2

 ガンッ、ガンッ、ガンッ――。


 コッ、コッ、コッ――。


 ギュイィーン……――!


 熱気、湿気、騒音……、お世辞にも過ごしやすい環境とは言えない工場の片隅に座り込み、セナンは額に玉のような汗を浮かせながら、飛び散る火花をぼんやりと眺めていた。


 蒸し暑さと、けたたましい環境音で思考を圧迫することで、余計なことを考えずに済むというセナンの革新的な思い付きは、だがしかし、失敗であった。


 ――不快感で普通にイライラする……。


 思わず顔を顰めるセナンに、呆れたような声がかけられる。



「……ちょっとぉ! いつまでそこにいるつもりぃ? 不機嫌な面見せに来ただけなら、そろそろお引き取り願いまぁ~す!」



 不可解な機械の陰から、ひょっこり顔を覗かせる白衣の少女。

 少女と言ってもセナンより背は高く、トレードマークのロココピンクのツインテールは相も変わらず爆発したかのようにモフモフ揺れる。


 セナンが黙りこくって無視すると、少女は腰に手を当てて短く溜息を吐いた。



「……ねぇ。本気の、マジで、ただの嫌がらせぇ~? 気になって作業進まないんだけどぉ」



 セナンは額の汗を拭って、項垂れた。



「おいこら、返事くらいしろよ。てか、ここに居るなら居るで、暇なら少しくらい手伝いなさいよねぇ~……」


「……いやだ」



 セナンはようやく口を開いた。

 すると少女は手持ちの溶接面から再び面倒くさそうに顔を覗かせ、セナンを睨む。



「あ~ぁ、世も末だわぁ。働き者が特に意味もない嫌がらせを受けるなんてね……」


「――ケレ……」



 セナンが少女の名を呼ぶと、少女は一応話を聞く体制だけは整えた様だった。

 ダルそうな表情の裏に、ちょっぴり真摯さを隠して、少女はやはりダルそうに呟く。



「……あによ」



 溶接面の縁で、トントン肩を叩く少女に、セナンは言った。



「……うるさい」


「……」



 ケレと呼ばれた少女は一瞬、自分が何を言われたのか分からずに目をぱちくりさせた。

 そして次の瞬間、「――はぁ!?」と素っ頓狂な声をあげた。



「このガキャァ! 言うに事欠いてなんじゃいな、その口の利き方はぁッ! こちとらじゃぞ、アンポンタンッ!」



 地団太を踏むケレに、セナンは唇を尖らせてポツリ言う。



「……年上ったって、たった3歳差だろ……」


「3歳と考えんかいっ! あんたが目も開けられん頃に、あたしはその辺爆走しとったんぞ!」



 ケレは『その辺』と言いながら、溶接面を振り回した。

 セナンはその頃の事を思い出そうとして、すぐに諦めた。胡乱な瞳でケレを見つめる。



「新生児と競うなよ……」


「それくらいどうしようもないってことよぉ、3歳差っていうのはねぇ~」



 ケレは飄々と、鼻歌交じりにセナンの文句を受け流す。

 対照的に、しかつめらしく考え込むセナン。そんなセナンを、ケレは心配そうに見つめて言った。



「……なんかあったん?」



 セナンは僅かに逡巡した。それでも何とか喉を震わせ、息を吐き出し、思いを言葉にする。



「……実は、親父と――」


「あー……、はいはい。まぁた親子喧嘩ねぇ~。あんたたちも好きよねぇ」



 「全く、やんなっちゃう」と言って肩と首を回すケレ。



「今回のはいつものと違うんだってっ!」



 とセナンが騒ぐと、ケレは疑うようにセナンを見つめた。



「ほんとぉにぃ~?」


「……つまらない喧嘩なら、俺もこんなに……」



 言葉尻を濁すセナン。

 ケレは細く息を吐き出して、工具を台車の上にそっと置くと、手袋を外しながらセナンの方に歩いて来る。そのまま、セナンの隣に腰を下ろして呟いた。



「あんたさぁ、仲間がいるんだから、あたしじゃなくてそっちを頼んなさいよねぇ。あたしだって、暇じゃないんだからね?」


「……仲間には、さっきまでずっと慰められてたよ」



 クロウ、ガス、ペイス――セナンは彼らに、頭が上がらない思いだった。

 ペイス秘蔵の酒は本当の一級品で、本来どんなタイミングで開けようと思っていたのかを聞くのが怖いくらいだった。


 ガスは普段よりもさらに騒ぎ、ペイスと漫才のようなやり取りをして場の空気を明るくしてくれた。


 クロウは酒に弱い上、騒ぐのが得意でないくせに、セナンを想って酔っぱらったガスやペイスと一緒になって多くの芸を披露してくれた。


 セナンは、良い仲間を持ったことを嬉しく思う反面、これからも彼らの期待に応えられるのかどうか不安に思っていた。

 ペイスの部屋に雑魚寝する皆に黙って、一人こっそり抜けてきたことにすら、後ろめたさを感じるほどに。


 沈黙するセナンをちらりと横目に見て、ケレは頭を掻いた。



「ふぅん……、そ」



 ケレは、遠い目で工場の天井を見上げた。



「でぇ、仲間にも癒しようのない悩み事を、機械いじりしか取り柄のないお姉さんに相談に来たわけだ」


「……仕方ないだろ。こんな情けない事話せるの、ケレくらいしかいないんだ」



 ケレは目を丸くしてセナンの横顔を見つめた。

 そしてすぐに顔を逸らすと、居心地悪そうに座り直す。



「あ、あたしも意外と信用あるじゃん?」


「茶化すなよ……! 実際、頼りにしてんだよ……」



 セナンが身を乗り出してそう言うと、ケレは頬を赤らめ「ぃ、ぎゃあぁ~ッ!」と奇怪な叫び声をあげて自分の身体を抱きしめた。



「きゅ、急にそんな甘えてくるなよォ~! こっちにも心の準備があるんだからなぁ!」



 叫ぶように言って、ケレは必死に自分の背中に手を伸ばす。しかし体が硬いのか、どうアプローチしても一向に届きそうになかった。


 セナンが目を細めてケレを睨む。



「……何してんだよ」


「痒いんだよぉ! 背中がよォ! あぁ~! ムズムズするぅ~……!」



 ケレは思いのほか一生懸命なようで、その目には涙が滲んでいた。

 セナンは溜息を吐き、再び正面を向いた。



「……わかっちまったんだ。自分がどうしようもないガキだって……」



 ケレの変な動きが止まり、その顔がゆっくりとセナンの方を向く。



「うまくやってるつもりだった。そこらの大人にも負けない自信があったし、自分の考えとか行動とか……揺れることはあっても、誰かのためになってるって思えてたから、胸張ってられたんだ」



 「けど」とセナンは言葉を続けた。



「何もかも勘違いだった……。親父の言う事は正しいんだ。……正しいと思っちまった……。なら、俺は俺の間違いに仲間を巻き込んじまったってことになる……!」



 いつの間にか、セナンの肩はケレに抱き寄せられていた。



「フォティアっていう、火精サラマンダーの姫さんにも……、変な期待を持たせて、俺はそれを裏切った! 親父が“ノー”と言ったとき、俺は何も言えなかった! 何も思い浮かばなかった! 口ばっかで、どうしようもねぇっ……!」



 ――結局、俺は親父にだ。



「あの娘が、どんな顔で、どんな思いで俺たち人間を頼ったと思う! たんだっ! 普通に考えりゃ、笑えるはずなんてないのに……っ」



 「俺は、それを……!」と、セナンが言ったところで、セナンの肩を掴むケレの肩に力がこもった。



「……バカだなぁ。背負いすぎなんだよ、あんたはさぁ」



 セナンがケレの首筋に瞼を押し付け、ケレの首が濡れる。セナンの喉から嗚咽が漏れる。



「さっきから、他人の事ばっかりじゃん。思い上がりって言うなら、それこそ思い上がり。……他人の事なんて、思い通りにいかないのが当たり前じゃん。自分のことだって思う通りに行かないことばっかりなんだからさ」



 ケレがセナンの腕を優しく擦る。



「ガキだって、あんた自分のことそう言うけど。皆そうやってきたんだよ。粋がって、失敗して、癇癪起こして、自棄になって、やっと気づくんだから。『あぁ、少し大人になったんだ』って。あたしなんか3年前、人の言う通りに働いてただけだよ。“自分”なんてどこにもなくて、だから、あんたは凄いんだ」



 セナンは静かに泣いていた。

 最後に泣いたのはいつだったかとセナンは思う。自分はまだ泣けたのか――と思いながら。



「それにさ、あんたの仲間の一人でも、あんたに『謝れ』って言ったのか? きっと言ってない。あいつらもあんたと同じで、大人になろうとしてるガキなんだからさ。自分で考えて、決めてるはずだ。そこにあんたが責任を負う余地はないんだ。あんたより3年先輩の、大人になろうとしてるガキが言うんだから間違いない」



 ケレはそう言って、切なく笑う。

 セナンはその言葉に3年の重みを感じた。

 

 ふと、セナンは思う。


 ――親父って、今何歳だっけ。




 どれくらいの時間が経過しただろう。

 セナンは腫れぼったい目元を隠して俯いたまま、ケレの隣に座っていた。



「……そうそう、“スチーム・アーム”だけどぉ。明日にはメンテ終わらせてやるから、自分で取りに来なさいよねぇ~」



 そう言って、ケレは腰をあげる。尻に付いた埃を軽く叩いて払い、背伸びをすると手袋を嵌める。

 その背中をセナンはこっそりと見上げていた。



「ケレ……、その……さっきの事は……」


「言わないよ。んな悪趣味なことしたって、誰も幸せになんないじゃん」



 セナンはほっと胸を撫でおろした。



「……助かる」


「ん、……仕事に戻るよ」



 ケレが作業場に戻って行く。

 その後ろ姿を見ながら、セナンはふとあることを思い出した。



「あ、そうだ。ケレ、今日初めて使ったぜ」



 ケレの脚がピタッと止まり、工場籠りとは思えない健脚でセナンの正面まで戻ってくる。瞳を輝かせ、その鼻息は荒い。



「ま、マジ!? で、どうだった!」



 セナンはケレの豹変ぶりに得に驚くこともなく、顎に手をやって考える。



「そうだな……、威力もあるし、意表もつける。俺のスタイルとも合っちゃいるけど……、一回こっきりしか使えないのは何かと不便だな」


「ふむふむ。なるほど、やっぱりねぇ……。……蒸気溜を別にして、装填式に……。うぁ~、でもそうすると構造が今より複雑になるし、そもそも現状複数回の使用に耐えうる強度はないんだよぉ……」



 「となると……」とかなんとかぶつぶつ呟きながら、ケレはメモ帳と睨めっこしている。

 セナンはそんなケレを見上げて小さく笑った。

 ケレがそのことに気が付く様子はない。



「うーん、いっそのこと変形機構を排除しようか……、どう思うかね、使用者としては」


「それってつまり、常に展開状態ってことか?」


「そうなるね。……やっぱ、邪魔?」



 セナンは脳内で幾つかの状況をシュミレートする。その結果、



「常に戦闘状態なら問題ない気はするけど、俺利き手が右だし、他のことしてる時に邪魔になるのは嫌かな……」


「ま、だよねぇ~。強度問題の解決にはなると思ったんだけど、使いにくいのは本末転倒だ」



 ケレはペンの尻でこめかみを掻くと、「とりあえず」とセナンを再び見つめた。



「強度問題は課題として、ロケットパンチの複数回使用を望むなら、蒸気溜を装填式にするのが手っ取り早い。今みたいに手甲の内部に仕組みを作れれば一番いいけど、装填式となるとそれは無理があるんだよねぇ」



 やれやれ――と、言わんばかりに肩を竦めるケレ。



「それで考えたんだけど、背中、あるいは腰の部分に装備するのはどうかな。チューブかなんかで繋ぐから、また邪魔になるかもだし、敵にチューブを破壊されれば使い物にならなくなるけど」


「使い勝手は良くなるけど、構造的に脆くなるのか……」



 ――バラッドなら真っ先にチューブを狙ってくるかもな。


 とは言え、次回以降ロケットパンチはかなり警戒されるだろう。

 ルベロン内部にはバラッドのような強敵がうじゃうじゃいないとも限らない。そうなったときに、一発しか打てないのは心許ない――とセナンは思う。



「その案で行こう。蒸気溜を装備するなら腰が良いかな。背中はどうしても動きが大きくなるし」



 セナンが言うと、ケレは親指を立てる。



「お~けぇ~。だったら明日の昼過ぎにまた来なよ、試作しといてやるからさぁ~」



 「さぁて、忙しくなるぞぉ」とケレは満面の笑みだが、セナンは少し心配になった。



「……ちゃんと寝てんのかよ」


「へーき、へーき。少しくらい寝不足の方が体動くんだから」



 そう言ってケレはガッツポーズをして見せた。



「それにあたし、ぴちぴちのティーンネイジャーだしィ? 多少の夜更かしなんぼのもんじゃ~い、ってカンジィ~?」



 ウインクしつつ腰をくねらせるケレ。

 セナンは思わず頭を抱え、「ああ、そう……」としか言えなかった。



「そうだ、例の……あんたのから、またお手紙きてたわよん」



 突然真顔に戻ってケレがそう言うと、今度はセナンが鼻息荒く食いついた。



「本当かっ!?」


「本当だってぇ……。ほら、あっちの作業台の上に――」



 いうが早いが、セナンはケレの指示した方向に駆けだした。

 あまりの事に口をポカンとさせるケレ。



「――って、速すぎぃ~! どんだけ必死だ!」



 そんなケレのツッコミもスルーして、セナンは上品で落ち着いたデザインの封筒を手にとって目を輝かせた。……が、それが開封済みであると気が付くと、ギロリとケレを振り返る。



「また読んだだろ……」


「ど、毒見よぉ、毒見ィ~……」



 ケレが惚けてそう言うと、セナンはジトっとした視線をケレから逸らして息を吐いた。



「……ま、いいけどよ」



 封筒の裏には『B.G』の二文字。


 通称“バロン・ガール”――、スーティ・バロン一党の活躍をいつもどこかから見ており、時々こうしてファンレターを寄こしたり、セナンたちが強奪した金目の物を現金に換える手伝いをしてくれている謎の人物。


 素性は一切不明であるが、言葉遣いや裏で手を回す実力から、少なくともセナンの中ではという事になっている。


 取引の場に現れるのはいつも同じ女性であり、バロン・ガールの従者を名乗るところから、バロン・ガールが高貴な生まれであることは、想像に難くないのであった。


 セナンはウキウキしながら、封筒から便箋を取り出した。

 作業台の上に腰を据えて、丁寧な文字で綴られた文章を頭から読み始める。



『拝啓、――冷気もすっかり鳴りを潜めて、わたくしのお庭に可憐な花々が咲き乱れる今日この頃。バロン様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか』



 初っ端から、セナンには何かと理解の及ばない事柄が並んでいた。

 セナンが知っている花と言えば、荒野に生えている野草が付ける小さなものや、よく見る雑草くらいのもので、いまいちという表現と符合しないのであった。



『……なんて、きっとバロン様は日々苦しい戦いに身を投じておられるのでしょうね。花など、愛でている暇はないのでしょうね。こうして文をしたためながら、私は改めて自らの無力さを痛感いたします。“力”とは決して“金”にあらず。優しさ、誰かを思いやる“心”こそ、真の強さの証であると、私はそう信じています』



 相手が貴族と知って猶、セナンはこの人物の言葉に深く心癒される。

 二人の世界は絶対に交わらないが、互いに歩み寄れば手くらいは取りあえるのだとそう思わせてくれる。


 ――反対にルベロン王室がどんどん憎くなるけどな。



『ですが、今の私がバロン様のお力になれるとすれば、それはやはり金の力に他なりません。心苦しいですが、未熟な私をお許しください。さて、今回は現金の他に、貧しい土地でも実をつけるという植物の種子をお付けしました。お試しいただければ嬉しいです。それでは、この文が、私の言葉が、少しでもバロン様の心の力になることを祈って、筆を置かせていただきます。――敬具』



 あとには、手紙を書いた日付と、“バロン・ガール”の署名。そして“スーティ・バロン”の宛名が記されているだけだった。

 

 二度ほど読んで顔を上げると、ケレがとんでもなく呆れた表情でセナンを見ていた。

 気まずくなったセナンは、強がってケレを睨みつける。



「……なんだよ」


「べぇつにィ~? 正体も分からないのによくそんなにできるわよねぇ~」



 ケレの声音は若干の憐みを含んでいるようにセナンには聞こえた。

 セナンは多少ムッとして、作業台から降りる。



「いいだろ、別に」


「……おっさんだったりして」


「――絶対違うっ!」



 ケレの言葉に、セナンは声を大にした。



「どうしてそんなことが言えるのよぉ、一回も会ったことないんでしょぉ~?」


「違うったら、違うんだっ!」



 駄々をこねるように、セナンはケレの言葉を否定する。そして想像をに膨らませる。



「バロン・ガールはきっと……、清楚で、淑やかで、心優しい、屋敷の自室からほとんど外に出たことが無いような……――」


「あー、もういいですよぉ~」



 ケレが面倒くさそうにひらひらと手を振った。

 セナンは思わず舌打ちをした。



「どぉ~して男っていうのはそういうのが好きかねぇ。女を閉じ込めたがるのって、男の悪い癖よねぇ~」


「お、俺は別に、そんなつもりじゃ……」



 弱々しく否定するセナン。

 ケレは頬を抑えて、憂うように深い溜息を吐いた。



「あたしも年がら年中工場に閉じ込められて、やんなっちゃうわ」


「――あんたは好きで籠ってるだけだろッ!」


「……ま、そうなんですけどねぇ~」



 ケレは飄々として掴みどころがない。

 セナンは疲れから肩を落として、ケレが作っている物を


 歯車、ロッド、チューブ、鋼鉄の骨格に、装甲――それらが組み合わさって、かろうじて人の姿を成しているそれは、まさに鋼鉄の巨人と呼ぶにふさわしい。


 ――前に来た時にはこんなものなかったよな。


 とセナンは思った。



「……さっきから気になってたんだけど、何作ってるんだ?」



 ケレが素早く振り返る。

 セナンはそんな彼女の顔を見て、「しまった」と思った。


 ケレは「くっくっく……」と不気味に微笑むと、



「よくぞ聞いてくれたぁ! 説明しようっ!」



 と言って、巨人の脚をコンと叩いた。

 逃げる間もなく、ケレは意気揚々と解説を始める。



「こいつの名前は“スチーム・ファイター”! その名の通り、蒸気機関で駆動する二足歩行人型ロボォ~ットぉ!」


「また蒸気スチームかよ……」


「あったり前じゃぁ~ん? あたしと言えばスチーム、スチームと言えばあたしよぉ~」



 「ふふん」と得意げに笑うケレ。

 セナンは呆れた。



「……流石、蒸気機関好きが高じて、ルベロンの研究機関を追放されただけはあるよな……」



 セナンが呟くと、ケレは心外そうに眉をひそめた。



「馬鹿おっしゃい! あたしは自分から出て来たのよぉ!」



 セナンが肩を竦めると、ケレは遠い目をしてスチーム・ファイターを見上げた。



「……そう、あんな。発明を悪用する事しか考えてない様なとこ……。居られるわけないじゃない……」


「……ケレ」


「発明は、人を不幸にする目的でやっちゃいけないんだから……」



 ケレはギュッと拳を握った。

 しかし、セナンはスチーム・ファイターを見上げて首を傾げた。



「責めるわけじゃねぇけどさ、こいつも、スチーム・アームも武器だよな? その……、その辺りは、納得してんのかよ。もし……、アダマスに無理強いされてんなら――」



 セナンの心配を、しかしケレは明るく笑い飛ばした。



「あははっ! ないない! 無理強いとかは全然ないよぉ。さっきあんたが言ったんじゃん、あたしは好きでここに居んのよ」


「……じゃあ、なんで」



 セナンが問うと、ケレはそんなセナンの瞳をまっすぐ見つめてこう言った。



「道具はね、使う奴次第なの。でも、あんたの言う通り少し前のあたしなら、こんな発明しなかったと思う」



 「けどね」と、



「――『託してもいいかな』なんて思える奴と、なんでか出会っちまったもんでさぁ」



 ケレはそう言った。

 セナンは正面切ってそんな台詞を聞かされて、微かに頬を赤らめた。



「……ふ、ふぅん」



 と、なんとか相槌をうって誤魔化すセナン。



「そ、それで、動くのかよ、こいつ……」



 と話を逸らすと、ケレは「当然っ!」と胸を張り、そしてすぐに肩を落として項垂れた。



「……と、言いたいところなんだけどねぇ~」


「……ダメなのか?」



 ケレは首肯し、悩まし気にスチーム・ファイターを見つめる。



「これだけのものを動かすにゃあ、パワーが足りないのよねぇ~。頭を捻ってはいるんだけど、その“仕掛け”がどうにも思いつかないのが現状ねぇ~。石炭よりももっとがあれば、話は別なんだけど……」



 その時。



「――あ、セナン……! やはりここに居たんですね」



 と、そう言って。

 運命のいたずらか、間の悪いことにそこへフォティアが現れた。


 フォティアは艶の戻った綺麗な赤髪を揺らし、つぎはぎのワンピース姿でセナンの方へと駆けてくる。


 そんなフォティアを見たケレの目の色が変わったことに、セナンもフォティアも気付かない。

 セナンは少し驚いて、フォティアを見つめる。



「ふぉ、フォティア!? どうしてここに……!」



 セナンが目を丸くすると、フォティアは微笑んだ。



「イヴリーンが、多分セナンは工場に居るって教えてくれて……。すれ違う人にちょっとずつお尋ねしながら、ようやくここまで……!」



 ほっと、安心したように息を吐くフォティア。そんな彼女の様子を見ているうちに、セナンの中で少しずつ罪悪感が膨らみ始める。



「……その、ごめん。フォティア……。期待させた癖に、君の助けになれなくて……」



 セナンが俯きがちにそう言うと、フォティアは口元を綻ばせて首を左右に振った。



「いいんです。気にしないでください、セナン」



 「でも」と食い下がるセナンの頬に、ひんやりとしたフォティアの手が触れた。



「こんなにも目元を腫らして……、貴方は本当に優しい人……。世界中の人間が、貴方のような心の持ち主であれば、誰も、何も苦しまないんでしょうね」


「フォティア……」



 頬に触れるフォティアの手を、上から包み、セナンは呟く。

 手を握り合い、微笑みを交わす二人。そこへ、歓声にも似たケレの声が響き渡った。



「うっひょお! き、君がフォティア!? フォティア・サラマンドラ――、火精サラマンダーの姫だよねぇっ!」


「ぇ、えっ! そ、そうですがっ、あ、貴女は……っ!」



 ケレに肩をがっしりと掴まれて、フォティアは目を白黒させた。



「あたし? あたしの名前はケレ・ボウシャンク! ケレでも、ボウシャンク博士でも好きに呼んでくれて構わないよぉ~!」



 興奮気味のケレは、「そんなことより!」と言葉を継いだ。

 セナンを振り返って、まくし立てる。



「セナン! 彼女だよっ! 彼女の力を、火精サラマンダーの力を借りれば、スチーム・ファイターの抱える問題は解決するっ!」



 セナンは耳を疑った。

 そしてすぐに、ケレの悪い癖――興奮すると周りが見えなくなる癖が出ていることに気が付いた。



「――ケレ!」



 セナンが焦って止めに入るが、ケレの耳には届かない。



「なんてことだぁ! これは導きだよ、セナン! これで動くっ! スチーム・ファイターは――」



 パシン――と、乾いた音が工場内に木霊した。


 セナンの目の前で、フォティアがケレの頬を叩いたのだ。

 ケレは何が起こったのか分からずに、ただキョトンとして打たれた方の頬を抑え立ち尽くし、フォティアは唇を噛み締め、目尻に涙を浮かべていた。



「あ……」



 と、ケレが自らの過ちに気づいた時には、フォティアの瞳には敵意が浮かんでいた。



「――がっかりです……! アダマスにも、精霊を道具としか思わない様な人がいるなんてッ……!」



 フォティアはそう言って踵を返すと、涙を残して工場を出て行ってしまった。

 何かを掴みかけるように伸びたケレの手が弱々しく肩からぶら下がり、ケレはその場にしゃがみ込んだ。



「……あたし、最低じゃん……」



 落ち込むケレを、セナンは深刻な表情で見下ろし、その肩を軽く叩いて言った。



「俺はフォティアを追いかける。なんて謝るか、後で一緒に考えようぜ」



 ケレは返事をしなかったが、セナンはそんな彼女を横目に見つつフォティアを追って工場を後にした。


 運動神経で言えば、フォティアはセナンに遠く及ばなかった。

 セナンはあっという間にフォティアに追いつき、手首を掴んで引き留める。



「フォティア……!」



 フォティアはセナンの想像よりもかなりあっさりと足を止めた。

 声を荒げることも、セナンの手を振り解こうとすることもなく、ぽつりと呟く。



「……明日には、ここを出ようと思います」


「――そんな! さっきのは……!」



 セナンがフォティアの腕を引っ張ると、涙を流すフォティアの橙の瞳が、セナンを捉えた。

 声が出なくなるセナン。

 

 力のなくなったセナンの指先から、フォティアの腕がすり抜ける。ハッとして半歩踏み込むセナンの胸に、軽い衝撃があった。

 フォティアが、セナンの胸に飛び込んできたのだ。


 セナンが困惑して立ち尽くしていると、フォティアが言う。



「……あまりゆっくりしていられないの。アダマスの助力が得られなかったことを、父上にできるだけ早くお知らせする必要があるから……」



 ――そういうことか。


 フォティアがアダマスを探していた理由は人間と戦うための戦力を求めて、という事だった。

 イヴリーンの違和感は結局、正しかったのだ。


 ――フォティアたちは何故、精霊族だけで立ち上がらなかったのか。


 セナンの脳裏に、核心を突く疑問が浮かび上がり、そして答えはすぐに見つかった。


 ――もはや、精霊族に自力で人類と戦う力は残っていないんだ。


 ならばこの後、精霊族は、フォティアたちはどうするのか。



「……早まったことはしないで欲しい、なんて……俺の言えた義理じゃないよな……」



 セナンの問いに、フォティアは答えなかった。

 ただ、セナンの胸に熱い目頭を押し付けて、



「……貴方たちに、出会えてよかった」



 とそう言うと、薄暗い廊下を一人で駆けて行った。

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