問い

「少し、話があるんだけど」


 リビングで朝食を摂った後、僕は両親と大和の前で切り出す。同じテーブルにつき、テレビを観ていた三人が僕を見た。

 時刻は七時半過ぎ。休日でもさほど朝寝坊をしないのが我が家の特徴らしいが、僕としてはごく普通の光景。とはいえ、まだ父と大和はほぼ寝起き状態で、母だけがある程度の身だしなみまでできている。


「改まってどうした? 今日は彼女が来るよ、とかの報告?」


 大和が、ニヤニヤしながらからかう調子で言う。彼女というワードに反応したか、両親も何かそわそわし始めた。

 なお、今のところ、両親とも葵達とは顔を会わせていない。女の子達が出入りし始めたことは大和経由で伝わっているのだが、軽くどんな子達なのかを尋ねられた程度。気にはなるが、あまり深く踏み込むのは良くないと遠慮しているのだろう。


「いや、今日は誰も来る予定はないよ」


 配信についての話し合いは、葵の家で行うことになっている。話し合いもしつつ、ときにはゲームでもして遊ぼうか、ということで話がついた。


「なんだ。四人目がどんな子なのか気になってたのに。じゃあ、何?」


 大和は軽い調子で訊いてくるが、僕は改まって背筋を伸ばし、三人の顔を順に見ながら口を開く。


「もしかしたらだけど……今後、僕が配信活動をしていく中で、何かしら批判を集めることなってしまうかもしれない。つまりは、炎上する可能性がある」


 僕が真面目な雰囲気で言うと、大和もニヤニヤ笑いをやめ、真剣な顔つきになる。また、両親も緊張した面持ちで僕を見る。


「何それ? どういうこと? 人気取りで危ういことでもしていくつもり?」

「そんなことはしない。別に人気取りをするつもりもない。ただ……僕の配信では、人によっては不快に感じる話をする可能性がある」

「んー? 俺は噂程度にしか聞いてないけど、なんか雑談してるんだろ? なんの話をしたら炎上すんの? いつか学校燃やす、とか犯罪予告でもやるつもり?」

「それもないな。とりあえず、昨日のことなんだけどさ」


 大和を配信から遠ざけるつもりで、家族内ではほとんど配信の話をしてこなかった。今まではそれで良かったと思う。しかし、今後のことを考えると、きちんと話をしておいた方がいい。

 僕の配信がどういうものになっているかをざっと説明した後、昨日の発言についても言及。先生はバカばっかりだ、と発言したことと、その発言の背景、そして、無闇に批判をしたわけでもないことを伝えた。


「僕にその気はなくても、僕の発言を不快に思ったり、曲解して憤る人はいるかもしれない。そうなれば、いつか炎上と同じ状況になりかねない。いざとなれば対応はしていくつもりだけど、家にも迷惑をかけてしまう可能性がある。ただ、リスクがあるからといって配信をやめるつもりはない。それを、了承してほしい」


 僕の話を、三人は神妙な面持ちで聞いていた。

 それから、少々の沈黙の後、最初に母の幸恵が口を開く。

 母の年齢は四十代半ば。年齢を感じさせないすらりとした体型をしていて、長い黒髪を後ろで一つに縛っている。その優しげな瞳に不安の色を浮かべていた。


「配信とか、インターネットのことはよくわからないんだけど……そういう危ないこと、光輝がしなくちゃいけないの? ニュースでも色々出てるけど、そういうのがこじれて、自殺してる人だっているんじゃないの? 家に迷惑がかかるとか、引っ越ししなきゃいけないかもしれないとかは、些細なこと。だけど、光輝がそんな目に遭う可能性があるっていうなら、私は反対。もう配信なんてやめてちょうだい」


 いつもは柔らかい母の声が、今は珍しく強張っている。

 その言葉と声音で、少々考えが甘かったかもしれない、と気づく。炎上の可能性があるとは思いつつ、いざとなればそれもどうにかなるとは思っていた。最悪、配信をやめることにはなるかもしれないが、それ以上にはならない、と。

 しかし、先のことはもちろんわからない。もっと酷いことになる可能性がゼロでない。ならば、親としては心配になって当然だ。世間では自殺者が出るほどのことなのに、無意識にか、自分とは違う世界のことだと認識していたと思う。


「……いや、その……そんなことにはならないとは思うんだけど……」


 他人に対してなら、もっと明確に何かを言えたかもしれない。だけど、ゼロではない可能性に怯える母に向かって、何を言えばいいのだろう。母だって、僕の行動の全てを制限するつもりはない。気楽な雑談配信程度なら、心配を飲み込んで反対はしなかった。

 それでも、進んで危険を犯すことには、看過できないものがあのだろう。


「どうしてそう思うの? わたしもニュースとかくらいでしか知らないけど、自殺する人って、本当は本人が全然悪くないこともたくさんあるんでしょう? それなのに、悪意を持った人がよってたかって責めて、いじめて、その人が心を壊してしまうんじゃないの?

 光輝がたとえどれだけ正しいことをしていたって、それを理解しないで責める人はいるかもしれない。話が通じない人って、本当にたくさんいるの。わけのわからない思い込みや勘違いで、会社を放火して何十人も殺してしまう人だっている。知ってるでしょう?

 そりゃね、交通事故に遭ってほしくないからずっと家に引きこもりなさい、とかは言わない。でも、自分からあえて、事故に遭う可能性が高い危険な道路を進もうとするのは見過ごせない。

 光輝が危ないと思うのなら、今すぐにそんな配信はやめて」


 口調は強くない。だけど、そのきっぱりした言葉には、母として譲れないものを感じた。

 大丈夫だよ、と言えばいいのだろうか。僕は決して自ら死を選ぶ真似はしない、と。

 だけど、そこに明確な根拠なんてものはないし、示しようもない。

 僕が言葉を探していると、大和がいつになく真面目な口調で言う。


「まあ、お母さんの言うことはわかるよ。でもさ、俺は、光輝なら大丈夫だと思うよ。光輝って、繊細そうでも案外神経太いところある。理不尽に責められたくらいで心を病むことはない。

 そりゃー、頭のやばいやつの恨みを買ってしまう可能性はゼロじゃないけど、そこまで言ったらどんな配信もやれない。俺だって危ないっちゃ危ないな。お母さんの言うことって、事故に遭ってほしくないから車の運転をするな、っていうレベルのことなんじゃない?」


 大和の反論に、母が眉尻を下げる。大和の言うこともわかるけれど、不安は拭えないということか。


「でも……」


 それだけ言って、母の言葉は続かない。

 そして、難しい顔で腕を組んでいた父が僕を見据える。

 父、龍生は、母と同じ四十代半ば。昔は剣道をしていたらしく、怒ったときには迫力があり、幼少の頃はそれが怖かった。しかし、普段は温厚で、決して理不尽なことで怒りはしない。まだ無精髭も残る顔だが、その目には気合いが籠っていた。


「光輝は、どうして配信をやっているんだ? 大和の代理で、繋ぎ程度でやっているだけじゃなかったのか?」

「始めはそのつもりだった。そもそも一回きりで終わるつもりだったし。でも、視聴者から続けてほしいって要望があって、続けてみた。その中で……僕の言葉で、励まされたり、勇気付けられたりする人がいた。それなら、これからも続けてみようかと思った」

「……なるほど。ある意味、光輝らしいところかな」


 ふぅむ、と父が唸り、顎を擦る。

 僕らしい、とはどういうことだろうか。父からすると、どの辺が僕らしく映っただろう?


「光輝の配信、一度ちゃんと視てみたいな。じゃないと判断のしようがない。ただ……今の気持ちを言えば、光輝は、配信をやめた方がいいんじゃないかと思う」

「……どうして?」

「父親が見ている子供の姿なんて、ほんの一面にしかすぎない。だから、これは思い込みかもしれないが……光輝は、自分を攻撃してくる相手と、徹底的に戦うことが苦手なんじゃないかと思う。もし、炎上だとかになって、光輝を責める無数の敵が現れたとしたら、光輝はそいつらとちゃんと戦い続けられるのか? 不屈の意思を持って、立ち向かい続けられるのか?

 光輝は……昔から争い事は嫌いだったという印象がある。大和との競争も、いつも途中で投げ出していた。大和が自分より優れた力を発揮すると、大和に追い付こうとはしないで諦めていた。まぁ、負けるのが嫌だったのか、争いが嫌いだったのかは、よくわからないがな。

 でも、とにかく、光輝は争い事には向いていないと思っている。それは優しさとも言えるものだから、それはそれでよいとも思っていた。だが、あえて危険を侵すのに、優しいだけではいけない。戦う意志が必要だ。

 光輝。どうだ? お前、ちゃんと戦えるか? 目の前の敵だけじゃないぞ。炎上となれば、光輝の名前はずっとネット上に残って、偏見に晒されるかもしれない。将来、就職にも影響する可能性もある。他にも色んな弊害が出るはずだ。もしかしたら一生続く戦いになるかもしれない。それでも、投げ出さずに戦い続けられるか?」


 父の口調も、鋭くはない。だけど、その目は鋭く、決して妥協を許してくれそうにない。

 大声で恫喝してくるやつはたいしたことない、と父が言っていたことがある。威圧は自信のなさの現れで、その奥にあるのは怯えだ、と。

 そんな父の言葉だから、冷静に感じる口調が、重くのし掛かる。


「……僕は」


 戦い続けられる、とは思う。

 それでも、父の言葉に少しでも圧されてしまった時点で、僕は負けているように思った。


「……少し、改めて考えたい。これからどうするか」


 絞り出した声は、ひどく弱々しく思えた。

 父は鷹揚に頷く。


「よく考えなさい。決して、頭ごなしに反対するつもりはない。考えがまとまったら、また話そう」

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