在職日数16日目
「メンザ様、お客様です」
「……客? おや珍しい、きちんと魔石五百は徴収したのかえ?」
メンザ・ウァーグは、胡蝶遺品のキセルを吹いて侍女に応える。言われた侍女はブンから受け取った袋を主人に献上して、中を改めさせた。
「ほう、このあたくしに二千ぽっちかえ。しかしまあ、上等なものだ」
細かい虹色の宝石を手の平に掬い、ウァーグは睫毛の長い目を細める。藤色の瞳は怪しく光り今度はふすまを見つめた。その向こうには、彼女専用の客間がある。長い間使われていなかったが掃除は毎日済ませていた。きっと自分が生きているうちにはもう使うことはないと思っていたのだが。
長い裾を引き摺って、ウァーグは珍しく足を動かした。
障子の向こうに、長身の影が見える。その近くには侍ている女性の影。何か楽器を持っているようだった。
「お、おお……」
太郎は小さく驚愕の声を漏らす。会食は多々あれど、遊女はもちろん外の女性と食事をすることは避けてきた。どこに間者が潜んでいるのか分からないからだ。総理大臣になってからというもの、より一層気を付けることにしていた。
それがこの異世界で、まさかこういった機会があるとは。以前に召喚された胡蝶のおかげでもあり、胡蝶のせいでもある。
やがてシャンシャンと音楽が打ち鳴らされ、お待ちかねの障子戸が開く。着物は色褪せていたが、よく見る花魁の姿でメンザ・ウァーグは現れた。ここでは、この土地のこの場所でだけは、客よりホストのほうが地位が上だ。
「あたくしに何用か?」
「折り入ってのお話です」
後ろからの逆光で、太郎側からはあまりウァーグの顔が見えない。ブンは物おじせずに大陸一の美女に答えた。経験が浅いのか深いのか、そのどちらとも取れる態度だ。
「話? 買い付けじゃなくてかえ?」
「はい。……ソウマ、話題を」
「はっ、そうでしたね!」
緊張していたが、ブンが話を振ってくれたおかげで意識を取り戻せることができた。この改革は太郎にしかできないことだ。日本での知識を惜しげもなく提供しなければ、この土地は変わらない。
「その、先日そちらから流れてきたと思われる子どもの浮浪者が、役所街へとやって参りました。この土地では貧富の差が激しい。もう少し単価を下げて、また労働者に対しても、最低賃金を上げて間を埋めていくべきかと――」
「は? あっはっはっは! 何かと思えば! 知ったこっちゃないね、そんなこと。あたくしが命令したわけじゃあないよ?」
「そっ、それでも! ミス・ウァーグはこの歓楽街にとって一番の権力者ではありませんか! 止めなければ、宣言しなければ、他の人たちの悪行がやみません!」
ウァーグは大笑いしたあと座敷の対面に座し、さも興味なさそうに太郎の演説を聞いていた。日本では貴重な体験ではあるのだが、異世界ではどうでもいいおじさんが御託を並べているだけにしか見えないだろう。
「あたくしには関係ないわえ。そもそもこっちは貧乏人に恵んでやってるのさ。金持ちは衣食住に糸目はないからね。余ったら捨てればいい。拾いたかったら拾えばいい」
「そんな……そんなこと、あっていいはずがありません!」
裕福であれば人権があり、貧乏であれば人権はない。行く道で見たカップルたちも、どちらかが過度に肥え、過度に痩せていた。つまりは、その差は開くばかり。客は甘い蜜を吸い、ホストは搾り取られる。
子どもは身を売る術がない。路地裏や道端に住み、零れた食物を貪る。そうして育てばいずれは客を取る方法を身に付ける。これでは、貧しい者は貧しいままだ。
「ミス・ウァーグ! あなたは現状をご覧になったことはおありですか!? 部屋の中からではなく、きちんと外へ出て、皆の手を取ったりはしていますか!?」
「あたくしに口答えするのかえ。魔力や金がないものは生きていけないと言うのに。さぞご立派な地位にいるんだろう。良き魔石だった。だけどね、自己満足で慈善活動をするなら余所へ行っとくれ!」
「ソウマ、下がって」
話をするのに飽きたのか、ウァーグは長い袖を振って魔法を放つ。複数の蝶の形をしたそれは、ほのかに光り、高速でこちらに飛んできた。空気を裂き、細い木材なら簡単に折れてしまう。
「ひゃ……!?」
「光の壁よ、我を守り給え」
太郎を庇ってくれたブンは、すかさず光の盾を作る。怯える太郎を見て、ウァーグは呆れたように笑った。
「何だえ、この程度で驚いて? もしや、その主人は魔力が弱いのかえ?」
「ソウマはブバール=ブバルディア学園の交換召喚生だ。騙していたことは謝ろう。しかしいきなり攻撃とは、それが客の相手をする遊女とは思えない」
「交換……! そうかえ、ならばますます腹が立ってきた。あたくしはかのコチョウの子孫。あれは我が一族から嫌われている」
胡蝶は、身籠っていた。異世界に来てからではない。日本で、遊郭で妊娠し、それを隠していた。惚れていたと思っていた男からはすでに連絡が来なくなった。それより仕事ができなくなる。
その思い悩んでいた最中だった。命を絶つことも考えていた。しかし異世界なるものを知って、好都合と思ったのだ。
彼女は楼閣を作り、赤子を産んだ。しかし日本には連れて帰れない。いや、連れて行きたくなかったのだろう。胡蝶は子どもを置いて、日本へ帰っていった。
「捨てられた子どもは、弱い子ども。だから誰も悪くない。すべては胡蝶が元凶だ」
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