていた。それがドラゴンともなれば、どれだけの騒動になっているやら。
「すまんなリョウマよ。わしが止めれば良かったのぅ」
「じじいも気づかなかったのだから、我と同罪だ!」
「一緒にするでないわ!」
ソルとシャリウが言い合うのはいつもの通りだ。どうやらソルもシャリウに同乗して来たらしい。それでは確かに同罪だ。
「ふむ。シャリウもソルも気遣いが足らぬのぅ。ドラゴンの姿で人の地の上を飛べば、騒動になると何故気づかぬのか。リョウマ、見るがいい。我はちゃんと人の姿でやって来たのじゃ」
その声に外を見れば、声の主であるシュリの後ろには、きさらの父である黒いグリフォンの姿が見えた。ドラゴンに加えて見知らぬグリフォン。大騒ぎは必至であろう。早々に話を終わらせて、ギルドと伯爵に説明に行かねばと気が焦る。
父親の姿を見たきさらが、喜んで突撃して行った。
「真っ昼間に、黒い巨大なグリフォンに乗って飛んで来るなんて、シャリウの事を言えませんよ…」
シャリウに相手にされずふてくされたチプレは、そらとももがなだめている。チプレはムスッとふくれながらも、部屋の隅で遊び始めた。
ともかくシャリウを人化させ、全員を家に招き入れた。全員──ソル、ティヨル、シャリウ、シュリだ。一同はグスターへの挨拶もそこそこに、稜真に詰め寄った。
「体は大丈夫なのですか!?」
「「体は大丈夫なのか!?」」
前者はティヨルで、後者はソルとシャリウ。ティヨルはアリアを、ソルとシャリウは稜真の手を取って案じ顔をする。
「「はい?」」
「人が子を産むのは大変だとあの子達に聞きました。横にならなくて良いのですか?」
「そうだぞ、リョウマよ。身体はいとわねば」
ティヨルはアリアに言っているが、シャリウは稜真の手を握りしめて言うのだ。うむうむ、とソルも反対の手を握って頷いている。
「シャリウとおじいちゃんは、何を考えているのかな…?」
「「リョウマに子が出来たのではないのか?」」
揃って視線が稜真の腹部に行く。どうやらグスターと同じ勘違いをしているらしい。
(あ…はは…。やっぱり勘違いしてた…)
2者だけなのが救いだろうか。
「出来ていません! 俺は男で、子供は産めませんからね!! シプレ!? 一体どんな話をしたんですかっ!?」
「あらあら。私はリョウマさんにお子が出来たとしか言っていませんよ?」
シプレはにこにこと笑っている。
「リョウマ。その精霊の言いようは、母君様に似ておるよ」
「どちらも愉快犯ですよ。ったく!」
曖昧な口調で、勘違いを誘発させたのだろう。
「あちらは止めなくて良いのか?」
「あちら?」
グスターの視線を追うと、ティヨルがアリアの前に様々な物を積み上げていた。果物、野菜、見た事のない植物の実等々などだ。
「ティヨル。これは何~?」
「アリアへのお祝いです。あの子達に聞いたら、子が出来ると食べ物が変わるんですって。酸っぱい物が欲しくなる人もいるとか……。だから甘い物とか、酸っぱい物とか、色々持って来ました! アリアは子を産むのは初めてでしょう? 体は大事にしないと。あ、腹巻きも用意してくれたのですよ」
「へ? わ、私!?」
「リョウマさんの子なら、アリアが産むのでしょう?」
「そりゃ、その内そうなりたいなぁ、って思うけど。稜真の赤ちゃんかぁ。男でも女でも可愛いだろうなぁ」
「可愛いに決まってます! 私は人の赤子を見た事がないので、早く抱っこしてみたいです」
「髪は黒がいいなぁ」
「黒い髪にアリアの瞳の色でも、似合いそうですね」
「そうかなぁ。うふ…うへへへ…」
すっかり妄想の世界に入ってしまったアリアは、ティヨルを止めるどころではない。ティヨルはまだ用意して来たらしく、次々に空間から取り出している。
「これは精神が安らぐ香りを放つ植物です。こちらはあの子達に聞いた体に良い食べ物。主人が栄養もつけるべきだと、狩りに行ったので──」
狩りの獲物まで取り出そうとしたので、稜真は慌てて止めた。ドラゴンの獲物など、どれほどの大きさやら。あの子達とは、シャリウの妻達の事だろう。
「ティヨル。アリアは産まないからね? そもそも──」
精霊の子供であると稜真が説明する前に、「ええっ!?」と驚きの声に遮られた。
「てっきりアリアが産むのだと思ったのに、リョウマさんが産むのですか!?」
それを聞いて稜真は力尽きた。どうして揃って男が産むと勘違いするのか。
シュリが「ぷっ」と吹き出した。先程からにやにやと様子を眺めていると思ったら、このドラゴンは騒動を楽しみに来たのだろう。
気力の萎えた稜真の代わりに、グスターが皆に説明してくれた。そらとももと遊んで機嫌の直ったチプレは、自分の事を言われていると気づき、静かに聞き入っていた。
「なんじゃ、そうじゃったのか」
どこか残念そうにソルが言った。
「チプレ、こちらに来なさい」
「はい!」
グスターに呼ばれ、チプレはビシッと片手をあげてから、ててっと走りよった。
「チプレです! よろしくです!」
「元気の良い子じゃの」
「ほんにのぅ」
「あら可愛らしい」
「ふむ」
順にソル、シュリ、ティヨル、シャリウが言った。微笑ましく見つめられ、チプレは照れくさくなったのか頬を染めた。そして稜真の足にしがみつく。
「お父さん、チプ、ご挨拶出来てた?」
「ああ。ちゃんと出来ていたよ」
そう言って頭を撫でてやると、チプレは「お父さん、大好き!」と足にしがみついた。
「チプレ、外で遊んでおいで。そら、もも、頼む」
『はーい』
そらは答え、ももはぷるるんと揺れた。
チプレはそらとももを連れて外に出た。家の精霊という変わった出自だが、家には温泉も含まれており、結界内なら自由に移動出来るのだ。
まだ問題は残っているが、とりあえず稜真は全員に紅茶を入れ、お茶菓子を出した。4人掛けのテーブルなので椅子が足りないが、瑠璃は稜真の膝に座り、足りない分はシプレが椅子を生やした。アリアはティヨルが取り出した品物に囲まれ、自分の世界に浸ったままである。
「そうじゃ、リョウマ。わしからも祝いを持ってきた。──まぁ、勘違いじゃったが受け取っておくれ」
ソルが取り出したのは、色とりどりの鉱石。明らかに宝石の輝きだ。黒い石の塊は、1部が7色の輝きを放っている。これはオパールではなかろうか。
図鑑好きの稜真は鉱石にも興味を持ち、あちらで天然石や鉱石の店を見て回るのが趣味だった。いくつか購入して飾っていたが、加工した宝石と代わりない金額で販売されている石もあった。その時見た物に比べ、ソルの鉱石は大きく、より輝いている。
「綺麗な色の物を選んで来たのじゃ」
「これは高価すぎますよ」
「人の世では金がいるじゃろう?」
「俺は特に、お金に困っていませんし…」
「リョウマ。ソルがせっかく用意したのだから、受けとれば良い」
グスターが言った。
「そう…ですね。祝ってくれる気持ちは嬉しいですから、ありがとうございます」
原石は正直気が引けるが、嬉しい気持ちも大きかった。このまま飾っても良いし、その内学園で錬金術を習ったら使えるかもしれない。
「リョウマ。私も山から色々持って来たのじゃ。外に置いてあるから、後で受け取るがいい」
空間収納が使えないシュリは、きさらの父に積んで持って来たのだ。
「ありがとうございます。ティヨルとシャリウもありがとう」
稜真の微笑みにティヨルが身もだえている。シャリウはドヤ顔だ。
「それではリョウマ。これは私からだ」
グスターが取り出した品を見て、稜真は思わず目が点になった。
それは繊細な彫りが施された、木彫りのベビーベッドだった。
丹念に加工された木は艶めいている。彫られた花や動物は、美しいというよりは可愛らしい。中に敷かれている布団はいかにも柔らかそうで、布地の艶からすると、高級品であろう事がうかがえる。こちらにも動物がアップリケしてあった。
それだけではない。明らかにベッドと布団セットは光を放っているのだ。淡く優しさを感じさせる光を。
「これはまた──」
例え人の世に不案内だろうと、経験豊富な年を経たドラゴンと精霊が絶句するとは。いつも微笑んでいるシプレがひきつる様子に、稜真は改めてベッドを見る。何故ベビーベッドから神々しさが感じられるのだろうか。こんな物は受け取りたくないと切実に思う。
「結局子供は誤解だったのですから、これを受けとる訳にはいきません」
「他の者の祝いは受け取ったのだから、私の物も受け取って欲しい」
「うっ」
そう言われては断り辛い。もしや、先程のグスターの助言は、稜真に受け取らせる為だったのだろうか。
「チプレにベッドは必要ありませんし…」
「リョウマにも、そのうち子が出来るだろう。その時に使えば良い」
「そんな…。いつになるか分かりませんし、これは神器でしょう? 恐れ多すぎます」
「先日も母君様のお陰で面倒をかけてしまった。そのお詫びのつもりで、子が健やかな成長をするように願いを込めて作ったのだよ」
そこまで言われては、受け取らない訳にはいかない。
稜真のアイテムボックスには、表に出せない物がたくさんある。今更1つ増えても構うものか、そう開き直る事に決めた。
「…ありがたく…頂きます」
「そうか。協力してくれた弟妹も喜ぶだろう」
「て、弟妹?」
グスターは布団の材料の調達に、風の神アレクサイト、土の女神アレクシアの力を借りたそうだ。
「3柱の神々がかかわった品など、これまで存在しなかったのではないか?」
シュリが恐ろしい事を言った。
「リョウマには、兄弟皆が感謝しておるのでな」
「俺は何もしてませんよ!?」
稜真が叫んだ時、天上から光がベビーベッドに降り注いだ。
「ふむ。母君様が加護を下されたな」
「なっ!?」
追加で銀と水色の光の球が、まるで争うように飛んで来たかと思うと、ベッドと布団に吸い込まれた。
「おや。姉上とウィナまで」
「……は?」
「あの光は、月の女神ヴァレンティナと水の女神エドウィナだ」
「6柱の神が加護を与えた品。内の御一方は創造神様とは。まず間違いなく世界初じゃな」
シュリの言葉に、稜真はがっくりと膝を付いた。暴走するのは精霊とドラゴンだと思っていたが、まさか神々の方だったとは──。
ベビーベッドよりも頭痛薬が欲しい、と切実に思う稜真であった。
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