コーポ月影201号室

七歩

コーポ月影201号室

 部屋に横たわる僕を見下ろしどうしたものかと考えていた。もしかしたらまだ戻れる状態なのかとあれこれ試してみるけれどどうにも上手くいかない。

「とうとう来ちゃったか」

「わあ幽霊!」

 唐突に声をかけられ驚いて部屋のすみを見ると、半透明の人間が呆れ顔で僕を見ていた。

「幽霊ってまあ幽霊だけど。あんたも幽霊じゃない」

 この部屋にいる何者かの気配には薄々気づいていたけれど、姿を見かけたことはなかった。事故物件と知って入った部屋だったのであまり気にはしていなかったけれど、なるほどこの人か。

「僕、死んだんですかね」

「そうね。いつかこうなると思ってた。こんな暗くてじめじめした部屋で、ひどい生活してたから」

「僕、どうしたらいいんですかね」

「とりあえず待つことね」

 死んだ人間は死後四十九日が過ぎるまでには別の世界へ旅立つものだと幽霊先輩は教えてくれた。


 その日のうちに僕の遺体は発見された。こんな立場でお葬式に参加することになるなんて考えてもみなかった。僕なんかのために泣いてくれる人たちも世の中にはいるのだということをこの日はじめて知った。



「僕、どうしたらいいんですかね」

 四十九日が過ぎても僕には何の迎えも訪れず、何の便りも届かなかった。

「それが解ってたら私もとっくに成仏してるわ。ようこそ同類さん」

 幽霊先輩はそう言って僕の肩をぽんぽん叩いた。どうやら僕はこの世に未練を残したまま死んでしまって成仏できないらしい。

「大変なときに申し訳ないけれど、はいこれ」

 手渡されたのは一枚の名刺。

「そこに行ってお世話してもらいなさい」

「え?」

「だって一緒には住めないわ。四十九日までは仕方ないと思っていたけど、これから何十年、何百年になるか解らないのに。この部屋に幽霊二人は多すぎる」

 にこやかに手を振る幽霊先輩。突然追い出されてしまった僕は、先ほどもらった名刺に視線を落とした。


『あなたのお部屋選びをサポートします。※レア物件多数 よかよか不動産』

 

 店を見つけること自体は簡単だったけれど、入るのには勇気がいた。中で仕事をしているのはどう見ても幽霊じゃない、生きている人間のようだ。僕の姿が見えるのか、声が聞こえるのか、幽霊に貸してくれる部屋などあるのか。とにかく不安で一杯だったけれど意を決して扉をすり抜ける。

「いらっしゃいませ」

 不動産屋さんは驚きも怯えもせず和やかに僕を迎えてくれた。生きたお客にするように僕の話を聞き、お気持ちだけでもと温かいお茶を差し出しだしてくれた。それからカウンターの上にいくつか物件情報ファイルを重ねるように開く。

「今回お勧めしたいのがこちらのシェア物件です」

 彼の気遣いで僕の緊張はすっかり和らいでいた。

「いままでは契約のない家に住み憑くのが一般的でしたが、怖がられて悲しい思いをしたり、一方的に祓われたりと幽霊の皆様には住みにくい環境でした。それでは未練を断つどころの話ではありません。こちらは幽霊と人間とのルームシェアが前提であると住人双方が了解済みの物件です」

「ああ事故物件ってやつですか?」

「ああいう強引なものではありません。快適にお過ごしいただくためのルールもありますし、人間側には家賃減免というメリットもあるんです」

「へえ、そんなのあるんですね」

「こういう時代ですので未練を残し亡くなる方も増えました。それに伴い幽霊に纏わる住宅問題も複雑化しまして。それでこのようなサービスを。穏やかに成仏を目指せる環境をご提供できたらと思っております」

 不動産屋さんの営業トークに僕は勝手に救いを見いだしていた。彼の話を聞く限り、未練は死後でも断ち切れるようだ。この先、永遠に幽霊として暮らすわけではなく成仏という道もある。それは僕にとってはかなりの希望だ。

「よい成仏はよい住まいから。こちらのお部屋などいかがです?」

「いいですね。この部屋、見てみたいです」

「かしこまりました」


 不動産屋さんに連れられ向かったのは古いアパートの二階。扉を開けると中はすっかりリフォームされていた。右手に風呂や洗面所。左手には日当たりの良い広い洋室。廊下を進むと扉があって居間に繋がっていた。居間の襖を開けるとそこには窓ひとつない和室。なるほど、ここが幽霊向けの部屋なのだろう。

「見てくださいこの和室。窓を潰し昼でも闇に閉ざされた環境を実現しました。床の間あり、謎の壁ありと幽霊の皆様には高評価をいただいております」

 そう言うと彼は入ってきた襖とは別の襖を開けた。

「謎の壁だ」

 襖の向こうに壁。なるほど、幽霊になったいまなら解る。たまらない。居間の窓を開けると川のせせらぎが聞こえた。空には三日月が浮かんでいる。きっと朝になれば太陽の光が燦々と差し込むのだろう。

 そういえばあの部屋で窓を開けたことなどあっただろうか。ベランダはゴミで埋もれていたし、すぐ隣がビルだったから開けることはなかった。仕事して眠るだけ。いま思えば棺桶みたいな部屋だった。あの部屋がこの部屋のようであればもっと健やかに暮らせただろうか。もっと長く生きられたのだろうか。住まう人を守ってくれそうな方舟のようなこの部屋ならば。

「お部屋選びって迷いますよね」

 考えごとをしながら窓の外を眺める僕に、不動産屋さんが問いかけた。

「迷いますね。どうせならいい部屋がいいし」

「いいお部屋ですか。部屋は住む人で変わっていきます。共に育っていけるようなお部屋がご紹介できるといいのですが。こちらのお部屋、いかがでした?」

 部屋は住む人で変わっていく。だとしたらあの部屋を棺桶にしたのも僕なのだろうか。窓を開けなかったのも、ゴミをため込んだのも、仕事してただ眠るだけの暮らしをしたのも確かに僕だ。方舟になれなかったあの部屋に罪はない。なるほど罪は僕にある。

「お気に召さなければ別の物件をお探しすることもできますが」

「いえ、ここにします。ここがいい。ここに住みます」

 この部屋でならやり直せるような気がした。罪は僕にあると教えてくれたこの部屋でならば。僕はこの部屋で安らかに時を過ごし、自分を慈しむことを覚え、きっとここから成仏する。この部屋で健やかな死を生きていく。



「おかえり。馴れ馴れしいかな。おかえりなさいませ。いやちょっと違うか」

 今日はとうとう同居人がこの部屋へ入居する。僕はいつもよりはやく夕方には目覚め、ポルターガイストを応用して部屋の掃除を3回もした。

 カンカンと階段を上る足音。もしかして、もしかするとそのときが来たのだろうか。鍵が回る音。きっと今こそそのときだ。扉が開くや否や僕は同居人の顔をしっかり見たくてパチンと電気をつけた。

「わあ!」

 なんて悲鳴だ。

 コーポ月影201号室。今日からここでちょっと変わったシェア生活がはじまる。







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コーポ月影201号室 七歩 @naholograph

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