翼に相談

 両親には、ひとまず今夜の配信を視てもらうことになった。そこで話は一旦終わり、僕は予定通り八時半過ぎに家を出る。半袖のシャツにチノパン、ショルダーバッグというラフな格好だが、女の子と遊ぶのにふさわしい服などそもそも持っていない。友達の距離感で葵達と交流しているのだからこれでいいだろう。

 マンションの出入り口には、事前の約束通り翼が待ち構えていた。今日はいつもの野暮ったい感じではなく、眼鏡をかけず、髪もお下げにはしていない。髪は左サイドで編み込まれていて、可愛らしさを存分に発揮している。普段と印象が変わり、ドキッとしたことは否めない。そして、服も当然いつもの制服ではなく、薄紫色の膝丈のワンピース姿で、肩からピンクベージュのサコッシュを提げている。また、翼型のネックレスがとても綺麗なのだが、覗く鎖骨が扇情的にも映り、思わず目を逸らした。


「おはようございます! 光輝さん! 今日もいい天気ですよ! 暑すぎるくらいですけれどね! あ、でも女の子の汗に男の子は興奮するんですよね? いいですよ? あたしの汗ならいくらでも見てください触ってください嗅いでください! あたしの汗は光輝さんのためにあります!」


 僕の姿を認めるなり、翼は飼い主を見つけた犬のように駆け寄ってくる。嬉しいとは思うし、この軽やかさに救われる部分もあるのだが、発言がどうしても変態的なのが困ったものだ。ご近所さんに聞かれると気まずい。

 目の前で立ち止まり、輝く笑みを見せる翼。僕は目を泳がせつつ、近すぎな翼から少しだけ距離をとる。


「えっと、おはよう。今日は、いつもと雰囲気違うな。おしゃれとか全然わからないんだけど……可愛いと思うよ。印象が柔らかくなって、素の愛らしさが引き立ってる」


 知識でしか知らないが、とりあえず女の子の服装は褒めるべきなのだろう。それを実行してみただけだが、翼は笑みを深める。


「んもう! 嬉しいこと言ってくださるじゃないですか! どうせ本で読んだ知識をそのまま実行しただけなんでしょうけど、褒められたら嬉しくなっちゃいますよ! ちゃんとときめきました? あたしと付き合う気になりました?」

「付き合うとかは、別だけど。でも、正直、直視するのをためらうくらいに、魅力的だと思うよ」

「そうですか? そぉうですか? もっと直視していいんですよ? あたしの全部は光輝さんにあげるつもりでいますからね? 遠慮しないでくださいね? このまま二人でホテルにでも行きますか? あたしは本気でそれでもいいですよ?」

「落ち着いてくれ。僕はよくないよ」

「もう。ノリが悪いですね。うーん、あんまりしつこくしてもよくないですし、ここは引いてあげます。仕方ないので葵さんの家に向かいましょう」


 二人並んで歩き出すと、翼がピタリと僕に寄り添ってくる。友達としての節度を考えて近づくだけにしているのだろうが、これなら恋人っぽく手を繋いだ方がまだいいんじゃないかとさえ思う。距離を取ろうとすると余計に張り付いてくるので、おとなしくそのままにしておく。


「ところで光輝さん。最初見たときなんだか沈んだ様子に見えましたけど、何かありました? 昨夜の配信の相手から熱烈過ぎるファンレターが届いたとか? 付き合ってくれないなら殺してでも私だけのものします、とか?」


 翼は冗談で言っているのだろうが、いまいち笑えないと感じてしまう。

 僕に関してストーカーなどは心配していなかったが、これもまた僕が抱えるリスクの一つになるのだろうか。


「そういうのはないよ。あれから特に連絡はない」

「そうですか。なら、なんです? 聞かせてください。もはやあたし達は運命共同体ですよ?」

「……うん。わかってる」


 一緒に配信をしていくなら、炎上は僕だけの問題ではない。翼にも、そして他の皆にも、先ほどのことはきちんと話をしなければいけない。


「葵の家についてから、皆の前で話すよ」

「……何やら不穏な感じですね。始める前からトラブルの気配ですか? 先にあたしに話すのでは都合が悪いですか?」

「そういうわけでもない」

「なら、教えてください。ワガママかもしれませんけど、あたし、一番に光輝さんの支えになりたいです。いつもとは言いませんけど、こうしてタイミングが合ったときくらい、そうさせてください」


 翼の真摯な訴え。翼だけを特別視したいわけではないが、話す順番を細かく気にする必要もない。沖島と組むと決めたときには少々揉めたけれど、今回はそういう話でもない。


「まぁ、いいのかな。実は親から、配信をやめた方がいい、って言われててさ」

「え? どういうことですか?」


 怪訝そうにする翼に、今朝の出来事を話す。すると、翼は眉間にシワを寄せながらも、はっきりと言う。


「光輝さんは配信を続けるべきです。親の心配はもっともですが、光輝さんには、他の人にはなかなかない才能があります。光輝さんが救える人や励ませる人はまだまだたくさんいると思います。ここでやめてしまうなんてもったいないです」

「……そっか」

「ただ、特にお父様の問いかけについてもじっくり考えるべきですね。下手すれば一生続くかもしれない戦いに耐えられるか……。それはあたし達全員の問題でもあります」

「翼なら、一生でも戦い続けられる?」


 できますよ、と即答するのではないかと思ったが、存外、翼は答えに迷っている。


「あたしは……どうでしょう。わかりません」

「そうなのか。意外……でもないかな」


 翼は強そうに見えるけれど、中身は繊細な部分がある。配信仲間から拒絶されてひどく落ち込んでいたのは、つい最近のことだ。


「光輝さんにはリスクを抱えても配信を続けるべきと言いながら、自分はそのリスクを怖がってます。矛盾したことを言ってしまって申し訳ないですけど、やはり、最悪の事態を考えると配信活動にためらいはあります。でも……光輝さんには配信を続けてほしいです。願望を述べるだけではダメなんでしょうけど」

「うん……。今すぐやめようとまでは思ってないよ……」

「あたしも光輝さんと一緒に配信をしようとしてるんですから、他人事じゃないんですよね。生きるも死ぬも光輝さんと一緒です」


 翼が一度目を伏せて、軽く深呼吸。そして、その数秒の間に何を思ったのか。


「光輝さん。あたしと結婚してください」

「話が変わりすぎじゃないか?」

「変わってません。あたし、光輝さんとずっと一緒なら、何があっても戦い続けることもできるって思いました。その姿が容易に想像できました。だから、結婚しましょう。それで全て解決です。あたしと光輝さんがいれば、敵なんていません」

「強引だなぁ……。そりゃ、翼がいれば心強いけどさ。まだそういうのは考えられないよ……」

「むぅ。またノリが悪いですね。でも、あたしは本気で光輝さんと結婚するつもりですからね。今度婚姻届用意しておきます」

「それはやりすぎだ。っていうか、僕はまだ結婚はできないよ」

「その辺は気持ちの問題です。書くだけ書いて、提出は光輝さんが十八歳になった誕生日にしましょう」

「それも早すぎだって……」

「じゃあ、先に子供を作りましょう。子作りに年齢制限はありません」

「それはもっとダメだろ! 悠長に配信を続けられる環境でもなくなる」

「そうですかね? むしろ、早期に子供を持った配信者として稼げるかもしれませんよ?」

「先が見えなさすぎだよ……」


 翼も冗談混じりで言っているのだろうが、僕が調子をあわせたら本当に結婚だか子作りだかを決行しそうで怖い。

 こんな話をしているうちに、僕達は最寄り駅にたどり着いて電車に乗る。葵の家の最寄り駅はすぐ隣なので、数分でまた電車を降りた。

 そこから十分ほど歩いたら、住宅街の中にある葵の家にたどり着く。クリーム色の外壁で、オレンジの瓦屋根が乗った二階建ての一軒家だ。表の駐車場にはオリーブ色の車が一台。


「一軒家ですか……。借家ではないでしょうね」

「だろうな」

「ということは、引っ越しも簡単ではありませんね」

「……だな」


 急に引っ越しの話をしたのは、いざというときにこの場所を離れることを考えたからだろう。

 僕と一緒に配信をして問題が起きれば、そういうことも必要になるかもしれない。でも、家を持っている人には決して簡単なことではない。炎上が与えるかもしれない影響の大きさに、今更ながら少し怖じ気づいてしまったのは否めない。



。。。。。


 前話にて、京アニの事件を連想する会話内容がありましたが、読者様より、それが読んでいてあまり気分が良くない(ということかな?)というようなコメントをいただきました。

 具体的に名前は出していませんでしたが、京アニの事件をもとにして、母親の言葉を書いています。

 現実に起きていることをもとに書いた方が母親としての心配をよく表現できますし、読み手としても納得がいくかなと思い、この形にしておりました。

 本当に危ないことも起きるというのは、実際に起きたことを物語に盛り込む方が理解しやすいかなとは思っています。

 あまりこういう話は良くないでしょうかね? 少し様子を見て、内容を少し変更するか考えます。

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