2

 あまりの驚きに、尻もちを着くセナン。

 赤髪の人物はセナンの呆然とした視線から逃れるようにその身を屈めた。両腕の自由を奪う、重たそうな手錠を鬱陶しそうにして身を捩る。


 ――女の子!?


 仕草や体形でようやくそのことを察したセナンは、赤髪の少女から慌てて目を逸らして俯いた。


 視界の端で、大きな鎖がガラガラと音を立てて動いている。

 その動きは、視界の外にいる少女の動きに連動しているようだった。

 先ほど見た手錠が、セナンの脳裏にチラついた。


 セナンは口元を覆うぼろ布を下ろして、俯いたまま呟く。



「君は――」



 その瞬間。

 2車両目のドアが開き、例の黒服が姿を現した。

 跳ねるようにセナンが顔を上げる。


 黒服は床に倒れるセナンと、クローゼットの陰にいるはずの少女を交互に見て、焦ったように舌打ちをした。



「スーティ・バロン……ッ! ここはお前が立ち入って良い場所ではない!」



 黒服の構える拳銃が、小刻みに震えている。

 セナンは眉を顰めた。床に手をついて、ゆっくりと立ち上がる。黒服は銃を撃たなかった。


 ――いや、撃てないんだ。


 セナンは貨物室を見渡して微笑んだ。



「これ全部、グラヴィスへの手土産かなんかか?」


「――黙れ」



 黒服は冷静を欠いている。

 どうやら図星らしい――とセナンは直感した。思わず、セナンは舌なめずりをした。


 

は、半分以上がだって知ってたか?」



 言いながら、セナンはマントを外して少女に放った。

 マントはふわりと少女の肢体を覆い隠し、赤髪の少女は困惑を浮かべてセナンの横顔を見上げた。

 セナンが、口角を吊り上げる。



「自分の持ち物に何をしようが、持ち主の勝手――、そうだよな?」


「待て。何を……、するつもりだ……」



 黒服が拳銃を両手で構えた。その呼吸は荒い。

 

 セナンは左手をポケットに入れて、小さな玉を取り出した。

 わざと、玉についたを黒服に見せつけて、ゆっくりと右腕に近づける。



「こうするのさ」



 セナンはそう言って、導火線を手甲に擦り付けた。

 火花が散る。導火線に、火が付いた。



「――バカがッ! すぐに火を消せッ!」


「やだね。どうしてもって言うなら、ご自分でどうぞ?」



 馬鹿にするように笑って、セナンは火のついた玉を黒服の方に放り投げた。


 黒服の視線がセナンから、飛来する玉へと逸れる。

 黒服は銃を投げ出す勢いで、床に転がる小さな玉に取りつくと、火傷もいとわず導火線の火を指先でもみ消した。


 安堵の溜息を吐く黒服に追い打ちをかけるように、「シュ――」という音が貨物室内に響く。

 ハッとして顔を上げた黒服の目の前で、セナンが意地の悪い微笑みを浮かべていた。



「別に1とは言ってないぜ?」



 左の五指の間に1つずつ、既に導火線に火のついた玉が計4つ。

 黒服の顔が青ざめる。



「――もうひと頑張りしな」



 セナンはそう言って、同時に4つをポイっと放った。



「クソガキがぁッ!」



 黒服は鬼の形相でセナンを睨んだが、その視線はすぐに4つの玉に釘付けになった。


 セナンは黒服が消火活動に躍起になっている間に、赤髪の少女の前に片膝を着いて、その耳元でささやいた。



「安心して、だから」


「え……」



 呆気にとられる少女に、セナンは微笑む。



「後で必ず、君を助けに戻るから」


「貴方は――」



 セナンは少女の返事を待たず、再びぼろ布で口元を覆うと、素早く1車両目に向って駆けだした。



「あ、あと一つ! 何処だっ!? あと一つ何処っ!?」



 セナンの後ろでは、黒服が目を皿にして床を這っていた。



「あっ――」



 ようやく見つけた最後の一つ。

 しかし、つまんで消せるほど導火線の長さはない。黒服の瞳から、光が消えた。



「――アリアァッ!」



 導火線が燃え尽きる間際、黒服は頭を抱えて蹲るとそう叫んだ。

 直後、セナンの放った玉が大きな音を立てて爆発し、周囲を――、



「……あれ」



 数秒後、亀のように引っ込めていた頭を恐る恐る上げて、黒服は魂の抜けたような表情で一面真っ白になった周辺を見渡した。

 黒服のも白に染まり、もはや白服。

 黒服は事態を察して、耳まで顔を赤くした。



「……や、や……」



 黒服の手が、わなわなと怒りに震える。

 その目が憎々し気に1車両目へと繋がるドアに向けられた。



「やりやがったぁァ……! あのヤロォ……ッ!」



 忌々し気にそう言って、黒服は床に転がる拳銃を手に取ると一も二もなく1車両目へと駆けだした。体当たりするようにスライドドアを引いて、黒服が外に出る。


 誰もいなくなった2車両目の貨物室――、



「……ふふっ」



 という、少女の控えめな笑い声が響き渡った。




 2車両目の貨物室から飛び出した黒服は、1車両目に駆け込もうとしてすぐに思いとどまった。


 慎重にドアに近寄り、ドア窓から1車両目の中の様子を探る。

 1車両目はルベロン王家の血筋にのみ乗車を許される特別な車両なのだ。今は誰も乗っていないとはいえ、無断で足を踏み入れることは憚られた。



「――上だ! 上がって来いよ! 決着つけようぜ」



 そんな声がして、黒服は獣のような笑みを浮かべた。

 黒服が1車両目の屋根に上がると、機関部の煙突から噴き出す交じりの黒煙が視界を塞いだ。おかげで黒服の目には、セナンの姿が捉えられない。


 黒服は、白く染まったコートを脱ぎ、それを左腕に巻き付けるとそれで口元を覆った。



煤まみれスーティとはよく言ったものだな! ここが貴様の得意の戦場と言う訳か!」



 言いながら、黒服は構えた拳銃で周囲を警戒する。



「――その通り。ここじゃ俺は負けなしだ」



 姿は見えない。だが、声は確かに黒煙の中から聞こえていた。



「さっきは焦ったよ、スーティ・バロン」



 黒服は、黒煙を睨みつけた。些細なヒントも見逃すまいと、感覚を研ぎ澄ませる。

 黒煙の中から、笑い声がした。黒服の脚がピタリと止まる。



「そりゃどうも。ところで……、ってあんたの女か?」



 黒服の眉が不機嫌そうにピクリと跳ねた。



「口の減らないガキめ。さっさと姿を見せたらどうだ。まぁ、を信条とするお前が、俺に勝てる道理はないがな」



 返事はない。

 黒服はさらに続けた。



「さっきは慌てたが、冷静に考えてみればお前に俺は殺せないんだ。そうだろう? 男爵ちゃんキューティー・バロン?」


「――どうかな」



 直後、その場から飛び退すさった。

 さっきまで黒服が立っていた場所に、セナンの手が伸びていた。



「――くそッ」



 セナンは思わず舌打ちした。

 屋根の上に設置したスピーカーから自分の声を発生させて、敵の視線を黒煙の向こうに釘付けにする。その間にセナンは車両の側面、あるいは中を移動して裏をとる。それがセナンの奥の手とも言うべき作戦だった。



「そんな事だろうと思ったよっ! ・バロンッ! アハハハッ!」


「さっきから寒いんだよッ!」



 黒服が歓喜の声をあげながら、セナンに向って拳銃を発砲した。

 銃弾はセナンの目の前の屋根に着弾し、セナンは反射的に顔を背ける。



「――隙ありだッ!」



 セナンの真上に、黒服が立ちふさがる。

 おもむろに持ち上がった黒服の足が、車両の縁にしがみ付くセナンの指目掛けて振り下ろされる。


 ダンッ――と、容赦のない音が響いた。



「あっぶねぇッ! 殺す気かッ!」



 セナンが吼える。

 すんでのところで横に移動し、セナンは黒服から距離をとっていた。


 黒服の眉間に皺が寄る。



もなしにッ! 貴様はここへ遊びにでも来たのか、スーティ・バロンッ!」



 ダンッ――と、黒服が逃げるセナンの指先を追いかけて足を屋根に叩きつける。



「わっ、うわ、わ、わ――!」


「不殺だなんだとッ、そういうところがッ、ガキだというんだッ!」



 ダンッ、ダンッ、ダンッ――!

 セナンが逃げ、黒服が追う。



「そんな甘えた考えでッ、大きな力に敵うと本気で考えているのなら――ッ」


「い、いい加減に……!」



 ダンッ――と、黒服が叩きつけた足を、セナンが左手で掴む。



「――しろォッ!」



 ぎゅっと握った黒服の細い足首を、セナンは怒声と共に引っ張った。



「うおっ――」



 黒服は屋根から落ちるかに思われた。

 だが、そうなる前に黒服は全力で後ろに倒れ込む。受け身をとる余裕もなく、黒服は左半身を思い切り堅い屋根に打ち据えたが、それでも落下するよりはましな結果であった。


 そして黒服が倒れている間に、セナンは屋根によじ登る。

 肩で息をするセナンの目の前で、黒服が嘲るような笑みを浮かべて体を起こした。



「――今、殺そうとしたな?」



 黒服の言葉に、セナンは心が空っぽになるような感覚を味わった。

 言い返すこともできず、セナンは歯を食いしばる。



「そうだ。お前は何も間違っちゃない。やらなきゃやられる。さっきはそういう状況だった」



 黒服が立ち上がる。

 その足取りは、セナン同様覚束ない。しかし、精神的な余裕は黒服が圧倒していた。



「だがこれで分かっただろう? 貴様の信念がいかに馬鹿馬鹿しいか」


「――やめろッ!」



 セナンは歯をむき出しにして黒服を睨みつけた。

 逆上するセナンを陰鬱とした表情で見つめて、黒服はスーツの上着を左腕に巻いたコートごと脱ぎ捨てた。


 サスペンダー付きのスーツパンツ。そのポケットから黒い革手袋を取り出して、黒服はやけに丁寧な手つきで手袋を両手に嵌めた。



「――こいつはな、ただの手袋じゃない」



 そう言って、黒服は両手の指先をそれぞれ合わせ、また離す。

 すると、離れた指先同士の間で、バチバチッと音を立てて細い電撃が走った。



「面白いだろう? 言っておくが、この手に触れられれば痺れる程度じゃ済まないぜ?」


「……ッ」



 黒服が不敵に笑っている。

 セナンは表情を奪われたような心境だった。しかし――、



「特別だ、同じ土俵で相手をしてやる。かかって来いよ、スーティ・バロン」



 そんな黒服の挑発を受けて、セナンがとった行動はだった。

 深く息を吸って、吐き出すと、セナンは黒服の顔を正面から見据えた。癖のある明るい茶髪。端正な顔立ちに、鋭い目つき。

 セナンは黒服の顔を記憶に焼き付けるようにじっと見つめた。



「――セナン・バージャックだ」



 黒服は目を見開き、



「バージャック……。アダマスの……! なるほどな。だが、……一体何の真似だ?」



 そしてすぐに怪訝そうに眉を顰めた。



「あんたは強い。色んな意味でな。俺なりの敬意だよ」



 そう言って、セナンは拳を構える。

 セナンなりの意地だった。負けっぱなしは性に合わない。


 ――煤にまみれた高潔さってのを見せてやる。


 黒服は、そんなセナンの最大限の強がりを見透かして、笑みを浮かべた。



「――まったく、本当にガキだな」


「うるせぇよ」



 セナンが恥じるように唇を尖らせる。

 黒服の表情は、言葉とは裏腹に真剣だった。



「ならば、俺も名乗ろう。俺の名はバラッド・エア。ルベロンの騎士階級ナイツ。でもって、お前を捕えればすぐにでも聖騎士階級パラディンだ」



 ――冗談じゃない。


 セナンは思った。



「こんなとこで捕まってたまるかよ――ッ!」



 セナンが先に屋根を蹴った。右腕を盾代わりにバラッドへ正面から突っ込む。


 ――と見せかけてッ!


 バラッドの間合いの外でセナンは急に足を止めた。

 バラッドの右手が空を切る。その指先には電光が迸っていた。

 腕の長さだけではない。セナンは全体的なリーチでバラッドに敵わない。


 ――だったら、反応速度の勝負に持ち込む!


 空振りしたバラッドの右手首を、セナンは左手でがしりと掴んだ。そのままバラッドの腕を右下に引き、体勢を崩そうとする。

 が、しかし、



「ッ! 小賢しいッ!」



 バラッドがセナンよりも強い力で右手首を返し、電光迸る指先で、セナンの左腕を逆に掴もうとする。



「くそッ」



 セナンはすぐにバラッドの右手首から手を離して、半歩引いた。

 

 ――やっぱり力でも敵わない!


 だがセナンは、ひるむことなくバラッドの左側に素早く回り込んだ。

 今、バラッドの両手はセナンから見て右側に集まっている。


 セナンは怒涛の勢いでバラッドの間合いの内側へ潜り込む。


 バラッドはその顔に焦燥を浮かべながらも、素早く右腕を戻し、勢いのままセナンの顔目掛けて肘打ちを放った。


 しかしセナンはそれすら膝を落としてかい潜り、さらに膝のバネを利用して、戻る力で強烈な左拳をバラッドの右わき腹に打ち込む。



「――ぐ、ぅ……ッ」



 呻きがもれ、バラッドの身体が僅かに浮く。殴られた場所を右手で押さえてよたよたと後退する。

 バラッドの頭の位置が下がる。

 セナンは間髪入れずに足場を蹴った。


 ――ここしかないッ


 ようやく入った一撃。

 機を逃さずにセナンは開いた距離をあっという間に詰めて、右の鉄拳を振りかぶる。


 俯いていたバラッドの顔が、ゆっくりと上がってくる。

 バラッドは薄く笑っていた。


 次の瞬間、セナンの身体は重たい衝撃と、そして感覚がするような痛みに貫かれた。

 セナンの動きが止まる。



「――がはっ……」



 喉から血を吐くセナン。マスク代わりの血の付いたぼろ布が外れ、足場に落ちる。

 セナンの右の鉄拳は、バラッドの眼前で止まっていた。


 眉間に皺をよせ、セナンはバラッドの左手に視線を落とした。

 その手は、中指と人差し指、親指が立ったまま――まるで“銃”のような形でそこに在った。



「……悪く思うなよ、セナン。奥の手っていうのは、こういうことを言うんだからな……っ!」



 バラッドは目を見開き、勝ち誇ったようにそう言った。



「――……思わねぇよ」



 セナンが、ここぞとばかりに不敵に笑う。



「さっきの台詞、そっくり返すぜ……!」


「何を……ッ!」



 セナンの言葉の意図が読めないバラッドは、しかし「まさか」と目と鼻の先にあるセナンの鉄拳に目を向けた。



さ……、チェックメイトだ。……またな、バラッド」


「――まっ」



 バラッドの言葉を待たず、セナンは拳を覆う手甲の内側――、裏に仕込まれたに指を伸ばして、力いっぱいそれを握った。


 その瞬間――、セナンの鉄拳内部に溜め込まれていた蒸気が、一気にシリンダーに流れ込み、高速で

 ロケットのような勢いでセナンの鉄拳が、もろにバラッドの顔面を打ち据えて、その体が宙を舞った。


 バラッドの背中が車両の屋根に打ち付けられた瞬間、セナンの手甲から凄まじい蒸気が噴出して、飛び出た鉄拳が自動的に引き戻される。


 仰向けに転がるバラッドはピクリとも動かない。


 セナンはようやく、詰まった息を吐きだした。



「……これがほんとの、奥の手ってね……」



 直後、スマート・キング・ルベロン号の進行方向で大きな爆発が起こった。

 すぐさま列車に急ブレーキがかかり、セナンは屋根の上でつまずいた。蹲るようにして慣性に耐え、列車が完全に停止すると爆心地を振り返った。



「もうそんな時間か! 急がねぇと……!」



 線路の爆破はセナンの計画の内だった。

 列車が止まれば脱出も簡単になり、作戦の分かりやすいタイムリミットにもなる。


 

「今回は随分手こずっちまった……」



 セナン個人の収穫は今のところゼロ。


 ――それもこれもこいつのせいだ。


 セナンは改めて気絶しているバラッドを見つめる。

 口元を拭うと、茶色の耐熱グローブに赤黒い血がべっとりとこびりついた。

 


「そうだ、あの娘……!」



 呼吸を整えたところで、セナンは貨物車両に捕えられていた赤髪の少女の事を思い出す。急いで立ち上がると、重たい体を引きずるように2車両目へと歩き出した。




 セナンが2車両目――貨物室のドアを開けると、赤髪の少女は警戒するように顔をがばっと上げた。しかし、入ってきたのがセナンだと分かると、長い髪で表情は読み取れないが、幾分肩から力が抜けたように見えた。



「……ごめん、待った?」



 冗談めかして、セナンは笑う。よたよたと少女に近寄り、倒れ込むようにその傍らに膝を着いた。


 少女が慌てて重たい手錠の付いた両手を持ち上げる。両の手のひらでセナンの胸板を支えて、セナンの顔を覗き込んだ。



「血……、貴方、血が出て……」



 不安に揺れる少女の瞳を見て、セナンが首を左右に振る。



「いいんだ、ちょっと待って……」



 そう言うと、セナンはズボンの尻ポケットを探り、ねじ曲がった針金を取り出し微笑んだ。

 セナンの意図を察して、少女の口から吐息がもれる。



「こういうのは得意なんだ。……まかせて」



 そう言って、セナンは針金を手錠の鍵穴に差し入れた。

 カチャ、カチャ――、とセナンが針金を動かすと、「カチャリ」と軽い音がして、少女の手から手錠が落ちる。


 「ゴトッ」と手錠が床にぶつかった音で、少女はようやく自分が自由になったのだと実感した。顔を上げ、セナンの顔をじっと見つめる。


 少女に見つめられて、セナンは柔らかく微笑んだ。



「逃げよう」



 セナンがそう言って左手を差し出すと、少女は僅かに躊躇い、そして力強くセナンの手を取った。

 少女の身体を引き起こし、セナンはすぐに少女から目を逸らした。



「そ、その……っ、俺のマント、ちゃんと使って……」



 立ち上がった少女の足元に、セナンのマントが落ちている。

 少女は微かに頬を赤らめて、慌てた様子でマントを拾った。セナンの手を離し、両手でセナンのマントを胸元に押し付けるようにして身体を隠す。



「……ご、ごめんなさい」


「い、いや――」



 バン――、とが鳴った。

 もんどりうって、セナンが貨物室の床に倒れる。



「ぐあ――」



 呻き、セナンは右の太ももを両手で押さえた。

 少女が1車両目方向のドアを振り返ると、そこにはドアに寄りかかるようにして拳銃を構えるバラッドの姿があった。



「貴方――ッ」


「――逃がさんッ、お前だけは! スーティ、いや――セナン・バージャック……ッ」



 バラッドの左頬には大きな打撲痕。肩で息をしており、バラッドも満身創痍であることが窺えた。


 冷たい汗をかくセナンは、苦悶の表情でバラッドを睨みつけた。



「しつ、こいぞ……!」



 バラッドがにやりと笑う。



「追うさ、地獄の果てまでも……! お前が、本気にさせたんだ……ッ」



 バラッドが震える手で銃の狙いをセナンに合わせる。

 そこへ、赤髪の少女が割り込んだ。

 バラッドの目が、驚愕に見開かれる。



「手錠が……! 貴様ッ、の手錠を外したのか……ッ!?」



 セナンは眉を顰めた。バラッドの様子が、どうにもおかしい。

 たかが女の子一人、自由の身になったからと言って、ここまで冷静を欠いた目をするものだろうか。


 セナンの視線が、少女の白い背中に移る。

 少女もまた、床に倒れるセナンを横目で見ていた。その桜色の唇がゆっくりと言葉を紡ぐ。



「己の危険を顧みず、見ず知らずの私を救ってくれたこと。心から感謝するわ。――



 凛とした、綺麗な声。

 セナンはこんな状況にもかかわらず、その声に聞き惚れた。



「お互い名前も知らないけれど、借りは返します。今度は、私が貴方を助ける番」


「君は――」



 瞬間、セナンの目の前で炎が燃え上がった。

 赤髪の少女の身体を包むような火柱が、少女の足元から立ち昇っている。


 ぶわっ――と、風が巻き上がり、少女から火の着いたマントの燃えカスが散る。

 セナンは反射的に身を庇った。


 恐る恐る腕の防御を解いたセナンは、少女の変わり果てた姿を見て目を疑った。


 そこには、を身にまとい、燃え盛る少女の雄姿があった。

 熱気に揺らめく炎の髪。隠れていた素顔はあまりにも美しく、気高い。


 激しく滾る、焔の乙女――



「逃げるなら見逃すわ。向かってくるなら、灰にするけど……。貴方はどちらがお好みかしら?」

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