VOL.3

 年齢は64歳と聞いていたが、それよりもかなり老けて見えた。

 確かに写真で見た通り色は白く、スリムな体形ではあったが、髪はシルバーというより殆ど真っ白で、肩の辺りまで伸びている。

 細面の顔は皺が深く、心持ちまなじりが垂れた目は瞳がよどんでいて、まるで安物の人形のそれのように生気が感じられない。

 紺色のトレーナーのような上着に、下は茶色の縞の入ったゆったりしたズボンを履いている。

 介護士が二度ばかり呼びかけたが、彼女はまっすぐ前を見たまま、全く反応を示そうとしなかった。

 三度目に呼びかけた時、ゆっくりと首を動かしてこちらを見た。

 俺の顔が視界に入ったその時、

『あっ』とかすれたような声を上げ、

『あ、あなた・・・・戻って来てくれたの?あなた・・・・』ベッド柵に手をかけ、ばね仕掛けの人形のように立ち上がりかけると、俺に向かって手を伸ばした。

『百合子さん、落ち着いて、この方はご主人じゃありませんよ。』介護士が優しくたしなめるように呼び掛けた。

『え・・・・じゃあ、誰?もしかして誠?誠なの?もう何度も謝ったでしょう?まだ足りないの?どうしたら母さんを許してくれるの?』

 彼女はそのまま、またベッドに腰かけると、両手で顔を覆い、大声で泣きだした。


『さあ、行きましょう』

 隣に立っていた施設長氏が俺をうながす。

 彼女の状態ははっきりわかった。これじゃ話は聞けそうにもない。


 俺は『面会室』という部屋に通され、施設長氏と向かい合わせに座った。

『アルツハイマー型認知症なんです。発症されたのは六年ほど前だったそうです。』

 氏は『絶対に外には漏らさないでください』と何度も念を押してから話し始めた。

 田沼百合子が入所したのは、今から一年ほど前のことで、ケアマネージャーと夫に付き添われてきたのだという。

 夫とは勿論田沼伸介氏のことで、あまりの年齢差に、最初誰もが母子ではないかと勘違いしたほどだったという。


 田沼伸介は、

『妻が認知症を発症した。息子はまだ小学生である。息子の面倒と、妻の介護を同時にするのは難しくなってきたから、入所をお願いしたい』と、頼み込んできたという。


 幸い施設には空きがあったので、入所が可能になった。

 しかしどうしたものか、夫は金だけは振り込んでくるものの、それ以来一度も顔を見せていないという。

『質問があるんですが』俺が言うと、施設長氏は、

『何です?』と鬱陶しそうな声を出した。

『さっき百合子さんは”あなた”と、私を呼びましたが、それは夫の田沼伸介氏の事だとして・・・・その後に出た”誠”っていうのは誰の事なんです?彼女の息子さんの名前は“直人”と言うんですが?』

 仕方ない、と言う感じで施設長氏は『絶対に他言はしないように』と、また念を押して話し始めた。

 

 彼の語るところによれば、百合子は一度離婚をしているのだという。

 彼女は以前都内にある某大手ショッピングモールの食料品売り場で売り場主任をしていた。

 当時年齢は53歳、4歳年上の夫との間に成人して独立した息子が一人いたそうだ。

(その息子の名が”誠”だという)

 

 その店で、アルバイトとして入って来た現在の夫、田沼伸介と知り合ったという。

 そして・・・・つまりは不倫関係に陥り、それが職場にも、そして前夫にも露見して家庭は崩壊、職場も辞めざるを得なくなった。

 

 それから半年後、田沼伸介は大学を卒業、学生時代の先輩が経営していた貿易会社に就職したのをきっかけに再婚をしたそうだ。

 当時もう既に彼女の胎内には伸介の子が宿っていた。

 それが今施設に預けられている直人だと言う訳だ。


『私が知っているのはこれくらいでしてね。こちらとしても困っているわけです。配偶者である田沼氏と連絡が取れなくなってしまったもんですから』

 施設長氏はほとほと持て余した感じで、また苦い顔をして見せた。

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