スーティ・バロン

波打 犀

You're gonna carry that weight

ブレイク・アウト

1

 草木もまばらな赤色の大地。

 蜃気楼に歪む地平線の向こうから、は黒煙を吹き上げやってくる。

 “”――スマート・キング・ルベロン号。

 黒鉄の貴公子と称される、気品さえ感じる黒塗りの車体。雄々しい汽笛の咆哮が、荒野の寂寞せきばくを貫く。


 荒野を望む岩棚から、車内の様子を窺っていたドレッドヘアの少年――セナン・バージャックは、苛立たし気に舌打ちをすると、覗いていた双眼鏡を目元から離した。


 車窓に映る乗客たちはあっちもこっちも身なりのいい者達ばかり。

 彼らの幸せそうな笑顔が、一体どれほどの犠牲の上に成り立っているのか。当の本人たちはきっと想像したことすらないはずだ。


 思わず奥歯に力が入る。

 セナンはぎりりと歯ぎしりした。セナンにとって、貧者の上に胡坐をかく貴族連中は憎むべき敵だった。



 現ルベロン国王、グラヴィス・ルベロンが大金と多くの犠牲の上に大陸を横断する鉄道を開通させたのは、ここ数年内の出来事だ。工事のために多くの労働者の命が失われたというのに、結局鉄道事業で甘い蜜を吸えるのはルベロン国の貴族階級だけだった。


 スマート・キング・ルベロン号の完成と、鉄道の開通はグラヴィス・ルベロンの先代からの悲願であったらしく、グラヴィスは父王の意思を継いで事業を成功させた若き名君と名高い。


 ……が、しかし。

 その実態は国の財政も顧みず、気の向くまま娯楽事業に投資するただの馬鹿だ。鉄道事業以降、グラヴィスの発案で着手した開発はどれもこれも失敗ばかり。


 それでもルベロン国が国としてやっていけているのは、ひとえに先王の鉄道事業のお陰なのである。


 そして、忘れてはならないのが重税に耐える平民以下国民の存在だ。


 グラヴィスはお財布事情が厳しくなると、ママに小遣いを強請るような気軽さで税率を引き上げる。おかげで格差は加速し続け、お国のために一生懸命貢ぎ続ける平民は、富裕層に不潔だなんだと毛嫌いされたあげく、どういう訳か“貧民街”と呼ばれる掃きだめに押し込められている。


 明日の飯すらあてのない様な働き者がいる一方で、遊んでばかりの馬鹿どもは大陸を横断してまで各国で散財する余裕がある。胸糞の悪い話だ――とセナンは思う。


 ――こんな不平等が許されるのか? 許していいのか? 答えはノーだ。


 今日を生き抜くことに満足してはいけない。


 理不尽には立ち向かわなければいけない。


 それらがセナンの信条だった。

 だが、不安がないと言えば嘘になる。どれ程がむしゃらにあがいても、自分が15歳の子供に過ぎない事実は変わらない。


 時折、そういったどうしようもない事柄が、無性にセナンを不安にさせた。


 ――この道は、正しい道なのか。


 そう思ってしまう瞬間が、セナンには確かにあった。





 岩棚の陰にうつ伏せの姿勢で隠れていたセナンは、背後から何者かに名前を呼ばれて振り向いた。考え事をしていたためか、足音にはまったく気づけなかった。

 セナンは双眼鏡を再び目元から離し、ゆっくりと振り返る。そこにはセナンの見知った少年が居た。



「マルク」


 

 安堵の溜息を吐くセナン。

 すすけた金髪。つぎはぎシャツに、つなぎのズボンを履いた少年は、そんなセナンの様子を見て、中性的な顔立ちで微かに笑った。右手には大型のトランシーバーが握られている。



「緊張でもしてるのか? セナン」



 マルクは冗談めかしてそう言った。

 セナンはマルクの杞憂を鼻で笑い飛ばすと、



「よせよ、そんなんじゃない。ただ――」



 と、言いかけた言葉を濁した。

 一瞬、一度でも弱音を吐いてしまいそうになった自分を恥じるように、セナンは唇を噛み締めた。もっとも付き合いの長い親友を前にすると、セナンの決意は容易く揺らぐ。だが、一歩のところで踏みとどまった。


 ――他の誰でもない。俺が弱音を吐くことだけは許されない。



「……そろそろだ。みんなお前の指示を待ってるぞ」



 そう言って、マルクはセナンに左手を差し出した。


 セナンはぽかんと口を開いた。

 マルクには分かったはずだとセナンは思った。セナンの心の綻びが、マルクには分かったはずだ。だが、そうと知ったうえでマルクは追及しなかった。

 それをだとは、セナンは思わない。


 ――指導者に、迷うことは許されない。


 マルクはきっとそう言いたいのだろうと、セナンは考えた。


 吐きかけた溜息を飲み込んで、セナンがマルクの手を取ると、マルクはぐいっと腕を引いてセナンの身体を起こした。互いに、しばらく見つめあう。想いを交換するように。

 初めに視線を逸らしたのは、セナンの方だった。



「爆破の用意は?」


「予定通りだ」



 セナンが服に付いた砂利や枯草を払いながら尋ねると、マルクは淡々と返答した。

 統制の取れたチームの動きに、セナンは思わず口元を綻ばせた。



「オーライ。ジオを起こしてくれ、俺もすぐ行く」


「了解だ」



 マルクは頷くと、素早く岩棚の傾斜を駆け下りていった。

 セナンはもう一度だけ、肉眼で捉えられる距離に入ったスマート・キング・ルベロン号を睨みつけ、髪を後ろで纏めて縛ると、マルクの後を追って岩棚を飛び降りた。


 岩棚を住処にする獣も斯くやという軽快な足取りで、不安定な足場を移動するセナン。あっという間に下まで降りると、岩棚に囲まれたそのくぼ地には、オンボロの小型蒸気機関車が3台停まっていた。


 それぞれ個性の滲むペイントを施された車の周りには、1台を除き少年少女が3人ずつたむろしている。

 それまでとしていた彼らは、セナンが降りてくるなりとして、指示を待つようにセナンの事をじっと見つめた。


 セナンはその視線を受け止めつつ、マルクが寄りかかっている車まで移動する。

 運転席で大きなあくびをするジオと言う名の少年に軽く手を挙げると、ジオは目を伏せて目礼した。

 そしてセナンは颯爽とそのボンネットに駆け上がった。

 ボンネットの上に立ち、6人の少年少女の顔をぐるりと見渡す。



「――まず、俺について来てくれたことに深く感謝したい。皆、ありがとよ」



 セナンはそう切り出し、そしてこう続けた。



「アダマスの現幹部連中、そして指導者である親父を含めて、今のアダマスは“牙”を失くしたと言っても過言じゃない。口を開けば『慎重に行動しろ』だの、『時が来るのを待て』だのと、いつまで経っても行動を起こしやしない」



 セナンの言葉に同意を示す頷きが、全員から返ってくる。



「俺たちは何のために武器をとったのか。何のためのアダマスなのか。戦う力のある俺たちが、いつまでもじっとしていていいのか? 今もあちこちで罪なき命が理不尽に失われようとしている。すべてグラヴィスが敷く圧政のためにだ!」


「無能な王に制裁をっ」



 仲間の一人、ミミと言う名の少女が小さな拳を振り上げる。

 セナンは頷き、拳を握った。



「そうだ、奴にはいずれすべてのツケを払わせる。他の誰でもない、俺たちの手で。残念だが、親父たち大人は全く頼りにならない。言いたくはないが、今の親父はただの腑抜けだ。アダマスの大人たちに、もはや弱者の悲鳴は届かない」



 「だが」と、セナンは言う。



「今ここに居る俺たちは違う! 俺たちは戦士、そして鋭い“牙”と“爪”をもつ獰猛な獣だ! 俺たちは貧者のために、弱者のためにこの手を汚そう。救いを求める彼らのために、自ら進んで罪を背負おう!」



 セナンは拳を振り上げる。

 セナンを見上げる6人の少年少女が、熱に浮かされるように次々に拳を天に突きあげた。



「――セナン!」


「セナン・バージャック!」



 口々に自分の名を呼ぶ彼らの声に、セナンは口角を吊り上げ、額のごついゴーグルを目元に装着する。



「――そう! 俺の名はセナン・バージャック! またの名を煤まみれ男爵スーティ・バロン』ッ!」 



 セナンは堂々たる名乗りを上げ、ボンネットを「ドン」と踏み鳴らす。



「――。忘れものだ」



 マルクがそう言って、何かを放った。

 セナンがそれをキャッチした瞬間――、風が吹き、バサッと音を立ててつぎはぎのマントが風に靡く。


 セナンは不敵に微笑むと、豪快にマントを羽織り6人に背を向けた。

 マントの端を首元で結んで叫ぶ。



「てめぇら、俺に付いて来いッ! 正義は常に、俺たちを見守っている!」



 荒野の片隅で、大歓声が沸き起こった。



□■□



 スマート・キング・ルベロン号――、その最後尾に立つ見張りの男は、半時ほど前から眠気の限界を感じていた。銃をまるで抱き枕のように抱え、狭い足場に座り込んでこっくりこっくりと舟を漕いでいた。

 

 だから初め、汽車の車輪が回る音に混じって聞こえるピストンの収縮音を、空耳か何かだと勘違いした。


 そうではないと見張りが気が付いた時にはもう、セナンは列車のすぐ後ろに迫っていた。


 走る車のボンネットの上に立ち、右肩に大きな筒を担いでいる。

 ゴーグルでその目は見えないが、口元には不敵な笑みが浮かんでいた。風に靡くマントが、少年を一回りも大きく見せる。


 見張りは泡を食って跳び起きたものの、セナンは見張りが銃を構える前に大筒に付いた引き金を引いていた。



「うわぁっ」



 見張りが情けない悲鳴をあげる。

 セナンの大筒から放たれたのは、頑丈な捕縛ネットだった。狙いを誤ることなく真っ直ぐに見張りに覆いかぶさったネットは、見張りの手足を雁字搦めに絡めとり、見事見張りの動きを封じることに成功した。



「どうした! 何の音――」



 後部車両に詰めていた交代の見張りが車両のドアを開けて顔を出す。

 その瞬間、セナンの鋭いが見張りの頬に突き刺さった。



「――うぼぉ」



 悲鳴をあげる間もなく、見張りの大きな体がセナンの小柄な体に押し込められるように後部車両に突っ込んだ。

 見張りの大男と一緒に、後部のに転がり込んだセナンは、素早く状況を確認する。貨物車両と言えど、この車両に荷物は一つもない。代わりに椅子が数脚と、小さなテーブルが置かれているだけの見張りの詰め所になっていた。


 中にはまだ二人の男が居たが、二人の意識はセナンに吹っ飛ばされてピクリともしない大男の方に向いているようだった。


 セナンはゆっくりと立ち上がり、の嵌った右手をまっすぐ横に伸ばした。

 すると二の腕と右肩を覆っていたごつい装甲の一部が跳ね上がり、セナンの右腕と、拳をガードするように展開する。時として盾も兼ねる、鋼鉄の腕。


 「ガキン!」と高い音が鳴り、二人の見張りがようやくセナンの存在に気づく。

 セナンは寂しい貨物室を見回して、溜息を吐いた。



「あんたら見張りも大変だよなぁ、こんなところに詰め込まれて」


「だ、誰だてめぇッ!」



 二人の見張りが銃を構える。

 セナンは会話にならないことを嘆くように肩を竦めた。



「おいおい、やる気か? 見逃してくれてもいいんだぜ? こっちも手間が省けるし、あんたらもいい」


「ざけんじゃ――」



 見張りの一人の悪態を遮って、セナンは「それとも」と挑発するようにこう続けた。



「――が必要か?」



 途端、挑発に乗った見張りが手に持ったマシンガンを乱射する。

 それよりも僅かに早く貨物室の床を蹴っていたセナンは、照準が付けられないように低い姿勢で素早く見張りの一人に接近し、その鳩尾みぞおちに文字通りの鉄拳を打ち込んだ。


 セナンに殴られた見張りは体を“く”の字に折り曲げて吹っ飛び、貨物室の壁に背中を打ち付けた後、前のめりに倒れ込んで動かなくなった。



「ち、チクショウっ……!」



 残った最後の見張りが、怯えたように半歩後退してセナンに向けてマシンガンを乱射する。

 セナンは飛来する弾丸を数発、右の手甲で受け止めて、足止めをくらわない内に素早く左に転がった。起き上がると同時に床を蹴り、さらに銃弾を躱す。何発かマントを掠めたが、セナンの素早い動きに見張りの狙いは定まらず、結局腰にセナンの一撃を食らってその場に倒れ込んだ。


 貨物室に居た見張りはこれですべてセナンが倒したことになる。

 セナンは深く溜息を吐くと、セナンに続いて貨物室に乗り込んできた仲間たちを振り返った。


 突入組はセナンを入れて五名。

 最年少の少女ミミ。冷静沈着な少年クロウ。力自慢の少年ガス。忍術使いの少女シオン。

 彼らは静かにセナンの前に整列する。



「よし、揃ったな。ここに一人見張りを立てる。そこに伸びてる奴らの見張りと、確実な逃走経路の確保に努めてもらう。問題は誰に任せるかだが……」



 セナンは最初にミミを見た。なんといっても最年少。できるだけ危険な目には合わせたくないと思ったが故の行動だったが、


 ――ミミはこれで血気盛んだ。見張りじゃきっと不満だろうな。


 あどけない顔には『役に立ちたい』とでかでかと書かれているようだった。

 セナンは小さく首を振り、次にシオンを見つめた。



「シオン、ここの見張りはお前に任せる」


「承知」



 シオンは素直に頷いた。



「残りは1人2車両ずつ、乗客から金目の物を巻き上げろ。ここと、機関室を除いて車両は8両だから4人で丁度だ。中には乗客の居ない車両もあるだろう。手が早く開いたものは他の者をサポートしてやれ」



 「それと」とセナンは言葉を継いで、



「乗客には暴力を振るうな、子供にもだ。武器を向けてくる奴らは容赦せず制圧しろ」


「はい!」



 セナンの言葉に全員が背筋を伸ばして返事をする。

 セナンは頷くと、マントを翻した。



「先頭2車両は俺がやる。ミミは後部の2車両だ」


「はいっ」


「クロウは先頭の3車両目から」


「……わかった」


「ガスは残りの車両を頼む、なるべくさっさと終わらせてミミを頼んだ」


「任せろ!」



 手早く指示を出し、セナンは貨物室を飛び出した。

 ミミとガスは下から。セナンとクロウは列車の屋根を伝ってそれぞれ移動を開始する。


 セナンとクロウは汽車の煙をもろに吸い込まないように口元をぼろ布で覆いつつ、足早に車上を駆ける。

 クロウの担当する車両の手前で一端足を止めると、セナンはクロウが安全に車両に降りられるように屋根の上で援護にまわる。


 クロウが外の足場に降りる。

 その様子を屋根から見守っていたセナンは、4車両目のドア窓に映る大柄な人影を見て声をあげた。



「クロウ! 誰か来る!」



 クロウが振り向いたのと、車両のドアが開いたのはほぼ同時だった。

 仕立てのいい黒服。だが、ただの乗客と言う雰囲気ではない。



「うお――」



 黒服は驚きつつ、コートの内側に手を差し入れた。

 ちらりと覗く拳銃。セナンの読み通り、男は訓練された軍人のようだった。


 しかし、クロウの判断も並ではなかった。

 振り向くと同時、彼もポケットに手を入れていた。黒服が拳銃を取り出すよりも早く、クロウが得意の技を披露する。



――!」



 クロウが手の中の物を放った瞬間、セナンは反射的に耳を塞いでいた。

 直後、セナンの手のひら越しに強烈な音がセナンの鼓膜を震わせた。分かっていてもこの威力。至近距離であることもクロウに有利に働いた。


 黒服は目の前でを食らってよろめいた。

 その一瞬の隙を見逃さず、クロウが黒服に回し蹴りをお見舞いする。



「うわっ、と、と――ッ」



 黒服は簡単に体勢を崩し、列車の外に投げ出された。

 最後はきっと自分から飛んだのだろう。黒服はかなり遠くの地面に着地することで、列車に巻き込まれるのを防いだらしい。



「――モーリスッ! くそ……っ」



 機関室を除き、先頭から数えて3車両目と4車両目の間から現れたのは、もう一人の黒服だった。

 さっきの黒服とは違って上をとるつもりだったらしい。その黒服は悪態を吐くと、屋根にしがみ付いた体勢で、手に持った拳銃をセナンに向けて発砲した。


 銃弾はセナンの右腕――、手甲を掠めて跳弾した。



「あいつ、あんな態勢で……!」



 セナンの目つきが一瞬で変わる。

 クロウが倒した黒服同様、もう一人も相当の手練れのようだ。



「セナン!」



 クロウが珍しく大きな声をあげる。



「大丈夫だ、あいつは俺がやる! ――行けっ」



 クロウが4車両目のドアから中に入る間に、二人目の黒服がもう一発弾丸を発射した。反射的に右腕で体を庇うと、今度も右腕に衝撃があった。


 ――これ以上、あいつに撃たせたらマズい!


 セナンは直感して、5車両目の屋根から4車両目に素早く飛び移った。

 その間に、黒服も4車両目の屋根に上ってくる。互いに向かい合って屋根の上を駆け、丁度車両の中央で2人はぶつかった。


 セナンが先制して鋼鉄の右拳を放つ。

 黒服はそれを上体を逸らして躱し、そのまま体を捻って回し蹴りを放った。

 セナンはその蹴りを仰向けに倒れて躱し、素早く後転して黒服の踏み付け攻撃も躱した。


 両者再び距離をとる。

 セナンが黒服の顔を睨みつけると、黒服はにいっと口角を吊り上げた。



「――スーティ・バロン」



 セナンの眉がピクリと動く。

 黒服は面白がるように言葉を続けた。



「悪名高い盗人が、まさかこんなガキとはな……! 驚いたよ」


「……ただの盗人じゃねぇ。俺はだ……!」



 セナンの言葉に、今度は黒服の目つきが鋭くなった。



? やってることは結局、ただの強盗だ」



 セナンが唇を噛む。

 黒服の言葉も間違いではない。だが、それを承知でセナンは行動を起こしてきた。今更それを他人に咎められようと、セナンには信ずるべき大儀がある。



「グラヴィスの馬鹿にも言ってやんなよ」


「……なに?」



 黒服が眉をひそめる。



「俺たちは、グラヴィスが俺たちから不当に巻き上げた分を、ただ回収してるだけさ」


「……ッ! そんなものは、子供の詭弁だ――!」



 黒服が目を剥いて駆けだした。


 だが、その気迫はフェイントだ。こちらが焦って手を出したところで、手痛い反撃をもらうだけ。その証拠に、セナンが迎え撃つような行動を控えると、黒服は面倒くさそうに舌打ちをした。

 黒服の間合いで、互いに相手の出方を窺う様な間があいた。

 

 その一瞬を隙と見て、セナンが膝を屈めると、



「――甘いっ」



 黒服が叫び、両腕で体をガードする。

 しかしセナンは黒服の動きが止まった一瞬のうちに、黒服の股下をスライディングで通過してそのまま脱兎の如く駆けだした。



「――なっ! しまった!」



 黒服はセナンの背中目掛けて慌てて銃を発砲するが、銃弾が届く前にセナンは4車両目の屋根から下の足場に飛び降りていた。



「くそっ、あんな奴がいるなんて聞いてねぇぞ!」



 3車両目のドアを乱暴に開けながら、セナンは愚痴る。


 セナンの乱入に3車両目の客室は騒然とした。

 各所で悲鳴が上がっているが、しかしセナンはそれどころではない。


 想像以上の強敵との遭遇。

 自分の強さに絶対の自信を持つセナンですら、まともに戦って勝てるのか不安に思うほどだった。



「――止まれっ、スーティ・バロンッ!」



 セナンが23車両目のドアをスライドさせた直後、4車両目側のドアが開いて黒服が姿を現した。

 銃を構えてはいても、パニックになっている客室で簡単に発砲はできない。セナンは肉の壁を利用して2車両目に強行突破した。


 2車両目は貨物室だった。

 ただ、最後尾の貨物室とは違い、価値のありそうな代物が所狭しと並んでいる。死角の多い空間。


 ――ここでなら、奴を迎え撃てるかもしれない。


 セナンはそう考えて、奇襲に最適な隠れ場所を探し始めた。

 貨物室の中央あたりに、豪奢なクローゼットが置かれていた。


 ――あの陰に!


 駆け足でクローゼットに近寄るセナン。

 そして、その陰に身を潜めようとした瞬間、――セナンは素っ頓狂な悲鳴をあげた。



「うおぉっ!?」



 クローゼットの陰には、先客が居たのだ。

 

 ボサボサの、燃えるような赤い長髪。

 長い前髪の隙間から、獣のような橙色の瞳がセナンを睨みつけている。

 一糸纏わぬ白い肢体には、いくつもの細かい傷跡。乱暴な扱いを受けていたことが、セナンには一目で分かった。


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