4章閑話
#22_ext 1人ぼっちの開発ブース
人の姿が見当たらない開発ブースは、夏日でも薄寒い印象を訪れた者に与える。過去の賑わいを知る者であれば、それに比例して寂しさを鳴らせるほどに。
照明が落とされ、空調の音だけが微かに聞こえる室内の窓際――大きくパーティションで区切られた一角へ向かって、雑誌や書面を一緒くたに抱えたスーツ姿の女性が、迷いのない足取りで歩んでいった。
「――失礼します」
備え付けのドアを軽くノックし、返事も待たずに踏み込んでいく。壁一面のブラインドが上げられたブース内は、目もくらむような陽光に溢れかえっていた。女性は相手に失礼を感じさせない程度に目を細めると、様子を伺うようにそっと視線を走らせる。
業績説明会後が終わり、会社が日常へ還ろうと動き始めた昼下がり。
ここはインバイト本社ビルの23階、その全域をほぼ占有する大開発室――同社の看板タイトルにまで成長した『ラスト・ファンタズム』シリーズの制作現場だ。
パーティション内部に設けられた、このフロアを総括する監督席に一人、痩せた男がグッタリと椅子にもたれこんでいる。短めに整えられた金髪を雑にかき乱しながら、透き通った碧眼でじろりと声の主を睥睨した。
「
女性は一礼しつつ床に脱ぎ捨てられた白のカジュアルジャケットを拾うと、机の空きスペースへ手にした荷物とまとめて積み置いた。
「まったくだ。やっと時間が空いたと思ったのに」
男は目を瞬かせ、さも
デスクプレートに刻まれた彼の名は、
若くして『ラスト・ファンタズム』シリーズ最新作の責任者にまで抜擢され、多大な貢献利益をもたらした、インバイト社が誇る若きシニア・ゲームデザイナである。
「……それで?」
短いが圧力を感じさせる蔵人の声音に、女性は微笑みながら返答した。
「午後の予定の確認ですが――いま、よろしかったでしょうか?」
「あぁ、構わない」
「では……メディアとの取材が控えてますが、これは定刻通りに。一時間後、メイクスタッフが先着しますので、お召し替えはその時に併せてください」
蔵人がつまらなそうに、無言のまま頷いた。
「それと、経営企画部と知財部からミーティングの打診が届いています」
「……要件は? なんて?」
「経企のものは『早急に』とだけしか。参加依頼の
蔵人は面倒そうにため息をつくと、天を仰ぐように椅子へと寄りかかった。
「まったく。俺が暇を持て余しているように見えるほど、ヤツらはボンクラなのか? とはいえ、今日の会食前に予定を差し込まれるのも癪だしな……翌日以降で、常務の空き時間を優先して押さえておいてくれないか。俺のスケジュールは、
女性は微笑んで了解の旨を示す。人当たりの強い蔵人ですら有能と認める彼女のことだから、すでに候補時間の検討とリスケ相手への謝罪メールの下書きくらい、準備を進めていてもおかしくはない。
「あー、それと、知財だったか?」
「えぇ。ただ、こちらも要件については記述がなかったので、なんとも……」
「肖像権の調査はカタをつけたが――あぁ、なんとなく予想がついた。相変わらず、くだらないことまでネチネチと……」
額にたれた前髪をかき上げて、蔵人は横柄にため息をつく。
「ただ指示を待ち、それをこなすだけで仕事をした気になっている
つっけんどんに「無視だ、無視」と答える態度から、女性は何か思い当たることでもあったのだろう。複雑な表情を浮かべながら、ためらいがちに質問した。
「あの――もしかして、今日受け渡しを予定していた報奨金の件でしょうか?」
「恐らく。だけど、わざわざそんなことまでオレに伺い立てて、どうしろって言うんだ。あんなバカに、もう関わる気は無いっていうのに。だいたい、
語気を強めた蔵人の頬が、うっすらと上気する。それとは対照的に、女性は微笑を曇らせると、呟くように、
「今日は不在だった可能性も――」
「いや、居ただろ。向かって1番右列の中央あたりに」
蔵人の即答に、女性が表情を微かに引きつらせた。
業績説明会には、全グループの従業員(正社員だけでおよそ1500人以上)は出席していたはずだ。その中から特定の一人だけを、壇上にいながら特定したとでも言うのだろうか――
バカげた観察眼を目の当たりにして、女性は呆れたように息をついた。蔵人は鼻を鳴らして荒々しく椅子から立ち上がると、窓辺へと向かいながら、
「全社集会とはいえ、よくまぁ
「……お二人は昔からずっと一緒だった、同僚だったのでしょう?」
その問いかけに、蔵人の背中がピクリと反応した。それを見て、女性は奥歯を噛みしめるような顔を俯かせ、口をつむぐ。
「喧しいぞ、黙れ――そんなこと、2度と口にするんじゃない」
背中越しだったが、絞り出すように吐き捨てられた物言いに、女性は逡巡を見せるも――そのまま黙って一礼すると、足早にブースから立ち去っていった。
「……ったく。どいつもこいつも、勝手ばかり言いやがって」
蔵人はデスクの上にどっかりと胡座をかくと、誰もいなくなった開発ブースをぼんやりと眺めながら、毒づくように呟いた。
長期に渡る過酷な作業を終えた『ラスト・ファンタズム』のスタッフたち――総勢200名を超える人員は、一部の責任者を除いてリフレッシュ休暇に入っており、今日は蔵人1人しか出社の予定はない。
だからこそ――蔵人は、普段なら決して人前では見せない苦悩の表情を浮かべ、
「
にじみ出た疑念が音となって、無人の室内に反響していく。それに反応するように、ブースのあちこちから『どろり』とした淀みのようなものが沸き起こり、自分の周囲へにじり寄ってくるような
蔵人はそっと目を閉じる。
……ここはヒトに喜びを与えるモノを創造する場所なのに。
……どうして『自分たち』には、憎悪の残滓しか遺されていないのだろう?
蔵人は自嘲するように表情を歪めると、手近にある不要物――女性が持ってきたゲーム雑誌――を、渾身のちからを込めて床へと叩きつけた。
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