32 黒塗りの高級馬車に追突してしまう

 ☆


 見事な刺繍の腕を持つ、ここから見て異世界、要するに俺たちと同じ地球、日本出身のご婦人が亡くなった。

 笑顔をたたえ、感謝の言葉を口にしながら静かに息を引き取るなんて、人が生まれた結果、たどり着いた人生の結末としては最上のものだろう。

 通夜、葬儀の段取りなんて俺にとっては生まれてはじめての経験だったが、それでも大きなトラブルなく、おおむね穏やかに一通りのことは済んだ。

 ドワーフのおっちゃんおばちゃんたちが、少しの指示で勝手に働いてくれるからな。


 ご婦人が使っていた小屋は、生前のご婦人が手元に残していた刺繍、繕い物を並べて展示館にするようだ。

 山あいの小さなドワーフ集落だが、名物が一つ増えたようなものだな。

 遺されたものは他にもある。

「ねえ、アタシが預かってて本当にいいのかな……」

 そう言ったすみれの手には、ご婦人に加護を与えていた黄色く光る精霊石。

「本人の命が終わった今となっては、基本的に単なる美しい石だ。特別な力は何もない。持っていて加護を得られるわけではないが、なにか災いが起こるというようなこともないだろう。ちなみにエルフの街に持って行けば割と高値で収集家が買ってくれるぞ」

 エルフ娘がそう説明してくれた。そう言えばこいつ、いたんだったな。

 意識の外にしかこいつの存在を置いてないから、話しかけられるまで忘れてた。

 この精霊石は、俺やすみれがもしこの先、ご婦人とドワーフの間に生まれた名も知らぬ誰かに会うことがあったら、形見として渡してほしいとご婦人からお願いされたのだ。

「普通のドワーフとなんか違うな、ってことに気付く可能性は、おそらくお前の方が高いだろ。それにお前、港町か、その近くに戻って屋台やるんだろ? 何かの噂や手がかりを聞く機会もあるんじゃねえか」

 俺が面倒臭いだけ、と言うことでは断じてない。

「あのお婆さんの娘さん、ってことはその人もそれなりに年齢行ってるわよねきっと。いくつの時の娘さんかは結局聞けなかったけど」

「まさか十代とか幼女ってこたあねえだろうよ」

 そんなことがあったら鼻からラーメン食ってやるぜ。

 人間とドワーフの混血がどれくらいの寿命でどんな歳の取り方をするのかまでは知らんが、その娘さんとやらもお婆さんと呼んで失礼ではないくらいの年齢ではないかと想像する。

「スミレ、ひとまず父のところに行って何か知らないか聞いてみるのはどうだろう」

 エルフ娘の提案に俺たちは乗ることにした。こいつの親父は見た目こそのほほんとした優男だが、長生きしてるだけあって無駄に色々なことを知っているからな。


 ☆


 ドワーフたちが暮らす山深い地域から、エルフたちの棲む森と平野の地域へと俺たちは向かう。

「前にここら辺りで通り魔に襲われてな。まあ返り討ちにしてやったんだが、なぜか俺が悪いことになって身柄を拘束されたことがあるんだ」

 移動中、ドワーフの集落でレンタルした馬車(御者も込み。もちろんドワーフのおっちゃん)に乗りながら、そんな思い出話をすみれに聞かせる。

「普段の行いと人相が悪いからじゃない?」

「私は通り魔ではない……」

 この話題は盛り上がらないようだ。

「お客さーん、ちょいと近道するぜ! 道が悪くなるから気を付けてくれよな!」

 スピード狂のケがある運ちゃんがそう告げ、馬車は暗い森の中に入った。

 こんな所を馬車が通れるのかとも思ったが、多少は通行するものがいるのか、地面はある程度慣らされていて走行に大きな問題はない。 

 それでも小さな石や枝や木の根っこ、土の凹凸、溜まった落ち葉など、馬車の座席部分を不快たらしめる要素には事欠かない。揺れる、跳ねる、ケツが痛い。

「おい、変なところ触るな淫乱エルフ娘」

「だっ、誰が淫乱だっ!! これだけ揺れるのだから仕方がないだろう!!」

「佐野が触らせてんじゃないの?」

 黒い方のエルフ娘なら適度な弾力があって良さそうなんだがな。

 色気ゼロの平坦ボディに金属製の鎧を着こんだ奴と馬車には同乗しない方がいい。ジローさんとの約束だからよい子は守るように。

「しかし、こんなところに道があったとは」

 ここはすでにエルフ勢力のテリトリーだと思うが、世間知らずな厨二病お嬢様はこの道を知らなかったらしい。

「港町に直通する道じゃねえんで、普段はあんまり使わねえんだ。ただ、お客さんらの言った町に行くならこっちの方が近いんだよ。途中、ちょっとわかりにくい地点でもっと大きい道に合流するんだ」

 見通しのあまりよくない森の隘路を、大丈夫なのかと思うような速度で馬車は駆けていく。

 それがいけなかった。


 ☆


 狭い道、暗い見通し、おしゃべりな運ちゃん。そして長い道のりがもたらす連続乗車勤務。

 交通事故で事実上一度死んだ身の俺としては、あまり偉そうなことを言えた義理ではないが、事故はこんな時に起こるものだ。

「ひ、ひぃぃぃ! おかーちゃーん!!」

 ドワーフ運ちゃんの悲鳴。

「バヒヒヒヒーン!!」

 馬数頭の悲鳴。 

 俺たちの乗っている馬車が、木の陰になって死角となっていた方向から来た別の馬車とT字衝突したのである。

 幌のない露出型座席だったので、俺たちは森の地面に投げ出された。 

 俺はとりあえず前回り受け身。多少背中が痛いくらいで特にけがはなかった。柔道の授業はやはり真面目に受けておくべきだな!

「ぺにゃっ」

「ごべっ」

 すみれとエルフ娘は仲良くぬかるみに飛び込んで変な声を出した。硬いところではなさそうだし、すぐに動けてるようだから大丈夫だろう、多分。

 御者ドワーフは、どういうはずみか知らないが馬の背に飛び乗ったらしい。

「お、お客さーん! お代をまだいただいてなー……」

 しかし馬車との連結が外れたその馬はパニックを起こして、ドワーフを背に乗せたままどこかへ駆け去ってしまった。


 事故相手の馬車を見ると、俺らの乗っていた露出型座席のリーズナブルな馬車と言う感じではない。

 立派な屋根と壁がついた、個室タイプの客車である。樹と金属の組み合わせで、つや消し黒塗装のシックなデザイン。いかにも高級そうだ。当たり負けたのは俺たちの馬車の方で、相手側は壊れてもいないし吹き飛ばされてもいない。

 二頭の馬も漆黒の毛並み。興奮してはいるが、恐慌を起こしたり逃げたりと言うことはない。精悍でたくましく、賢そうな馬だった。

 ただでさえ暗い森の中なのに、これだけ真っ黒なら気付かないのも無理はないな。いや、あの運ちゃんがスピード出しすぎなのも事実だが。

「どこに目をつけて馬車走らせとるんならあああああああ!!!!」

 そして、客車の中からやはり黒い男が野太い怒鳴り声を上げながら出てきた。

 どこかで聞いたことある声と訛りだな、と思ったら案の定、黒エルフ娘のヤクザ親父だった。


 ☆


「……ぬぅ? あんさん、料理人のジローやらいう男じゃの。こがあなところでなんしよんじゃあ。ワシの車にオイタした落とし前、どうつけてくれるんかのう?」

 相変わらず凄まれる。そうしないと人とコミュニケーション取れないのかこのおっさん。どういう生まれ育ちをしたんだ。

「やあどうも久しぶり、ってほどでもねえか。こんなところで何をしているってのはこっちのセリフだし、馬車を操縦してたのは俺じゃないぜ。事故責任を問われても知らん」

「なんじゃとお……?」

 前に一度、この親父には無実の罪を着せられそうになった。

 もちろん俺の潔白は証明されたのだが、あらぬ疑いをかけて、黴臭い部屋に閉じ込めたことに対する謝罪をこの親父から俺は聞いていない。

 言うなれば俺はこの親父に、義理を一つ貸していることになる。だからいちいち恐縮したりオドオドするのはやめだ。

「なんじゃも間者も忍者もねえよ。アンタの娘から聞いた話でしかないが、基本的に黒い方のエルフはこっちの大陸には入ってこないはずじゃねえのか。親父さんが今こっちにいることを、娘は知ってんのかよ」

「そがあなこと、ワレのような小僧に関係あるかいや!!」

 おうおう激昂しておる。やはり他人の神経を逆なでするには親子家族の話題を突くに限る。

 やりすぎると友だちをなくすから時と場合を考えような! ジローお兄さんとの約束だぞ!

 ま、黒い方のエルフ娘は、基本的にはわきまえてるやつだったからな。

 だから同じ黒エルフの者がルール破りをして、大陸側に乗り込んで悪さを働いているのを気に病んでいたんだ。

 エロエロボディの持ち主で酒癖が悪く基本的に軽薄だが、性根はまっすぐで気持ちのいい娘っ子だよ。

「こんな暗い森を黒い馬車で隠れるように移動しているのだから、いったい何をしているのか疑問に思うのは当然だろう」

「うえー、泥飲んじゃった……あれ、あの子のお父さん。こんにちは」

 泥まみれのエルフ娘とすみれも話に加わる。

 すみれは俺の出所前後で、ウサギの島にいた黒エルフ親父とも顔合わせを済ませていたようだ。

「ちなみに私はエルフの森、境界自警団の団員でもある。この場であなたに職務上の質問をする権限がある。答えてもらおう」

 白エルフ娘の口から出た境界自警団という単語。

 それを聞いた黒エルフ親父の顔色が、単純な怒りと恫喝の様子から、明らかに苦い表情に変わった。

「フン、ただの観光じゃけえ、見逃せや」

「嘘つけ! わざわざ海を越えてまで森林浴するようなツラかオッサン!」

 反射で突っ込んでしまった。

 森林浴と言うよりはどこぞの誰かを樹の養分として土に埋めに来てるイメージしかないからな、この親父。

「答えたくないのなら、馬車の中をこちらであらためさせてもらうぞ。持ち込み規制、持ち出し規制のある物品が発見されたら、馬車ごと没収させてもらう」

 おお、エルフ娘も強気だ。

 こいつ弱いくせに怖いもの知らずだよな。

 森の中で鳴らせば一瞬で仲間が駆けつける、便利な鈴か笛でも持ってるのかもしれん。

「ぬぐぐ、わかった、話しゃあええんじゃろうが!」

 とうとう観念したようだ。馬車ごと没収という脅しが効いたようだな。

 親父が言うには、以下。

「ワシらの島から逃げ出したモンを連れ戻しに来たんじゃ。そいつは、島の全員にとって、おらんと困るヤツじゃけえ、どうしても戻ってもらわんといかん。族長であるワシが自ら出向いて説得に来たっちゅうわけなんじゃ。みっともない話じゃけえ、他の種族のモンに知られとおなかったんじゃ。ワシらにも面子があるけえの」

 だからこその隠密行動ってわけか。しかし何か腑に落ちないな。

「責任者であるあなたが自ら出向くというところまでは話は分かるが、共も連れず一人で、というのが不自然だ。なにか、一族の他の者にも知られたくないことをするつもりなのか」

「俺が言おうと思っていた台詞を取るなよ。前回出番なかったからってここぞとばかりにでしゃばりやがって」

 エルフ娘に話の主導権を持って行かれて悔しいからこんなこと言ってるわけではない、断じて。

「逃げたっていうのは、やっぱり黒いエルフさんですか? それとも何かお仕事で島に渡ってたドワーフさん?」

 すみれがなんとなしに聞いたその質問に、黒親父が答える。

「……正直、ワシにもわからんのじゃ。あいつがエルフなのか、ドワーフなのか、それともあんさんらのように、外の世界から来た『ヒト』なのか」

「どういうことだよ。見ればなんとなくわかるだろう。耳が長いとか、ずんぐりしてるとか」

 かく言う俺も、この世界で目覚めたときは「背の小さいおっちゃんらに囲まれている」程度の認識で、まさか人外の者が住む世界に飛ばされたとは思っていなかったが。

 それはそれ、これはこれ。

「わからんもんはわからんけえ。ワシらはそいつを『龍神のかまど』としか呼んでないんじゃ」

 かまど……無機物? 

 無機物が走って逃げたのか。そりゃけったいな話だな。

「黒エルフと龍神の伝説……まさかおとぎ話ではなかったというのか!?」

 俺のよくわからないところで中二病騎士様が盛り上がっていた。

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