第3話

「うっ……」


 耳がキィンと鳴り、他の音が聞こえなくなる。一時的な難聴状態だ。それでも、チャーリーが僕の肩を揺すっているのは分かる。『大丈夫か?』と繰り返しているのも。


「だっ、大丈夫だよ」


 見返すと、チャーリーは額から血を流していた。片目に血が入り、視界が限られているようだ。しかしそれ以外、負傷した様子はない。

 僕はうつ伏せになった身体を捻り、自分の足元を見た。こちらも無事らしい。

 だが問題は、残る一人のことだ。


「あっ、ブラボー! ブラボーは?」


 肩を揺すられるのが止まる。同時に、強く腕を引かれた。チャーリーが僕を引っ張り起こし、強引に廊下を駆け出そうとしているのだ。

 やや聴覚が戻り、チャーリーの言葉が聞こえてきた。


「あいつのことは忘れろ!」

「だって、今の爆発、ブラボーを狙ったんだろ? 早く助けなきゃ!」

「だから忘れろと――」


 僕は腕を振り払い、廊下を駆け戻った。爆発で吹き飛んだ床から、階下を覗き込む。そして、呆気に取られた。誰もいないのだ。


「ブラボー? ブラボー、どこにいるんだ?」

「止めろ、デルタ!」

「何するんだよ、チャーリー!」


 僕は強く身体を捻り、チャーリーを突き飛ばす。そうして再び目を階下に遣った、その時。


「ん?」


 細長い金属の棒が見えた。狙撃銃だ。その引き金に腕がかかっている。いや、『腕だけが』かかっている。


「うっ!」


 あれはきっと、ブラボーの腕だ。爆風で千切れたのか。

 よく見れば、階下の部屋は真っ赤に染まっている。これはまさか、ブラボーの血か? 床に散らばった赤紫のものは、かつてブラボー『だったもの』なのか?

 ということは――。


「ブラボーはばらばらになって死んだんだ! 同じ目に遭いたくなけりゃ、お前も後退しろ!」

「あ、ああ……」


 僕は酸っぱいものが喉を這い上がってくるのを感じつつ、チャーリーに引き立たされた。


 アルファのみならず、ブラボーもまた命を落としたのか? こんなに簡単に?

 似たような状況なら、何度も見聞きしてきたはず。にも関わらず、僕の心は震えた。胃袋が体内でぐわんぐわんと揺さぶられている。これが『動揺』『狼狽』と言われる感覚なのか。


 二人っきりになった僕たちは、ひたすら廊下を駆けた。階下に下りて森林に潜み、あわよくば戦線から離脱する予定だった。しかし、それは叶わない。階下に至る階段が崩落していたのだ。


「くっ……」


 悔し気に歯噛みするチャーリー。


「僕たち、もう逃げられないのか?」

「……悪いな、デルタ。しばらく動くな」


 そう言って、チャーリーは僕を思いっきり突き飛ばした。頭部を壁に打ちつけ、意識が朦朧とする。

 それでも何とか上体を起こそうとした、次の瞬間だった。


 チャーリーが壁に叩きつけられた。何だ? 一体何があった? 

 僕が顔を上げる直前、凄まじい風圧が横一文字に襲い掛かって来た。頭上を凄まじい風圧が駆け抜ける。これは――。


「大口径機関砲か?」


 随分と精確な射撃だ。僕たちがいる三階を、綺麗に横薙ぎにするなんて。


「チャーリー、敵は目がいいよ! 早く脱出して――」


 と言いかけて、僕は手元に違和感を覚えた。生温かい液体が、床に広がっている。

 一旦掌を見下ろして、今度こそ顔を上げる。そこにはチャーリーがいた。壁にもたれ掛かるように座り込み、ぴくりとも動かない。

 僕はようやく気がついた。自分の掌に付いたのが、彼の血であることに。


 チャーリーは撃たれていた。腹部に大穴が空いている。そこからどくどくと鮮血が溢れ出し、あたりを染めていた。


「ちゃ、り……」


 事切れているのは明らかだ。それでも僕は手を伸ばし、彼の肩を揺すろうとする。

 次の瞬間、甲高い機械の駆動音が僕の耳朶を打った。はっとして振り向くと、


「あ……」


 ステッパーが跳躍してきていた。その手には、鈍色に輝くブレードが握られている。

 そうか。僕は、ここで死ぬのか。

 誰を守るでもなく、誰を救うでもなく、自分のためにすら何もできずに。

 何も叶えられない人生だったなあ。


 諦念に押し潰され、僕は目を閉じた。ひざまずいて脱力する。

 しかし、次に響いた音には違和感があった。サーベルが空を斬るのとは、似ても似つかない。強いて言えば、


「砲弾……?」


 そう呟きながら、瞼を上げる。そこにいたのは、頭部を失ったステッパーだった。空中でバランスを崩し、落下する。そして地面に落着直後、大爆発を起こした。

 ステッパーたちが空を見上げる。僕もまた、壁に空いた穴から宙を見つめた。


 降ってきたのは、これまたステッパーだった。

 低空飛行中の輸送機から、次々に降下してくる。ざっと五、六機。


 今まで見てきたステッパーと違うのは、ずばり外見だ。

 深緑色ではなく、白とパステルブルーを基調とした爽やかな色彩。装甲板は丸みを帯びており、ゴツゴツしたものだというステッパーに対する印象を大きく変えた。


 驚異的なのは、その機動性能だ。低空からとはいえ、パラシュートもなしで下りてくる。バックパックが適宜火を噴き、機体のバランスを取りつつ、着地の衝撃を巧みに吸収しているのだ。


 敵軍のステッパーと、突然現れた白いステッパー。その性能差は火を見るよりも明らかだった。

 敵機群の頭上から降ってきた謎のステッパーは、落下しながら真下に向かって銃撃する。敵機群は、空を見上げてロックオンするより早く破壊されていく。

 上空からの銃撃は極めて精確。敵機の頭部か、あるいは得物を握った腕を破壊していく。

 四肢をやられて立てなくなった敵機は、着地した白いステッパーの餌食となった。電撃を帯びた槍、電磁ランスによって。


 謎のステッパー軍団による戦闘は、あまりにも呆気なく終結した。


《兵士諸君、この場の安全は確保した。出てきたまえ。ステッパーパイロット各員は、それぞれ損害報告を》


 壮年の男性の声が、拡声器で響き渡る。その機体が旋回する時、僕たちの国の国旗が肩部に描かれているのが見えた。ああ、彼らが正規軍か。

 しかし、この期に及んで、ようやく僕の胸中に生まれた感情がある。恐怖だ。

 敵味方に関わらず、僕はステッパーに対する恐怖に打ちのめされていた。


 ステッパーは、皆敵だ。そんな考えに囚われた僕は、懐から武器を取り出した。刃渡り十五センチにも満たないコンバットナイフだ。せめて、掠り傷の一つも付けてやる。


 僕はもう、後先のことを考えられなくなっていた。そして、ズタボロになった洋館の三階から、ナイフを握って飛び降りたのだ。


「うあああああああ!」

《おっと!》


 しかしあまりにも呆気なく、僕は胴体を掴まれた。必死にもがくが、ステッパーの腕はぴくりとも動かない。逆に、苦しくない程度の力しか加えられていない。


《どうした、リアン少尉?》


 先ほどの、隊長と思しき男性の声。応じたのは、若い女性だった。


《少年兵のようです。保護しました》

《少年兵? 味方なのか?》

《少年兵とステッパーを、両方同時に戦線に投入するとは思えません。彼は味方です。時間稼ぎをしてくれていたのでしょう》

「離せ! 畜生! ステッパーなんか、皆殺しにしてやる!」

《……味方の発言とは思えないが?》

《混乱しているんですよ、仲間がやられて。基地に連れて帰りましょう》

《了解だ、リアン少尉》


 すると、もう一機のステッパーが寄って来た。恐怖で目を見開く僕。


《悪いな、坊主。少し寝ていてもらうぞ》


 カツン、という清々しい音を立てて、僕の頭部に衝撃が走る。

 こうして僕は気を失い、味方の前線基地へと連れられて行った。

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