配信、六回目 3

『学校に行きたくない』


 端的に書かれたコメントに目が留まる。相談の体もなしておらず、単なる呟きなのか、僕に何かを訊きたいのかもわからない。

 でも、相談したいことがあるからわざわざコメントをしてきたのだろう。見なかったことにするのも落ち着かないし、反応を返そう。

 名前は、エメト。性別も予測しづらいが……。


「学校に行きたくない……か。エメトさんは、どうして学校に行きたくないんだ?」


 問いかけて、十秒ほど待つと。


『気持ち悪い』


 これまた端的な返し。もう少し詳しい状況を書いてほしいが、そんな余裕もないのかもしれない。無反応よりはマシだ。翼を責めるわけではないが。


「気持ち悪いっていうのは、どういうところが?」


『全部』


「全部か……」


 あまりに漠然とした話である。全部と言いつつも、ポイントになっている部分はいくつかあると思う。そういうのを答えてほしいが……本人もその辺がよくわかっていない可能性もあるか。なんとなく漠然と気持ち悪い。そんな感覚かもしれない。

 上手くいくかはわからないが、こちらから働きかけて、より深いものを引き出していこう。


「……全部と言われると、ちょっと漠然としすぎるかな。ただ、僕も、学校を気持ち悪いと感じることはある。少し、そういう話をしてみようか。聞いてくれる?」


 十秒ほど待つ。エメトが何かしら反応をくれないかと期待したが、何もなかった。

 翼もそうだったけれど、気分が沈んでる人は、普通のやり取りも億劫に感じてしまうのだろう。

 独り言になるかもしれないが、続ける。


「僕の感じている気持ち悪さと、エメトさんの感じる気持ち悪さは、同じではないと思う。人それぞれに感じ方があって、何に対して不快に感じるかも違う。それでも、多少はエメトさんと共通することもあるかもしれないから、あったらいいなと思って、話してみる。


 今、僕は普通に学校に通っているし、もう学校に行きたくないとか、退学したいとかまでは思っていない。だけど、正直言うと学校は好きではない。勉強したくないとかではなく、学校そのものが、僕には上手く馴染まないものだと感じている。


 これは案外誰でもそうかもしれないけど、強制的な集団生活がまず辛いな。僕はどちらかというと一人で過ごすことが多くて、大人数の中にいるのは居心地が悪い。いつも一人でいたいとまでは思わないけれど、数名程度の中で生活したいと思ってしまう。

 こういうのは、自分の世界があって、そこに入り込んでしまう性格だと特に強い感覚かもしれない。無闇に自分の領域に他人が入ってくるのが不快なんだよな。


 それに、その大人数の中で、皆同じであることや、協力しあうことを半ば強要されるのも嫌だな。

 中学とか高校だと、着ているものが皆同じなのも、ふとしたときに気味が悪いと思うときがある。何か他と違う考え方や言動をしてはいけない雰囲気があるのも息苦しいな。そして、合唱とか体育祭とかでは、一丸となって頑張りましょう、って強いられるのがうっとうしく感じる。

 特に、体育祭とかの集団行動では、こんなことやりたくない、とは言い出せない。皆やってるんだからお前もやれよ、っていう強要にはうんざりする。皆そんなにやりたいわけじゃないけど仕方なくやっているんだよ、という気持ちもあるかもしれないが、だったら止めればいいじゃないか、とも思う。

 もちろん、やりたい、やりたくないに関わらず、一つのことを皆で協力して成し遂げる、というのも重要な能力の一つだとは思う。それに、無理矢理でもさせられたことが、後から良い思い出になることもある。だ から、無闇に反対まではしていない。

 ただ、そこに違和感は残り続けるな。


 他にも、世間では個性を伸ばそうとか言われるけれど、学校では、本当は個性なんて伸ばしてほしくないんだろうというのも感じる。

 個性を伸ばすって、得意なこと以外が苦手になるとか、集団に馴染めないとか、学校のルールを窮屈に感じるとかに繋がると思う。

 数学は突出してできる、でも国語系は全然できない、となれば、もっとバランスを取れと言われる。感性や発想が違いすぎて集団に馴染めなくなれば、周りとの協調性を磨けと言われる。学校のルールが自分に合わないからとそこから外れようとすれば、ルールを守れと言われる。

 節度を守った上で個性を伸ばせ、ということかもしれないけれど、そんなお利口さんの個性ばかりじゃないからこそ個性だろ、って思う。どうしてもはみ出してしまう個性を上手く伸ばしてこその教育じゃないか、とも思う。

 個性を尊重しすぎれば学校が崩壊してしまうのもわかる。けれど、学校として個性をどう捉えていて、どう向き合っていくつもりなのかとか、でできること、できないことはなんなのかとかをきちんと考えて、生徒にも伝えてほしい。上部だけの個性尊重では、違和感が募るばかりだ。


 そして、自分で考える力を身に付ける、というのも、学校としては、本当はそんな風になってほしくないことの一つだろう。

 生徒が皆、本当に自分で考える力を身に付けてしまったら、まず学校のあり方、教師の質を問われるだろうな。理不尽な学校のルールの見直しを求められるし、教師の言動が厳しくチェックされる。

 生徒が一人一人考えて行動すれば、全校生徒が一致団結して、学校に抗議することだっておかしくない。それくらい、学校は理不尽の固まりだ。でも、学校としてはそんなのは困るし面倒くさい。だから、生徒に考える力なんて身に付けてほしくない。

 本気で考える力を身に付けてほしいなら、そういう機会を設けるべきなのだけれど、それをしない。それが、学校としての姿勢だなと僕は感じる。自分で考える力を身に付けてほしくない学校の姿勢を、僕は好きになれない。


 毎日欠かさず学校に行くとか、全ての授業にきちんと出席するとかも、本当はあまり意味がない。

 そうすることで成績が上がるわけじゃないし、授業の下手な先生の話を聞き続けるのは時間の無駄でもある。

 メリットも確かにあると思う。時間を守って行動するとか、決められた時間内は勉強や仕事に取り組むとかは、社会に出て必要な能力だ。

 だけど、一定の判断力があって、自律した人間であれば、授業を受ける、受けないは、自己判断、自己責任でもいいはずなんだよ。全ての人を一律に管理しようとするのが、僕としては良いとは思えない。

 ……とは言ったものの、そういう運用で上手くいかせるのは、ちょっと管理が大変すぎるかもな。


 ともあれ。


 学校側のことを先に言ったけど、それだけじゃなくて、生徒に関しても嫌なことってたくさんあるよな。変な派閥とか、上下関係ができることもあるし、一人でいることが悪いという感じもある。声が大きい人や我の強い人が偉いような雰囲気があって、逆に気の弱い人なんかは下に見られることもある。色んなことで、しっくり来ない部分はあるんだ。


 言い出せばきりがないほど、本当に、学校はおかしいことばかりだと思う。学校の存在自体が気持ち悪いとさえ感じることもある。そんなところに従順に通っている生徒にも違和感を覚える。


 エメトさんが、どういう意味合いで学校を気持ち悪いと感じているかはわからない。ただ、もし、僕の言ったことが当てはまるなら、その感性は至極まっとうなものだと思う。周りに馴染めないところはあるかもしれないけれど、当たり前となっている光景を疑って、違和感を覚えるのはとても大切なこと。そういう人が、世の中を少しずつ変えていくんじゃないだろうか。

 もちろん、変えるとしても簡単なことではないし、無理矢理やろうとしても反発があってできないとは思う。ただ、とにかく、その感性は決して間違っていないと、僕は思う。


 エメトさん。少しは、エメトさんに何かが伝わる言葉になっただろうか」


 話し終えて少し待つ。

 途中でそもそもどこかに去ってしまったら、ちょっと残念。でも、相手の姿が見えない分、まだいるのか、いないのかもわからない。

 十秒ほど待つ。すると、また端的に一言。


『先生って、なんであんなにバカばっかりなの?』


 とりあえず、まだ聞いてくれていたらしい。何を感じたかはわからないが、会話をする意思を見せてくれたことにホッとする。

 コメントから判断するに、エメトとしては先生への不満が大きい、ということなのだろう。具体的に何があったかわからないが、少しでもわかったことで、話も進めやすくなった。

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