在職日数18日目
それからはしばらくウァーグと連絡を取り合いながら、太郎は学園にて学生生活を過ごしていた。本当にあの後すぐに布などを手配して、街の娘たちに針仕事を仕込んだのだ。太郎も日本風の柄の提案などを行っていたが、どうしてか思ったものと違うものが出来上がっている。それでも腕は良く、きっと自分が考えたものよりかは遥かに値段が付きそうなものばかりだった。
「歓楽街の事業も軌道に乗り始めたようですね。……おっと、もう歓楽街じゃないのでした」
歓楽街はその名を捨て、繊維街と呼ばれ始めている。どこぞの環状線の街並みのようであるが、太郎にとってはそれが心地良かった。それでも良くは思わない者はいるだろう。ウァーグはそのような者たちを根本的に弾き出しているが、アフターフォローは大事かと思われた。
「もしかしたら第二、第三の歓楽街ができてしまうかもしれないですからね。観察はしておかねば……」
意地の悪い者は貧富に関わらずどこにでもいるものだ。この世界でどの程度の問題が潜んでいるかは分からぬが、黙ってはいられなかった。
富裕層、といえば。
「あの魔石、使って良かったんですかねぇ」
少し引っかかるところではある。ライランが引くほど財力があったことに驚きだが、あのような大金――かと思われる――を一晩のうちに、むしろ一瞬で使い切ってしまって良かったのかと思案した。
ブンには、何にでも使っていいからと伝えていたらしいが、それでも気が引けるというものだ。
「タロウさん! どうです、勉学のほうは!?」
「わあっ!?」
噂をすれば何とやら。考えていたら向こうから会いに来てくれたようだった。現、繊維街から帰った後は疲れて眠りこけてしまったし、それからは机にかじりついて他の地域について改めて学び直していたところだった。
ライランにはブンから報告が行っていると聞いていたし、わざわざ己が出向くことでもないだろうと思っていた。
「聞きましたよ、素晴らしい働きでした! 本当にありがとうございます!」
「は、はぁ。あー、その、えぇと」
先程まで考えていたことを思い出し、歯切れが悪くなる。それでも大事な生活の糧を渡してしまったのだから、こちらからも謝ればなるまいと感じていた。
「ミスター・ライラン、その、貸していただいた魔石ですが――」
「あぁ、それですね。いいんですよ、生徒が無事なら。わたしが持っていても、たいした役には立ちませんから。それよりも!」
にこやかに資金のことはさらりと流し、それより、と言われた単語にどきりとした。ライランが持ちかけてくる話で、良かった試しがあまりない。
今度も実はそうで、聞かされたのは厄介ごとには変わりなかった。
「学園の左上側、北西の辺りは広い森となっております。ちょーっとだけ紛争が起きてましてね?」
「ふ、紛争……ですか?」
また命を危険に晒さねばならないのかと緊張し、喉をごくりと鳴らす。蝶の猛攻を思い出して、冷や汗が背中をなぞった。
「とはいえ、彼らが狙うのは人ではありません。自然です」
「……自然?」
数十年前、とある感染症がその森を襲った。その病は高熱や頭痛、倦怠感などを引き連れて人々を苦しめる。しかしその実、正体は皮膚病であった。かぶれからくる辛さは他の症状が可愛く思えるほどで、皮膚を裂いて肉や血が出ても、掻く手を止めることはなかったという。
「え、それ……、そこに行くと、わたくしも危ないのではないのですか……?」
「大丈夫ですよ! 特効魔法が開発されていますから、もう感染することはありません。問題はここからです」
森に住む者たちは、いつまでも病魔に畏怖の念を抱いてしまっているらしい。その思念は思想となって、きっかり別れてしまっていた。
自然破壊派と自然共存派。その名の通り、自然を滅ぼすか共に生きるかを説いているのだ。
「簡単に言うと宗教問題ですね」
「宗教、ですか」
ここに神様が存在しているのか甚だ疑問であるが、宗教問題に首を突っ込むと面倒なことになるのであまり気乗りはしない。お布施は税金の徴収対象ではないし、どこかの宗派に肩入れするとまたあの男は、と変な噂を立てられかねなかった。
「行かなきゃいけません、よねぇ……」
「フィールドワークの一環ですから。感染症に対する魔法を開発したのは教科書にも載っているチェイル・ゴーダです。彼女の輝かしい経歴に関して、レポートをお願いしたく思いましてね。原点回帰として我々がレポート発表をすれば、紛争は少し治まるのではないかと」
「はぁ、宗教に関しての話でないなら、いいですが……」
ライランはにこやかに金色の髪を掻き上げて、詳細を促した。
「知っておいていただかないとトラブルの元になりますからね。今回も護衛をお付けします。クオガは戦闘遠征、ブンくんは鍛冶職のインターンで席を外していますので、また違う子にはなりますが」
また新しい誰か、か。そろそろ脳細胞の動きが鈍くなっていく頃だ。自分に身近な教師の顔と名前、生徒の顔と名前をやっと覚えたと思ったのだが、どこかで零れてしまいそうであった。
肩を落とす太郎には気付かず、ライランはひとりの生徒に、この部屋に入るように促す。緑色の髪をした、元気そうな少年だった。
「こんちはっ! オレはチェイル・テダンってんだ! よろしくな!」
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