第187話 癒しの歌

 老人はシャリウを相手に怒鳴り散らしている。

 シャリウの腰までの身長。特徴的なのは、地面に付く程の長い髪と長い髭だ。温かさを感じさせる大地の色をしている。瞳の色も同じだ。


「シプレ、あの方が大地の精霊なのですか?」

 瑠璃が聞く。

「そのようですね」

「ふふ~ん。稜真のお陰だよね~」

 きさらをもふりながら、アリアが言う。

「だから違うって…」

「リョウマさん。女神様の祝福を持つ方が2人もおられれば、気にならずにはいられないものなのですよ」


 精霊にとって、神は比較的近しい存在である。高位の精霊ならば神の祝福を感じ取れるのだとシプレは言った。

「それなら、俺だけのせいではないでしょうに…」

 稜真はぼやいた。透き通った木の精霊は稜真を熱く見つめており、その視線にはアリアやミーリャのような熱を感じる気がする。


「あの方はこの大樹を気にかけ、時折様子を見に来ていたそうです。リョウマさんがお願いすれば、きっと助けてくれるでしょう。長き年月を経ておられる、神にも近しい力をお持ちの高位精霊です」

 木の精霊が伝える内容を、シプレが教えてくれる。


 シャリウと言い合う姿には、全く威厳が感じられないが、助力を頼まない事には始まらない。稜真はシャリウを視線で制し、大地の精霊に話しかけた。

「失礼します。ご老人、この大樹の為にお力を貸しては頂けないでしょうか」

「おぬしは?」

「稜真と申します。実は──」


 稜真はこの地にいる理由を話した。


「ふむ。そのような事になっておったのか。大量の水が流れれば、肥沃になる面もあるが、今回は被害の方が大きかろう。地も緑も荒れてしまう。その為にこやつの力を借りねばならんとは…」

 大地の精霊は、苦々しくシャリウを見た。そして大樹の元へ行き、透けている精霊に話しかけた。

「なぁお前。仲間がたくさんいる地へ移動して見ぬか? こんなじめじめした土地よりも、余程過ごしやすいぞ?」


 木の精霊は悲しそうに首を振る。

「駄目か。このような不誠実なドラゴンを、そこまで想うておるのか…。やむを得んの」

 大地の精霊は地面に触れて、地中と木の根の様子を探った。

「ふむ。根を伸ばすだけの土を用意すれば良いのじゃな? だが腐った根はどうするのじゃ?」


「少しお待ちを。──瑠璃。根の伸びる余地が出来たら、木の根も癒せる?」

「これだけの大樹です。1度では癒し切れるかどうか…難しいですわ」

 難しいという答えに反して、瑠璃は満面の笑顔だ。

「稜真、諦めた方がいいと思うの。元々そこのドラゴンは、稜真に頼んでるんだし~」

「…2人共…随分と嬉しそうだよね…」

「そりゃもう! 稜真はあの時、木を甦らせたでしょ? 折れた木を癒したんだもの。腐った根を癒すくらい、なんでもないって!」

 こうなったら仕方がない。稜真は覚悟を決めた。


「ご老人。癒やしは俺がなんとか出来ると思います」

「いずこかの神の加護は感じるが、人の子のおぬしがか?」

 大地の精霊は、怪訝けげんそうだ。シャリウが馬鹿にするように鼻を鳴らした。

「ふん。じじいは、シュリの住まう山での話を知らぬのか?」

「貴様に聞いてはおらぬ。…わしは外の話に疎いのじゃ」

「この引きこもりが!」

「何を!」


「…シャリウ、あなたは邪魔をしたいのですか?」

 稜真の冷たい声に、シャリウは口をつぐんだ。

「シャリウは私が黙らせておこうか?」

 アリアがニヤリと笑う。

「っ!? わ、我はここに控えておるから、存分にやるがいい」

 にこやかに大剣に手をやったアリアに怯え、シャリウは大樹の影に隠れた。


「ふむ。娘がおると、静かになって良いな。木の精霊に水の精霊、そしてグリフォンか。皆、おぬしを信じておる。では、わしも信じてみるとしよう。──天災は神の怒りじゃ。何かあったのかも知れんな」

 大地の精霊は天を仰いだ。

 まさか本当に神の怒りだとは、稜真は思いもしなかった。ちなみに、今現在のルクレーシアは、世界の調整に駆け回っている。



 大地の精霊は、いずこからか杖を取り出し、地面にドンッ!と突き刺した。

 ゴゴゴッ、と地面が揺れる。しばらく地響きは続き、ゆっくりと治まって行った


 木の精霊の体は薄れたままだが、根を伸ばす余地が出来たのだろう。体から力が抜け、どこかほっとしたように見える。シャリウは大樹の影から出ると、隣に寄り添った。木の精霊を見つめる目には、安堵の色があった。


「ほれ、根の周りは柔らかく栄養たっぷりの土に変えた。全てを変えては、そやつの淵に影響が出かねんからの。縦に根を伸ばせるように、地中深く変えておいたわ。──それで? この子をどうやって癒すのじゃ?」

「その前にシャリウ。水を先に減らして下さい」

「仕方がない。先にやってやろう」




 シャリウはドラゴンに姿を変え、川へ向かう。

 稜真達はきさらに乗って後を追った。瑠璃以外の精霊は、自力で宙を移動する。


 シャリウはダムの真上にとぐろを巻くように浮かび、吼えた。

 その声に呼応し、水が渦を巻いて宙に登る。

 水は霧へと変わり、霧はシャリウに吸い込まれて行く。白いうろこが艶を増して輝いた。


 シャリウは、水を純粋な力に変えて取り込んでいるのだ。


 今にも溢れ出しそうだった水は、見る間に減って行った。




「これで良いのだろう? リョウマよ」


 せき止められた水は、半分以下に減っていた。

 川をせき止めていた木は、未だ残されている。下流へと流れていた水は、更に水量が減り、水は濁り、よどんでいた。

「ふむ。あやつのやる事は手抜かりだらけじゃな」

 大地の精霊が杖を振ると水に含まれた土が消え、水に透明感が蘇った。


「手抜かりだ等と何を抜かすか! 我の役割は果たしたわ! リョウマよ。水は我が取り込んだ。少しずつ流してやろうぞ。1度に流しては、人の地に被害が出るのだろう?」

「そうして頂けると助かります」

 これから夏に向け水量が少なければ、作物に影響が出るかも知れない。


「シャリウ、せき止めてる木もなんとかして~」

「そんな事まで我にやれと──!? すぐに!!」

 竜体では近眼のシャリウは、言ったのがアリアだと遅れて気づいたのだ。慌てて咆哮を放つ。ダムに残っていた水が魔力を纏い、蛇のように木を身の内に取込んで川辺に積み上げた。


 先程までの光景が嘘のように、豊かな水量に戻った川には澄んだ水が流れる。


 川は戻ったが、山崩れした部分は地肌が見えている。

 積み上げられているのは、根ごと流されて来たり、折れた木々。この中に精霊の宿った木はなかったのだろうか。稜真は痛ましく感じた。

「リョウマさん、あそこに精霊の気配は感じられませんよ」

 稜真の気持ちを感じたのか、シプレが教えてくれた。



「さぁ、報酬を前払いしたのだ。今度はそちらの番だぞ」

「はい」と答えたものの、稜真の気は重い。


(…俺…今度はドラゴンだけじゃなくて、高位精霊の前でキャラソン歌うのか…)


 シュリの山よりはギャラリーが少ないのが救いだろう。一行は再び大樹の元へ戻った。





「…ねぇシプレ、もう帰っていいよ」

「あら、リョウマさんの歌を間近で聞ける初めての機会ですもの。帰りませんよ」

「ん? 間近で? シプレは聞いた事ないでしょ?」

「あの家での会話は聞こえませんけど、リョウマさんの歌は不思議と私の元まで届くのです。つい先日も…ふふっ」


「先日?」

「その…アリアには悪いと思いましたけど、主がお料理に来た時、あの歌をおねだりしましたの…。ごめんなさい」

 それは稜真がマクドナフで調理依頼を受け、稜真とアリアが別行動した日だ。

 アリアは、シプレに稜真の歌を聞かせたくなかった。稜真に好意を向けるシプレが聞けば、どうなるか不安だったのだが、どうやら遅かったらしい。


「あの時かぁ、仕方ないね。ようっし、皆一緒に稜真の歌を堪能しよう!」

「はい!」

「クォン!」

「ふふふ」


 大地の精霊は、どうやって癒すのか興味津々である。シャリウは妻である精霊に寄り添う。



 稜真は軽く発声練習をしてから、大樹の幹に触れた。なんとなく乾いた感じが伝わって来る気がした。根が弱っているから、水が行き渡らないのだろう。

 今回は例の神器がないが、なしでも何度も歌っている歌だ。稜真は頭の中で前奏を流し、根が蘇るように思いを込めて、シュリの山で歌ったあの歌を歌う。


 根の病が治るように。

 元気に生き生きと枝葉を伸ばせるように。

 木の精霊が元気になりますように。


 思いを込めれば、声に、歌に、魔力が乗るのを感じる。以前シュリに言われていた通りだ。あの時は分からなかったが、今なら分かる。

 子守歌替わりに歌う時と違い、力の籠もった、張りのある声が辺り一帯に広がる。


 ──あの時と同じように。


 そう意識した稜真は、キャラソンそのままの甘く、どこか可愛い声で歌っていた。目は閉じず、しっかりと大樹を見据える。目を閉じて歌い、何度かやらかした反省を踏まえたのである。



 甘く、優しく、のびやかに。


 稜真の歌が、大樹を包んでいった。



 アリアと瑠璃とシプレは、満面の笑顔で稜真の歌を聴いている。きさらも尾をピンと立て、目をまん丸にして稜真を見つめる。

 大地の精霊は驚きの表情で稜真を見つめていたが、次第に心地良さそうな顔になっていた。


 まだ透けている木の精霊は目を閉じ、歌に身をゆだねるように、ふわりと浮かび上がった。その体を、うっすらと光が包む。



 稜真が自分の歌に癒される様子を見るのは、初めてだった。

 萎れていた葉に精気が戻り、鮮やかな色の新芽が伸びる。幹に触れている手には、まるで鼓動のような大樹の生命を感じた。


 ふと、足元から視線を感じ、歌いながら視線を下にやる。そこには大小様々な蜥蜴や蛇が集まって来ていた。この岩場に住む者達だろう。

 見上げると、大樹の枝には空を飛ぶ者が鈴なりになっている。歌の邪魔をしないように、静かに集まっていたのだ。


(前回もこうだったのかな…)


 つぶらな視線と純粋な好意が向けられ、気恥ずかしく思う。視線に気を取られないよう、歌に意識を集中させる。


 いつしか、妻にしか意識を向けていなかったシャリウまでもが、稜真の歌に聞き入っていた。

「ほぅ、これは…。なんとも言えぬ、優しい歌だな。我は、──だがな」

 シャリウは興味深そうに稜真を見る。そのつぶやきが聞こえたシプレが小首を傾げた。



 ──稜真は、ふと川辺に積み上げた木々を思った。山が崩れていた地肌を。



 急に魔力がごっそりと抜けて行ったが、周囲に変わりはない。稜真は特に気にせず、そのまま歌い続けた。大樹が完全に癒されているのか判断は出来ないので、稜真はフルコーラス歌ったのである。



 ──歌が終わった。



 大樹の病は癒えたのだろう。木の精霊は実体化し、シャリウに抱き締められている。ようやく触れ合えたシャリウは幸せそうだ。

 集まった生き物が稜真の側に寄りたそうにしたが、シャリウの一瞥で散って行った。


(良かった…)


 責任を無事に果たして安心した稜真は、何故か体がふらつき、膝をついた。

「稜真っ!? だ、大丈夫!?」

「ああ、ちょっとふらついただけだよ。今まで歌っても、こんな事なかったのにな…」


あるじ…当たり前ですわ…」

「リョウマさんったら…」

「なんともはや、呆れた人間だな。おぬしは…」


 瑠璃とシプレ、そして大地の精霊が呆れている。

「どうしてでしょうか?」

 稜真の疑問に答えたのは、シプレだ。

「魔力の使いすぎです。リョウマさんの魔力は、人には規格外な程多いようですが、さすがに癒やす範囲が広すぎですよ?」


 瑠璃は黙って稜真の背に張り付き、回復の魔力を送り始めた。稜真の脱力感が和らぐ。「もう大丈夫だよ」と言ったが、ふくれたままの瑠璃は張り付いて離れない。


「あー、癒す範囲ですか?」

「リョウマさん。もう1度川まで行きましょう」

 シプレに言われ、稜真は瑠璃を背中に張りつけたまま、ご機嫌なきさらに乗って、川辺の見える位置に移動した。もちろんアリアも一緒である。




 川辺に積み上がっていた木々が、影も形もない。

「あれ?」

 きさらの隣に浮いていたシプレは、山を指差した。地肌が見えていたのはどこだっただろうか。山は緑に覆われている。


「──あれは、俺が?」

「そうですよ」

「わしが地を整えるのに、少々力を貸したがの。あくまでも少々じゃぞ」

 大地の精霊が言う。

「主ったら!」

 瑠璃はふくれて、ぽかぽかと稜真の背を叩く。

「悪かった…。少し意識しただけだったんだけどなぁ」

 自分のやった事だと言われても実感は湧かない。

「稜真らしいね~」

 アリアは稜真にもたれ、その顔を見上げた。仕方ないなぁ、という視線を送られ、稜真は苦笑するしかない。




 大樹の所へ戻ると、シャリウは木の精霊を抱きしめたままだ。抱きしめられている方の表情は、困り顔である。

 シプレに何やら耳打ちされたアリアは、とてとてと近づいて、木の精霊の背をつついた。


「ねぇねぇ、お姉さん。シャリウったらね~、私と瑠璃、どちらかが嫁になれって言ったんだよ~」

「……なんですって? またなの!?」

 木の精霊は、ギッとシャリウを睨みつけた。

「あれはそなたを癒して貰うための、策だったのだ! 真に愛しているのは、そなただけ。──魔女め、余計な事を!」

「知りません! 私、おじい様の言われたように、仲間の地へ移動した方がいいのかも知れませんわね!」

「ティヨル!?」



 突然始まった夫婦喧嘩。

 稜真はこちらに戻って来たアリアに視線を向けた。

「…アリア、ちょっと気の毒だよ」

「だって稜真! シプレが、あいつがさっき言った事、教えてくれたんだもん!!」

「さっき?」

「稜真の歌の途中であいつ、男色に興味はなかったのだがなって、言ったんだって!」

 稜真が引きつった。

「『だがな』? そ、そら耳…じゃ…?」

「確かに言いましたよ」

 シプレが答えた。


「稜真があんな奴の嫁にされるなんて、嫌だもん!」

「主ぃ…」

 背中に張り付いたままの瑠璃が、不安げな声でしがみつく。


「とっとと帰るぞ!」

「了解!」



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