第4話【第一章】

【第一章】


 僕――いや、俺はゆっくりと目を開いた。

 狭いが清潔な二段ベッドの下段。軽く顔を傾けると、窓から差し込む月光に照らされた金属の板が目に入る。片手で握り込めるほどの大きさで、小判型をしている。兵士の認識票だ。


 俺は、その束をそっと手に取った。じゃらり、とチェーンが鳴り、微かな高い音を立てる。これらはアルファ、ブラボー、チャーリー、エコーのものだ。味方が拾ってくれたという。

 味方というのは、あの洋館での戦闘の日に降って来たステッパー部隊のことだ。後から知らされたことだが、彼らは紛れもなく我が国の正規軍であり、精鋭部隊だった。


 あの日、俺は少年兵から昇格を果たした。そして、この前線基地で厄介になることになった。

 何故、少年兵という身分から脱することができたのか。理由は簡単で、俺には整備士としての腕があったからだ。


 ステッパーを生で見たのはあの日が最初だったし、それまで触れたことなど一度もなかった。しかし、この最新兵器の構造には、どこか親近感を覚えたのだ。

 きっと奇妙に聞こえるだろう。だが、フレーム、装甲板、配線の一つ一つの造りが、俺には懐かしいもののように思われた。

 自惚れているつもりはないが、俺には才能がある。そう考えている。


 あれから五年。

 俺は今日に至るまで、この基地で整備士として働いている。

 今年で十七歳。誕生日は忘れてしまったので、毎年の元日を境に年齢を一つずつ上げることにしている。


 それにしても、随分と早く目覚めてしまったものだ。二度寝が難しいことを察した俺は、上段にいる整備士仲間を起こさないようにベッドを抜け出し、ブーツを履いて部屋を出た。


         ※


 どこかに向かっている自覚はなかった。そもそも少年兵など、言われた通りに銃を撃つ以外に教え込まれることは何もない。無自覚に足が向かう先。そんなもの、たかが知れている。きっと空が見えるところだろうな、と俺はぼんやり考えた。


 俺が配属されている基地は、首都から二百キロあまり北上した森林地帯の中にある。ここは、いつ敵の哨戒機が飛んでくるかも分からない、正真正銘の前線だ。


「おっと……」


 突然吹きつけてきた、一陣の風。真夏だというのに、その風はひんやりとして肌によく馴染んだ。森の中で真夜中ともなれば、流石に涼しくもなるか。


 この期に及んで、俺は自分の足が、自身をどこに運んで来たのかを把握した。宿舎の屋上だ。ここからは、季節を問わず綺麗な星空が見られる。

 俺は『平和』というものが何なのか、未だにそれを知らない。しかし、こんな夜空を大切な人と眺めることができる日が来たら、それが一つの『平和』の形なのかもしれない。


 では、俺にとって『大切な人』とは誰だろう。それを考えてみて、一瞬どくん、と心臓が鳴った。

 いやいやいやいや、一体何を考えているんだ、俺は? 洋館での戦闘で仲間たちが命を落としてから、誰かに好意を抱くのは避けてきたのではなかったのか? それも、異性に対してだなんて……。


「あーったくもう!」


 俺は大きくかぶりを振り、腰に手を当てて嘆息した。ステッパーの整備をしている時は、こんなことを考えずに済むのに。


「俺はどうかしてる……」

「誰がどうかしてるの?」

「俺自身が、だよ。こんな戦場に色恋沙汰を持ち込む馬鹿がどこにいるってんだ。……ってうわあっ!」


 自然に、しかし唐突に声を掛けられたことに気づき、俺はその場で跳躍した。そして、慌てて振り返る。


「りっ、りりり、リアン中尉! お、お疲れ様であります!」

「お疲れ様。朝早いのね、整備士さんは」

「は、はッ!」

「いいのよ、敬礼なんて。今は休息時間なんだから」


 軽く首を傾げ、ぱっちりとした瞳で俺を射抜いた人物。彼女こそ、俺の命の恩人にして恋い焦がれる相手、リアン・ガーベラ中尉である。俺を救出した作戦の後、少尉から昇格したそうだ。

 確か今年で二十四歳。異例の出世である。俺のような整備士の伍長が釣り合う相手ではない。


 抜群の美貌やプロポーションはさることながら、彼女は実に面倒見がいい。仲間内での喧嘩など、彼女の登場ですぐに解決してしまう。

 まあ、皆が彼女に見惚れてしまっているだけかもしれないが。


「それで、何か悩み事? デルタ伍長」

「は、あ、いえ、そんなことは、何も」

「ふぅん?」


 悪戯っぽく唇をすぼめるリアン中尉。その魅力に、俺は心臓を握り潰されそうになる。隣に鎮座している対空高射砲が、あまりにも不似合いだ。

 いや、中尉の方が不似合いなのか。彼女はこんな危険地帯にいるべきではない。未だ被害のない首都で、モデルにでもなるべきだ。


「どうかしたの、デルタ伍長?」


 その声に、はっと顔を上げた。そして、かあああっと赤面する。ちょうど視線が、中尉の胸元に吸い寄せられていたからだ。

 薄着なのは仕方ない。だが、胸元のジッパーはちゃんと引き上げておいてほしい。今のままでは、否応なしに谷間が強調されている。


 俺は再び、ぶんぶんと左右に頭を揺さぶり、ぺしぺしと自分の頬を叩いた。そして、


「いってえーーー‼」

「ちょ、ちょっと大丈夫、伍長?」


 壮絶な叫び声を上げた。

 そうだ。昨日は喧嘩をして、顔をボコボコにされたのだ。相手も同じ様子だったけれど。たまたまリアン中尉がいない時の出来事だったので、仲裁できる人物がなかなか登場しなかった。


 それを思い返していると、中尉はずんずんと近づいてきた。せめてゆっくり歩いてくれ。その……なんだ、揺れるのが服の上からでも分かるんだよ。

 だだでさえ顔を負傷しているのに、鼻血まで出したらどうなることか。


「デルタ伍長、命令よ。昨日私がいない間に何があったのか、きちんと説明しなさい」


 リアン中尉は長身である。真っ直ぐ前を見たのでは、たわわな膨らみが否応なしに視界に入ってしまうので、俺はやむなく俯きながら説明を開始した。


         ※


 事は昨日の夕方に遡る。

 とある一報が、基地に届いた。哨戒任務中の我が軍のステッパーが一機、中破したと言うのだ。


「敵襲ですか? 事故ですか?」


 当直の通信兵が、無線で問い合わせる。


《どうやら地雷に引っ掛かったらしい。このステッパーの片足を吹っ飛ばすとは、大した威力だ。パイロット共々、基地へ搬送する》


 すると、もう一人の声が無線の向こうから聞こえた。


《それでは、我々は周辺の警備行動に移ります》

《了解。頼んだぞ、リアン中尉》

《はッ》


 無線が終了するや否や、整備班長の大声がドック全域に広がった。


「仕事だ、お前たち! 損傷機の到着は三十分後、当直の者は直ちに整備できるよう準備! 医療班、緊急手術用意! 損傷機が帰ってきてからが勝負だぞ!」


 応、という返答があちこちから響き渡る。そしてきっかり三十分後、四機のステッパーが帰投した。損傷機と、それを両側から支える二機、それに後方警戒中の一機だ。


「医療班、かかれ! 整備班は装甲板を外すのを手伝え!」


 僕は非番だったが、緊急事態である。黙ってはいられない。急いで損傷機の下へ駆け寄った。その時だった。


「だから、脚部スラスターの出力のリミッターを外せって!」

「無理ですよ、ロンファ伍長! 脚部がもちません!」

「それをどうにかすんのが、てめえら整備班の仕事だろうが! 温いこと言ってるとぶっ殺すぞ!」


 階級が下の整備員を、軽く殴りつける少年が一人。背格好は中肉中背で僕と同じくらいだが、真っ赤で縮れた頭髪が特徴的な人物だ。

 名前はロンファ・ホーバス。階級は、俺と同じく伍長。


 俺はこいつを無視して損傷機に近づこうとした。


「おやぁ? これはこれは、勇敢なるデルタ伍長じゃないか!」


 俺は顔を上げ、視線をずらした。こいつに構っている暇はない。しかし、


「待てよ、デルタ! お前、まだステッパーに乗れねえのか?」


 この一言に、俺は思わず足を止めた。ゆっくりと、ロンファの方を振り返る。彼は手を両肩にまで上げてひらひらさせていた。


「そうだよなあ、怖いよなあ! 少年兵時代のお友達は、みーんなこのマシンに殺されちまったんだからなあ! 旧式とはいえ、敵のステッパーに生身で戦いを挑んだんだ。蛮勇、って奴かな?」


『それとも犬死にか』――その言葉が発せられた瞬間、僕は思いっきり床を蹴り、ロンファの眼前に迫っていた。繰り出したのは、何の迷いもない右ストレート。


「ぶふっ!」


 鼻血の飛沫を飛ばしながら、ロンファは宙を舞う勢いで吹っ飛んだ。


「てめえ、もう一度言ってみろ!」


 軽い呻き声を上げながら立ち上がるロンファ。鼻の下を袖で拭い、しかしそこには暗い笑みを湛えている。そして、両腕を広げてこう言い放った。


「皆、見てたよな! 先に手を出したのはデルタだ! 俺は一方的に殴られたんだ!」


 何を白々しいことを。俺は攻撃の手を緩めず、再び右腕に力を込めた。腰から捻って、強烈なフックをお見舞いするつもりだった。だが、腕がロンファの左脇腹を打つ直前、


「足元がお留守だぜ」


 ロンファはサイドステップで俺のフックを回避、左側から足払いをかけた。


「ぐあ⁉」


 仰向けに倒れ込んだ俺に跨り、ロンファは拳の雨を降らせた。

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